バジル=ロシェット・1
約束の日曜日、落ち着かずに熟睡できなかったデルタは朝から時間を持て余し、結局約束より三十分早い八時半に城門前に着いた。
さすがに早すぎたかリリアの姿は見えない。デルタは恥じ入りながらもじっとしていられないので、ただただ馬の背を撫で続けていた。
「……早いのね」
驚いたような声にふりむくと、そこにはリリアがいた。いつもの治療師の服装ではなく、上下が別れている動きやすそうな軽装だ。
「市場に行って、先にお土産を買ってこようかと思っていたのよ。でももう来ているなら、途中で寄ってもらおうかしら。荷物を取りに一旦戻るから少し待ってて?」
「ああ」
リリアは笑顔で城の中に戻っていく。とりあえず、早すぎることに引かれてはいないようだ。十分ほど待つと、大きなカバンを一つ抱えがリリアが城門から出てきた。
「これ、結構重いんだけど。運べるかしら、その馬」
「ああ大丈夫だ。この馬はいつも俺の十日分の荷物を運んでる」
デルタは頼もしい愛馬のたてがみを撫でる。
「へぇすごい。剣士の仕事って、そんなに旅したりするの?」
「色々あるよ。早いもので一日で終わるものもあるし。国境のあたりまでいけば、半月から1カ月ってところかな」
「ふうん。そうなの。じゃあ、父さんは仕事を選んでたのね」
不意にリリアの口調が柔らかくなる。荷物を受け取りながらその表情をうかがうと、今までに見たことがない穏やかな顔をしていた。
「バジルさん、だろ。有名な剣士だ」
「ええ。でも、父が行く仕事はせいぜい一週間ってところだったわ。……あれは、私のことがあったからなのかしらね。母を早くに亡くしていたから」
「優しいお父さんだね」
「どうだか。厳しくて、怖かったわ。……でもね、いざ離れると心配なの。一人だと、いくらでも無理をするような人だから。毎週休みに帰って、ちゃんとしてるのか確認しないと、気になって仕方ないのよ」
デルタは先に馬にのり、その後リリアを引っ張り上げ自分の前に座らせた。当然だが後ろから抱きしめるような格好になり、リリアは一瞬変な顔をしてデルタを見る。しかし、すぐに視線の向きを馬の方に変えた。
「賢そうな馬ね」
「ああ、もう5年一緒にいる相棒だ」
「大人しい?」
「それなりには……」
小刻みに震えているリリアの肩を見て、デルタはふと不安になった。
「もしかして……怖いのか?」
「え? い、いいえ。大丈夫」
リリアは強気に言い放ったが、デルタが市場の方へ馬を進めると、肩を強張らせて馬の首に手を添えている。
「あんまり強く首を触ると馬が驚く」
「でも、じゃあどこに捕まればいいの?」
「捕まらなくても大丈夫だよ。どうしても不安なら俺の腕に捕まればいい」
乗った位置の都合で、手綱を操るデルタの腕は彼女を囲うような格好になっている。リリアは無言でデルタの腕にそっと手を伸ばした。どうやら本当に怖いようだ。
やがて二人は朝の賑わいに包まれた市場の入口に到着した。ここから先は馬では迷惑になるので、デルタは馬を止める。
「降りれるか? リリア」
「え? ええ。もちろん」
そう言いながらも、リリアは不安げに足元を見やる。馬の背中から地面まではおよそ1メートル50センチ。小柄な女性の身長くらいだ。どうやら怖いのはこの高さか。明らかに快活さを失ったリリアを見て、デルタはおかしくなった。
「怖いなら、怖いと言ったらどうだ?」
「な…! こ、怖くなんかないわよ」
リリアは意地になったように馬の首にきつく手をかけ、片足を下ろそうとした。しかし、強張っている手は馬の首を強く掴んでしまったらしい。馬は苦しそうに体を震わせた。
「きゃっ」
バランスを崩したリリアが落ちてくる。デルタは咄嗟に抱きかかえたが、予想以上の軽さに今度はデルタの方が驚いた。
「ご、ごめんなさい」
「いや。そっちこそ大丈夫か? 高いところが怖い? 言ってくれないとフォローできない」
「違うわ。予想してたより高かったってだけよ」
やっぱり高いのが怖いんじゃないか。
デルタはそう思ったが、意地になったリリアに何を言っても無駄な気もした。黙っていると、リリアがカバンの中から財布を取り出した。
「……買い物をしてくるわ。ここで待っていてくれる?」
「ああ」
パタパタと駆けていくリリアの後姿にはいつもの覇気が無い。デルタは思わず笑ってしまった。
怖いのか。あんなに気の強いことばかり言っているくせに。しかもそれを素直に認めない辺りが、彼女らしいと言えば彼女らしい。
「今日はゆっくり走ろうか」
そっと撫でると、愛馬は響く声で嘶いた。




