~葛藤~ 一話
死闘に次ぐ死闘の果てに復活した鬼神を再封印し、辛くも勝利を収めた丹沢の決戦から約一ヶ月。
あのときの戦いも厳しかったが、その戦後処理、説明なども多忙を極めた。
怪我人は和弥、良治、水樹姉弟、そしてせりなも念のために白神会の息がかかる病院へ運ばれた。
特に酷かったのは良治で、宮森翔の医術と併用してなお二週間近く入院することになった。魁との一騎打ちは熾烈を極め、左上腕部の骨は折れるというより砕かれていたことが入院時にわかったのだ。その状態で自分より体重のある和弥を麓までとはいえ運んだのは、戦闘が終わってすぐで身体がある意味麻痺していたからに他ならない。正直、退魔士としての人生が終わるところだった。
和弥は『力』を完全に使い切って深い眠りについただけだったので入院して二日後には退院することが出来た。あちこちに負った切り傷もそれほど深いものはなかったらしい。
桜と楓とやりあった真帆と慎也だが、二人とも徹頭徹尾防御に専念したらしく、致命傷は受けていないが相手にもほとんどダメージらしいダメージを与えられなかったそうだ。その話を聞いて、良治が酷く感心していたのを和弥はよく覚えていた。常に攻撃よりも防御に気を回す良治はそのときの様子を詳しく聞き、次の戦いに備えようとしていたようだ。病室で真帆の話を聞く彼を見て、面会時間中ずっと傍らにいるまどかの様子が不穏だったのは言うまでもない。和弥と綾華は気が気でなかったし、付き添ってきた慎也も同様だった。
結局敵を誰一人倒すことは出来なかったが、それでも自分たちの勝利であることは明白だった。
そしてそれ以上にデリケートな問題もあった。――せりなのことだ。
彼女の容態は大したことはなかったのだが、今回一般人として事件に関わってしまったために色々と話をすることになったのだ。
京都本部から派遣された専門家とせりな、葵の三者で相談した結果、せりなはこれ以上関わらないことを誓約書に一筆書いた上で記憶を消すことは免除された。これは例外的な措置ではなく、『力』に目覚めた一般人に対して普通の措置だった。誓約書の内容を簡単に説明するなら、これから先自分からは決してこういった危険と思われる事件等に関わらない、もし自分の力が制御できないなど不慮の事態が起こったなら最寄の支部に連絡することなど条件が記されている。もちろんこれらを破った場合は即記憶の消去をするとも。
残る問題は葵の責任問題だが、処分としては一ヶ月の京都本部での謹慎となった。やはり陰神との闘争中ということで軽減されたようだった。ちなみに宮森翔も良治の治療が終わってからだが付き添いで本部に出向している。
色々とごたごたとしていたのは二週間ほどの間で、良治が戻る頃にはほとんど元の状態に戻っていたと言っていいだろう。まだ京都支部に行っている二人は帰ってきていなかったが。
そしてあれから一ヶ月が経ち、明日には葵が京都から戻ってくる。これで元通りだ。
学園から支部へ向かう道すがら、そんなことを漠然と考えていた。
「……って聞いてます?」
「ん? あ、悪い、聞いてなかった」
「まったく……」
隣にいるのは言わずと知れた綾華。今日は一年と同じ時限だったので一緒に道場に行くことにしたのだ。気がつけば、いつの間にか電車を降り、支部まで十五分ほど歩くだけのところまで来ていた。
「もう、貴方から振ってきた話でしょうに。で、何処まで聞いてました?」
「すまん、最初から頼む」
大きな、そして諦めの混じった溜め息を吐く。またですか、と空耳が聞こえた気がした。
「ええと、和弥が先月使ったその術ですが、それは『退魔剣』と言われるものです。白神会の創設者で神刀流の初代・白兼神刀が編み出したのが最初と言われています。現在好んで使う人は少ないと思いますよ」
「へー……って何でだ。あれ、結構強力だと思うんだが」
「強力ですよ、確かに。でも時間制限付きのものですから。一流の術士、剣士でももって十分程度、時間内に決着がつかなかったら即負けに繋がるので積極的にはまず使わないですよ。……それに元々使い手自体が少ないですし」
「少ないって、何でだ?」
「簡単に言うなら難しいからですよ。力を武器に纏わせるのは誰でも出来ますが、その力を変化させたうえで保たせるのは、術士としても剣士としてもかなりの技量が必要です。……ホント、何故和弥が出来たのか不思議でたまりません」
ありえない、といった感じで首を振る。綾華には出来ない芸当だし、継承者クラスの退魔士で何人かいる、というくらいだ。
それにしても、毎度の事ながら和弥には驚かされっぱなしだ。学園祭の事件の時やこの間の戦いでは白い光が現れていたし、退魔剣のこと、そしてこの成長速度。どれを取っても十分に驚くべき出来事だ。
「一つ聞いておきたいことがあるんですが、いいですか?」
「ん、なんだ」
「ええ。以前魔界に行ったとき、死霊の王を倒したときに白い光が現れましたよね。そして先月の封印のときも。あの光はなんなのですか……?」
今までなんとなく聞きそびれていたことだったが、思い出したのを切欠に聞いてみることにした。なにか、とんでもないことが隠されている気がしたのだ。
「ん~……何なんだろうな、あれ。自分でもわからない。ただ、なんだこう……気分が高揚、高潮? したときにでるんだよ。それ以外は自分でもよくわからん」
「……そうですか。まぁ元々大した答えは期待してませんでしたが」
「わかってるなら聞くなよ」
今度はこっちが溜め息。普段説明に慣れていないせいか、説明しようとするだけでも何だか難しく考えてしまって上手くできない。こういう部分は素直に綾華や良治を尊敬する。
「そういえば良治さんの調子は?」
「ん、ああ、やっと身体が戻ってきたって言ってたな」
二週間近く入院することになり身体の筋肉が落ちていたのだが、ようやくまた戻ってきたらしい。左上腕部はまだ完治はしてないが日常生活には支障はないようだ。だがまだ激しい運動は控えなければならないようで、ここ最近は図書館に寄って本を読んでから道場に来て簡単なリハビリをするようになっていた。今日はまどかと待ち合わせて遅れて行くと聞いている。完治するまで何かと付き添っていたのだ。
この場所を待ち合わせ場所に使うのはこれで十回を超えるが、相変わらず居心地が悪いのは変わらなかった。今日は少しだけだが彼の学校の方が授業が早く終わり、最近付きっきりで迷惑をかけたなと思いここまで歩いてきた。
良治が今居るのは自らの通う弦岡学園最寄りの丸田駅の隣駅にある、まどかが通う学校の正門から二十mほど駅に向かう道端。勿論その前を通るのは大部分、というかほぼこの学校の生徒だ。これが普通の高校ならそこまででもないのだが、まどかの通うこの高校の名前は保坂女子学園。つまり女子高。苦い表情で行きかう女子高生を視界に入れないように目を伏せてガードレールに腰かけていた。
「……あれ? 良治クンだっけ?」
不意にかけられた声に顔を上げるとそこには見知ったこの学園の生徒。見慣れたクリーム色のブレザーに赤いタイ。勿論まどかではない。まどかなら近付いてきただけで気付ける。
「私のこと覚えてる?」
「ええと。勅使河原結那さん」
「ビンゴ。よく覚えてたわね。ちょっとびっくり」
彼女とは一度会ったことがある。まどかのクラスメイトだ。
身長は良治より僅かに低いくらい。ヒールを履いたら抜かれるかもしれないくらいなのでほとんど変わらない。手入れの行き届いた黒く長い美しい髪。立った時の姿勢も良くスタイルも良いのでまるでモデルのように見える。しかしそれ以上に良治が一度会ったきりの結那を覚えていたのは別の部分。二つあるその部分の一つはその目。常に余裕を感じさせるようで挑戦的な瞳。少し釣り目がちなのだが無礼さや敵対心は感じられない。
「そうですか? 勅使河原さんほどの美人なら大概の男子は一目で覚えますよ」
「あらありがと。でもまどかの前じゃ言わないほうが良いかもね。まどかってヤキモチ焼きだから」
「間違いない」
真帆とのやり取りを度々見ている良治にとってそれは割と頭の痛い問題の一つでもある。思わず苦笑いが浮かぶ。
「……と、これから用事あるから。また機会があったらお話でもしましょ、良治クン」
「ええ、喜んで。勅使河原さん」
「ありがと。それと次会ったときは下の名前で読んでね。長いし好きじゃないのよ、苗字。それじゃ」
微笑を浮かべながら軽く手を振って駅方面へ歩いて行く結那。なんとなくその後ろ姿を見送る。その歩き方も様になっていて一つ芯の通った強い女性というのを感じさせた。
「……で、いつまで見てるの良治」
「ん、お疲れまどか。遅かったな」
背後からかけられた言葉に心臓に悪いくらい驚いたが、振り向くまでに動揺を――見た目だけは――沈め、返答した。
「いや待ってたら勅使河原さんに声かけられてな。……相変わらずだな、彼女」
「どういう意味で?」
「身体つきという意味……って待て。そういう意味じゃないからその拳を下げなさい」
ノータイムで振り上げた右手を渋々下げるまどか。彼女も一瞬遅れて彼の言葉の意味を理解したのだが、恥ずかしくて振り上げた拳をどうしようか迷って結局彼の言葉に従う。彼から少し目を逸らしたのは恥ずかしさからだ。
「……まぁずっと身体鍛えてるし。中学の頃は空手やってて、今は総合格闘技にハマってるみたい。ただうちの学校にはそういう部活ないし、他の娘も興味はあっても自分でやることはしないみたいで、結那はジムに通ってるって言ってたわよ」
「なるほど」
二つ目の部分の身体つきというか筋肉のことだったのだが、それなら色々納得できる。
確かに制服から伸びる四肢に付いたしなやかそうな筋肉、立った時や歩いている時の姿勢。そして恐らく自信に裏打ちされた自然体でありながら強固さが滲む瞳。どれも一つの道を真っ直ぐ進んでいる人間が持ち得るものだ。
「さ、早く行きましょ。それとももっと結那の話する?」
にこにことしているがあれは内心少しいらいらしてる時の笑顔だ。目が笑ってない。
「いや大丈夫だ。さっさと行こう」
これ以上は確実にまどかの機嫌を損ねることを感じ、さっさと話を切り上げる。触らぬ神に祟りなし。
二人は少し早足で駅へと歩き出した。
「……ああ、そうだ」
和弥はまだ二日前のことのお礼を言っていないのを思い出した。というかその場で言おうとしたのだが、綾華は聞かずに立ち去ってしまったのだ。
「この前のチョコ、ありがとな。美味しかった」
「な――! きゅ、急にそんなこと……! は……こ、こほん、それは良かったです。作った甲斐がありました」
不意打ちに狼狽えて顔が真っ赤に染まる。しかし取り乱したことに気がついたのかすぐに普段の調子に戻す。先程完全に陽は落ち、辺りは真っ暗だったが、顔は赤いままのがわかった。
ちなみに和弥の言う『チョコ』とはもちろんヴァレンタインのことだ。二日前の十四日は土曜だったので家に直接持ってきたのだ。距離的には十mも家は離れていなかったが、とても心躍る出来事だった。
「もう着きますよ。急いでください」
「ああ、わかったよ」
照れ隠しのように綾華が先を急ぐ。そして支部の大きな門をくぐった瞬間、身体中に違和感が襲った。
「え……!?」
「おい、これ!?」
照れてる綾華を微笑ましく思いながら、続いて入った和弥も驚きの声を上げる。しかしすぐに気づいた。これは結界特有の違和感だということに。しかし何故東京支部に結界が張られているのだろう。術の修行など、大きな音や振動を伴う訓練のときは張ることもあるが、それは土日の深夜に限られているし、葵が京都本部に行っている今、許可を出す人間はいないはずだ。
その時、道場のほうから何か物音が聞こえた。何かが叩きつけられるような音だ。
「……行きましょう」
「ああ……嫌な予感がひしひしとする」
頷いて走り出す。もちろん出来る限り気配と足音を消してだ。
現在この支部にいるはずの人間は、師範の名塚政弘、師範代の竹村周治、同じく師範代の九嶋雅信、そして練習生の浅川正吾の四人。師範の名塚は先代の南雲孝保から支部に所属している古株だ。といっても年齢的にはまだ三十過ぎで、外見も老けた様子はまだまだない。二人の師範代はともに葵に代替わりしてから配属された中堅の退魔士だ。年齢は二人とも三十前。最後の正吾は現在近くの公立中学に通う練習生だ。最近思春期のせいか、訓練をサボりがちなのが問題になっている。ちなみに担当は九嶋だ。
和弥が四人を回想して、ふと疑問が湧いた。そして嫌な予感がさらに強いものになる。わかっていながら、隣の彼女に訊いてみる。
「なぁ、この結界は誰が張っているんだろうな」
結界を張れるのは支部に四人いる。葵、良治、綾華、そしてまどかの四人だ。じゃあ今支部に結界を張っているのは、誰だ? もしかしたら葵が早く戻ってきているのかもしれない。でもあの隼人が軽減した罰をさらに短くするとは思えない。まどかは良治と一緒に来ることになっている。まさかまどかだけ先に来ていることはないだろう。もしそうなら連絡が来ないとおかしい。残るは綾華だが、これはそもそも問題外だ。
それなら、誰が?
「……和弥……!」
誰も結界を張れる人間はいないことに気づかされた綾華が、道場の扉の前で立ち尽くした。扉は隙間なく閉ざされている。しかし――
「これは……」
閉ざされているにもかかわらず、それは色濃く辺りに漂っていた。
突き動かされるかのように、和弥は扉に手をかけた。いつも通りの光景を期待しながら。そんなことは絶対にないと確信しながら。
二人の見た光景は――地獄だった。
血に染まった一面の赤い床。
腹から内臓が飛び出ている壮年の男。
扉の近くの壁に叩きつけられ、倒れている少年。
何故か、どこか見知った面影を残した二体の化け物。
そして、その化け物の奥に佇む黒いボロ布を纏った魔族。
「おお、遅かったの。余りに遅いので遊ばせてもらっておるぞ。ククク」
「シグマ――!」
「なんてこと……!」
闇が形になったような陰鬱な気配を発する魔族、シグマ。見た目には両方の腕もあり、この間の戦闘のダメージはほとんど戻っているようだ。
でも、そんなことはどうでもいい。
目の前の広がる光景に怒りが込み上げる。辺り一面の血の源は、腹を裂かれゴミのように打ち捨てられている彼のものだろう。完全に生気を失い、生きていたときとはまるで面持ちが違うが、横たわっているのは、東京支部の師範を務める名塚政弘だった。
「ククク、怒っておるのか? それなら一つ質問してやろう。――この化け物の顔に見覚えはないかの?」
「……! おい、てめぇ――!!」
「九嶋さんと、竹村さん……」
初見で感じ取っていた面影、それは二人の師範代の面影。体躯は変形し天井にも届くかと思うほどで、緑色の表皮と濁った瞳だが、確かにその顔には彼らの面影があった。
「この二人は色々と現状に不満があったようじゃ。心の奥の奥に、な。若い支部長、厚遇される後輩……闇に取り込むのは難しくなかったわ」
今まで二人がそんな素振りを見せたことも、感じたこともなかった。しかしそういうならそうなのだろう。二人がこの場にいなく、面影を残した二体の化け物がいるということは。本当に小さな不満を刺激し、己を見誤らせて化け物に変えてしまう。なんて、なんて酷いことを――
「さて、ワシはそろそろ消えるとするかの。先日の戦闘の傷がまだ完全には癒えていなくての。まぁそのための駒じゃ、せいぜい楽しんでくれ」
「てめぇ、待ちやがれっ!!」
叫ぶ和弥など全く意に介さず、空間を渡って消えてしまう。残されたのは二人と二体の人間だったモノ。戦うことなど、まして殺すことなど出来ない。出来るはずがない。同じ支部でともに辛い訓練や仕事に耐えてきた、言わば戦友。何故、戦わなければならないのか。
「和弥」
彼女の声が響いた。言いたいことはわかる。シグマがいなくなったのを合図としたのか、二体の殺気が膨れ上がったのだ。もはや人間だった頃の意識はない。そこにいるのは人間を殺そうとする、化け物が二体。
近づく化け物、踏ん切りがつかない和弥。
「ん……ぐ……」
小さな呻き声。その方向に振り向くと、壁にもたれるように倒れていた少年――正吾だ――が微かに動いているのが見えた。
「正吾っ!」
和弥と同時に動いたのは二体の『化け物』。止めを刺すつもりだろう。
彼は迷う。既に右手には転魔石で出した木刀が握られている。距離は互角、これでは先に着いたとしても正吾を守りきれるかわからない。わかっていながら迷う。わかっていても迷う。
「……はあぁぁっ!」
迷った末に左の拳で『化け物』を殴り、もう一体を巻き込むように床に倒れこんだ。――拳が、痛んだ。
「綾華、まだ息がある。大丈夫そうだ」
「……そうですね。でも」
正吾を守るよう並ぶ二人と立ち上がる『化け物』たち。倒れたものの、ダメージはほとんどないようだ。
「どうするんですか……?」
「どうするもなにも……どうしろって言うんだよ……!」
殴るときに視界に入った顔。どうしても和弥は全力で殴ることが出来なかった。そして和弥の心理も、痛いほど綾華も理解していた。
綾華にとってもこの支部のみんなは戦友であり仲間だ。籠の鳥のように京都に閉じ込められていた彼女の、初めて共有した空間。それがこの道場であり、仲間たちだった。
胸が張り裂けそうに痛む。なんでこんな目にあっているのだろうなどと意味のない問いかけが頭を掠める。――自問自答のなか、彼の頬に一筋の光が流れていた。
――どうしろっていうんだよ――
一粒の涙が血に濡れた床に、音を立てて落ちた。




