バジル=ロシェット・2
やがてリリアは、果物などを一杯詰めた袋を持って戻ってきた。
「おいおい、バジルさん一人暮しなんだろ?」
「いいのよ。これだけあれば、慌てて毎日食べなきゃいけなくなるでしょう。放っておくと何も食べないで数日過ごしたりするんだから」
「わかったよ。これは俺が積むから、ほら、手を貸して」
「え?」
デルタが差し出した手を、驚いたようにリリアは見つめた。
「……なに?」
「いいから、ほら捕まれって」
リリアが手を差し出すと、デルタはその手ではなく腰を掴んで一気に彼女を馬上まで持ち上げた。
「鞍のところにしがみ付いてて」
リリアが驚いている間に、デルタは荷物をカバンの中に入れ落ちないようにもう一度ロープでくくりつけた。
「背中に捕まるのと前に座るのどっちが安心する?」
「……前でいいわ」
デルタは鐙に足をかけ、一息で馬に乗る。出来るだけリリアとの間を詰めたのは、彼女が安心して馬に乗っていられるようにだ。
「じゃあ、出発するぞ」
「うん。お願いします」
リリアが素直に返事をするので、デルタはなんだか変な気分になる。
「……なんか、大人しいと変だな」
「失礼ね。そもそも、馬車で行くってところをあなたが無理矢理送るって言ったんじゃないの」
「ああ、そうだな。大丈夫、危険な旅にはならないことを保障するよ、ほら、進め」
「きゃあ」
馬が嘶いて、走り出す。どうしたって一歩目は振動が激しい。リリアは俯いて目を瞑った。
「リリア、目を開けてみろよ。景色が流れてる」
そう言われても、とリリアは思ったが、いつまでも怯えていると思われるのも癪に障る。思い切って目を開けた。
「え? ……本当だわ」
風が通り過ぎていくように、町の風景が後ろへ後ろへと流れていく。それは乗合馬車から見る風景よりもずっと早く、より遠くまで見通せた。目指す南のガルデアの方向には、国境にそびえ立つマドラスの森まで見える。
リリアは顔をあげて、呆けたように瞳をパチクリさせた。一つにまとめた長い髪が、風になびいてデルタの頬に当たる。
「下を向いているから怖いんだぞ。すっと前を向いてるといい」
「……そうね」
リリアは背筋を伸ばし、後ろで手綱を握るデルタに寄りかかった。少し近づいた距離に、今度はデルタが慌てる番だった。
*
出発してから一時間、二人を乗せた馬はガルデア町に入った。
デルタがガルデア町を訪れるのは初めてだ。というのも、この町は武芸が盛んで闘技場や剣士連合なども充実している。城から分配される仕事や町の中で起こる揉め事も、大抵町に住んでいる剣士たちだけで解決できてしまうのだ。他の町の仕事になら頼まれて手を貸すこともあるが、ガルデア町からだけは仕事を頼まれたことが無い。それに、首都より東に位置するマルトの町に住むデルタには、城から分配される仕事も東側の任務が多い。旅の途中に訪れるという立地でもなかった。
「……この辺でいいわよ」
町に少し入ったところで、リリアはポツリと呟いた。
「家まで送るよ」
会話も弾んでいたところで、デルタとしてはこのまますぐには離れがたかった。
「でも、父がいるから」
「居たらなぜ駄目? 俺は構わない。ご挨拶させてもらえればなおいい。帰りも送らせてもらうつもりだからな」
「それはいいわよ! 帰りは馬車で帰るわ」
慌てた様子でリリアが言う。デルタは憮然とした表情で彼女を見つめた。
ここまでの会話の中で、リリアがデルタを邪険にするようなことはなかった。むしろ、好感を抱いてくれているのではと思うほどリリアは楽しそうだった。父親に会わせるのを嫌がっているだけなら、もう少し押せば言い返事がもらえるのではないだろうか。
デルタは馬を止めると自分だけが下り、両手を馬の鬣とリリアの後ろについた。とにかく逃がしたくない意思だけは明確に伝えようと、彼女の顔を覗き込む。
「俺は、君ともっと話したいんだ。この間も言ったけど、君は俺にとって他の人とは違う」
「……会ったばかりで何が分かるの」
リリアが非難めいた視線を向ける。大きな黒目を落ち着かない様子で揺らしながら沈黙しているリリアは何か考えてるようだった。
「私を振るとき、お父さんに殴られるわよ」
リリアがようやく発した言葉に、デルタは目を見張った。恥ずかしそうにリリアが俯くのを制するように肩に右手を乗せ、言い聞かせるようにはっきりした口調で答えた。
「それなら心配ない。そんな日はこないからな」
「よく言うわ。私のこと何も知らないくせに。あなたが思ってるような大人しい女じゃないわよ」
「大人しいなんて思ったこと無いよ。気が強くて、度胸があって、ほんの少し臆病だ。……違うか?」
リリアははっとしたようにデルタを見る。嬉しいような、それでいてばつが悪いといった風の表情は子供っぽさを感じさせる。デルタは思わずにやけてしまう。リリアの芯を掴んだような気がしたのだ。
「だから、家まで行ってもいいか?」
「……いいわ」
ポツリと呟くリリアに、もう抵抗の意思は無かった。