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路地裏の亡霊たち――犯罪都市で交錯する事件と人々の群像劇  作者: Nova
03:Fade in Black

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第57話:情報セクション長ハーディ・グラント

 ルミナスイースト、月影ビル20階のプレジデントルームにて、レオン・クラッドは広いデスクの前で背もたれにもたれて座り、鼻頭をつまんで軽く目を閉じていた。時刻はまだ正式な始業時刻の1時間ほど前なのだが、昨夜に入った報告のせいか、すでにレオンの頭はずっしりと重たくなっていた。


 レオンはふぅとため息をつく。仮眠を取るには少し微妙な時間だが、取らないよりはマシかと思い、こうして軽く目を閉じていた。しかし事前に飲んだコーヒーのせいか、頭は妙に醒めていて、ぐるぐると考え込んでしまうため、レオンは諦めて再びレポートの内容を確認しようとタブレット端末を手に取った。


 レポートは情報セクション長のハーディ・グラントによって提出された。普段はデータだけ送りつけてくる彼なのだが、個人トレーニングを終え、シャワーを浴びた後のレオンの自室に、ハーディは直接やってきた。


 ーポーン


 プレジデントルームの隣にあるレオンの自室で、インターホンの音が鳴る。早めに帰したはずのアインがまた戻ってきたのだろうか、とレオンは考え、ため息をついた。アインの仕事ぶりには助かっているが、働きすぎるのもよくないものだ。


 しかしそれ自体はいつものことだと観念し、レオンは室内のモニターを確認する。表示されていた名前は「ハーディ・グラント」――情報セクションのセクション長だった。


「すまない、待たせたな。」レオンがドアの向こうに対して声を返すと、ドア前にいるであろうハーディが、インターホン越しに応答する。


 ーいいやぁ?お休みのところ、むしろこっちがすまねぇと思うぞ……。


 ハーディはあくびをしながらそう言った。


「少しだらしないが……、入ってくれ。」レオンは、まだユニフォームすらまともに着れていない状態で、ハーディを部屋へ招き入れた。


 レオンはまだ濡れた髪から滴る水滴をタオルで抑え、下は下着にスラックス、上は生身の肌にそのまま白シャツを着ているだけの状態だった。


「あぁ……、そのぉ、もしかして着替え中だったのか?」ハーディが珍しく気まずそうな顔で頭を掻いている。


 ハーディの目には、レオンの濡れた金髪と、シャツ越しに透ける分厚い筋肉が見えていた。レオンはその視線を察して苦笑する。


「そういうあなたは……、まぁいい。」レオンも指摘しようとしたものの、一般的には定時時間の時刻だったため、思い直して言葉を飲み込んだ。


 ハーディは月影のユニフォームを着用していないどころか、部屋着なのかすら怪しいような出で立ちだった。ボロボロの革ジャケットにダメージの入ったジーンズ、同じくらい擦り切れた革のブーツに、ボサボサの髪と無精髭。


 彼の身につけているものはどれもこれも年代を感じさせる代物だが、レオンにはヴィンテージというよりも、単に着古してしまっただけのように見えていた。しかしセクション長の自覚はあるのか、階級章はかろうじて胸元につけている。紺色の台座に、赤い3本線の階級章だ。


「あぁ、まぁ……、俺のこれは普段着だ。イカすだろ?」はんとハーディは鼻で笑った。


 冗談のつもりなのかもしれないが、レオンにはあまり理解できない類の冗談だった。ハーディのジャケットからは常にアルコールの匂いがしていて、注意すべきかどうか、いつも一瞬だけ頭を悩ませる。


「うん、まぁ……、そうでしょうね。」自分よりさらに一回り年上のこの男の扱い方が、レオンにはどうにもよくわからなかった。

「まぁいい。野郎が素っ裸でも俺としちゃあ気にならねぇが、お育ちのいい局長様は落ちつかねぇだろ。さっさと本題に入ろうぜ。」ハーディのそれは皮肉とも取れるような発言だったが、レオンは顔色ひとつ変えずに受け流す。


「そうですね、何があったんです?」

「あぁ、単刀直入に言うぜ。アイン・ザードの家が直接襲われた。」ハーディは室内の椅子にどかっと腰掛けながらそう言った。


「なんだって?」レオンはまさかと思い聞き返す。

「まさかって、思っただろ?でもそのまさかだ。」ハーディは説明を始めた。


「さっきな、アイン・ザード本人から報告があった。自宅にいた妹と養子、それとエミリア・バートンが襲われたらしいと。あいつの説明では、襲撃者自体は取り逃したらしいが、全員無事ではあるそうだ。」ハーディはその酒焼けしたハスキーな声でそう言った。


 ハーディの説明は端的でわかりやすいが、まだ表層でしかないのだろう、とレオンは感じた。本来こういった場合、アインは直接自分のところまで来るだろう。現に、放火魔ライターの時がそうだった。


「ふむ……、詳細を聞こう。」レオンは髪の水滴を抑えるためのタオルを首にかけ、近くのソファへと腰を下ろした。

「あぁ、あんたも話が早くて助かるぜ。」ハーディは口の端を持ち上げてニヤリと笑った。


 ハーディはアインからの報告を受けた時の話を詳しく話した。話しながら喉が渇いて、タバコを吸いたい気持ちがむくむくと湧き上がってきたが、局長自室のベージュの壁紙を見て吸う気が失せた。


 そもそも、このレオンという男は、この泥臭い現場にあって異彩を放つ人間だ。人事セクションあたりのエリート集団ならばいざ知らず、基本的に軍人上がりか、Lost City出身で食いっぱぐれない職を目的としている人間が多い戦術セクションで、軍人家系とはいえまともな上流階級出身が存在していることがすでにおかしい。


 元ゴシップ記者という経歴を抜きにしても、ハーディの好奇心旺盛とも言える気質のせいか、レオンという男への興味はそれなりにあった。


 それに、とハーディは目の前に座っている男の筋肉質な肉体を見る。ただの頭のいいお坊ちゃんという感じでもなくしっかりと鍛え抜かれた肉体は、戦術セクション長としてもなんの違和感も抱かせないほどだった。


「元々はエミリア・バートンからの通報だったんだ。」ハーディがそう言うと、レオンの眉がぴくりと動いた。


 口元は相変わらず穏やかな笑みの形をしていたが、わずかな兆候を見逃さなければ、レオンがエミリアという名前に反応したことが見て取れる。


「アイン・ザードの家に、エミリア・バートン――本来は外賓として扱われててもおかしくないやつがいることは、ご存知だろ?」ハーディの言葉に、レオンは目を細めてふっと笑った。

「ふむ、彼女の来訪については、各セクション長にも通達したはずだが。」レオンの返しは至極真っ当だった。


 実際、自分を含めた各セクション長が、どれほどの重みでエミリアのことを受け止めていたかは知れないが、彼女がLiberty Moon連合から派遣された教師であるという事実は、少なからず情報に規制がかかるくらいには重要事項のはずだった。


「それに、あなたなら知っていたはずだ。月影の滞在を拒否したエミリア・バートンが、放火事件の後でアイン・ザードの家に居候をしている程度は。」レオンは涼しい顔でそう言った。


 やはり食えない男だ、とハーディは思った。32歳という、階級にしては若すぎる年の男だが、腹に一芸仕込めるタイプであるらしい。ハーディは口元で左手の指を擦り合わせながら、鋭い視線を投げかけた。


「タバコを吸うなら、外に行こうか?」レオンが唐突にそう言った。

「はっは!」ハーディは思わず膝を叩いて大笑いする。

「このフロアじゃあ、吸わねぇよ。」ハーディの言葉に、レオンは組んでいた指を解いて肘掛けに肘をつき、拳の上に頭を乗せた。


 その手は無骨で、喧嘩も争いも知らぬ男の手には到底見えない。ハーディはゆっくりと長い脚を組みながら、自分の探りも意にも解さぬような男の返答を楽しんでいることを自覚した。


第3章「Fade in Black」開始です。

本日からしばらくの間、毎日19:40に更新予定です。

第3章もお付き合いいただけると嬉しいです。

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