彼の頼み・2
翌朝、朝食を食べ終えるとブレイドは旅支度したカバンを馬にくくりつけた。
「じゃあ一週間元気にしてろよ。お前の能力を悪用しようって輩もいるかもしれないからな。剣は常に持ち歩けよ」
「わかってる」
「まあお前のことだから、簡単に悪漢にやられたりもしないだろうけど。無理だと思ったらちゃんと助けを求めるんだぞ」
「誰に言ってるのよ。この辺りの平和そうな町民より私が強いに決まってるじゃない」
強がってそう言ってみると、ブレイドはくしゃりと相好を崩す。
「はは。それでこそディアナだ。じゃあ、行ってくるな」
「うん」
昨日からの、ちょっとしたぎこちなさが少し緩んでホッとする。
軽く地面を蹴って身をおこし、彼が馬上の人になった。急に目線が上がって、太陽の光が直射する。逆光で顔が見えなくなって、不意に心細くなった。
「……ブレイド」
「ん?」
“あなたのお父さんは、この町のお嬢様だったお母さんを攫っていったんだって”
そう教えたら、ブレイドは傷つくだろう。
「ううん。……気をつけて」
言ってスッキリしてしまいたい。でも彼を傷つけたくない。今彼の中のイメージの父母が、現実の二人よりも良いものなら、それを信じていて欲しかった。
ディアナが口ごもるのを見て、ブレイドは馬上から溜息を落とす。そして不機嫌そうな声で、ぽつりと本音を漏らした。
「俺は、名前も知らないような奴から何を言われたって平気だ。こそこそ噂されるのだって別に構わない」
「……うん?」
「でも、お前にウソをつかれるのは堪える」
顔をあげて彼を見ると、傷ついたような瞳と目が合った。
「ブレイド、あの」
「……行ってくるな」
ブレイドは、ディアナの言い訳は聞かなかった。ただ、自分の思いだけを告げて馬を走らせる。戸惑っているうちに小さくなってしまった夫の影を見て、ディアナは例えようもなく寂しくなった。
――ブレイドを傷つけたくなかっただけなのに、結果として彼を傷つけてしまった。
「……ブレイド」
泣きたい気持ちで彼の名前を呟いた。
途方もなく小さくなった彼の姿が、一瞬止まったように見える。そういえば彼は耳が良い。もしかして聞こえているのかと、つぶやきを続けた。
「嘘つくのが、ブレイドのためだと思ったの。傷つけるつもりなんか無かった」
それは聞こえたのだろうか。彼は、再び馬を走らせる。そっちは聞こえたってこっちは聞こえない。彼の姿が見えなくなっていくのを、ディアナはなすすべもなく見送った。
*
そのまま、どれくらいそこに立っていただろう。
後ろから肩を叩かれて、ディアナはようやく正気に返った。
「え? お爺さん?」
振り返ると、ディール老人が杖をつきながら後ろに立っていた。
「お嬢さん。偶然じゃのう」
にこやかに、笑いかけてくる老人に対し、ディアナの方はひきつったような笑みになる。
「またお屋敷を抜け出してきちゃったんですか?」
「抜け出したわけではない。歩いて外出しておるだけじゃ」
老人はニヤリと笑ってみせる。今日は正気の方なんだな、と一瞬胸を撫で下ろすも、老人の目の下にくっきり見えるほどのクマがあるのが気になった。
「お爺さん、ちゃんと寝てるんですか? 目の下にクマがくっきりついてますよ」
「ああ。眠るのは、苦手なんじゃ。夢ばかり見てな。でもそのおかげで昼間にも夢が見れる。それは大概いい夢じゃ」
それはボケてるっていうんじゃ……。
そう思ったが、突っ込むのは辞めた。それより、昼間に夢を見てる自覚があるのかというところに興味を引かれる。
「駄目ですよ。ちゃんと寝ないと、体治りませんよ」
「お嬢さんは優しいのぉ」
老人は目を細めて嬉しそうな顔をする。ディアナは諌める気を失くしてほほ笑んだ。
どうせそのうちワッツが探しに来るのだろう。だったら人目の付くところで話をしていればいいはずだ。ディアナはそう思って、老人と共にゆっくり歩き出した。
「この町はディールさんのお宅が管理してるんですよね」
「そうじゃな。わしが先代の領主。今はフェスタが継いでいるがの」
「いい領主さまだと皆言ってました」
町の噂をそのまま伝えると、老人は表情に影を落とした。
「そうじゃな。フェスタは苦労したはずじゃ。わしが早々に病気になってしまったからな。まだ経験も浅いうちに領主を継いだ。口では言い表せん苦労があったはずじゃ」
「そうですか」
こうして話していると、ディールは知識も常識もあるまっとうな老人だ。あまりにもボケているときとの差があることが引っかかる。
夜に寝れないのが原因ならば、まず不眠を直さなければいけないのだろう。
「ディールさん。……薬草とか嫌じゃありませんか?」
「うん?」
「もし眠れないのなら、睡眠に効く薬草を探してみますよ。お茶とかで飲みやすいものなら大丈夫でしょう?」
「ああ。そうじゃな」
「それから、咳に効く薬草とかも」
「そっちはいいんじゃ」
ディールの声が少し固くなった。目尻にしわが寄って苦しそうな表情に見える。咳き込むのかと思って見つめていたが、続けられた言葉でそれがディールの心情からくるものだとわかった。
「わしのあの病気は罰じゃ。治らなくていい。いっそ、死んでしまえばいいんじゃ」
「ちょっと、ディールさん。なんてこと言うの」
「お前だってそう思っておるんじゃろ!」
「えっ?」
「ダリア」
ディールがディアナを睨みつけた。それに“ダリア”と呼んだ。また白昼夢の中に移動したのだろうか。
「お前はわしを憎んでいるんじゃろう?」
「え、あの……」
「だから治らんでもいいんじゃ。わしは、苦しんで死ねばいい」
「お爺さん」
頭が混乱する。“ダリア”とディールの間には果たして何があったのか。仲の悪い親子だった? でも、昨日のフェスタの話では、ディール老人はダリアを溺愛していたはずだった。
一体ダリアとディールの間に何があったというのか。
「わしは、……ゴホッ、ゴホッ」
「お爺さん、しっかりして」
咳き込んでかがみこんだ老人の背中をさする。回復魔法を手早く唱えると、ヒューヒューという胸の音は弱くなったような気もした。けれどそれだけだ。回復魔法で完治させることは出来ない。
もっと違った切り口からの治療が必要なのに、おそらくディール氏は治療を受けるのを拒んでいるんだ。
ディアナがディールを支えるようにしゃがみ込んでいると、通りの馬車が止まる。あの豪華な馬車はドニデラ家所有のものだ。予想した通り、ワッツが慌てた様子ででてくる。
ディールはその様子を見ながら、怯えたようにディアナの腕を強く掴んだ。
「ダリア。教えてくれ」
「え?」
「お前は本当に幸せだったのか?」
「……お爺さん」
必死の形相にディアナは一瞬たじろぐ。問いかける言葉を探しているうちにワッツがすぐ傍までやってきた。
「旦那様。ああまた抜け出して。すいません。またご迷惑を」
ワッツの謝罪はディアナの頭を素通りしていった。それよりもさっきのディールの言葉が気にかかる。
「……ワッツ」
「旦那様。大丈夫ですか?」
ディールの眼差しがしっかりとワッツをとらえ、一度頭を振った。それで正気に戻ったのかディールは箱馬車の方を振り仰ぎ笑った。
「なんじゃ。もう見つかってしまったのか」
「フェスタ様がお怒りですよ。部屋に鍵をつけるとおっしゃっています」
「そうか。……そうじゃな」
自嘲気味に笑うディールの服の袖をディアナはとっさに掴んだ。
「あ、あの」
先ほどの話の内容を詳しく聞きたい。
なぜダリアがディールを憎むのか。
なぜ病気が自分への罰だと思うのか。
それに、彼女の幸せを聞いたのは何故か。
けれど、いまこの正気に戻った状態のディールに聞いて答えてくれるだろうか。
「あの、ディールさんの咳の治療。私にさせてください。お代とか入りませんから。もちろん、治せるかどうかもわからないんですが」
「お嬢さん?」
ディールが驚いたようにディアナを見つめる。あまりに凝視されるので穴でもあいてしまうのではないかと思うほどだ。
ディールがこの申し出を請けるか請けないか。分は半々の賭けを申し出るような気持ちで答えを待つと、ディールは笑みを浮かべて頷いた。
「わかった。じゃあ、屋敷にきてくれるのか?」
「えっと、お屋敷ではフェスタ様が嫌がられると思うので、数日後また来てくれませんか? 私はここの宿にいますんで」
ディールでは心配だったので、ワッツに向かって宿屋を指示した。彼は了解したように頷くとディールに手を伸ばした。
「分かりました。旦那様もそれでよろしいのですか?」
「うむ。では、またな。お嬢さん」
「はい」
ワッツもまだ前当主であるディールには温情があるのだろう。彼が了承してくれなければ治療の前にディールに会うことさえ出来ない。また会う約束は取り付けることが出来て、ディアナはホッとした。
半分ボケているようなディールからどれだけ真実が聞きだせるかは分からないけれど、町の人よりもフェスタよりも彼がダリアの真実を知っている。ディアナは確信めいた気持ちでそう思った。




