食いしん坊万歳
庭に出された大きなテーブルには、次々と中華料理が並べられていく。
すぐそばには、突貫で作られた剝き出しの調理場ができており、二十人を超える逞しい男たちが、巧みに鍋を躍らせ料理を作り続ける。
食材が詰まった段ボールの山は、調理の終わりが果てしなく遠いことを示していた。
そこは、まさに戦場だった。
テーブルで料理を待ち構えているのは三人の少女。
彼女たちは、もう一時間以上休みなく食事を続けている。
「今日こそ勝つヨ!覚悟はいいネ!テラ!」
ホンシアが皿を片手に大きく吠える。
「中華……おいしい……」
それを気にせず、ひたすら口へ料理を運ぶテラ。
「お前ももっと喰え!拓人!タダ飯ほど旨いものはないからな!」
餃子を頬張りながら俺にレンゲを向ける、行儀のなっていない哲夜。
「……もう腹一杯だ、喰い過ぎると体に悪いぞ、哲夜」
俺はすでに食事を終えて、目の前でフードファイトを繰り広げる三人を眺めていた。
ちなみに、チャーハンと餃子のセットで限界を迎えた。
だって注文して出されたのが、焼き餃子じゃなくて水餃子だったんだ。
スープだけでもお腹に溜まる。
ここは、紫星さんの御屋敷だ。
庭にはいくつもの調理台が置かれ、油汚れやら食材の切れ端などで元の美しさを失っていた。
「……よく紫星さんに怒られないな」
由緒正しき御屋敷とは思えない光景だ。
「近い内に取り壊すから無問題って、雪乃の妈妈が言っていたネ!」
ホンシアが箸を止めずに答える。
彼女はテラに大食い対決の決闘状を送りつけた。
ホンシアが日本に来た最大の理由はそれだった。
テラはその戦いを喜んで受けたらしい。
いつもの黒猫と一緒にやってきたテラは、心なしかウキウキして見えた。
そして、朝から始まった食事は、夕方過ぎまで続いた。
結果として勝ったのはホンシア。
テラは満足したように、彼女より先に箸を置き、『ご馳走様』を口にしたのだ。
しかし、俺が見る限り、テラはそもそも勝負をしているつもりがないようだった。
食べたい物を食べ、満足したから食事を終えただけ。
彼女はただ、純粋に食事を楽しんでいるように見えた。
「我の勝ちネ!」
勝利を叫ぶホンシアが滑稽に見えてしまうほど、テラは余裕を残していた。
今もテーブルに残っていた胡麻団子を、指で摘んで口へ放り込んでいる。
逆にホンシアは、余裕なんて少しも残っていない。
汗で髪型は乱れ、体は不自然に膨張し、細い目が血走っていた。
人間が食べられる量ではない。
ホンシアの体の周囲には、熱による蜃気楼が起こり、景色が揺らいで見える。
おそらく、食べた物をエネルギーとして熱に変換し、排出しているのだろう。
「潔く負けを認めて!頭を下げて謝るヨ!」
あまりにも必死に見えた。
まるで今にも泣き出しそうなくらいに。
「テラ様が、なんでアンタに頭を下げなきゃならないのよ!」
黒猫のニクスが、眉間に皺を寄せて文句を言った。
「大食い勝負ヨ!先に食べるのを止めたのはそっちネ!」
ホンシアはテラを指差し叫ぶ。
「五百年もかかったけど……遂に勝ったヨ!早く地べたに頭を擦り付けるがいいネ!」
五百年掛けるほどの執念なんて、俺には想像もつかなかった。
「アンタ、なにか勘違いしてるけど、テラ様の本気がこんなものなワケないでしょうが」
黒猫が哀れむような目でホンシアを見た。
「大食い……勝負……?」
不思議そうに頭を傾けるテラ、そこに負けた悔しさは浮かんで来ない。
「そうネ!毎回始める前に言ってたヨ!」
確かに、食事前にホンシアは言っていた。
『負けたら謝れ』と。
テラは、それを思い出そうと小首をかしげる。
「毎回……中華がたのしみで……聞いてなかった」
そう言うと、食材の詰まっているダンボールへ近づく。
次の瞬間、積み上げられた食材の山が、ダンボールごと消えた。
おそらくテラは、それらを一瞬で食べたのだろう。
その証拠に、口をもぐもぐと動かしている。
どうやったのかもわからない。
咀嚼もすぐに終わり、ホンシアへ告げる。
「このあと予定あるから……今日はこれでおわり。また……ごはん誘って」
ホンシアは、顔色を真っ青に染めていた。
自身の五百年にも渡る無駄な努力を知ったことで、膝から崩れ落ちる。
あまりにも無惨な結果だった。
必死でもぎ取った勝利だったのだろう。
それを呆気なく無に帰されたことで、彼女の瞳に光がなくなっていた。
敬愛する師が、相手にもされずに打ちひしがれる姿を見て、彼女の弟子たちは激しく憤おる。
全員が殺気をたぎらせ、テラに襲い掛かろうと構えた。
だが、実際には誰一人として動けない。
鍛え抜かれた感覚が、テラを目にしたことで死を克明に想像させたからだ。
その場から一歩前に進むのは、底の見えない崖に飛び込むのと同じ。
自身の力量が強ければ強いほど、テラの恐怖はよりハッキリと感じる。
前に進みたくても、あまりにも無意味な死を体が全力で拒否しているのだろう。
弟子全員が、自らの不甲斐なさに悔し涙を流している。
その姿を見て、思わず声が出てしまった。
「……ちょっと待てよ、テラ」
帰ろうとしたテラに、声を掛ける。
「なに……?」
不思議そうな顔。
そこに感情はない。
きっとテラは、虫でも観てる気分なのだろう。
二人の間には、それほどまでに隔絶した差がある。
例えるなら蟻と人間、いや、それ以上。
「俺と勝負しろ……タイマンだ」
無謀なのは十分過ぎるほどわかっていた。
心臓が痛いほど早まり、目の血管が切れて白目に血が滲む。
極寒の海に裸で飛び込んだように、全身の震えが止まらない。
「タイマン……?なに……?」
きっと喰われる。
さっきのダンボールのように、跡形もなく。
「一対一で、戦うってことだ……」
待っているのは確実な死。
未練はある、それこそ死ぬほど。
「テラは……アルの子供と戦ってはダメって……約束した……」
アキラの横に、並び立ちたかった。
「安心しろ、俺はアキラの子供じゃねぇ」
哲夜と、もっと仲良くなりたかった。
「ふーん……なら……いいよ」
今の幸せな生活、その先を一緒に歩いてみたかった。
「もし俺が勝ったら、ホンシアに謝れよ……」
俺の無謀な言葉に、黒猫が呆れたように声を上げる。
「アンタ馬鹿じゃないの?やめときなさい、テラ様に勝てるとでも思ってんの?」
「うるせぇよ……」
勝てるなんて思っていない。
そんなことは、よくわかっていた。
それでも、ここで何もしなければ、俺は一生後悔する。
強くなってから戦う。
そんな都合のいい言葉で、自分を納得させたくなかった。
「それじゃ……いくぜ……テラ」
だから、死に向かう一歩を踏み出した。
ホンシアには、二ヶ月間、何度も命を救ってもらった。
だが、彼女の視線は『弱いままなら死んでも仕方がない』といつも告げていた。
きっと彼女は、色々な物を切り捨てて今の強さに至ったのだろう。
だから、たとえ俺が死んでも、ホンシアは涙を流さない。
何としても生き残ることが本当の覚悟だと教わったのに、その真逆の行動をとっていた。
見限られることはあっても、褒められることはないだろう。
だが、たとえどんなに無謀な行為だとしても、ここで退いたらアキラへ辿り着けないと思った。
「いつでも……いいよ……」
テラの言葉を受けて、俺の体からあふれ出るオーラ。
輝く黄金が流動的に全身を包む。
瞳には螺旋が渦巻き、テラを睨みつけた。
「喰らいやがれっ!」
全力で一歩踏み込み、自分のすべてを叩きつける。
ただ一撃を入れることのみに、命を燃やしていた。
「活命螺旋拳!」
身に宿るすべての生命力を懸けた一撃。
新たに会得した必殺の技。
すこしでも拳が当たれば、相手の細胞が暴走する危険な奥義。
直撃すれば、テラですら行動不能にさせられるはず。
——右腕の肘から先が消えた。
テラを見ると、口が動いている。
おそらく喰われたのだろう。
こうなることは想定していたから、動揺はない。
残された気を練り直し、そのまま左手を全力で前に突き出す。
「ド低脳が!イージス!」
横から衝撃を受けて、体が数メートルほどズレる。
その瞬間、周囲一帯に破壊音が響き渡った。
突き飛ばされた元の場所を見ると、哲夜が盾を構えていた。
だが、今まで何度も俺を守ってくれた無敵の盾は、無惨にも大きく削られていた。
「固い……」
岩を砕くような、尋常ではない咀嚼音を口から出しながら、テラが呟く。
「馬鹿野郎!逃げろ!」
俺の意地に、哲夜を巻き込むつもりはなかった。
思わず焦りが生まれてしまう。
「フン!相棒を見捨てるのは、オマエらの世界ではシャバいというのだろう?」
再び盾を作り出し、俺を守るように前へ立った。
「それ……おいしくない」
テラの一声。
続いて爆発したような衝撃音が響いた。
一瞬で哲夜が目の前から消える。
喰われてしまったと思ったが、少し遅れて屋敷に何かが衝突した。
どうやら哲夜はテラの攻撃を喰らい、建物の方へ吹き飛ばされたようだ。
無事でいるかもわからないが、今はテラから視線を外せない。
肘の出血を気功で止めて、再び呼吸を深く練る。
なんとしても一撃当てる、そのことだけに命を懸けていた。
「——そこまでよ」
黒猫ニクスの声が響く。
「自分でタイマンって言ったんだから、助けが入った時点でアンタの負けよね?」
金色の瞳が冷たく俺を見据えていた。
「……」
想定外の助太刀だったが、哲夜の命を懸けてくれた行為を言い訳にしたくなかった。
実際、庇って貰わなければ、俺はもうこの世にいなかっただろう。
仕方なく、練った呼吸を大きく吐き出した。
それを見ていたテラが首を傾げる。
「終わり……?じゃあ帰る」
その言葉と共に、黒猫の影がテラを包み、二人は一瞬で消えた。
残された俺は、飛ばされた哲夜を探そうと振り向く。
すると、あちこちから血を流しながらも、彼女は破壊された屋敷の中から這い出て来た。
「大丈夫か!?哲夜!」
急いで駆け寄ろうとしたが、足が動かず前のめりに倒れ込んだ。
血を流し過ぎたのと、テラのプレッシャーを受け続けたせいで体が限界だった。
「フ……フン、この程度、すぐに治してみせるから……安心しろ」
擦れた声で、強がりを言う哲夜の声が聞きこえた。
早く治療をしようと、伏せた状態のまま片腕だけでそちらに向かい始めた。
だが、目の前に誰かが立ち塞がり、前へ進めなくなる。
顔を上げると、そこにいたのはホンシアだった。
彼女は氷のような冷たい視線で、光のない瞳のまま俺を見下していた。
「どいてくれ!哲夜を治したいんだ!」
なぜ邪魔をするのかはわからないが、今は構っている余裕なんてない。
「どういうつもりネ……」
地を這うような低い声。
その音には、はっきりとした怒りが籠っていた。
「いいからどけって!」
地面に手を突き、なんとか体を起こす。
貧血でチカチカする視界のまま、ホンシアをどかそうと手を伸ばした。
次の瞬間、食べた物と一緒に大量の血を吐く。
そのまま地面に倒れ込み、のたうち回った。
内臓が押し出されるような衝撃が腹に走った。
おそらく攻撃されて胃が破れたのだろう。
口から大量の血が吐き出された。
気を失いそうな激痛を、必死に治癒して押しとどめる。
「どういうつもりだと聞いてるネ!」
ホンシアは、地面に転がる俺の腹を踏み付けた。
「……ぐっ……な、なんのことだ……?」
今は何よりも哲夜のもとに行きたかった。
「テラに向かっていったことヨ!」
踏まれた腹に圧力が掛かる。
そのせいで治療している胃が再び裂けて、血が喉へ逆流していった。
「哀れみでも掛けたつもりか!」
容赦なく踏みつける力に必死で耐えた。
「テラは我が倒すネ!アナタみたいに弱い人間が勝手に出てくるな!」
腹が熱い。
ホンシアの出す足裏の熱が、アイロンを当てられたように俺の皮膚を焼いていた。
「爸爸に禁止されていなければ、我が直接戦っていたネ!なんで我より弱いアナタが戦ってるヨ!」
彼女の瞳が悔しさで歪む。
「どういうつもりでテラの前に立った!我を憐れむなんて千年早いヨ!」
内臓の痛みと、皮膚が焼ける痛みで、思考がうまく働かない。
「なんとか言うネ!」
俺の行動が、彼女の逆鱗に触れたのだ。
人類最高峰の強さを持っているなら、きっと自分で戦いたかったに違いない。
きっとその力は、テラを倒すために鍛えたのだろう。
だけど、哀れみなんかで踏み出したわけじゃない。
「……な、なあ……ホンシア」
「なんネ!言い訳できるならしてみるヨ!」
「…………アキラなら……どうしたと思う?」
あの時、頭に浮かんだ。
「……自分の娘が馬鹿にされたら……ああしたんじゃないか?」
俺が目指す場所。
「たとえ、どんなに相手が強くても……たとえ、命と引き換えになったとしても……」
きっと、一歩前に出る。
「……ア、アナタと爸爸は……違うネ」
ホンシアが、足をどけて一歩下がった。
「違わねぇ……俺はアキラを目指してる」
片手を支えに再び立ち上がる。
「なら、強さなんて関係ねぇんだ……」
相手が強い弱いで行動を変えない。
「アキラは、娘が理不尽な目に遭わされたら、絶対に怒る」
彼は人に優しいし、娘に甘い。
それを俺は見習いたいと思った。
「だから、代わりに俺が怒ったんだよ……」
相手が地球最恐だろうが関係ない。
「それに……俺はテラを倒せるくらい強くなると決めた」
今は弱いから挑まない——そんな気持ちでは一生勝てない。
マリアが教えてくれた。
アキラは何度もテラと戦い、命を懸けて強くなったと。
命は大事だ。
だからこそ、必要だと思ったら懸ける。
俺がアキラに辿り着ける道は、それしかない。
「お前がテラと戦えないなら、俺が代わりに倒して見せる」
膝を着いて、片手でホンシアの肩に触れた。
「だから、任せてくれないか?」
彼女の肩は激しい熱を帯びていて、手のひらが焼ける音を立てた。
「そして今よりもっと強くなるために……これからも付き合って欲しい」
真剣に彼女を見つめた。
必ず倒すと覚悟を込めて。
「人がテラを倒すなんて……無理ヨ……」
細い瞳に涙が浮かんでいた。
「命は大事なんだろ?なら、弱い俺がまた捨てにいかないように、強いお前が助けてくれよ」
ぎこちない微笑みは、アキラみたいに優しくは見えないだろう。
だけど、心が折れてしまった彼女を、少しでも支えたくて必死に笑った。
大事な友達の、大切な娘なのだから。




