Gloss&Scarlet
カジノ・ラビットホールにて
第1部プロローグ(ep1)直後のサブストーリーです
Lost Cityの中央部、セントラルスクエアにある地下カジノ「ラビットホール」。華やかで上品な装飾のホールに、官能的な女シンガーの歌声が響き渡る。薄汚れたバーの階段を下ってきたコート姿の男は、あまりの変化の激しさに一瞬目がくらむようなしぐさをした。カジノといえばもっと騒がしいものばかり見てきた男にとって、ラビットホールは良くも悪くもギャップが大きく感じられた。客の身なりも上質で、スタッフもよく教育が行き届いているように見える。この街の現状を思えばかなり特異的だと感心している。
ステージ上の女性シンガーは、ゆったりと腰をくねらせながらセクシーかつ情感たっぷりに曲を歌い上げている。時折どこかのテーブルから、歓喜なのか悲鳴なのかよくわからない声が上がっていても、秩序管理が行き届いているのか暴れまわる客が見当たらない。こういった場所はこの男にとっては苦手な部類に入るものだが、ことラビットホールに関しては、どうしてか少なからずいい印象を抱かざるを得なかった。
「いらっしゃいませ、お客様。お飲み物はいかがでしょうか?」セクシーだが品のあるスーツ姿のウェイトレスが、トレイに乗せたウェルカムドリンクを差し出してきた。
「あぁ、いただこう。」トレイからグラスを受け取ると、かすかに甘みのあるシャンパンの香りがする。
「いい香りだな。選んだ者はセンスがよさそうだ。」男は素直に感想を述べた。
「ありがとうございます。持ち回りの担当がいるので伝えておきますね。きっと喜ぶと思いますよ。」ウェイトレスは恥ずかしそうに微笑んだ。
温かな色味の照明のせいか、ほんのり頬が赤らんでいるように見える。担当はおそらく彼女なのだろうと男は思った。芳醇な香りのシャンパンを一口含み、ウェルカムドリンクらしい軽めの味わいを楽しみつつ、男はわずかに微笑んだ。
「すまない、マダム・アムネジアと話がしたい。彼女は今、空いているだろうか。」
「確認してまいります。」ウェイトレスが丁寧な所作で頭を下げ、男のそばを離れた後で、男はぐるりとホール全体を見回した。
ルーレットにトランプにシックボー(サイコロゲーム)、代表的ないくつかのゲームに分かれたテーブルと、少し区切られた一角にはダーツにビリヤードといったバー定番の遊戯、そして少し見慣れない四角いものを並べたテーブルゲームが見受けられる。カジノとしての規模感はこじんまりとしているものの、なかなかに個性的で娯楽の要素が強い場所だ。おそらく暇つぶしに来ている客が多いのだろうと、男は毎度のことのようにそう考えた。
「レオン・クラッド様。」呼ばれた方へと振り返ると、先ほどのウェイトレスではなく、より上質な身なりのウェイターが頭を下げて立っていた。いつも男の対応をしているフロアリーダーだ。
「あぁ。」レオン・クラッドと呼ばれた男が返事をすると、フロアリーダーは丁寧に言葉を続けた。
「マダムは現在、別のお客様の対応をしており、しばらく待つようにと申しております。よろしければカウンターにご案内いたしますので、ドリンクなどを飲まれてお待ちいただいてはいかがでしょうか。」
「あぁ。そうしよう。忙しいところすまないが、案内をお願いしよう。」レオンは慣れたように返答し、フロアリーダーの案内に従うことにした。
「お召し物を頂戴いたします。」レオンはシャンパンのグラスをフロアリーダーに渡し、コートを脱いだ。コートの下は、上質だが堅苦しくない程度のスーツスタイルだ。
「こちらへどうぞ。」フロアリーダーがレオンのコートを丁寧に受け取りながらカウンターの方を指し示す。
カウンターの人はまばらで、だいたいの客はゲームに夢中であることが分かる。座っているのは距離感の近い一組のカップルと、しんみりと飲んでいる男が一人、そしてさらに奥の方にはひと際目立つ赤いドレス姿のマダム・アムネジアと、シックだが洗練された身なりの銀色の髪の男がいた。マダムが対応している別の客とはあの男のことか、とレオンは思った。
「お客様。こちら、マダム・アムネジアからのオーダーです。お受け取りください。」レオンがカウンター席に着くと、バーテンダーがカクテルグラスをレオンの前に差し出した。
「これは。」
「コンチータです。マダムが、さぞお疲れなのではと申しておりました。」コートを仕舞ったフロアリーダーが、レオンの斜め後ろから説明をつなげた。
「痛み入る。……毎度のことながら、あなた方のマダムの気遣いには驚かされるばかりだな。」
「恐れ入ります。」低めの声でしみじみと告げるレオンに対して、フロアリーダーはより深々と頭を下げた。
「それではレオン様、私は仕事に戻りますが、何かあればすぐお申し付けください。」
「あぁ。ご苦労。」レオンは軽くグラスをあげて礼をした。
フロアリーダーは再び頭を下げると、インカムに何事かをつぶやきながら仕事へと戻っていった。レオンは手元のグラスをじっと見つめた。マダムのオーダーはコンチータ。テキーラ、グレープフルーツジュース、レモンジュースで作るカクテルだ。アルコール度数は20度と高めだが、柑橘を使用しているためかすっきりとした味わいのある白い色味のカクテルだ。カクテル言葉は「くじけないで」。レオンは少し苦笑いをして、グラスから一口味わった。
ステージシンガーはすでに3曲ほどを歌い上げ、楽器の奏者も休憩に入るためか、今は何の音楽も流れていない。もう少ししたら、別のシンガーがステージに上がり、奏者が再び音楽を奏で始めるだろう。レオンは疲れたような顔をしながら、再びグラスに口をつけた。
目を閉じ、ここ最近の仕事の忙しさへと思いをはせる。レオンは治安管理局「月影」の局長であり名誉ある立場ではあるものの、実情は酒を楽しんでいるほど暇ではない。特にここ最近は、タグなしの犯罪者の数が増え、その犯行が活発化している。最近も、月影の管理している武器庫に対して、侵入と盗みを働く者が現れたばかりでその事後対応にも追われていた。レオンは誰も見ていないのをいいことに、何度目かの深いため息をついた。
「本当にお疲れみたいね、坊や。」レオンの正面、頭上から低い女の声がした。
「あぁ、マダム。あなたのおっしゃる通りですよ。」レオンは閉じていた目を開き、女を見上げる。坊や、という呼びかけには少し恥じらいがあるものの、マダムの歴の長さを思えば当然であると納得していた。
女は男よりもはるかに背が高く、172cmのレオンが見上げるほどの長身で、赤いスレンダーなパーティドレスに、ファーのストールを身に着けていた。黒い髪に黒い瞳、真っ赤な唇でわずかに微笑んで見せたその女は、カウンター裏で椅子を引いてきてレオンの正面に腰かけた。
「これで目線を一緒にできるわね。」頬杖を突き、妖艶に微笑んで見せたその女こそがマダム・アムネジアと呼ばれる、カジノ「ラビットホール」のオーナーだった。
「バーテンダー、私にはジンフィズをいただけるかしら。喉が渇いちゃったわ。」ジンフィズはベースのジンに対してレモンジュースと砂糖、炭酸で作るカクテルだ。レオンのコンチータと同じく白みがかったカクテルが手際よく作られ、マダムの手前に差し出された。
「どうも、お心遣いに感謝します。」レオンが軽くカクテルグラスを掲げると、マダムもそれにこたえるようにグラスを掲げた。
「あるがままに、ね。」マダムはふふっと軽く笑った。
「マダムはほんとうに、カクテル言葉がお好きですね。」
「えぇ、好きよ。お酒を飲むなら、その成り立ちや込められた思いも含めて楽しまなくちゃ。」マダムの放つゆったりとした空気感に、レオンはほんの少し肩の力が抜けるのを感じていた。
「それで、月影の坊や。今夜はいったいどうしたの?遊びに来た、わけではないんでしょ?」
「えぇ、まぁ……。最近は、何かと気になることが多く、少しばかりお力添えをいただければと、思いまして……。あぁ、ラビットは元気ですか?」レオンは力なく微笑んだ。
「坊や。あなたは本当によく頑張っているわ。ほんの少し状況が悪いようだけれど、どうか気を落とさないで。」マダムは再び微笑んだ。
「あの子は今日は非番よ。あなたのところのかわいこちゃんが、時々うちの看板娘に会いに来るわ。何かと事を起こしては世話になっているみたいだけれど、若い子たちにやんちゃはつきものだもの。ねぇ、そうでしょ?」マダムは肩をすくめてレオンに答えた。
「えぇまぁ。彼らの無茶をやんちゃというのは、少し度が過ぎている気がしないでもないですが。」
「大丈夫よ。あなたはいい上司だし、頼りになる兄貴分だっているんだから、心配しないで?年を経れば、そのうち嫌でも落ち着くし、きっと寂しくなるものよ。」
「そうでしょうか。」
「そうよ。それにまだ、死人だって出してないんだし、ね。いちいち損害が大きいけれど、あの子たちはあの子たちなりに頑張ってるわよ。」マダムはどことなく投げ槍とも思えるようなフォローを重ねた。
しばらく二人で話していると、レオンの後ろを誰かがすっと通り過ぎて行った。正面のマダムがシャープな目元を細めながら軽く瞳で追いかけている。レオンもその気配に気づいて、その人物をさりげなく振り返り、一瞬視線が鋭くなった。それは先ほどマダムと話していた銀髪の青年だった。アルコールが入っているにもかかわらず、レオンは己の身が引き締まるのを感じていた。
「あの男よ。」マダムが声を潜めて目配せする。
「先ほど、相手をしていた男ですか。」
「えぇ。少しばかり気になるのよね。ここ最近顔を出すようになった金払いのいい男なのだけれど、どうもきれいな感じがしないのよね。他のお客とトラブルを起こすでもないし、むしろ関わった人たちからの評判はいいくらいなのだけど。」マダムは少し眉をひそめた。マダムの言う違和感は、レオンもなんとなくではあるが感じたところだった。
「ふむ。なんというか、表側の人間ではなさそうですね。」レオンは思案するように返答した。
「やっぱりそう思う?」
「はい。気配に隙がありませんでした。それに、なんというか、危険な香りがします。」
「現場の勘ってやつね。」
「えぇ。うまく説明はできないのですが。」レオンは少しため息をついた。
「ただ。」
「ただ?」
「こちらのデータベースでは見たことのない顔です。あれほど特徴的な人物ならば、よほどのことがない限り覚えていそうなものですが。」いつの間にか仕事の顔になっているレオンが、真剣な表情で考え始めた。
「そうよね。とんでもなく見目のいい男だし、まさしく二枚目って感じのね。身なりも上等で金の扱いにも慣れている。そんな人間が、わざわざこの街に来る理由なんて、ねぇ。」マダムはわざとらしく悪い顔をして見せた。
「ま、二枚目って言うなら、坊やも負けてはいないけど。ね?金髪碧眼のハンサムさん?」
「からかわないでください、マダム。」
「からかってなんかいないわよ。肩書を隠しているとはいえ、うちの子たちからの評判がいいもの。さっき坊やが褒めたウェイトレスの子、嬉しそうに私に報告してきたわよ。」
「あぁ、ウェルカムドリンクの。いえ、ただ事実を述べたまでですよ。」レオンは恥ずかしそうに苦笑した。
「そういうところよ、坊や。この街の子たちは褒められ慣れてなんかいないもの。わざとらしく褒められたんじゃ警戒しちゃうわ。その点坊やは素直なんだから。まっすぐ褒められたりなんかしたら、あの子たちじゃなくても喜ぶわよ。」マダムは誇らしそうに笑って、美味しそうにグラスに口をつけた。
「とにかくあの男、警戒するに越したことはないはずよ。さっきの話、実は月影の内情についてだったの。」マダムは真剣な顔でレオンに囁いた。
「どういうことですか。」レオンは思わず眉を顰める。
「分からないわ。そんなこと聞いてくる人なんてめったにいないもの。だから、思わず聞いちゃったのよ。なんでそんなこと気になるの?って。」もったいぶってマダムが笑う。
「それで、彼はなんと?」
「ただ単に、気になったから、ですって。」
「気になったから?」
「えぇそう。あの男、いつもは女の子ばかり追いかけているように見えたのだけど、何でかしらね?彼のIDを見る限りでは、ある程度身分の高い人間のようだけれど、何かリンドウちゃんから聞いてたりしない?」
「いえ、まだマスカレイドには行っていないので、何も。」確かにあのカフェ&バー・マスカレイドの店主リンドウならば、何か知っていてもおかしくはないと思いながらも、レオンは再び難しそうな顔をした。
「そう。なら、早いうちに顔を出してみてね。月影ならもう知ってると思うけど、最近女の子たちを狙ったシリアルキラーがいるみたいじゃない。いろんな事件が同時に起こるから、てんやわんやしてるんじゃなくて?」マダムは静かに微笑んだ。
「そうですね。新人教育が終わりに近づいているとはいえ、まだまだ実践には慣れていないものも多いので。それに……。」レオンは苦しそうにため息をついた。
「坊や、それはあなたのせいじゃないのよ?気に病まないで。大丈夫。できることからやればいいの。」マダムはなだめるようにレオンの肩に手を置いた。
「いえ、そうなんですが……。やはり力不足を痛感します。戻ったらまた仕事をしないと。」よく見ると、レオンの目には軽くクマがかかっているようだった。
「事情は分かるけれど、働き過ぎはよくないわ。それに、坊やが倒れては、元も子もないでしょう?」マダムは心配そうにレオンの顔を覗き見た。
「えぇ、そうですね。ありがとう、マダム。」
「どういたしまして。それじゃ、また何かあったらいらっしゃい。気を付けて帰るのよ。」
レオンはグラスの残りを飲み干して席を立つ。空気を読んだフロアリーダーが、レオンのコートを差し出した。
「ありがとう。」
「いえ。またお越しくださいますと幸いです。」フロアリーダーは深々と頭を下げた。
コートを着たレオンがカウンターを振り返ると、立ち上がったマダムが軽く手を振っていた。レオンはコートの前を立てると、軽く礼をして外へと続く階段を上る。表の寂れたバーへと戻り、外へと続く扉を開けると、冷たい風が身を包む。レオンの吐く息は白く、あたりを照らす月明かりすらも、彼の心を慰めはしない。そうしてレオンは再び仕事をするために、ルミナスイーストへの道を一人で帰っていくのであった。
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