18.タイロ山
当たり前だが、タイロ山は見事な禿げ山だった。
砂漠の中の岩だらけの山は、しかし、リリアの父『疾風のモーリス』の描いた地図によれば、地下に豊富な水を貯えているらしい。
「これだけの水を、あの強突く張りのメンデスは一人で独占してる。それだけじゃない。住人に水を高値で売り付けてるのっ」
汚いものでも吐き出すように、リリアは言った。
朝が早かったせいか、まだ他の冒険者の姿は見えない。タイロ山の登り口と冒険者協会は、それこそ目と鼻の先である。
それでも、砂漠の国サスワットの横断で、樹達はこの地の熱さを嫌というほど知らされたので、陽があるうちは外套のフードをしっかり着用している。
「確かに、水の香りはします」整備されているとは言え、結構でこぼことした岩を踏みながらトーリが呟く。
トーリは、黒の衣装の上に黒い薄布の外套を纏っている。透けて見える白い二の腕が目の毒で、振り返る度に樹は故郷の妻に「ごめん」と詫びた。
「しかし、これだけ水が香っているのに山に草の一種類も無いのは、不可思議です」
「まだ魔王の瘴気が残ってるためじゃないのか?」
このクソ暑さで一度は懲りているはずなのに、まだ正騎士の鎧を脱がない頑固者のアレクの指摘に、トーリは「さあ……」と曖昧に返す。
「すっ、水源の位置が、深すぎるため、ではないでしょうか?」
白い外套をしっかり身体に巻き付け樹に並んだエステルが、初めてのブーツに歩きづらそうにしながら言う。
色気のかけらも無い白コウモリかトウモロコシかのようなナダエの巫女の姿に、樹は心中でがっかりしつつ、言った。
「どっちにしても、雨があんまり降らないんなら雑草だって生えねえよ」
岩山に生える草木は、僅かな土に雨が染み込まなければ芽が出せない。乾燥し切ったサスワットで、雨の日数がどれほどあるのか。
樹の言葉に、リリアが「そうね」と頷いた。
「ニルヴァは、メンデスが押さえているタイロ山の地下水以外、殆ど水が無い。冬が雨期で、たまにもの凄い大雨が降るの。その水を、『失敗者の街』の人達は井戸に溜めるの
よ」
「けど、それだけじゃ一年間は保たないだろう?」重いソールレットを装着した足が小石を砕く音を響かせつつ、アレクが訊いた。
「そう。だから、足りなくなって来た時には、みんなでこっそり貯水池へ水を盗みに行くの」
「メンデスの配下に見つかったら、大変なことになるのではないですか?」
尤もだと思い、樹が振り向く。トーリは、心配そうに赤毛をおさげに編んだ娘の横顔を見ている。
「まあね。……でも、首長の手下っていっても、みんながみんな、首長をよく思ってる訳じゃないもの。見つかった時は、ちょっとだけ酒代を渡して、見なかったことにして貰ってるの」
下の役人に賄賂が効くということは、メンデスは首長としてまともな統治はしていないな、と樹は踏んだ。
となると、タイロ山の罠も、こちらの出方次第では案外穏便にカルカトーリを渡して貰えるかもしれない。
あれこれ思案しているうちに、樹達はタイロ山の迷路の入り口前へ来ていた。
「いよいよだな。わざと罠に入ったんだ、ここで擦り抜けられれば勇者として順調に成長している証となる」
「分かってるってっ」樹は、苛ついて言い返した。
定石通り、まずは入り口のすぐ右手の岩に身体を寄せ、中をそっと窺う。
目を凝らして洞窟の奥を見る。入り口から、目算で約20メートルで左に曲がっている通路の壁に、ランタンだろうか、微かに明かりが反射している。
「……居るな」
「どの辺りだ?」アレクが、樹の脇と岩の間からするっ、と頭を出す。
腰にミスリル銀製の篭手を着けた腕が回された時、ふわっ、と甘い匂いがし、樹はど
きりとした。
男勝りで勇猛果敢でも、アレクは女だ。
重装備の中に隠れている、筋力はついているもののやはり女性らしい細さの腕や、胸の膨らみから腰回りに流れる曲線を思い出して、かあっと頬が熱くなる。
外身は十七歳でも中身は四十路間近のオヤジなのだから、これしきでオタついててどうする、と自分に言い聞かせる。
が、どうも男としての欲求は外身に引っ張られているようで、あらぬ所にも影響が出そうになり、樹はけしからぬ妄想を打ち消そうと頭を振った。
「何をしているんだ?」明らかに挙動不審な樹を、アレクが金の目で訝しげに見上げる。
「あ、いっ、いや……、何でも……」
声がうわずってしまい、これはバレた、と樹は確信する。案の定、アレクは人の悪い笑みを浮かべて揶揄した。
「私の身体にふしだらな関心を持つのはいいが、あらぬ夢想を実行に移そうとするなら、腕の一本は確実に無くなると思えよ」
国を護る正騎士の威勢に、樹の下心は一挙に萎んだ。
「……アレクに手を出そうなんて、ぜってー、思わねえよっ」
「賢明だ」
しばらく中を窺った後。
樹達は足音を立てないよう用心しながら洞窟へと入った。
左へ曲がる辺りまであと半分という場所で、一旦止まる。
「……バレてる気がする」ふと、リリアが呟いた。
「なんで?」樹は、最後尾の赤毛の少女を振り返った。
「冒険者は、モンスターの気配や別のパーティの動向に敏感です」トーリが言った。
「ましてや盗賊は、捕まるリスクの高い宝物を狙います。ので、冒険者以上に人の気配には敏感なはず」
「そう」リリアが頷く。
「父さんも言ってた。常に自分の周りの気配に気を配っておけって。けど、奥の連中はこっちがこんなに近くに来てるのに、気が付いてない……」
「単にニブいだけじゃね?」樹は、そこまで神経を尖らせる問題か? と受け流す。
しかし、リリアとトーリだけでなく、アレクとグレイスも向こうが感付いている、と主張した。
「奴らは、多分こっちが行くのを待ってるな」
「だったら、コソコソ行かねえで堂々と乗り込もうぜ」
気が付いているのなら、さっさと行って交渉するなり一戦交えるなりしたほうが手っ取り早い。
先に進もうとした樹を、アレクが捕まえた。
「って!! なにすんだよっ」外套の後襟を掴まれて、樹はたたらを踏む。
「ほんっとに懲りん奴だなタツキはっ」
アレクは、薄闇でも分かるほど金の目を釣り上げ、小声で怒った。
「こちらがここに居るのがバレているということは、無防備で奴らの前へ出れば即座に攻撃されるということだっ」
「とっ、飛び道具や魔法への対処をしてからでないと、敵に姿を見せるのは、危険です」
エステルは素早く印を結ぶと、自分を含む全員に掛かるよう、神聖魔法の魔法防御結界を唱える。
トーリは手振りで、古代呪術の物理防御結界を皆に掛けた。
「行くぞ」アレクが樹の肩を追い越す。
「結局、自分だって逸ってるんじゃねえか」
「自分と私を一緒にするなっ」振り返り、低音で唸ったアレクに、樹は目線で抗議した。
「じゃれるのもいいけど、魔法効果が切れる前に決着をつけなきゃ、なぁんにもなんないわよ?」
グレイスにからかわれ、樹とアレクは一度レン族の弓使いを同時に睨み付けると、足早に通路の先へと向かった。
******
通路を曲がると、果たして数人の男達がたむろしていた。
「やっと来やがったかっ!!」
真ん中に立った、やや額が広めになった濃茶の髪の男が、銅鑼声を張り上げた。
「で? 先頭の金髪のお嬢ちゃんが勇者か?」
にやつく男にアレクが、「生憎、私ではない」と冷静に返す。
「勇者は彼だ」
顎で示されて、樹はむっとしながら前へ出る。
「へえ。またずいぶんと若い兄ちゃんだな。そんな女みたいな細っこい腕で、魔王を殴り殺せるのかぁ?」
男の揶揄に、他の荒くれ者達が下卑た笑い声を立てる。
「んなのは、やってみなけりゃ分んねえだろうがっ!!」
歯を剥いた樹に、男達はますます笑う。
「おーおー、威勢だけはいっちょまえだ。そう言うなら、ひとつ剣の使い方を教えてやろうか?」
「待って下さい」トーリの、低い金属的な声が、樹と男達に割って入る。
「メンデス首長のご令嬢は何処です? あなた方の中にはいらっしゃらないようですが?」
「ああ」と、男は少しだけ顔を引き締めた。
「首長の大事なお嬢様は、こちらにいらっしゃるぜ。——ほら」
並んで立っていた男達が左右に開く。彼らの後ろには、一部が棚状にやや高くなっている壁があった。
棚の上には、両腕を背中で縛られ、猿轡をされた、ほぼ裸の少女が横たわっていた。
ぐったりとした少女は、長い黒髪を棚の下へ垂らしたまま、ぴくりとも動かない。
樹は、恐らく暴行されたらしい少女の姿に一挙に怒りが込み上げる。
「おまえら……っ!!」
ぎりり、と歯を噛み合わせ、絞り出すように唸った樹に、男達は下卑た笑い声を立てた。
「女がいりゃあ頂くのが男だろうが。結構いい味だったぜ、首長のお嬢ちゃまは」
男達の笑い声が一段と高くなる。
樹と同じく怒髪天を突いたアレクが、剣帯に手を伸ばした。
その手を、グレイスが何故か止める。
「その娘、メンデスの娘じゃないって」小声で、アレクと樹に伝える。
振り向こうとした二人に、グレイスは「そのまま聞いて」と言う。
「リリアが、アリア嬢の顔を知ってたの。あの娘は違うって。——多分、こいつらは金で雇われた盗賊ね」
「……考えればそうかもな」アレクが、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「カルカトーリも大事だが、親としては子供のほうがもっと大切だ。こんな連中と一緒に、令嬢を探検者の洞窟に行かせるわけがない」
「と、いうことは、ここにカルカトーリがあるという確率も低いですね」と、トーリ。
「ちっ、地図はっ、ここを示していましたけど……」エステルが言い掛けた時。
「なあにごそごそ言い合ってるんだよ、勇者様?」
先刻から喋っている、リーダー格の男が鋭い視線を向けて来た。
「もしかして、逃走の相談か?」
「あ? 誰に向かってんなことほざいてんだよっ!!」
樹は柄に手を掛け、一歩前へ出る。
「今から全員ぶった斬ってやっからっ、覚悟しろっ!!」
「ははははっ!! 残念だがそりゃムリだな」リーダーが左手の親指を立て、くるりと下へ向けた。
途端。
樹達の足下の岩が忽然と消えた。
「え?」
「なっ?」
「魔法の仕掛けかっ!?」
アレクが叫んだ言葉に、リーダーの男が「その通り」と笑う。
盗賊共の大笑いを聞きながら、樹達は真っ暗な落とし穴に落ちた。
久しぶりに「勇者だ。悪いか」を更新しました。
やっ、やばい……
話を一部忘れてました__;;)
作者失格です……