ランナウェイ
エレノア邸に鳴り響いた銃声。
安藤拓人と大蔵文翔の目の前には、四発の銃弾が空中に静止していた。
そのどれもが頭部や心臓といった急所を正確に狙っている。
『CIAを潰す』
拓人の口からその言葉が出された瞬間、二人はアメリカの敵となった。
だから脅しではなく、命を奪う射撃だった。
「……ババァ……暴力は話をしてからってアキラに習わなかったか?」
浅い呼吸のまま、俺はエレノアを睨みつける。
「Daddyはね、敵は確実に殺すよう教えてくれたよ」
彼女は、こちらを冷酷に見据えながら、圧をさらに強めてきた。
それを受けて、呼吸がますます浅くなる。
おそらくエレノアの能力による攻撃だろう。
このままだとチャクラが回せない。
それでも俺は常人よりは遥かに強いが、プロ四人はやっかいだった。
おまけに、エレノアの隣に控える執事の野郎は、間違いなくボディーガードよりも強い。
隙のない悠然とした姿勢が、強者の風格を表していた。
「お二人とも、少し落ち着いてください」
文翔の目の前にも銃弾が浮かんでいた。
だが、彼が手を下ろすと、空中に留まっていた銃弾はふわりと床に落ちる。
毛足の長い絨毯が、音もなくそれを受け止めた。
「我々は、貴女と話をしに来ました」
文翔は、両手を広げて敵意がないことを示している。
というか、なんださっきの銃弾を止めた技。
超能力ってやつか?
四人が撃つことを、あらかじめわかってなければ反応できない速さだった。
文翔からは強さを感じない。
なのに、戦闘のプロから攻撃を防げた理由がわからなかった。
「ここにいる彼にも事情があるようです。話を聞いては頂けませんか?」
殺されかけている状況で、あくまで会話で解決しようとする。
その姿は理性的だが、同時に狂気じみてもいた。
話し合いでどうにかするラインは越えている。
すでに命のやり取りが始まっているのだ。
「小僧……話し合いで済んだら、国の防衛費は要らないんだよ……」
圧力がさらに上がる。
呼吸がしにくく、口を閉じていられなくなってきた。
随分と厄介な能力だ。
このままだと酸欠で意識を失う。
「おい大蔵……一旦引くぞ……」
今ならギリギリ脱出が出来る。
銃弾をこいつに止めてもらう必要はあったが、逃げるだけならなんとかなるだろう。
「逃がしゃしないよ」
その言葉と同時に、四人のボディーガードが拳銃をしまい、ゆっくりと間合いを詰めだす。
(クソッ!拳銃を使われない方が厄介だ)
文翔を守りながら、全員を相手にしなければならない。
さらに、執事の気配も殺気を含んだものに変わっていた。
おそらく、他の四人とは別の動きで殺しにくる。
そうなると、文翔がどれだけ戦えるかで生死が分かれる。
哲夜のようには、まだこいつを信頼できていない。
命を預けるにはあまりにも心許なかった。
(いっそ、一番厄介なババァから潰すか)
この呼吸がしにくくなる能力さえ解除出来れば、残った奴らは問題ない。
そう考えた瞬間、執事がエレノアまでの動線を潰すように動く。
(駄目だ、読まれた……おそらく、視線へ宿った殺気に反応しやがった)
考えた瞬間に動くべきだった。
俺の甘さが、詰んだ状況を作ってしまった。
目の前がチカチカと点滅し始めている。
酸素が足りない。
頭も上手く回らない。
(哲夜がいれば……こんな事態になってなかった……)
いざとなったら力でどうにでもなるという油断が、不用意な発言を生んだ。
相手はアキラの娘だ。
もっと慎重になるべきだった。
あと数秒で黒服が襲ってくる。
(ここで終わるのか?)
アキラとの約束も果たせず。
フォンリンの助けにもなれず。
何者にも成れず、死ぬ。
(たった一息でいい——呼吸をさせてくれ)
「仕方ないですね、逃げる前に私の用件を伝えましょう」
文翔が、この状況を見渡し、ため息混じりに言う。
「聞く気はないよ……」
だが、エレノアは冷たく遮った。
「いいえ、聞いてもらいます」
文翔は、その圧力を意にも介さず言葉を続けた。
「エレノア=ブラックウッド」
名前を呼んで、手を差し出す。
俺を含め、全員の視線が文翔を見詰めた。
「貴女の処女を——頂きたい」
その言葉が広間に響いた瞬間、エレノアの意識が一瞬の空白を生み、呼吸ができた。
反射的にチャクラを回し、床を全力で殴る。
衝撃で床に大穴が空き、コンクリートが崩れ落ちた。
俺はそこから脱兎の如く逃げ出した。
腕に文翔を抱えながら。
一階へ落ち、そのまま屋敷の壁を砕いて外へ飛び出す。
その瞬間、冷たい夜風が肺に流れ込み、ようやく呼吸が戻った。
「っは……っは……!」
冷えた酸素が喉を焼く。
だが、その痛みには生きている実感があった。
俺は文翔を肩に乗せ、屋敷の裏手に広がる芝生を駆け抜ける。
夜露で滑りそうになる足元を、踏み込む力で無理やり踏みとどめた。
背後では、屋敷の警報が鳴り響き、黒服たちの怒号が飛び交う。
高い塀を跳び越えた瞬間、屋敷を囲む木々が目に入ってきた。
だか、そのまま、全速力で林を駆け抜ける。
三十分ほど走ると、ワシントンD.C.の夜の街へ辿り着いた。
「……くそ、道がまったくわからねぇ!」
俺は息を荒げながら走り続ける。
「安藤さん、右へ。大通りに出ます」
文翔は肩に担がれたまま、落ち着いた声を出した。
「わかった……!」
路地裏は狭く、ゴミ箱や段差が多い。
だが、拓人の脚はそれらを蹴散らしながら駆け抜けていった。
パトカーのサイレンが徐々に街を覆いつくしていった。
「追ってきてるのか……?」
「当然でしょうね。彼女は国家そのものですから」
文翔の声は、この状況でも変らず冷静だ。
路地を抜けると、大通りに出た。
「あそこのガソリンスタンド……タクシーが止まってる!」
文翔を肩から下ろして、それに駆け寄った。
そのまま強引に後部座席へ乗り込んで、黒人の運転手にラングレー方面へ向かうよう指示を出した。
車内で安全を確保し、ようやく深く息を吐く。
「……死ぬかと思ったぜ」
「安藤君、まだ始まったばかりですよ」
文翔は、それを聞いてズレた眼鏡を直しながら答えた。
敵の名はアメリカ合衆国。
街中に響き渡るパトカーのサイレンが、二人を追い詰める鳴き声となっていた。




