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僕はいい子

 美藤拓人の一番初めの記憶は、真っ白い部屋と大きなテレビだった。

 広い部屋の中で、沢山のおもちゃに囲まれ、寝ているとき以外は常に流されているテレビを観ていた。


 番組の内容は決まっている。


 『ひとをたたいてはいけません』

 

 アニメ、ぬいぐるみ、人形劇、フォーマットは違えどいつも結末は同じ。

 暴力はいけないこと、それが主題だった。


 部屋には、自分以外に人間の姿をしたロボットしかいなかった。


 ロボットのみが拓人の話す相手であり、生活を共にする存在であった。

 

 食事の時だけ部屋に白衣を着た人間が現れる。

 彼らが自分に向ける感情は恐れ。

 興味を持って近づくと、怯えたように部屋から出ていく。


 トイレや浴室も部屋に備わっていたが、それらの使い方もテレビで学び、いつも一人で入っていた。


 拓人が部屋にあるロボットやおもちゃを壊すと、部屋の電気が消された。

 真っ暗な部屋を怖がり泣き叫ぼうと、誰も助けてくれなかった。

 

 そんな生活を何年も送る内に、拓人から“壊す”という思考が奪われた。

 自分が少しでも力を入れて触れると、物は簡単に壊れてしまう。

 だから極力何も触れないように、触れても力を込めないようにという習慣がついた。

 

 年齢が上がるにつれ、徐々に人間と接する機会が増えていった。

 そのことで、人というのはロボットとは違う多様さを持っていることを知った。


 そんなある日、拓人はお願いをした。

 

「外を見てみたい」


 部屋にある、分厚いガラス越しに見える歪んだ景色を、直接見たいと思ったからだ。

 

 その願いは通り、ずっと眺めていた中庭に出ることを許された。

 全身を拘束され車椅子で運ばれながらではあったが、初めて見た本物の植物や空と太陽は、拓人の脳を焼いた。


 『なんで今までこんな美しいモノを、僕は取り上げられていたんだ』


 そのとき初めて抱いた感情は、身体の奥に小さな鎖となって絡みつく。


 部屋でテレビを観ながら、ロボットと話しながら、おもちゃで遊びながら。

 毎日続く同じ景色に自分の世界の狭さを感じ、その鎖はゆっくりと重くなっていった。


 その後も、日に一度だけ、拘束された状態で中庭に出ることが許された。

 それが彼の一番の楽しみとなった。


 時折、中庭で同じ年くらいの子供達を見かけた。

 彼らは自分とは違い、縛られず自由に遊んでいた。


 それが羨ましくなって、『自分も自由に遊びたい』と訴えた。

 しかしその結果、しばらく中庭に出ることが許されなくなった。

 

 その罰は、拓人の内側に宿る鎖を、さらに太くするものだった。


 テレビから流れる内容は、年と共に人間関係をテーマとしたものを主軸とした内容に変化していった。

 

 『人と仲良くしましょう』

 『人の嫌がることはしてはいけません』

 『嘘を付いてはいけません』

 『暴力は絶対に使ってはいけません』

 

 そこには道徳を基礎とした同じような内容が延々と流されていた。

 その中で“家族”というものが頻繁に出てくるようになった。


 父親、母親、兄弟、祖父母。

 その関係性は自分には馴染みがなく、うまく理解が出来なかった。

 

 しかし、画面の中で笑い合い、食事を囲み、笑顔で抱き合う家族。

 いつか自分にも、そういったものができるのだろうかと思うようになる。

 

 それを想像すると、心の中の鎖が少しだけ軽くなるように思えた。

 

 部屋にあるロボットは男性と女性のタイプがいて、それを自分の父と母に見立ててみた。

 しかし、映像のように抱きしめても人の熱は伝わらず、抱きしめ返してはくれなかった。

 なにより、力を込めることの許されない呪縛が、抱擁という行為に実感を持たせてくれなかった。


 ある時、拓人は検査を行っていた白衣の男に聞いてみた。


「僕にも家族がいるの?」

 

 すると、白衣の男は驚いた顔をして、少し間を開け答えた。


「……いるよ、君が“いい子”にしていたらきっと会えるんじゃないかな」


 その言葉は、拓人の世界に初めて差した希望だった。

 それからというもの、拓人は“いい子”になるための努力を全力で尽くした。


 白衣の人間に、いい子になるには何をすればいいかと聞いた。

 すると、自分たちの言う事をよく聞き、検査に協力するのが一番いい子だよと教えてくれた。


 それから拓人は言われたことを進んで行い、白衣の人間たちはその変化をとても喜んだ。


「今日はこれを飲んでみようか?」


「……これ飲むと、気持ちが悪くなる」


「我慢できるのが、いい子だよ」


「……そうなんだ」

 

 拓人は、それを聞いて薬を飲み干す。


「いい子だね」


 その言葉だけで満足感が心を占めた。

 

 毎日注射をし、変な狭い機械に入れられ、色んな薬を飲まされた。

 それらはとても苦しく体の不調を伴ったが、耐えるたびに家族への道を歩いている実感があった。

 

 従順な態度をとる拓人へ対し、白衣の人間たちの要望はエスカレートしていく。


 体中に変な機械を付けられて、指定された運動を限界までやってみるように命令される。

 他にも様々な痛みを与えられ、それを我慢しろなどの苦痛を伴う辛い命令を出されるようになったのだ。

 

「……足が痛くてもう動けない」


「でも、もっとがんばれるのがいい子だよ」


「……そうなの?」


「出来ないといい子になれないかもね」


「……じゃあ、やる」

 

 虐待といえるようなそれらを、拓人は黙々とこなす日々が長く続いた。


 そのうち、拓人は勉強に興味を持った。

 映像では、勉強を頑張る子供を家族が褒めている場面があったからだ。

 

「僕、勉強したい」


「それはいいね、すぐに用意するよ」


「勉強をがんばる子はいい子だよね?」


「もちろんだよ、テストもするから一生懸命がんばってね」


 遊ぶ時間を削り、寝る間を惜しんでまで机に向かう。

 いつか出会う家族に自分も褒めてもらえるように。


 拓人の腕と足は注射の跡で常に内出血を起こしており、薬の副作用で常に気持ち悪く、食事もあまり取れなかった。

 過度な運動と実験のストレスで、日常的に疲労していた。


 鏡に映る自分は、身長だけが細長く伸びて痩せ細り、顔色も悪くまるでテレビで観るオバケのようだった。


 それでも拓人は文句を言わずに、淡々と辛い日々を過ごす。

 全ては“いい子”になって家族に会うため。

 

 そんな生活を何年も送っていたある日、中庭で衝撃的な出来事が起こる。

 拓人の車いすを押す白衣の人間がいないのを確認して、一人の少年が自分に声を掛けてきたのだ。


 普段は白衣の人間が、他の子供を絶対に近付けない。

 だからそれは拓人にとって初めて同世代と話す機会になった。

 

「オマエ、なんでそんな恰好なの?」


 その少年のことを拓人は知っていた。

 

 中庭の隅で本を読んでいるのを、何度も見かけたことがある。

 自分とは真逆で、丸々と太っているのが特徴的だった。


 拓人はひどく緊張しながら答えた。


「あ、あの……ぼ、僕は力が強くて危ないから……こうしてないと外に出ちゃいけないんだって」


 それを聞いて少年は不思議がる。


「そんなに力が強いなら、自由に外へ出ればいいじゃないか」


 だが、拓人はその言葉に表情を曇らせた。


「そ、それは人に迷惑をかける事で、いい子じゃないから……無理だよ」


 少年は、それがどうしたと片眉を上げる。


「いい子じゃないと何か問題でもあるのか?」


 その質問に、拓人は目を輝かせて答えた。


「あ、あのね!いい子でいたら、家族が迎えに来てくれるんだって!」


 しかし、少年はそれを聞いて鼻で笑った。


「フン!オマエは何も知らないんだな、オレらはとっくに家族から捨てられてるんだよ!」


「……え?」


「オレらはこの施設の実験対象、いわゆるモルモットってやつさ!迎えになんて来るはずないだろ!」


 怒ったような口ぶりで告げられた言葉を、うまく呑み込めずにいた。


「……で、でも、白衣の人が言ってたよ!いい子でいたらきっと会えるって!」


 それは拓人にとっての希望だった。

 その未来があったからこそ、全ての事を耐えてきたのだ。


「そりゃ嘘だな、もし本当ならとっくに会いに来てる」


 少年は拓人の言葉を否定するように、首をゆっくりと振った。

 

「ここには家族と面会してる子供もいるからな、それが捨てられてない子供ってやつだ」


 告げられた事実は希望を断つ非情なものだった。


「だけどここは衣食住用意してくれるし、望めば大抵の物は手に入るからな、オレらは我がままに過ごせばいいんだよ」


 きっとその太った少年は、拓人の事を励ましたかったのだろう。

 施設内の中庭ですら自由を奪われ、長い年月、ただ空見つめていた拓人を不憫に思っていたのかもしれない。


 そうでなければ、監視の目を盗んでまで、わざわざ拓人へ話しかけになど来なかっただろう。


「じゃ、またな」


 白衣の人間がこちらに近づいて来るのを見て、少年は手を上げ去っていった。


 拓人は、その姿を見送ることなく、ただ呆然と空を見上げていた。

 自分の体内で、鎖が鈍く軋む音を聞きながら。

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