往診・2
一時間もあるならば暇だ。その辺でも散歩しようとデルタはぷらぷらと歩きはじめた。
この辺りは有力貴族の家が立ち並んでいて静かな区画だが、もう少し先まで歩けば中央公園があり、その先には賑やかな市もある。そこで彼女への贈り物を買うと言うのも悪くない。
デルタは口元を緩ませながら歩き出した。今までに出会った、どんな女性とも違う。歯に衣を着せない物言い、話すときにまっすぐにデルタに向けられる視線。強さと厳しさを感じさせる立ち居振る舞いの中、要所要所で見せる笑顔が空気を和ませる。出会ったばかりなのに、デルタの頭の中はもう彼女で一杯だった。
十分ほど歩いたところにある市場で、デルタは手近な店を見て回った。色とりどりの食材がそこここに並べられていて、見ているだけで元気になるようだ。食品市場を超えると雑貨を扱う店もある。宝石をはめこんだネックレスやブローチなど貴婦人がよく付けるようなものを物色してみるが、今ひとつデルタにはピンとこなかった。
宝石は美しいが、リリアには先ほどの食材たちのような新鮮な色のほうが似合う。それは褒め言葉になるだろうか。埒もない考えにハマったデルタがふと時計を見るとすでに四十分が経過していた。結局贈り物にするようなものも見つけられず、デルタは一時間を過ぎる前にとクラスター家に戻った。
やがて門番に見送られて出てきたリリアは、忠犬のように待ち構えていたデルタに目を丸くした。
「……驚いた。本当に待ってるとは思わなかったわ」
「ちゃんと待っていたんだ。また城まで送らせてくれるんだろう?」
「そうね。いいわよ。でも」
リリアが先に歩き出し、デルタはその一歩後を歩く。すると彼女は微笑んで歩みを緩めた。まるで隣を歩いて、とでも言うように。
「あなたはどうして私に構うの?」
「どうしてって、……言わなきゃ分からないか?」
いきなり核心をつかれて、デルタはドギマギしながら言葉を濁した。好意はある。だけどまだ彼女のことを知らない状態で正式に告白するのはなんだか誠実じゃないような気がしたのだ。
「あなたはもてるでしょう。わざわざ私のようなじゃじゃ馬に構う必要ないと思うんだけど」
済ました声に感情は感じられなかったが、少し強張った表情は、不敵なようだとも寂しそうともとれた。
話の内容にどぎまぎしつつも、ただ強いだけの彼女とは違う何かを感じ取って、デルタは背筋を伸ばした。
真面目なだけが取り柄のデルタにできることは、誠実な言葉を投げかけるだけだ。
「俺は君だから、こうしているんだが?」
リリアは黙ったまま、デルタの口の動きをじっと見ている。
「今日は柄にもないことをしているなと、自分でも思っている。でも、こうでもしなきゃ君には会えないだろう? 俺は城には入れない。もてるかもてないかは知らないが、俺が言葉を交わしたいと思ってるのは君だ。……君だけだ」
「……言ってて恥ずかしくないの、それ」
告白ともとれるデルタの言葉に、リリアは頬を赤らめながらも揶揄する。デルタの方はもう真っ赤だ。
「恥ずかしいに決まってる」
「……変な人ね」
デルタが肩を落としつつ項垂れていると、リリアはポンと肩を叩いた。
「知ってる? 王宮の食堂のメニューにはね、時々ゲテモノメニューが入るのよ?」
「は?」
わざとらしい程極端に話の方向転換をしたリリアは、デルタが口を挟む隙間が無いほど勢い良く話し続け、もう前の話題に戻ろうとはしなかった。
デルタとしては助けられたようなはぐらかされたような微妙な気持ちになる。
「おかしいでしょう?」
だけど、笑うリリアを見ていればそれでもいいかという気もしてきた。性急にしすぎて振られるよりも、まずは友人という地位を獲得するほうが大事だろう。
*
やがて、二人は城門が数メートル先に見える所まで来た。行きもそう思ったが帰りもあっという間で、デルタの胸のうちには物足りなさばかりが残る。
デルタは、再び勇気を絞り出すとリリアの腕をつかんで立ち止った。
「休みの日はいつなんだ?」
「休み?」
距離を詰められて、リリアが体を固くする。
「……こ、今週は日曜が休みだけど」
「じゃあ、もっと話せないか。何処かに行くんでもいい」
「悪いけど、休みの日は家に帰っているの。父は今一人暮らしだし。私も、城の部屋ではくつろげないから」
「城の部屋?」
その辺りを詳しく聞いてみると、リリアは普段、城の使用人用の部屋で寝泊まりをしているということらしい。そして休みの日はここから馬車で一時間ほどのガルデアという町へ帰るという。
父親はあのバジル=ロシェットだ。片親だという話だから、親子の絆はだいぶ強いのかも知れない。少なくとも、休みの度に帰るというのであれば、相当の愛情はあるのだろう。
ここで無理強いをしては、バジルにまで嫌われそうだ。そう思ったデルタは妥協案を提示する。
「じゃあ、俺が君を送っていくってのはどうだ? 俺は馬を持っているから、迎えに来てガルデアまで送る。君だって乗合馬車で帰るよりも早く家に着ける。それなら問題ないだろう?」
どうあっても引かないデルタを、リリアは驚いたようにマジマジと見た。
「……馬車代は払わないわよ。護衛代も。それでもいいの?」
「ああ。そんなものはいらない。その代わり、一緒にいる間は話をしてほしい。……駄目かな」
「強気なんだか弱気なんだか分からないわね。いいわ。日曜日。私はいつも9時の馬車に乗るんだけど、その時間に来れる?」
「大丈夫だ。馬車より早く着いて見せるから、見ていろよ」
「はいはい、わかりました。……じゃあね。護衛してくれてありがとう、デルタ」
スルリと踵を返し、背中を向けて城門をくぐっていくリリアの後姿が見えなくなるまで、デルタはその場にずっと立ち続けていた。相変わらずの門番の不審げな目つきも気にしてなどいられない。
「……リリア」
一目惚れというのはこんなに質が悪いものだったのだろうか。普段は言ったことのないような積極策を頭をフル回転させて考えたことで、デルタはすっかり疲れきっていた。これなら何も考えずに魔物相手に剣を振るっている方が余程疲れない。
それでも、リリアを手に入れたいと思った。出会ったばかりの彼女にどうしてこんなに心惹かれるのか、デルタは自分でも不思議だった。敢えて理由をつけるとすれば、きっとこれが運命の出会いだったからなのだろう。