10.想いのつながる先へ
「――気がついたか?」
あれ?
「――ンッ!」
眩しい。
そして。
「お義兄さま……?」
目覚めたわたしの傍らに義兄。
これで二度目だ。
けど。
(なんだろう、ホッとする)
以前は驚いてばかりだったけど、今日は心が緩む。
「辛いところはないか?」
「大丈夫よ」
言って、モソモソと身を起こす。
以前は、わたしが寝ていたのはわたしの居室だったけれど。――ここはどこ?
知らない部屋。見慣れない景色。
「ここは、王宮の僕の部屋だ」
「王宮っ!?」
ここ、王宮なのっ!?
「あんな状態の君を家に連れ帰ったら、かえって父上を心配させてしまうからね」
それは……確かに。
(だから、ドレスのままなんだ)
ここなら、着替えはないだろうし。
軽く身じろぎしたら、ドレスの下にコルセットがあることがわかった。着替えできないから、そのままの恰好で寝かされていたらしい――って!
「ごめんなさい! 寝台っ!」
道で転んで汚れたドレス。そんなドレスで横になってたりしたら、寝台が汚れちゃう!
「いいよ」
慌てて寝台から飛び起きたわたしを、義兄が制する。
「ここに運んだのは僕なんだし。シーツぐらい、洗えば問題ない」
そ、それはそうなんだけど。
申し訳ないから飛び降りようって気はそがれたけど。
(うう。居心地悪い)
ここが義兄の使ってる寝台だと思うと。おしりの辺りがムズムズと座りが悪い。
「――申し訳なかった」
「え?」
寝台の傍らにある椅子に座ったまま、義兄が頭を下げた。けど、なにが申し訳ないの?
「あの、君の姉、アヤナ・ゼールが君と接触を図ろうとしていたのは知っていた」
当の本人でもあるわたしは知らなかったのに?
王宮に詰めていた義兄は知っていたというの?
「サウラたちから報告があった。君の姉と名乗る女が、屋敷に何度も訪れていたと」
「え――」
言葉が出ない。
お姉ちゃん、そんな何度も訪れていたというの? あの家に?
「もちろん、伯爵家とは何の関わりも持たせなかった。怪しいヤツとして追い払っていた。君の外出に侍女をつけるようにしたのも、そのためだ」
わたしがお姉ちゃんと接触しないように。
令嬢だから、出かけるときに侍女を連れていくのは当然。なんだけど、それ以外の意味も含まれていたらしい。
だからあの場で、侍女は義兄に助けを求めに走って行った。家よりも王宮の方が近かったこと、義兄ならわたしを護ってくれることを期待して。
とっさにその判断ができたのは、予め自分にそういう役割があることを、あの侍女は知っていたのだ。
実際、義兄は駆けつけて、わたしをこうして助けてくれた。
「ありがとうございます」
そこまで気にかけてくれていて。
「いや。君がそんな状態なのに、一人で帰してしまった、僕の落ち度だ」
そんなことない。
思うのに、義兄は深く頭を下げて謝罪をくり返す。
「――君に貰ったハンカチがうれしくて。つい、失念して、気を緩めてしまった」
(え?)
驚き、目を何度もしばたかせると、そっぽを向いた義兄が、コホンとわざとらしい咳払いをした。
「少し、昔話を聴いてくれないか?」
ちょっと頬を赤くして、義兄が座り直す。
「いいわ」とも「嫌よ」とも言えず。わたしも聴く体勢を取る。
「僕のことだ」
軽い前置き。
「ノエル。君は、僕の素性について、どれだけ聴いている?」
アンタの素性?
「えっと。お父さまの親戚で、お父さまの父親の弟の妻の実家の兄の娘の嫁ぎ先の夫の兄の孫だって……」
覚えてる順番、間違ってないよね?
「そうだね。僕の祖父の弟の妻の兄の妹の夫の兄の子。それが父上だ」
えーっと。
逆から辿るとそうなるのかな。
兄、弟、妻。入り乱れて大混乱。
「――これを見て」
「ちょっ、えっ!?」
いきなり服を脱ぎ始めた義兄。
スルスルと上着を脱ぎ始めて――
「大丈夫。腕を見せるだけだから」
見せるだけって。
左のシャツをまくり始めたけど。
「え――」
絶句。
袖口、手の甲ではわからなかったけど、これって。
「火傷……の痕?」
声がかすれた。
袖をすべてめくってくれたわけじゃないから、全容はわからないけど。それでも、白い手の甲と違って、その腕は、大きく赤く焼けただれた痕があった。
「酷いものだろ?」
「う、うん……」
酷いなんてものじゃない。痛々しい。
いつの間に、こんな傷が……。
「これはね。僕が実の父からつけられたものなんだ」
「実の……父?」
父親が? こんな火傷を?
「僕の実の父は、気に入らないことがあるとすぐに手をあげる人でね。お茶を淹れようと沸かしていた湯を、首から肩、この腕にかけてぶちまけられたんだよ」
「――――っ!」
口を押え、息を飲む。
「まあ、虐待はそればかりじゃない。殴る蹴るはいつものことだったし、酷く罵られるのも当たり前だった」
「そんな……。お母さまは、家族はそれを止めなかったの?」
「止めないよ。そんなことしたら、次に暴力を受けるのは自分だからね」
「だからって……」
我が子がそんな酷い暴力を受けているのに、助けもしないなんて。
それじゃあ、義兄は生贄じゃないの。暴力から自分を守るための犠牲。
「僕が親から虐待されていること。どういう伝手なのか、遠い親戚、他人ともいえる子の状況を父上はお知りになった。そして、ご自身の跡継ぎにするためと言う理由で、僕を引き取ってくださった。ちょうど君が行方不明で、奥様もお亡くなりになっていて、跡継ぎが必要なのは本当だったしね」
お母さまが亡くなられて。
家を継がせるのに必要な実子は、誘拐されて行方不明。
再婚する気のなかったお父さまには、跡継ぎとなる子が必要だった。
その状況を利用して、虐待されていた義兄を我が子として迎え入れた。
「僕は、父上に引き取られて、初めて家族の愛というものを知ったよ」
話しながら、シャツを元に戻していく。
「最初は、この遠縁の伯爵に気に入られようと努力したものだけど。結果として、そういうものはなしに、僕が失敗しても何しても、父上からかけられる愛情に変わりはなかった」
クス。
その言葉に、わずかだけど笑いがこぼれた。
お父さまらしい。
お父さまは、愛溢れる、愛の塊のような人だ。
わたしに対してもそうだけど、この義兄に対しても同じだったらしい。
「でも、そうやって父上の愛情を受けるようになって。逆に怖くなったんだ。この人を失ったらどうなるんだろうって」
「失う?」
「君が見つかったと聴いて。君という本当の子が戻ってきたら……。僕は用済み、要らない子になってしまうんじゃないかって……」
実子のいない寂しさを、養子の自分をかわいがることで埋めていたのだとしたら?
与えられていた愛情は、すべて実子に注がれるようになったら?
一度知った、愛情を向けられる喜びを失うことへの恐怖。
(わからないでもないわ)
もし、わたしが同じ立場だったら。
お父さまが別の誰かをわたし以上に愛するようになったら。
考えるだけで、心臓が鷲づかみされたような息苦しさを覚える。
「それで、君に辛く当たってしまった。本当にすまない。僕が未熟だったせいだ」
「そんなこと……」
ひとたび与えられた愛情を失うことを恐れるのは、未熟だからじゃない。誰だって起こりえることよ。
手を伸ばし、俯いてしまった彼の手をギュッと掴む。
「まあ、それからも僕は、君と父上が親子らしく親密にしているところを見たくなくて、勉強にかこつけて、家に帰らないようにしてたんだけどね」
やっぱりそうか。
ずっと帰ってこない、学校には長い休みもあるっていうのに、それでも帰ってこないっておかしいとは思ってたのよ。学校卒業しても、そのまま王宮に詰めるようになっちゃうし。
まあ、「いなくてせいせいする」って方が大きかったけど。
「でも。僕が家に寄りつかなかったのは、それだけが理由じゃなかったんだ」
――え?
ちょっ!
彼の手を握っていたわたしの手。
なぜかその手を握り返される。
そして、わたしを捕らえる鮮やかな深く青い目。
「ノエル。僕は君が好きだ」
「――え?」
「あの舞踏会の日。僕は君にあった時、あの時からずっと君が好きだったんだって気づいたんだ」
「え? ちょっ、ええっ!?」
ビックリ。
アンタが? わたしをっ!? すっ、好きっ!?
意地の悪い義兄じゃなかったの?
下町育ちのわたしをバカにして。
舞踏会につき合ったのも、お父さまの命令があったからで!
そっ、そそっ、それを、好きっ!?
「学校にいたころ。いつも父上から届く手紙には、必ず君のことが書かれていた。君が父上に刺繍を贈ったこと。君が父上と出かけたこと。当たり前の親子の日常なのに、それを読んで、なぜか心がムカムカしていた。父上を君が独占していることが妬ましいのかと思ったけど。あの舞踏会で、それが間違いだって気づいたんだ」
間違い?
「僕は君が好きで、好きで。たとえ父上であっても、君と仲良くしているのが気にくわなかったんだ。そして、それをうれしそうに報告してくる父上に嫉妬していた」
「えええっ!?」
しっ、嫉妬っ!?
「あの舞踏会。君と踊った時は最高の気分だったのに。君の姿が消えて、胸を掻きむしりたくなるほどの焦燥感を覚えた。バルコニーでページ卿といるのを見つけた時には、頭がどうにかなりそうなほど嫉妬した。卿に殴りかからなかっただけ良かったって思ってる」
「ほ、本気で言ってる?」
「本気だよ」
「か、家族として……じゃなくて?」
「悪いけど、家族としてじゃない」
ニッコリ笑って。
でも、どこか寂しそうな顔をして、スルリとわたしの手を離して立ち上がった彼。
「……気持ち悪いよね」
わたしに背を向け、彼が言う。
「いきなりこんなこと告げられても困るだけだろうし。――忘れてくれ」
後半、何かを吹っ切るように明るく言った。
「いや、忘れるって……」
呆然と、その背中を見つめる。
ものすごい告白をしておいて、忘れろと?
上も下もなにもわからないぐらいの衝撃なのに。忘れろと?
「さて。帰りの馬車を用意させるよ」
ンーッと、伸びをした彼。
何事もなかったかのように、スタスタと扉に向かって歩いていくけど。
「――待ちなさいよ!」
バッと上掛けをはねのけて、寝台から降りて追いかける。
なに、勝手に告白してなかったことにしてるのよ!
こっちの返事も聴かないで!
告白されたこっちの気持ちも考えないで!
何を勝手に――
「うわっ!」
「ノエルっ!?」
はねのけたはずの上掛け。
それがドレスで隠れてる足に引っかかって――こける!
「……危なかったぁ」
床まであと少し。顔から激突のすんでで、ガシッとわたしの体を受け止めてくれた彼の腕。
受け止めた彼と、受け止められたわたしと。
二人で同時に、安堵の息を吐きだす。
「――って! そういう場合じゃないのよ!」
気を取り直して、仕切り直し!
「何を勝手に告白して、勝手になかったことにしてるのよ!」
「ノエル……」
「わたしはね! アンタのさっきの告白っ! 驚いたけど、うっ、うれしいって思ったんだから!」
感情が迸った。
「アンタの話を聴きながら思ったの! わたし、なんであんなに意固地になって、一生懸命令嬢らしくなろうってしてたのかって!」
そこまで言って、一旦気持ちと声を落ち着ける。
「今、わかったわ。わたし、アンタのことが好きだったの」
「ノエル……」
「アンタに初めて会って。わたし、アンタを素敵だなって思ったの。だから、そんなアンタにバカにされたくなくて、見返したくて、それで。それで、わたし……」
言いながら、素直じゃなかった感情が一本の道のようにつながっていく。
どうして、わたしが完璧な令嬢を目指したか。
それはこの義兄に認めてほしかったから。
ただその感情が、負けん気から来ているのか、好きだからだったのか。幼かったから区別がついてなかっただけ。
あの舞踏会で、どうしてあんな不機嫌になって外にでたのか。
あれは、わたし以外の女性と踊っている義兄の姿を見ていたくなかったから。
だから。
だから、お礼とか贈り物と口実作ってでも会いたいなって思えたし、会えてうれしかった。
今も告白されて、最高に幸せで、もう死んじゃってもいいぐらい幸せだと思ったのに。
それを、なかったこと扱いするの? 告白した本人が?
「僕は、バカだったんだな」
わたしを受け止めた格好のまま、わたしといっしょに床に座り込んだ彼が言う。
「そうよ、大バカよ」
それはわたしも同じ。
告白されるまで。自分の気持ちに気づけていなかったのだもの。
どっちもどっちの大バカ兄妹よ。
彼の手がわたしの頬に触れ、流れ落ちた涙を指で払う。
拭われるまで、泣いていることに気づかなかった。
これは、うれし涙。
思いが通じた喜びの涙。
「ノエル……」
彼がわたしの名前を愛おしそうに呼ぶ。
それだけで、また涙があふれてくる。
そして。
「セシュレイ……」
生まれて初めて、大好きな人の名を呼ぶ。
義兄じゃない。わたしのとっても、とっても大切な、大好きな人の名前。
彼の整った顔が近づいてくる。
その理由をわかっているわけじゃないけど、そっと目を閉じたら、唇に熱く唇が重ねられた。
最初は羽が触れるぐらいの優しさで。次に、ついばむように。
そして、長く、しっとりと。互いの熱が溶け合うまでに。
(うれしい――)
唇を重ねたことで、よりシッカリと、よりハッキリと気持ちを理解する。
わたし、セシュレイが好き。セシュレイが好きで好きでたまらない。
固まり、満ち溢れていく感情を抑えきれず、彼の首に腕を回す。すると、彼の腕がわたしの腰を抱き寄せ、そしてまた熱く強く唇を重ねられた。
*
「あー、でも。どうしようかなぁ……」
たくさんキスをして。
高ぶっていた感情の嵐が落ち着いても、わたしを抱き寄せたままの彼が呟いた。
「父上に、なんて話そう」
彼が気にするのもわかる。
義理とは言え、兄と妹がこういう関係になったと知ったら。お父さま、どんな顔なさるかしら。
「殴られる覚悟、しておいてね?」
「う~。やっぱりそうなるかなあ……」
「そりゃあ、お父さまの大切な娘に手を出したんだもの。覚悟、必要じゃない?」
クスクス笑いながら、困り果ててる彼をからかう。
わたしとセシュレイが結ばれる。
きっと、お父さまはそんなことで怒ったりしない。
むしろ、祝福してくれる気がする。
だって、わたしがセシュレイと結婚なんてなったら、大切な愛娘を手放さなくても済むんだもの。そして、大事な息子も結婚してくれて。
お父さま、諸手を挙げて大喜びよ。
「がんばってね、セシュレイ」
今のわたし、幸せすぎて、ちょっとだけ意地悪。




