千羽折のタクト
毎日更新予定です
夜の横浜、海に面した倉庫街の一画。
普段なら誰もいないはずの場所には、千を超える人間が集まっていた。
その全員が凶器で武装し、静かに戦いの始まりを待っている。
彼らの殺気がこもった目には、ただ一人しか映っていない。
その視線は、黒革のライダースで身を固めている、痩せた長身の男にだけ向けられている。
髪型はオールバックの金髪で、肩にかかる襟足だけが黒い。
その男を中心にして扇形に並ぶ十二人の男たちも、緊張した顔で彼を眺めていた。
「美藤さん、本当に手助けはいらないんですかい?」
「拓人ー、ボクもあばれたいよぉー」
十二人の中で最も大柄な男と、女の子みたいな美少年がそれぞれ声を上げた。
「……チームでやる喧嘩じゃねぇ、ただの暇つぶしだ」
美藤拓人と呼ばれた男は、鋭すぎる視線で千人を睨みつけたまま、腰から特殊警棒を引き抜く。
「人数だけは多いからよぉ……これが折れたら代わりを投げてくれ」
警棒を振って仲間へ告げると、ブーツの底を鳴らしながら敵へ向かう。
そこに気負いはなく淡々としており、感情を滲ませない足取りだった。
逆に目の前の千人は、向かって来るたった一人に油断を見せない。
それどころか、緊張で喉の鳴る音がそこら中から聞こえてきた。
「……“ロッド”のタクトォ!この関東最大のチーム“死天の梟”相手に一人で戦う気たぁナメテんなぁ!オイ!」
集団の最後尾から声が上がる。
「テメェはどんな相手にも負けたことがないらしいがなぁ、それも今日までの話だ!」
特攻服に総長と刺繍された男が、向かって来る拓人に叫んでいた。
「この人数でミンチにしてやるよぉ!オマエらぁ!……いけぇ!」
その掛け声を合図に、千人の集団が拓人へ雪崩れ込んでいく。
人の波が拓人を呑み込んでいくように迫った。
「……“人間”じゃ何人いようが俺には勝てねぇよ」
拓人はそう呟き、腹から湧き上がる力を無理矢理押さえるように息を深く吐く。
すると、目の前から聞こえる怒号の塊は、あっという間に恐怖の叫びに変わっていった。
金属バットやナイフが宙を舞い、悲鳴が何重にも重なる。
拓人が振るう警棒で骨を折られた人間を踏み越えながら、次の集団が絶え間なく襲い掛かっていく。
拓人は頭に鉄パイプを喰らおうが、眉ひとつ動かさずに警棒を振るい続けた。
背後からナイフで刺されても、肉には入っていかず血も出ない。
まるで機械のように淡々と相手を壊す作業をこなしていく。
その結果、たった十分も経たないうちに、千人は全員地面に転がされていた。
倒れた男たちが辺りを埋め尽くし、至る所から呻き声が聞こえてくる。
「ば、化物がぁ……!」
一人だけ立ち向かわずに残っていた死天の梟の総長が、青い顔であとずさりながら叫んだ。
すでに勝敗はついている。
あとは自身の骨が折られるのを待つしかない状況だった。
拓人は冷めた目で相手を見つめ、吐き捨てる。
「そうだ……知らなかったのか?ロッドのタクトは人じゃないってよ」
その声には諦めのような自嘲が籠っていた。
しかし、それに気付ける者は誰もいない。
千人相手に傷ひとつ残さない拓人を見て、総長が恐怖と屈辱で歯を喰いしばる。
「ク、クソがぁ!なら……コイツで死ねぇ!」
目を血走らせ、懐から拳銃を取り出した。
震える手で拓人に狙いを定め、短く荒い息を吐く。
拓人は銃口を見つめ、手にした警棒を器用に回した。
その動作で付着していた血汚れを振り払うと、棒を右肩に置いて構える。
「……撃ってみろよ……だが両手は貰うぜ」
周囲の人間が、緊迫した事態に地面へ伏しながら固まっていた。
「ヘッド!あぶねぇ!」
拓人は、仲間が彼の盾になろうと向かって来るのを手のひらを向けて留めた。
「別に危なくねぇよ……俺を倒したきゃ戦車でも持って来な」
表情を一切変えずに、伸ばした腕で撃って来いと合図を送る。
「よ、余裕ぶってんじゃねぇぞ!この……モヤシ野郎がぁぁ!!」
乾いた銃声が夜の海に鳴り響く。
それと同時に耳をつんざくような金属音が、皆の鼓膜を震わせた。
「……今のは聞き捨てならねぇな」
この日初めて怒りの感情を見せながら、銃弾を弾いたせいで曲がってしまった警棒を振るう。
「グゥ!ギャアアアアアア!」
その一振りは宣言通り彼の両腕を叩き折った。
銃すら効かない拓人の強さに、死天の梟のメンバーは全員心が折れて武器を手放す。
地面には、様々な固い音が、雨のように鳴り響いた。
「……ホントにフクロウの大群をひとりでたおしちゃったね!さすが拓人!」
全てを見ていた美少年が、憧れに目を輝かせながら呟く。
「きっちりと全員の骨を折ってな……まさに“千羽折”だ」
大柄な男が尊敬をさらに深め、それに答えた。
「銃弾を弾き返すなんて、いつみても人間離れした強さッスね!」
リーダーの活躍を無邪気に喜ぶ仲間たち。
「ああ、オレたちロッドはどこまでも付いて行こう、無敵のヘッドにな」
崇拝に近い眼差しで拓人を見つめるチームのメンバー。
「悪ぃな……お前らの警棒、全部壊しちまった」
そんな彼らに頭を掻いて詫びる拓人。
千人を叩き伏せた結果、彼らが拓人へ貸した警棒は全て折れ曲がってしまった。
「気にしないで下さい、また用意いたしますよ」
眼鏡を掛けた男が目を細めて薄く笑う。
「そうか、ならあとは任せた」
拓人は自分の愛車に跨ると、夜の横浜に消えていく。
ロッドの幹部である十二人は、騒ぐでもなく彼を静かに見送って、いつも通り事後処理を始める。
「よく聞けフクロウども!これからはロッドの傘下に入ってもらう!異存はねぇな!」
声を上げる者は誰もいない。
あの“化物”がいる限り、逆らっても無駄だと皆が思い知らされていた。
この夜を境に、横浜を拠点とする暴走族ロッドは、関東最強の名を全国へ轟かせることになる。
その頂点に立つのが美藤拓人。
どんな相手も警棒一本で叩き伏せる、最強の男として噂されることになる。
しかし、拓人が持つ人を超えた力は、彼の人生を色のないものにしていた。
「めんどくせぇ……いっそ誰か殺してくれねぇかな」
バイクで風を切りながら、ひとり呟く。
張り合う相手も、愛する人もいない世界は、生きる意味を感じさせない。
目的もなく、暗く汚い場所でネズミのように数を増やし、狭い世界の王として君臨するだけ。
ただの人間では相手にならない。
ならば自分の力は、何のためにあるのかわからない。
彼の心は、どうしようもなく乾いていた。
それは砂漠でひとり、長い旅をしているようだった。
だが、その孤独な旅も、もうすぐ終わる。
全てを変える出会いが訪れるからだ。
この時の拓人はそれをまだ知らない。
数ヶ月後、自分が神を全力で殴ることを。




