~それぞれの試練~ 二話
ここに来るのも三度目。
今、和弥は京都道場へ足を踏み入れた――
――試練「都筑 和弥」――
東京支部で隼人の誘いを受けてから五日後、彼は本部の門をくぐっていた。
正直、チャンスだと思った。もっと強くなるためのチャンスだ。
少しは役に立てるくらいにはなれたと思っていた。しかしその僅かな自信はあの夜に砕かれてしまった。
毎回力不足を感じて、それを糧に日々の訓練を繰り返し、自信と力にしてここまできた。強くなるのが楽しかった。きっとそれが共に戦う綾華や皆の役に立つと思っていたから。
しかし、実際にはまだ足りていなかった。まだまだ足手纏い。
そして巡ってきたチャンス。
――絶対にモノにしてみせる。
「やぁ、よく来たね」
「あんたが来いって言ったんだろう。じゃあ、早速やろう。とりあえず何をやればいいんだ?」
ここは白神会の中心、京都本部。だだっ広い板張りの道場の真ん中、向かい合って話す和弥と隼人。今日も暑いというのに、この着物の男は全くそれを感じさせない微笑を浮かべ、こう言った。
「ではまず、僕と手合わせしてもらおう。とりあえず今現在どれくらいかを見てみたい」
「わかった。木刀でいいのか?」
「ああ、それでいいよ」
立ち上がりって東京から持ってきた木刀を黒一色の竹刀袋から取り出す。馴染ませるように数度握り直し、隼人と相対した。
「用意は出来たね。じゃあ」
「ああ……ってあんた、何も持ってないじゃないか」
目の前の相手は何も持たず、構える事もなくただ、自然体で立っているだけだった。戦う、という意思も感じることもできない。
「多分これで十分だろう。これが不服なら実力で示してくれ」
「じゃあ……そうさせてもらうっ!」
およそ五mを一足で詰め、右斜めから振り下ろす。腕の振りもタイミングも、体重の移動も自己分析ではほぼ完璧。しかし、ひょい、と呆気なく避けられてしまった。
「――!?」
「ふむ、成る程。なかなか力強い。これなら見込みはありそうだ」
とても見込みがあるなんて思えなかった。はっきり言って格が違いすぎる。当たる直前までしっかりとこの目で見えていたはずなのに、半瞬後には完全に見失っていた。
これが白神会を統べる者か――
「剣を中心に勝負していくんだったらもう少しスピードをつけるのと、ほんの少しでも術を扱えるようにした方がいい」
「術を?」
攻撃の幅が出るのは間違いないだろう。今まで術が使えないでいで散々引っかかってきたのだから。しかし、剣術で戦っていくつもりなのに何故術を覚えないといけないのか。
「不思議な顔をしているね。まぁ、簡単に言うと自分の武器を強化したり、目眩ましに使ったり……補助系の術をメインにってことだね。術の苦手な君に綾華やまどかくんレベルの攻撃術は期待していないよ」
確かにそう通りなのだが、笑って言うことでもない。これが地なのだろうが、ちょっと悔しかったりする。でもよく考えてみると他の三人は結構使える部類になる。無論、和弥視点の感想なのだが。
「では、和弥くん。君は『力』といったら、地・水・火・風のうち、どれをイメージする?」
『力』のイメージ。今まで考えたこともなかったが想像してみる。
四つの中で最も自分のイメージに近いのは。
「敢えて言うなら……『火』だな。これが一番近い気がする」
よくわからないが、これが何だかしっくりくる。燃え盛る火炎。それが一番『力』のイメージで最初に出てきた。
「そうか……ある意味本当にバランスがいい。他の三人の得意属性は知っているかい?」
くすくすと楽しげな笑いとともに問いかけてくる。
「確か綾華が『水』で、まどかが『雷』。あれ、リョージは……?」
ここで初めて気が付いた。良治は今まで一度も和弥の前で、特定の属性を持つ術を使っていなかった。彼の使う術は結界や防御系列に限られている。もしかしたら攻撃系の術は苦手なのかもしれなかったが、何故かそんな気は全くしなかった。
「良治くんは『風』だよ。みんなバラバラだ。違うってことはいいことだ。何故ならばその分いろいろな敵や状況に対応できる。誰かが他の誰かをフォローすることによってね」
さらに剣士、術士が二人ずつ。全くもって申し分ない。
バランス的にこれ以上望むものはない。あとは個々の技量を上げていくしかない。
ならばやるべきことは一つ。
「じゃあ稽古を始めようか?」
和弥の気持ちが切り替わったことに気付いたのだろう、試すような意地の悪い笑み。まるでついてこれるか、と挑発するような言い方だ。
心に火が灯る。
その言葉に彼は短くこう言った。
「やろう」
修行を始めてから二週間が経った。
それは苦しいものだったが辛いものではなかった。
朝は五時半に起床しジョギング。七時までに帰って来れたなら朝食。時間内に帰って来れなければ勿論食いっぱぐれることになっている。開始して三日間食べ損ねたが、それからは何とか朝の栄養を取り損ねることは回避できていた。
その後は昼までひたすら体力作り。昼食を摂ったら今度は隼人と実戦稽古。
散々身体をしごき、晩御飯を食べ終えた次は最も苦手な術の練習。
この二週間、日付を跨いで起きていたことなど一日もなかった。情けないことだがそこまで体力が追いつかないのだ。
しかし、さすがというかなんというか、やっとこの生活に慣れてきた。人間は慣れる生き物というのを初めて実感して苦笑した。
山の中を時間制限ありで疾走したり、切っ先に重りをつけた木刀を振り回したり、隼人の容赦のない一撃をくらって悶えたりと、間違いなくこれまでの人生で一番密度の濃い日々を送っていた。
だが、それでもまだ友人であり先輩でもある良治には届かない。そう思う。
ちょっと前に綾華に聞いたことがあった。彼は隼人のお気に入りだと。
ならば、今自分の受けている修行もやったことがあるかもしれない。だからこそあの若さで関東屈指の退魔士に育ったのではないか。
この推測が間違っていなかったら、修行が終了する頃には親友に匹敵する力を得ることが出来るかもしれない。
しかしその前に大きな問題がある。その問題をまだ和弥はクリアできないでいた。
それはもちろん術の行使。京都に来てからも訓練を受けてはいたが、未だに煙一筋たてることが出来ないでいた。まぁ、訓練と言ってもほとんど何も教えられてはいないのだが。
隼人曰く、
「術の行使の仕方は個人個人違うものなんだ。例えば何か簡単な動作をしたり、或いは特定のものをイメージしたりとね。きっかけがあればすんなり身につき、そうそう忘れたり出来なくなることはない。自転車の乗り方や泳ぎ方なんかと同じようにね」
らしい。
それを聞いた日の夜、綾華に電話で訊ねてみたが全く同じことを言われた。さらに、一度道場前を偶然通りかかった、良治の妹の彩菜にそれとなく話を振ってみたが、これも大きな違いを聞くことはできなかった。ちなみに彩菜の名前を忘れていて再度名前を尋ねた時、苦笑いされたが快く二回目の自己紹介をしてくれた。
――術を扱うには自然体でなければならない。
それを難しく考えてしまっている時点で彼には使うことが出来ないのだ。術はその人にとっての自然な動作・イメージをもって発動する。
綾華なら左手を軽く握ってからどんな術を出すのかをダイレクトにイメージし、良治ならば眉間に意識を集中してからイメージする。まどかについては動作は必要でなく、弓の弦を弾く音をイメージしている。
皆にとって使う条件は簡単なものだ。それが和弥にはできない。片っ端から動作・イメージをしながら掌に火を出そうとするのだが、ことごとくハズレを引いていた。ついでに言うと動作に関してはやりつくした感がある。彼の尊厳を守るため、詳細は割愛するが。
そうなると残りはイメージ。
これは手強い。それこそ限りがない。砂漠で一粒の塩を見つけるようなものだ。宝くじで一等を当てる方がまだ可能性があるだろうと思ってしまう。
(火……炎……刀……いや、なんか違うな)
温かい蒲団を抜け出し、障子を開け夜空を見上げる。
いつもなら考え事をするとすぐに意識が落ちるのだが、今日に限っては逆に冴えていく一方だ。
なにか、見つかる気がする。
思った瞬間、それは突然訪れた。
胸騒ぎが消え、全てがクリアになり、昇華した。
まさに、天啓。
難解なパズルのピースが嵌ったような不思議な高揚感のなか、『それ』をイメージして握った掌を上向きに開いた。
ぽっ!
「…………」
ホンの一瞬、だが確実に炎が現れた。忘れないように何度も何度も繰り返し、そのたび赤い火が出現しては消える。
「は……はは……っ!」
コツさえわかれば何ていうことなかった。深く考えすぎた自分を笑って吹き飛ばす。
その一方で何故このイメージなのかがわからない。心の奥が疼くような、懐かしい感じがすることにも疑問が残った。
和弥の術のイメージは、蒼天に数多舞う、雪のような純白の羽だった。
「へぇ、意外に早くできるようになったんだね。てっきり夏休みが終了しても出来ないと思ってたのに」
翌日の朝、早速隼人に術を披露した。もしかしたら夢だったり、次の日になったら使えなくなっていたりしたらどうしようかと思っていたのだが、その不安は杞憂に過ぎなかった。以前言っていた隼人の例えは実に的を射ていたと言えるだろう。
「まぁ、それはともかく、早くできるに越したことはないだろう。後は自分で色々試しておくように」
「……色々って?」
頭の上にハテナマークが浮かぶ。僅かに微笑みながら彼にしては珍しく律儀に答えた。
「大きな炎を出したり、方向性を持たせたりってことだよ。和弥くんの場合はイメージ次第でいくらでも変化させることができると思う。しかしどれも一朝一夕でマスターできるものじゃないから、まず一種類に重点を置いて練習することを薦めるよ。どんなものにするかは自分で考えたらいい」
火を出せたことに浮かれていたが、よく考えればここからが本番、喜んでばかりもいられない。まだライター程度の火力、それも一瞬しか出せないのだ。これは剣術以上に努力しなければ短時間で習得するのは非常に困難だろう。
「じゃあひとまず術の方は置いといて剣術の話をしよう。和弥くんはこの二週間みっちりと訓練したけど、自分の最も得意な形は見つかったかい?」
「得意な形?」
術についての話から急に移行したのについていけず、オウムのように問い返す。
「そう、得意な形だ。人間誰しも自分に合ったやり方っていうものがある。野球のピッチャーもそう。それぞれ合った投げ方をしているだろう? そんなことが色々なことにも言える。剣術についても然りだ。きっと知らないうちによく使っていると思うよ」
成る程、と感心しながら頷く。最も使いやすいものを一番よく使うのは確かに道理だ。自分自身そんなことをわかっていなくても身体は自然に動く。
隼人がこちらを促しているのに気付く。和弥も試してみたいと考えていたので早速木刀を構え、数度違うパターンで素振りをしてみる。
袈裟切り、横薙ぎ、さらに唐竹、切り上げ、刺突と思いつくままに風を裂く音をさせて振るう。
「――ん?」
振り下ろした木刀を止める。何の引っ掛かりもなく振るうことができた気がして、確かめるように再度振るってみる。
左半身から上段に構え、袈裟切り……違う。次に同じく左半身上段から唐竹……これも違う。今度は少し構えを下げ、袈裟切り。
「これ、か?」
「八相の構えだね。基本的な構えの一つだけど、それだけ力を入れやすく、やりやすい……って聞いてないね」
八相の構えは、左上段の構えから右拳を右肩辺りまで下ろした形だ。厳密に言えばさらに刀先を相手に向けるのだが、和弥の場合はそのままである。
「……ん? いや、聞いてるって。やっと方向性も決まったから後は頑張るだけだなって、そう思ってたんだ」
これが和弥の長所。往くべき道が決まったなら留まることも迷うこともなく進むことができる。以前、綾華は『思慮が足りません』と注意したこともある。無論本気ではなくそれが長所だと理解してでの発言だ。このことが裏目に出ないように、もしくは出たときにしっかりフォローすればいいというのが彼女の考えだった。
術も使えるようになった。
剣術も得意な形がわかった。
どれだけ力をつけられるかは自身の根性次第。
(これでリョージたちと肩を並べて戦うことができるかもしれない)
和弥の心の中にはまだ、良治が倒れたことを聞かされたときの衝撃が残っていた。
良治が旅立つ直前、発作について問いかけた。まどかに言った手前、聞かざるを得ないというのも聞きにくかったことを後押しする結果になった。悪い答えを聞くのを覚悟しての行為だったが、返ってきた答えは簡潔なものだった。
『別に。というか、俺が発作なんかで死ぬと思ってるのか?』
と逆に問いかされてしまった。苦笑混じりのこの返答に納得――いや、自己完結か――してしまった。心の機微に聡いとは言えない和弥には悲壮なまでの内心に気付くことはできなかったのだ。大したことないと思いたい心情も都合の良い方に作用してしまった。何の影響もなしに彼の言葉を聞いていたならば、これが返答になっていない、曖昧なものだと気付けただろう。彼独特の、真実を解り難く言ったり、ある一面しか語らなかったりする言い回しに。
ともあれ和弥の頭の中ではそれなりの病気に罹っていることになっている。
前よりも助けたい気持ちは当然強くなっていた。
今まで率先して人の助けになろうなんてほとんど思わなかった。しかし、今は綾華、良治、まどか……仲間を助ける力になりたい。
人と積極的に関わることが少なかった彼にとって、初めての想い。
大切に、したい。
「じゃあ自分の思うようにやってみるといい。僕も出来る限り協力しよう」
「頼む。実戦的なものは相手がいないと無理だからな」
木刀片手に隼人を視る。そのとき、ふと思考が良治に移った。
アイツは今なにをしているんだろうか。
上手くいっているならもう仕事は終わっているだろう。しかしまだ和弥に連絡はない。今回の仕事の都合上、こちらから連絡するのは禁止されていた。心配は心配だがどうしようもない。隼人に聞くのも気が引けた。
(……まぁいっか。帰ってきたときに驚かせられるほど強くなっといてやる)
隼人に向かって一歩を踏み出す。
――――夏休みを終える頃、格段の実力を身につけていたのは語るまでもない。




