~決戦~ 一話
二月二十六日。
京都本部のある一室に彼らは集まっていた。
誰もが一様に厳しい表情を浮かべ、中央に置かれた地図を凝視している。
「――という作戦で行きます。何か質問は?」
ただ一人例外的に柔和な笑みを浮かべた男が周囲を見渡しながら問う。しかし誰も声を上げようとするものはいなかった。
手狭に感じない程度の広間の上座に座るのは、今発言をした隼人。
そして和弥、綾華、良治、まどか、葵、浦崎雄也、宮森空孝など護聖十士の面々が揃っていた。ただ祥太郎の代わりに阿波、蓮岡加奈の代わりに叔父の蓮岡勝夫が出席していた。さすがに実戦や作戦には参加させるのは無理だろうという隼人の判断だ。
和弥は普段家で敷いている座布団とは、明らかに違う柔らかなそれに居心地の悪さを覚えていた。一応話も聞いてはいたが、それは和弥の立ち入るべき問題ではないと初めから決めてかかっていたので、発言をすることを既に放棄していた。きっと隼人を始め有能な人々が作戦を立てるだろう。
「あの」
「はい、何か。眞子さん」
おもむろに手を上げたのは福島支部所属の伊藤眞子。
鮮やかな黒髪が際立つ、福島支部の双璧の一人。ちなみに双璧のもう一人は加奈の後見人でこの場にも出席している蓮岡勝夫だ。
まだ若いが、その冷静な判断力には定評があり、最前線での指揮、決断力は蒼月流随一と言われている。また最近当主となった加奈からは姉のように慕われていて、その信頼も厚い。
「突入部隊以外の者は何処に待機していればよろしいですか」
「ああ、そうだね。他の者は陽動として福井支部に待機しておいてほしい。突入開始時刻から三十分経ったら出撃するように」
「はい、了解しました」
他に質問がないのを確認すると、隼人が立ち上がって皆の目を一人一人見つめていく。覚悟は出来たか、と。
「それでは三月三日、我々白神会は宿敵たる陰神の本拠地に乾坤一擲の攻撃を仕掛ける!」
隣に座る綾華が手を握ってくる。顔は合わせず、ただ力強く。
「場所は福井県荒島岳! 今ここに、最後の決戦を宣言するっ!」
「はっ!!」
「――というわけでこっちのことは任せる。多分大丈夫だろうとは思うが油断だけはしないほうがいい」
「うん……。でもごめんね、柊くん。手伝えなくて。こんなときこそ力になりたかったんだけど」
京都本部での会議から二日後、彼と彼女は高等部の屋上にいた。放課後という時間帯のせいか、二人以外に人影はない。
ちょっと時間あるか、と全ての授業が終わった教室で彼が声をかけたとき、ドクンと胸が高鳴った。まるで全ての感情が欠如したような表情と平坦な声。普段学園にいるときとも、仕事のときとも違うトーン。
まるで、死んでいるかのような無感情さだった。
「気にするな。組織としての仕事だしそれは仕方ないから。それにもしものことを頼めるのは真帆たちしかいないんだ」
「そう、だけど……。うん、わかった。頼まれたよ」
「ありがとうな」
ほんの微かな笑みを浮かべ、安心したように小さく息を吐いた。
すっきりとした表情。まるでもう思い残すことはないと言いたげな、儚い横顔。
「あ、でも」
「ん?」
「一つだけ……。うん、一つだけお願い。――ちゃんと、帰ってきてね」
思いがけず出た言葉。背後の夕陽に融けて消えそうな彼を引き止めたくてでた縋るような想い。
「ああ。言われなくても絶対戻ってくるよ。卒業もしたいしな」
返ってきた言葉は、満面の笑みで。
そして。
どうしようもないほど明快で、明瞭で、紛うことなき嘘だった。
「うん。待ってるよ」
それでも彼女は騙される。嘘が嫌いな彼の嘘に騙される。
彼女の知っている良治なら、この場面で絶対に確定的なことは言わない。戻ってくるつもりだ、善処する、そういった言葉が出てくるはずだった。
「ああ」
そして彼はわからないほどの憂いを浮かべて背を向けた。
ごめん、と口の中だけで呟いて。
「どうも。体調は大丈夫ですか?」
「ええ、今はもう違和感はないわ。……でも何か不思議な感じね、自分がこんな『力』を持つなんて思わなかったから」
屋上から降りて下駄箱に向かう途中、夕陽の差し込む教室に一人佇んでいたのはこの学園の元生徒会長。彼が来るのを待っていたように、自分の教室で一人残っていた。
彼は苦笑するせりなの表情を見て、少なからず安堵していた。どうやら自分を見失ってはいないようだと。
人は急に力、権力などを持つと自分を見失い、暴走することがままある。自惚れ、過信し、そして自ら破滅への道を歩む。
せりなはそういうタイプに見えなかったが、だからといってそういったことにならない保証はどこにもなかった。人間誰にでもその可能性はある。
「これから先、退魔士としてではなく普通の人間として生きていくなら、ちゃんと自分の中で折り合いつけなきゃダメですよ。その力も含めて『小久保せりな』なんですから」
「……そうね。うん、時間はかかるけど頑張ってみるわ。……あ、それと」
「何です?」
「新しい生徒会長もよろしくね。何かあったら助けてあげてちょーだい。一応『頼りになる人リスト』に載せて渡しておいたから」
「そんな物作ってたんですか……?」
溜め息を吐き、顔を伏せるが、これも彼女にとって一つの優しさだということに気付いていた。リストのことは彼女のことだから本当のことだろう。後輩の生徒会長に向けて最後の手助けであり、彼には何があってもこの学園という『日常』に戻ってきなさい、というメッセージに他ならなかった。
「まぁ俺や和弥に出来る範囲なら手伝いますよ。会長は安心して卒業してください」
「ええ、そうね。この半年は特に楽しかったわ。ホントありがとう。……それじゃ、またね」
戻ってこなかったらどうなるかわかってるんでしょうね。そんな言葉が浮かぶような挑戦的な笑顔で、再会の約束を口にした。
その言葉に彼は。
「ええ、気が向いたら」
そう答えて、静かに背を向けて歩き出した。
「……まさか、いるとは思わなかったな」
昼前に東京本部に到着した良治とまどかを迎えたのは、いつもの二人。
今日は二十九日の日曜。学園は当然休みだが、決戦前の最後の日曜なので家族と過ごしているだろうというのが今来た二人の予想だったのだ。ちなみに今年は閏年なので二月は二十九日まである。
良治たちの言いたいことがわかった和弥が笑う。
「はは、戻ってくるつもりなのに別れの挨拶なんていらないだろ」
「その通りですよ。そんな時間があったら鍛錬に勤しむべきです。ここにいるのはそういうことです」
さも当然のように言う二人。その言葉を肯定するような落ち着いた佇まいに少なからず良治は驚いた。
並みの者たちなら、間近に迫った決戦に臆したり、血気盛んになったり、落ち着きがなくなったりするだろう。しかし二人にそんな様子は全くない。傍らのまどかも信じられないといった表情で凝視している。彼女も驚愕しているのが手に取るようにわかった。
これが歴戦の退魔士であるなら納得も出来ようが、二人は実戦を経験してから僅か十ヶ月。恐ろしいほどの身体・精神両面の成長。普通の退魔士の過ごす五年と同等、もしくはそれ以上の激戦で成長が著しく促されたのであろうが、それでも高校生の少年少女が至る境地ではない。
「……こりゃ頑張らんとな」
「そうね。――下手したら私が一番足手纏いになるかも」
同じようなことを感じたのだろう、まどかの声に硬さと緊張が現れていた。近くにいたからこそわかる、その才気と成長速度。特に和弥は素人同然からこの域に達している。誰が一年前はただの高校生だったということを信じられるだろうか。
「まぁそれはそれとして。まどかもあまり緊張しないような」
そう言って彼女の頭をぽんぽんと触れる。少しでも緊張が解れればと。
「……うん。ありがと」
彼女はその心遣いに気付き、少し微笑んだ。
作戦が開始されるまで丸二日。三月二日の深夜から三日の早朝にかけて行われるミッション。
突入はその時間だが、準備があるので活動を始めるのは半日前倒しされる。つまり彼らは二日の午後には東京を出なければならないことになっていた。
京都本部で話された作戦はこうだ。
まず突入部隊以外の護聖十士が、陰神本拠地『荒島岳』に一番近い支部である福井支部に集結。過度にならない程度に攻撃の準備をし、陰神の目を引いておく。
そして二日深夜に、二番目に近い岐阜支部に集まった突入部隊が福井支部とは逆方面から一気に荒島岳に突入を仕掛ける。そして混乱に乗じて陰神総帥《鬼人》羅堂道元を討つ――これが作戦の全容だった。
だがもちろん言葉で言うほど簡単ではない。それどころか穴が多い。
まず、陽動の福井支部に目を向けたからといっても陰神幹部まで出てくることはないと予想される。少なくなった構成員たちのほとんどが出て行ったとしても、幹部たちと突入部隊の真っ向勝負は避けられないだろう。
さらに本拠地内部、とりわけ深部の構造が不明であることもネックだ。上手い具合に進入できたとしても、内部で迷っていては時間がいくらあっても足りない。しかし厳重な結界で閉ざされた荒島岳一帯に、気づかれずに入って出てくることは至難の技だ。こればかりは出たとこ勝負で行くしかない。
そして最後に、純粋な戦力。陰神は最低で六人、こちらは治療役の宮森空孝を抜くと同じ六人。同じ人数なら純粋に力比べとなる。個々が相手を打破できる力が必要なのだ。突入部隊は小数精鋭で何よりも機動力を求められる。大人数では素早い作戦行動に難があるのだ。
そして実力以上に必要なのは、今後全てが決せられる戦闘に実力を発揮できるメンタリティ。
決戦を目前に、皆それぞれの方法で精神を集中させようとしていた――
「――夜の散歩ですか」
自分ではあまり感じていないのだが、緊張のせいか眠れぬ夜を持て余し自宅近くの公園でぶらぶらしていた彼に声をかけたのは、振り返るまでもなく綾華だった。というか公園に入ってきた辺りから気配を感じ取っていたので、待っていたと言ってもいいだろう。
「まぁ、そんなとこだ。そういう綾華は?」
「私も同じですよ。何だか寝付けなくて」
珍しく苦笑しながら近くにあったベンチに座る。心なしか元気がないように見えた。
しかし考えてもみればそれは当然なことだ。あと二十四時間もすれば、否応なしに戦場に立つことになる。それも極めて過酷、生きて帰れる保証など何もない。
和弥自身にも死ぬことへの恐怖はある。しかしそれを超える怒りが心に宿っていた。楽しむように命を奪う者たちへの怒り。今は抑えてはいるが、いつでも思い出すことは出来る。あの東京支部襲撃事件はつい先日のことなのだ。
そして彼は信じていた。そういった者たち、陰神を倒すことで救われる命があることを。
何回も、何十回も思い返した想い。ただ周りにいる人たちを助けたい、そのためだけに力を欲した。そしてその力を手に入れた今こそ、自分の信じる道を貫くとき。
それ故迷いも躊躇いもない。公園に来ているのは、冴えてきた思考を落ち着かせるためだけだ。どんなときもぐっすりと眠れる彼にとって珍しいことだった。
「それにしても長かったような短かったような、不思議な気分だな。綾華と会って約十ヶ月か」
「そうですね。今からは考えられないくらいですけど」
京都で初めて会ったとき、そして学園に転入してきたときのことを思い出して、二人で笑いあう。遠く昔のことのように思えるのは、それだけ短い期間に濃い時間を過ごしてきた証だ。今では何よりも大事な時間だとはっきり言える。
ひとしきり笑うと、彼女は覚悟をした表情で唇を開いた。
「和弥。決戦の前に一つ言っておきたいことがあるのですが、いいですか?」
ベンチ脇に立つ電灯に照らし出された綾華の表情、雰囲気で、彼女がこれから何を言うのか、鈍い和弥も気がついた。
それとなく感づいてはいたし、自分の中にもそういう感情があったのにも気づいていた。一緒にいると楽しい、彼女が表情を変えるたびに幸福を感じてもいた。
答えは決まっていた。そして、彼は首を横に振った。
「和弥……?」
「その話は、そうだな……二人とも無事に帰ってきたらにしよう。それなら死ぬわけにいかないだろ?」
虚を突かれたようにまじまじと和弥の顔を見ていたが、彼の言いたいことを理解して顔を綻ばせた。まるで夏の陽に輝く向日葵のような笑顔だった。
「――はいっ」




