1.オニーサマとの出会い
「さあ、着いたよ。ここが君の家だ」
そう言って、いっしょに馬車に乗っていたオジサン――じゃなかった、オトーサマが扉を開いてくれた。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言って、先に降りる。
(覚えている限り)人生初めての馬車。
馬車ってのは、道を歩くとき、轢かれないように気をつける乗り物であって。自分が乗りこむものじゃなかった。そして、轢かれたら大けがどころじゃすまない怖い外見と違って、中はフカフカの椅子があって、歩くよりも早く動いて。とにかく、ワクワクするものだったのだけど。
「わあっ……」
それよりももっと大きな衝撃。
目の前にある、大きな、大きな、とっても大きなお屋敷。
そして。
「お帰りなさいませ。旦那様。お嬢様」
入口から外へ。
ずらっと並んだ、たくさんの人。人。人。
「旦那様」は、わたしの後ろからついてくるオジサン、オトーサマのことだとしても。「お嬢様」は? ――わたしのこと?
驚き、確かめたくてふり返ると、オトーサマが「そうだよ」と軽く頷いた。
わたし、ノエル。
お父さんとお母さん、それとお姉ちゃんと四人で暮らしていた。
家族のためだからと、洗濯したり、掃除したり、売り物になる刺繍をしたりしていた。
けど、それがうまくいかないと、「お前のためだ」と叱られ、ぶたれ、罰だと言って、顔の映りそうな薄い粥すらもらえなくなって、寒く冷たい部屋に押し込められたりもした。
それが普通の「家族」の暮らしなんだと思っていた。
けれど。
――やっと見つけた! ノエル!
ある日突然、オトーサマがわたしの家に来た。
わたしはオトーサマの子で。
オトーサマは「ハクシャクサマ」で。
オトーサマの子、ノエルは、三歳のころに誰かに誘拐されていなくなっていて。そのノエルを、オトーサマはずっと捜していて、やっと見つけたのがわたし……なんだって。
――ノエル違いじゃないですか?
ノエルはノエルでも、わたしはグズでノロマなノエルですよ?
立派な服を着たオトーサマの娘のノエルじゃありませんよ?
わたしの家族は、お父さんでお母さんでお姉ちゃんだよ?
わたしがダメなところは叱って殴ってくれる、わたしのことを思ってくれる家族だよ?
そう言ったら、オトーサマはとても悲しそうな顔をして。
――これが、君が私の娘である証拠だ。
わたしの服の袖をめくった。
オトーサマが見せたのは、わたしの左手首のあたりある、不思議な形の痣。
――これは、ノエルの印だ。
印? これが?
お父さんたちには、気味悪がられていたのに?
――こんなに大きくなって。
オトーサマが愛おしそうに印を見つめ、手のひらで撫でる。
――印はね、かわいく、小さくて、「まるで天使の羽のようだ」と妻と言ってたんだよ。
天使の羽?
妻? ――奥さん。オカーサマ?
――どれだけ成長して姿が変わっても、この印だけはわからない。私の愛しい娘の証だ。
そうなのかな?
何度も撫でられても、「そうなんだ」とは思えなかった。
お父さんもお姉ちゃんも気味悪がっていたし。お母さんにはこの痣のせいで「できそこない」ってぶたれていたし。
――君はできそこないじゃない。
そう言って、わたしを抱き上げたオトーサマ。
最初は「ストルーエンハクシャクサマ」って言ってたけど、わたしを抱き上げた時、「これからは『お父さま』と呼んでくれないか」と言い出した。
だから、オトーサマと呼ぶ。
そんなわたしを、こんな立派なお屋敷に連れてきたオトーサマだけど。
「まあまあ! お帰りなさいませ、旦那様。お嬢様!」
開いた扉から飛び出してきた、ふくよかな体のとってもふくよかな胸の女性。
「よくぞ、お帰りくださいました」
わたしとオトーサマの前にくると、目に涙まで浮かべ始めた。
(この人が、オカーサマ?)
オトーサマといっしょに、わたしの痣を愛しんでくれた人?
「サウラ。悪いがノエルの風呂と着替えを。それから食事も頼む」
「はいはい。ご連絡いただいて、すべてご用意しておりますよ」
サウラさん? がオトーサマに答える。
そして、優しく温かく、丸っこい手で、わたしを屋敷の中へ入るように促すけれど。
「大丈夫だ。サウラは、この屋敷を長く取り仕切ってくれている家政婦長だ。ノエルの面倒を見てくれる、いい人だよ」
戸惑うわたしに、オトーサマが説明してくれる。
わたしを安心させようと、微笑んでくれるオトーサマ。温かなサウラさんの手。
大丈夫……なのかな。怖くないのかな。
すんなり受け入れるのは、まだちょびっと怖い。
「――お帰りなさいませ、父上」
その屋敷の中。外より少し暗い中から、もう一人誰かが現れた。
若い、男の子?
少年と言った方がいいのかもしれない。わたしより少し年上の、キレイな身なりの少年。
「おお、セシュレイ」
出てきた少年に、うれしそうなオトーサマ。両手を広げて、その子が近づいてくるのを待ち構える。けど。
「その娘が、ノエル?」
数歩手前のところで立ち止まった少年、――セシュレイ?
わたしに満面の笑みで近づいてきてくれたサウラと違って、キレイな形の眉を寄せて、ものすごく嫌そうな顔を作った。
「ノエル。紹介しよう。彼が君の兄、セシュレイだよ」
ソイツの表情の変化なんて気づいてないのか。うれしそうに紹介してくださったオトーサマ。
「兄? オニーサマ?」
わたし、オトーサマとオカーサマだけじゃなくて、オニーサマもいたの?
「彼は私の遠い親戚の子でね。君がいなくなってから、この家に養子に入ったんだ」
シンセキ? ヨウシ?
わからない言葉だらけ。でも。
「じゃあ、オトーサマの子どもじゃない?」
わかったことはそれだけ。
遠いシンセキの子だから、オトーサマの子じゃない?
わたしがオトーサマに問いかけると、聴いていたセシュレイの体がピクッと揺れた。
「お父様の子だよ。今はね」
わたしの質問に、オトーサマが優しく答える。
「セシュレイも。ノエルも。二人とも、お父様の大事な、大切な子どもだよ」
そうなんだ。
じゃあ。
「よろしくおねがいします。オニーサマ」
手をセシュレイオニーサマに差し出す。
わたしがオトーサマの子で、オニーサマもオトーサマの子なら、仲良くしなきゃダメでしょ? そして、仲良くするには握手からでしょ?
(――って、あれ?)
差し出した手に気づかなかったのか、フイッとそっぽを向いたオニーサマ。
「本当に、この娘がノエルなのですか?」
オニーサマがオトーサマに問う。
――?
わたし、ノエルですけど?
わたしがオトーサマの子がどうかは、よくわからないけど。腕にある痣がそうだってオトーサマが言ってたのだから、間違いないのでは?
「じゃあ、君も見てみるかい? 腕にある、ノエルの証拠を」
オトーサマが、わたしの左腕を優しく掴む。
袖をめくって、痣をオニーサマに見せるつもりなんだろう。
天使の羽? らしい痣を。
「結構です」
冷たく、短く返したオニーサマ。
腕の痣を確かめるつもりはないらしい。そのままスタスタと元来た階段を登って屋敷に入ってゆく。
「ただその小汚い子どもが、ノエルだなんて信じられなかっただけです」
階段を上がる途中ふり返ったオニーサマ。
(なっ、なんですってぇっ!?)
その吐き捨てられた言葉に、一気にカッと頭に血が上った。
小汚いって! 悪かったわね、小汚くって!
そりゃあ、アンタに比べたら、とっても小汚い子どもでしょうよ!
服だって、つぎが当てられてるし、ボタンなんて高価なものは使えないから、紐で留めているし。袖だって。オトーサマは丁寧にめくろうとしたけれど、袖はビリビリに破れていて、裂け目から痣がチラチラ見えてるし。
アンタから見れば、小汚い子どもでしょうよ!
「坊ちゃまは、新しくできた妹に戸惑っておられるだけですよ。いつもの坊ちゃまは、賢くお優しい方です。馴染まれたら、ノエルさまのこともちゃんと大切にしてくださいますよ」
そうサウラさんが言う。けど。
(わたし、あのオニーサマ、大っ嫌い!)




