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EPISODE 4.1

ふらりと会社に入ってきた井出一也さんは、デジタル編集専門の株式会社アイデアマンの社長さん。ついでに言うと株式会社井出印刷の社長のご長男。さらには私の事実上の義兄でもある。用もないのによく遊びに来る変な業者さんだとばかり思っていたら、仕事上の大役を終えて、気の抜けていた姉を口説き落としてしまった。夫婦別姓とやらで籍は入れていない。


「これから制作部とカタログの打ち合わせ。あのふたり写真の品質にうるさくなっちゃって、おかげで仕事が大変になったよ」

「真子ちゃんなら上の事務所で社長と話してましたよ。もう終わってるんじゃないかな」


もうひとりの担当のかおりちゃんは、オレンジ色のiMacで仕事に集中していて井出さんの来訪に気付いていなかった。


「約束の時間まで待つよ。上に行って智子と顔を合わせるのはなんか変な感じだから」

「何を言ってるんですか」


とりあえずお茶を用意して応接スペースにご案内しておく。会社で会う義兄は業者さんみたいな顔をしていてなにかおかしい。


ふと思う。事実婚なので式は挙げにくいと言った姉夫婦。事情があって式をしなかった私たち。姉妹とも結婚式をしていないことを夫は気に病んでいる様子だ。まったく彼のせいだとは思わないのだけれど、いつかちゃんと話さないといけない。



通販の入金チェックをしていたら、仕事中にあまり鳴ることのない携帯電話が着信音を発した。発信元は哲夫さん。あわてて席を立って給湯室で電話に出る。


「どうしたの」

「こんな時間にごめん。実はこれからダンジョンの底に降りることになった。今日は帰れない。事故があって助けが… 地下では電話は… 地上に戻ったら… 大地は…」


突然のことに呆然としながら外に出て階段を上る。お姉さんに相談しないと。


新事務所の入口で真子ちゃんとすれ違った。晴れやかな笑顔を見ると話し合いがうまく行ったのだろう。制作部へのフレックスタイムの適用。良かったね。でも今はそんな場合じゃない。ごめん。



事務所に入ると姉と社長が顔を上げた。奥では山代さんが英美里さんに資料の読み方を教えているところだ。


「お姉さん、哲夫さんが大変なことになってるみたい」


電話の内容をお姉さんに伝える。ダンジョン20Fの崩落事故で仲間の冒険者が行方知れずになっている。これから救助隊が出るので参加しなければならない。事故については明日の朝刊を見てくれ。大地は実家で預かってもらう。心配はいらない。


「なにそれ。あのフリーター、心配しないわけないじゃないの。それでどうするの。定時になったら素直にアパートに帰るの」

「それを相談しようと思ってきたのですが」


姉が代わりに怒ってくれたので私はかえって冷静になった。


「方針を決めましょう。まず子供とはいっしょにいるべきね。だからアパートじゃなくて哲夫さんの実家に行きなさい。それから状況次第では明日は休みなさい。これで決まり。どうせ上司にも何も言わないで来たんでしょう。すぐ下に降りて美香さんに話しなさい」



言われるままに報告に行って戻ってきたら美香さんが着いてきた。


「話は聞きました。離婚の危機なんですってねっ」

「違いますけど」


あらためて説明をして納得してもらうと美香さんの結論も同じだった。


「朝刊を見るまでもないです。明日は有給休暇を取るのが良いと思います。今は学校が夏休みで需要の谷間でしょう。美智子さんはむかしから、ぜんぜん有給を取らないから、ここで休んでもらったほうが会社にとっても好都合です」



とんとんと階段を上がってくる足音がして井出さんが顔を見せた。姉がいつの間にか呼んでいたのだ。


「なんだ、井出が来てたのか」

「今日はカタログの打ち合わせに来たんだよ。それより大変なことになったね。美智子さん、家まで車で送るよ」



退社後、グレーの初代ヴィッツの助手席に乗せられる。高速を使えば所要時間は電車とさほど変わらない。


「哲夫くんはきっと大丈夫だよ」

「ありがとうございます」


返事をしながら運転席の井出さんの横顔を見る。お姉さんとは何歳くらい離れてるんだっけ。あいかわらずの年齢不詳だ。


「まっすぐ府中に向かうか、それともアパートに寄ったほうがいい」

「そうですね。家に寄ってもらえたら助かります」



国分寺のアパートで自分と大地の着替えを持って、携帯の充電スタンドもバッグに入れて、冷蔵庫の在庫も再確認。


「お待たせしました」


車に乗り込みながら時計を見ると7時過ぎ。もう義父が帰宅している時間だ。ちょうどいい。



「やっと来たね。晩ごはんがまだならカレーがあるよ」


温和な義父に迎えられて茶の間で大地と対面する。この人は敵でも味方でもなかった。でも身内ではある。


「私が来るって哲夫さんが言ってたんですか」


思わず聞いた私に、食事を持ってきた義母が横から答えた。


「言ってなかったけど、子供に会いに来なかったら母親じゃないよ」

「そ、そうですね」


激辛カレーが目に染みた。


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