レガシー
「レイくん、大丈夫ですか?」エミリアはうずくまっているレイにゆっくりと近づきながら声をかけた。
「……あ、はい。……ちょっと疲れただけです。すみません。」レイは青白い顔で、声を振り絞るようにして答えた。
「具合が悪そうですね?お水は飲めそうですか?」エミリアはそう言うと、ショルダーバッグから水の入ったボトルを取り出す。
「……?」レイは僅かに顔を上げると、驚いたように目を見開いた。
「飲んでいいの?」レイの言葉にエミリアは少し驚いたものの、蓋からカップを外して水を注ぐと、レイに差し出す。
「はい、もちろんです。そのために持ってきましたから!」エミリアがニコリと笑いかけると、レイは素直にカップを受け取った。
レイがゆっくり水を飲んでいる間、エミリアは手のひらで自分の顔をパタパタと扇いだ。なんとなく、いつでも飲めるように水のボトルを用意したけど正解だったな、とエミリアは空を仰いだ。
「ありがとうございます。」レイはゆっくりと水を飲み干すと、エミリアにお礼を言ってカップを返した。
「いいえ!こんなこともあるかと思ってもう一つカップを持ってきました!今日少し暑いですから、飲みたくなったらいつでも言ってくださいね。」エミリアがそう言うと、レイはこくりと頷いた。
心なしか、レイの顔色が良くなったように見えたが、もうしばらく休んでいくべきだとエミリアは判断した。エミリアはレイを日陰で休ませながら、エレやディウにも水分補給を促すことにした。
「エレさんとディウくんもお水をどうぞ?」エミリアがカップを手渡すと、二人は軽く礼を言って受け取った。
エレとディウは、レイの近くの日陰に座って、カップの水を飲み干した。エミリアは二人から空になったカップを受け取ると、レイと一緒に少し休んでいるように伝え、今度はカワセミの方へと向かった。
「カワセミさんはお水どうですか?」エミリアがカワセミにカップを手渡す。
「……いや。」カワセミはカップをちらりと見ると、そのまま視線を外して黙り込む。
「今日は日差しが強いから、飲んでおいたほうがいいですよ?……はい、どうぞ。」エミリアはカップに水を注ぐと、半ば押し付けるようにカワセミにカップを手渡した。
「……どうも。」カワセミは少し眉を寄せたものの、その後は素直に水を飲み干した。
「普通、他人から貰ったものは口にしない……。あんたは警戒心がなさすぎる。」カワセミが眉間にしわを寄せながら、空になったカップをエミリアへと返した。
「……なるほど。そういう視点がありましたか……。」エミリアはカップを受け取り、自分もまた水を飲み干しながら、唇を指で拭うカワセミをじっと見つめる。
「えっと、それはなんというか……、私がお水に何かを入れているかもしれないから、でしょうか。」ただ単に自分を信用してくれているという話でもないことぐらいは理解していたが、エミリアは思い切って質問してみた。
「……確かに、それもある。ただあんたは変な悪知恵をするタイプじゃなさそうだ……、と俺は思う。」カワセミはエミリアの方を見ずに言った。
「それは……、なぜですか?」
「あんたがお人よしだからだ。すぐに人を信じすぎる。……別に、何かを混ぜるだけが悪意じゃない……。あんたのお人よしを都合よく利用する人間がいないとも限らない。……だから、危機感がない。」カワセミはなぜか、これまで見たことがないくらいに長々と言葉を紡いだ。
「お人よし……。」エミリアは彼の言葉を反芻し、理解しようと試みた。
「でも少なくともあの職務に忠実なタグ付きが……、自分のテリトリーに入ることを許容した……。そういう意味では、信用できなくもない……。」カワセミは、浅い呼吸を繰り返しながらゆっくりと話しきった。
「タグ付き……。それは、アインさんのことですか?」エミリアにはよくわからなかったが、それはあまりよくない言葉な気がして聞き返す。
「そう。」しかしカワセミは深くは答えず、地面に手をついて姿勢を変えた。
タグ付き。エミリアは、その言葉を脳内で反芻した。おそらくどこかで聞いたことがあるのだが、それがどこだったかまでは思い出せない。その時もアインに関する話題だっただろうか。エミリアはさらにカワセミに尋ねることにした。
「その……、言えない話、なのでしょうか……。」エミリアの質問に対して、カワセミはすぐには答えず、くっと首をかしげて眉根を寄せた。
「別に……。ただ、……他人が適当に話すことではない、と思ってるだけ……。」そう言うとカワセミは、大きく息を吐きだした。
「まぁ、知りたいなら、本人に直接聞けば。」その気があれば答えるでしょ、カワセミはそう言って退屈そうに青空を見ている。
エミリアは少しだけ目を伏せて考えた。カワセミの言葉で、それがある程度周知の事実を指す内容であること、知ることが必ずしもいい内容ではないこと、そして、どうもアイン・ザードの根幹に関わる内容であるらしいと、エミリアはなんとなく感づいていた。
「……分かりました、ありがとうございます。」エミリアは、素直にカワセミに礼を言った。
―チチチチ
暖かい日差しがほんのわずかに傾いている。この辺りは木々が多いからか、心なしか鳥の声が大きくはっきりと聞こえるように感じる。そろそろ休憩をやめて、目的の校舎の中を探索したいな、とエミリアは考えた。
「あの……、カワセミさん。」
「何。」思い切って声をかけたエミリアに対して、カワセミが返事を返す。
「さっき扉を見てましたよね?何か分かったりとかしませんか?」エミリアは草をかき分けて、校舎の前までたどり着いたときのことを思い返した。
「……あぁ。あの扉は開かないよ。」カワセミはわずかに考える素振りをした後で、淡々と事実のみを返す。
「やっぱりそうですか……。どこから入ろうか考えてるんですよね……。」エミリアはうなだれたように肩を落とした。
「でも、窓が割れている。適当な窓を開ければいい……。」カワセミは、壁に沿って並んでいる窓を顎で示した。
確かに、ガラス製と思われる窓は結構な枚数が割れている。しかも誰かが侵入するために割ったのでは、と思われる割れ方だ。少なくとも、自然に割れたものではないだろう、とエミリアは考えた。
「大人でも通り抜けられるといいんですけど。私は大丈夫だと思いますが、カワセミさんや男の子たちは通れるでしょうか……。」エミリアは隣にいるカワセミや、少し離れたところで休んでいるレイ、エレ、ディウの方を交互に見た。
カワセミは細身に見えるが、大人の男性の身長と肩幅では細い窓を通り抜けるのは厳しいのでは、とエミリアは考えた。それは、カワセミとほぼ同身長のディウに言えることだ。
「何―?何の話?」エミリアが見ていることに気づいたディウが、すっと立ち上がってこちらへとやってきて、そのままエミリアとカワセミの間にしゃがみ込んだ。
「えっと、中を見に行きたいんですが、どこから入ろうか悩んでまして。」エミリアはディウに、先ほどまで考えていたことを打ち明けた。
「あぁ、それね……。確かにきついかもしれないけど、いけなくはないんじゃない?カワセミさん関節柔らかいし~。それか、誰か一人が窓から入って、中から鍵を開けるとか?……もうすでに誰かやってそうだけど……。」ディウが扉の方を凝視しながら答えた。
「ねぇこれパドロック(南京錠)だよ!鎖で扉に引っ掛けてある!これ壊せない?」いつの間にか扉の前にいたエレがこちらに向かって叫んでいる。
「あれ?そうなの?」ディウがエレに聞き返した後、扉の方へと向かっていった。
「これ開けられるかな……。」ディウが鍵を見つめて話しているのが少しだけ聞こえてくる。
「わ、私も行ってきます。」その様子を見ていたエミリアが立ち上がると、カワセミもまた気だるそうにしながら立ち上がる。
「パドロックを壊したところで、本命が開かないと意味がない。」カワセミはそう呟くと、エミリアに続いてゆっくりと歩いて行った。




