彼の頼み・1
ディアナが宿屋の一室に戻ったのはもう夕暮れ間近だった。
「……ただいま」
ゆっくり開けた扉の隙間からは、不機嫌そうなブレイドが睨んでいる。昼間にケンカ別れしたこともあって、ディアナは次の句が告げれなかった。
「どこ行ってたんだよ。遅いから心配したぞ」
ディアナの不安をよそに、ブレイドは彼女に近づくと柔らかい手つきで頬に触れた。どうやら不機嫌の理由の大半は心配だったらしい。
「うん」
「……何があった?」
かける言葉を見いだせず瞳をそらそうとすると、彼の手が強い力でディアナの顎をあげさせる。まっすぐ向けられる瞳に何もかも話してしまいたくなるけれど。
……言えない。
ディアナは唾を飲み込んで彼から視線を外した。
「何もないよ。……ところで、旅支度はできたの?」
顎に添えられている彼の手を取り払おうと手を伸ばすと、ブレイドに逆に掴まれてしまう。そのまま掌を彼の口元まで移動させられ、中心に唇を寄せられた。ちゅ、と小さい音が気恥ずかしさを呼ぶ。
「大体はな。……本当にお前は残るのか?」
「うん。……言ったでしょ。お爺さんの治療があるって」
「本当にじじいか? 若い男じゃないだろうな」
「そんなわけないでしょ。何言ってんのよ」
「だって、お前あの時ウソついてなかったか?」
さすがに鋭い。ディアナはぎくりとした表情を悟られないように、顔を伏せて首を振った。
「つ、ついてません」
どもってるし、丁寧語になってるし。どうしてこうも嘘が下手なのか。
ブレイドからは不満げな視線が降ってくる。ごまかせないかと溜息をつき、どう説明しようかと考えていると、ブレイドも溜息を一つ付き、ディアナの手を離してベッドへ座った。
「……お前に頼みがあるんだけど」
そして追求ではなく話題を変えてきた。ホッとする半面、戸惑いも感じてディアナは数歩先のブレイドを見やる。
「なに?」
「この町に残るなら、少し調べてもらいたいことがあるんだ」
「うん。いいよ」
即答にブレイドは気を良くしたのか、表情を崩して手招きをした。ディアナは誘われるがままにブレイドの脇に腰を下ろす。
「俺の実の両親について調べてほしい」
「え?」
「この町に来てすぐ、俺の事を噂する声を聞いたんだ。『まさか、あんなに若いわけがない』って言ってた」
「……若いって」
「それって、俺にそっくりな人物が昔この町にいたってことだろ? ましてこの町の人間は『黒』って事に敏感すぎる。俺はこの町に本当の親父が住んでたんじゃないかって思ってるんだ」
「そう……だね」
何でもないような表情をつくろいながらも、ディアナは内心かなり焦っていた。
ブレイドがそこまで感づいているとは思わなかった。
彼が真実に辿り着いたら、どれほど傷つくのだろう。今のまま、両親は幸せだったと信じたままにさせてあげたかった。
「俺が調べようと思っても、町の奴ら怖がって全然話してくれないんだ。お前、俺がいない間に出来るだけ聞き出してくれないか?」
「私が?」
「ああ。もしかしたら母親の事も分かるかも知れない。知ってるよな、母親の名前は『ダリア』だ」
「……知ってる。もちろん」
「片手間でいいから、頼むな」
「うん……」
内心では焦りまくっていたけれど、結局ディアナは頷くことしか出来ない。
「頑張る。私に任せて」
「ああ、サンキュ」
言葉と同時にブレイドはディアナの顎の後ろから手を差し込み、髪に指をからめる。そのまま引き寄せられて、ディアナは目をつぶった。
いつもよりキスが荒い。その荒々しさは、彼がもっているかすかな疑念のせいだろうか。
ごまかし方が分からなくて、ディアナは彼に身を任せた。何度か落ちるキスは触れるだけのものだが、いつもならこれからもっと深く濃密になる。
今の不安定な気持ちでそれを受けてしまっていいのかと、迷いながら強く目をつぶった瞬間、ブレイドが体を離した。
「……やっぱ。今日はやめとく」
「え?」
「メシでも食いにいくか。夕飯まだだろ?」
そう言われてみればもう夕暮れの景色だ。でも今日はなんだか食べてばかりいる気がして全然お腹がすかない。
「うん。でも、あんまりすいてない」
「じゃあ軽食だな。食堂いくまでもないか」
「簡単なもの、作ってもらってくるわよ。サンドイッチみたいなのでいい?」
「ああ」
ブレイドは頷くと、ベットにごろりと横になった。ディアナは彼の傍から離れると扉の前で一度立ち止まった。
「じゃあ、……行ってくるね」
「ああ。分かった」
パタンと閉まる扉の音に、どうしようもなく寂しさが募る。隠し事をしているのは自分の方なのに、そんな風に感じるなんてどうかしている。
宿屋のご主人に二人分のサンドイッチを作ってもらい部屋に戻ると、ブレイドは寝息を立てていた。せっかくもらってきたのに、と一瞬起こそうか迷ったが、珍しく軽いいびきまでかいているということは深い眠りなのだろう。ディアナは仕方なく上から布団をかけた。
明日から一週間、ブレイドは旅にでる。彼と離れるなんて久しぶりなのに、こんなにぎくしゃくした状態のままだなんて。
自分の分の食事を終え、彼の分には埃がつかないよう薄布をかぶせる。シャワーを済ませた後は特にすることもないので、自分のベットにもぐりこんだ。そのシーツの冷たさに身ぶるいがする。隣のベッドで眠るブレイドを見て自然に溜息がこぼれ出た。
……体温が恋しいとか、思ってしまう自分が寂しくなる。




