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味の消えた復讐

 駆け上がっていた階段を踏み外したような、焦りを帯びた浮遊感。

 そんな感覚が延々と続いていた。


 そのせいで、研究所を出されて一般の児童福祉施設に移されたあともしばらく、思考がまともに働かなかった。


 文翔の復讐は勝手に終わってしまった。

 そのことで、生きる意味を再び失ってしまったように感じていた。


 復讐の炎が思わぬ形で吹き消されてしまったせいで、ずっと目を背けていた疑念が浮かび上がってくる。


 母は、文翔のことを父によく似ていると口にしていた。

 ならば自分の魂も、父親に似た醜い色をしているのではないだろうか。

 

 母のように綺麗で強い“ステキ”とは、似ても似つかない醜悪な物が、自分の頭に宿ってる気がしてならなかった。


 魂は、人の成長や状態により形や光の強さを変える。

 奴を目指して、復讐のために手駒を増やし、謀略を張り巡らせていた。

 

 この魂は、もう取り返しのつかないほど、穢れてしまったのではないか。


 それに、母には念動力のような力があったが、文翔の持つ力は父のような人心掌握に長けたものだ。


 自分は父に似てしまった。

 その考えが拭えない。

 

 いつからか、自らの頭を強く叩いてしまう癖がついてしまった。

 そんなことをしても、染み付いた汚れを落とせる訳がないのに。


 縋(すが)ったのは自分の名前。

 大蔵文翔——母が与えてくれた大切なもの。

 自分が持っている中で、最も母との繋がりがあるものだった。


 『フミくんの名前は、私が一生懸命考えたのよ』

 

 母は文翔の頭を優しく撫でながら、教えてくれた。

 

 『頭が良くなるように、ずっと高くまで飛んでくれるようにって』


 そんな願いを込めてくれた。

 

 だからこそ、翔けなければならない。

 父よりも遥か高みへ、そして母の魂に似ていると胸を張れるまで。


 人生の目標を失った文翔の心は、空っぽだった。

 生きる理由を探さないと歩き出せないほどに。


 文翔は再び総理を目指し動き始める。

 だが、そこには以前のような復讐の炎はもうなかった。


 欲しかったのは母との絆。

 ただ、それだけだった。


 まずは各地に散った施設の子供たちを探し出し、手を差し伸べた。

 彼らを助けることが、総理への近道であることには変わらない。


 その受け皿を作るために、築いてきた各方面のコネを存分に使い、さらに人脈を広げていった。


 その中に、私立橙陽学園という高校の理事長がいて、彼を取り込みそこに入学した。


 この学園を足場に、金持ちの子女を手駒とし、総理への地盤を作る。

 もはやそれは野望ではなく、執着に近いものとなっていた。


 目的に向かい動いていないと、嫌な考えが湧いて来て、それを消そうと執拗に頭を叩いてしまう。

 

 文翔はゆっくりと壊れていった。


 人と会い、話し、望む言葉や物を与えて手駒にする。

 その延々と続く虚しい作業。


 時折、誰と会って、何を話しているのか分からなくなる。

 文翔の目の前にあるのは濁った魂ばかりだった。

 

 人脈を広めれば広めるほど、地位の高い人間と会えば会うほど、目にする魂は父と同じ醜い色をしていた。

 きっと人は高く翔ぶほど、醜くなるのだ。


 なら自分のしていることは——。


 また頭を激しく叩いてしまう。

 

 母に近いことを証明するために、父へ近づく。

 その矛盾が、文翔をさらに壊していった。


 癒しなどない。


 施設の子供たちの強く美しい“ステキ”を視れば、劣等感で頭を叩いてしまう。

 立派な肩書を持つ大人の醜い魂を視れば、自分も同じなのかもしれないと頭を叩く。


 魂なんて視えなければ良かった。

 

 自分の両目を叩き壊したい衝動に駆られる。

 それを頭を叩くことにより抑えていた。


 おそらく、目的を達成するまでに自分は持たないだろう。

 漠然と感じる破滅の予感が、文翔を追い詰めていった。


 高校二年に進級し、生徒会長へと就任したが、やることなんて変わり映えしない。

 人脈を広げ、資金をつくり、手駒を増やすだけの日々。

 そして、使い勝手の良い施設の子供を、この高校へ何人か引き入れた。


 その内のひとり、大井出哲也が『紹介したい人物がいる』と言ってきた。

 

 哲也は気難しい人間だ。

 周りとは一切馴れ合わず、己の目的のためだけに生きていた。

 文翔は、それを手助けすることで手駒として動いてもらっていた。


 そんな人物が誰かを紹介するなど、あまりにも想定外の出来事で珍しく興味が湧いた。


 だが、哲也が連れてきた人物は、規格外過ぎた。

 その名は一条アキラ。

 彼の魂は、自分の能力で視えなかったのだ。


 そんなことは過去に一度もなかった。


「先輩に、ひとつ、お願いがあるのですが」


 会ったばかりの下級生からの唐突な申し出。


「僕の娘と結婚して子供を作って頂けませんか?」


「……君が、私に三(・)兆(・)円(・)を用意出来れば、その話受けるよ」


 ——面白いと思った。


 魂の視えない目の前の人物も、その突飛な提案も。


 人の魂しか視ていなかったので、随分と久しぶりに人の顔をしっかり眺めた気がした。

 結局いくら深く覗いたところで、魂の光はどこにも見当たらなかった。

 それよりも彼の瞳に魅入ってしまう。


 どこまでも澄み切った瞳は、何かを思い出しそうになる。

 それをいつまでも、眺めていたいと思ってしまった。

 

 何より彼には嘘がない。


 だから、思わず本心から答えてしまったのだろう。

 三兆円、それだけあれば総理への道は必ず叶う。


 彼はそれを『安い』と口にした。

 どこまでも面白い男だった。


 彼を詳しく知りたいと思った。

 だから手駒を使って調べた。


 わかったことは、一条アキラは一条財閥の元跡取りで、病気により廃嫡されており、最近社会復帰を果たしたこと。

 元々は天才的な神童として、幼少の頃から各方面で活躍していたこと。


 もし、その才能を失っていなかったら、三兆円を揃えることも可能かもしれないという報告だった。


 事実、彼はその後すぐに五千億という大金を、あっさりと用意できたと言ってきた。


 その言葉に文翔は焦りを覚えた。


 もし、本当に三兆円を揃えられてしまったら、自分の目的が叶(・)っ(・)て(・)し(・)ま(・)う(・)。


 それは再び生きる意味を失うことと同義だった。

 

 文翔本人はそのことに気づいていなかった。

 考えてしまえば、頭を叩いてしまうからだ。

 だが、焦りは警戒に、警戒は恐怖に続いていた。


 もはや、手段を選ぶ余裕はなかった。

 ゆえに、自身の持つあらゆる手段で一条アキラを探ることにした。

 そして、朗報が手に入る。


 夏休みも中盤を過ぎた頃、一条アキラは生徒会の扉を叩き、文翔の前に姿を見せた。

 メッセージが来て、誰もいない学校へ呼び出されたのだ。

 

「三兆円の準備が出来ました」


 アキラが微笑みを浮かべながら、とんでもないことを口にする。


「一条君、約束を守って頂き、ありがとうございます」


 文翔は、曇りのない瞳でこちらを真っ直ぐに見る彼へ、慎重に語りかける。


「三兆円もの大金を用意して下さったとのことですが……」

 

 あくまで余裕は崩さない、たとえ相手が狂(・)人(・)であっても。


「申し訳ありません、今回の話ですが無かったことにしてくれませんか?」


 契約の白紙を申し出る。

 なぜなら前提が変わってしまったからだ。


 一条アキラは狂っている。

 調査の結果、その確かな情報を手に入れていた。

 彼はそれを理由に廃嫡されていたのだ。


「こちらから申し出た条件ですが、少し事情が変わりまして」


 異能を持つプロに頼んだせいで、かなりの資金を使ってしまった。

 それでも、狂人の妄想へ付き合わずに済んだと思えば安いものだ。


「残念ですが、私の目的には三兆円では届かないことを知ったのです」


 嘘だと気づけないのも当然だ。

 本人が嘘だと思っていないのだから。

 彼からあふれ出る自信の正体は狂気を土台にしたもの。

 

 狂人は、時として強烈な魅力を放つ。


「ですから、せっかく用意して頂いたのに恐縮ですが、ご縁がなかったと思って下さい」


 彼の魂が見えない理由も理解できた。

 

 人は、精神が衰弱すると魂の光が弱くなる。

 おそらく、一条アキラはその見た目からは想像できないほど、心が壊れ切っているのだろう。


「そうですか、それは残念です。先輩なら娘を安心して紹介できたのですが」


 心から惜しむように眉を寄せる姿にも嘘はない。

 きっと彼の妄想の中では、娘というのも存在しているのだ。


「御足労をおかけしました、なにか別の力になれる時は言って下さいね」


 狂人相手に真正面からぶつかってはいけない。

 あくまで穏便に済ますのが最善だ。


「ちなみに、いくらくらい足りないのですか?」


 ここで金額を出したところで意味はない。

 一条家の跡継ぎならば、狂っていても有用な使い道はあったが、身分を失った彼に用はない。


「いえ、目的に対する足場の準備が整っていなくて。いくらお金があっても届かないことに気づきました」


 いい加減、この無駄な時間に終止符を打つ。


「その目的とはなんでしょうか?」

 

 決して叶えられないと、アキラに知らしめる必要があった。


「私の目的は、日本の内閣総理大臣になることです」


 普通の手立てでは到底叶えられない望みだ、流石にこれで退いてくれるだろう。

 

 笑うなら笑えばいい。

 狂人にどう思われようと痛くも痒くもない。

 

「なるほど、それは素晴らしい目的ですね」


 アキラの瞳は、私の妄言のような話を正面から受け止め、少しも揺らがず信じていた。


 ——惜しい。

 

 嬉しそうに笑うアキラを見てそう思ってしまった。

 もし彼が壊れていなければ、どんな手を使ってでも手駒にしていたはずだ。


 狂っていても失わない魅力が、そこにはあった。


「ならば、それを僕が手助けすると言ったら、先輩は望みを叶えてくれますか?」

 

 一方的な破棄を気にせず手を伸ばし続ける姿に、文翔は思わず恐れを感じてしまう。


「……どのような手助けでしょうか?」


 狂人に付き合うつもりはないのに、なぜか聞いてしまった。

 彼の深い瞳が、こちらを捉えて離さないのだ。


「そうですね、二年以内に総理大臣になれる道筋を整えましょう」


 取り込まれるな。

 

 あの施設にいた時から、総理大臣への道を考えていた。

 そのため、社会の仕組みを深く学んで過ごした。

 わかったことは、才能とコネさえあれば、立場などは何とでもなるという事実。


 特殊能力研究所、あそこは素晴らしい場所だった。

 高水準な教育、職員に呼び寄せて貰ったあらゆるコネ、特殊な才能を持つ子供たち。


 それらは、普通に生きていれば手に入らなかっただろう。


 モルモットと思っていたのは職員だけだ。

 こちらは少しずつ、すべてを掌握していったのだ。


 あの事故さえなければ、自分の計画はもっと早く進んでいたはずだろう。

 それでも、目的の為のロードマップを作り直し、着実に進んでいる自負があった。


 それでも、最短で二十年は掛かると試算していた。

 なのに目の前の男は、それを十分の一で達成すると言い放った。


「君は一体何を言っているのかね?国会議員になるためには最低でも二十五歳以上でなければならないのだよ」


 基本からズレている。

 やはり狂人の戯言に付き合うのは無駄だと思った。


「年齢を変えて、あらたに戸籍をつくれば大丈夫ですよ」


 澄んだ瞳のまま、少しも悪びれず犯罪を勧めてきた。

 

「僕は人のルールをできるだけ破らないように生きてますが、人が人のルールを破るのは必然ですからね」


 狂人の理屈がわからない。

 一体、彼は何様のつもりだ。

 妄想の世界で神にでもなった気でいるのか。


「……そんなこと、できるわけないだろう」


 惑わされるな、気をしっかり持て。

 理性が警鐘を鳴らしていた。


「すぐにできますよ。実際、何度かやってますし」


 相手は壊れている、その世界に付き合ってはいけない。


「それでなれるとでも思っているのか?総理大臣に!」


 駄目だ、感情を見せるな。


「なれるでしょうね、そのくらいなら簡単に」


 落ち着け、私はいつだって冷静だったじゃないか。

 だからここまでやって来られたのだ。

 

「本気ならば簡単なことでしょう?名前を変えることくらいは」

 

 ——名前を変える。

 

 自分にとって唯一残されたものを。


「……名を変えるだと?……ふざけるな……それじゃ意味がねぇんだよ!」


 ブレーキが利かない。


「この名を!大蔵文翔を!あの男の前へ叩きつけるために生きてんだよ!私は!」


 気づけば、心からの叫びを教室内へ響き渡らせていた。


「あの男って?」


 人に聞かせていい話じゃない。


「元内閣総理大臣、北条敏秀(としひで)……私の父親だ!」


 だが、止められないほどに感情が暴走していた。

 

 後に知ることとなる。

 誰にも明かしたことのない出自。

 それを私(・)が(・)初めて明かした相手は、人類の神だった。

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