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探さなくていい

 音は、遅れて来た。

 軋みは聞こえていた。

 けれど、崩れるとは思わなかった。

 天井が落ちる。

 視界が白く弾け、次の瞬間には地面へ叩きつけられていた。


 息ができない。

 吸おうとしても、空気が入ってこなかった。

 冷たすぎて、喉が焼けるみたいに痛い。

「……っ、」

 声にならない。

 体が動かなかった。

 右足がどこかに挟まれている。

 引こうとしても、びくりとも動かない。

 崩れた天井の隙間から、雪が落ちてくる。

 静かに。

 ゆっくりと。

 頬へ触れ、すぐに消えた。

 誰も来ない。

 分かっていた。

 こんな場所に、人は来ない。

 呼ぶのもやめた。

 どうせ届かない。

「……もう、いい」

 力を抜く。

 その方が楽だった。


 足音がした。

 雪を踏む音が、少しずつ近づいてくる。

 すぐ近くで止まった。

「……生きてるか」

 低い声だった。

「動くな」

 短い声と同時に、手が伸びてきた。

 触れられた指先は冷たい。

 けれど、迷いはなかった。

 瓦礫が軋む。

 何かを刻む音。

 淡い光。

 押し潰されていた重さが、少しだけ軽くなる。

「……終わるな」


 あの時の声だけは、今でもはっきり覚えている。


―――


「ノア、それ、まだ触るな」

 後ろから声が落ちてきた。

 ノアは手を止め、軽く息を吐く。

「大丈夫でしょ、これくらい」

「やめとけ」

「いや、いけるって」

 言いながら、机の上の魔道具へ手を伸ばした。

 小型の照明具だった。

 古い型で、刻印が擦れている。

 ノアは指先で線をなぞり、刻針を取り出した。

 消えかけた部分へ、細く刻みを足していく。

 一瞬、光が安定した。

「……ほら」

 そう言った直後だった。

 光が跳ねる。

 次の瞬間、刻印が弾けた。

「っ、」

 指先が弾かれる。

 焦げた匂いが、小さく広がった。


「……危な」

「言っただろ」

 ノアは顔を上げた。

 ディオンは壁にもたれたまま、こちらを見ている。

 表情は変わらない。

 無愛想で、言葉も少ない。

 けれど、危ない時だけは必ず止める。

「壊れるの、分かるの早くない?」

「劣化してる」

「見ただけで?」

「分かる」

 それだけ言って、ディオンは視線を外した。

 ノアは少しだけ黙り、それから肩をすくめる。

「まあ、いいけど」

 机の上の照明具を見下ろした。

 刻印の一部が焼け、さらに崩れている。

 さっき刻み足した程度じゃ足りない。

「これ、直したら売れると思うんだよね」

「無理だ」

「いや、いけるでしょ」

「三日で壊れる」

「じゃあ二日分は使えるじゃん」

 ノアが言っても、ディオンは何も返さなかった。

 肯定もしないし、否定もしない。

 ただ視線を落としたまま、黙っている。


 静かな工房だった。

 刻針の音だけが、淡々と響いている。

 壁際にはディオンがいる。

 喋らなくても、そこにいる気配だけは分かった。

 ノアは、その空気が嫌いじゃなかった。


 ノアは焼けた刻印を見つめる。

 助けられてばかりだな、とふと思った。

「……師匠さ」

 刻針を置きながら呼びかける。

「なんで拾ったの、私のこと」

 軽い調子だった。

 少し間が空く。

 ディオンはしばらく何も言わなかった。

 それから、

「覚えてない」

 とだけ言った。

「嘘でしょ」

「忘れた」

 ノアは少し吹き出す。

「適当すぎない?」

「問題ない」

「いや、問題あるでしょ」

 返しても、反応はない。

 視線も向けない。

 それで会話が終わる。

 いつも通りだった。

 ノアはそれ以上追わなかった。

 どうせ聞いても、答えは返ってこない。

 それも分かっている。

 でも。

 忘れていても、助けてくれたことだけは覚えていた。

「……まあ、いいけど」

 小さく呟き、作業へ戻る。


 刻針の音だけが、静かに響く。

 こういう時間が、ずっと続くと思っていた。


―――


 翌日。

「……師匠?」

 返事はなかった。

 ノアは刻針を持ったまま顔を上げる。

 いつもなら、この時間にはいる。

 壁際か、窓の近くか。

 どこかには。

 でも、いない。

「……外?」

 軽く呟いてみる。

 返事はない。

 別に、珍しいことじゃなかった。

 そう思い、そのまま作業へ戻る。


 少しして、手が止まった。

 静かすぎる。

 いつもなら気配がある。

 何かしていなくても、そこにいる感じがあった。

 それが、ない。

 ノアは立ち上がった。

 工房の奥を覗く。

 いない。

 外へ出る。

 風が強かった。

 周囲を見回す。

 どこにもいない。

「……は?」

 小さく呟く。


 部屋へ戻り、もう一度中を見る。

 荷物は、そのままだった。

 よく使っていた道具も置かれている。

 持ち出した形跡がない。

「いや……」

 おかしい。

 出かけたにしては、何も持っていない。


 机の上に、紙が一枚だけ置いてある。

 見覚えのある筆跡だった。

 短い。


『探さなくていい』


 ノアは、その紙を見たまま動けなかった。

 呼吸が、少し遅れる。

「……は?」

 もう一度、小さく声が漏れる。

 意味が分からない。

 置いていかれるなんて、思っていなかった。

 紙を握る。

 ぐしゃりと音が鳴る。


「……いや、探すしかないでしょ」

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