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報告


「ひとまず、依頼主に報告せねば。心配してるだろうし」



リリアもそっと微笑んでくれた。



「私も一緒に行きましょうか? エレナさんとは少し顔見知りなので、 話がスムーズに進むかもしれません。」


「それは…助かるが、いいのか?もうだいぶ陽が傾いてるが」

「えぇ、大丈夫です。それに、何かあってもヨハクさんが守ってくれますよね?」


彼女はそう言ってバルト商会に向かって歩き出した


夜のセルリアンは、街灯の柔らかな光が石畳を照らし、 もう市場の喧騒はほとんど収まっている。 バルド商会は市場広場の南側、二階建ての建物だった。 看板には「バルド商会」と書かれ、窓からはまだ灯りが漏れている。


ヨハクとリリアが扉の前に立つと、中から物音が聞こえてきた。 リリアが軽く扉をノックし、声を掛ける。



「エレナさん……夜分にすみません。 冒険者ギルドのリリアです。 大事なお話があって伺いました。」



少し間を置いて、扉がゆっくりと開いた。


そこに立っていたのは、三十代半ばの女性──エレナだった。 茶色の髪をシンプルにまとめ、疲れたけれど優しい目をしている。 夫の行方不明で眠れぬ夜を過ごしていたのか、目の下に薄い影がある。


エレナはヨハクとリリアを見て、息を飲んだ。



「……リリアさん……? そして……あなたは……?」



彼女の声は震えていて、 すでに何かを予感しているような、切ない響きがあった。


リリアがそっとヨハクに視線を移し、 「どうぞ」と目で促してくれた。


夜風が少し冷たく、 エレナの家の灯りが、ヨハクの顔を優しく照らしている。



「ヨハクと申します。 今回、あなたの依頼を請けた冒険者です。」



エレナはヨハクの名前を聞いた瞬間、目を見開いた。 手で扉の枠を強く握りしめ、声がわずかに震える。



「……ヨハク……さん……? 夫の……バルトの……依頼を……?」



彼女の瞳に、希望と不安が激しく混ざり合った。 リリアがそっと横からフォローするように、優しい声で続けた。



「ええ、エレナさん。 ヨハクさんが、バルトさんを連れ戻ってきてくれました。」



エレナは一瞬、言葉を失い、 その後、息を大きく吸い込んでから、掠れた声で聞いた。



「……夫は……? バルトは……生きていますか……? 無事……なのですか……?」



彼女の指が扉の枠を白くなるほど握りしめ、 目にはもう涙がにじみ始めている。 夜の街灯が、エレナの疲れた顔を柔らかく照らしている。


エレナはヨハクから目を離さず、 次の言葉を、必死に待っている様子だった。



「落ち着いて聞いて下さい。 まず、バルトさんは生きています。 今、白の癒し堂で治療を受けている所です。 しかし狼に襲われた時、森のかなり奥深くまで入りそこで3日過ごしたためか、 かなり消耗し、少し混乱しています。 明日の朝、行かれると良いでしょう。」



エレナさんはヨハクの言葉を聞いた瞬間、 全身から力が抜けたように扉の枠に寄りかかった。



「……生きて……いる……」



彼女の声は震え、目から大粒の涙が一筋、ぽろりとこぼれ落ちた。 エレナさんは両手で口を押さえ、肩を小さく震わせながら、 何度も何度も息を繰り返した。



「……本当に……生きてるの……? バルトが……私のところに……帰ってきてくれるの……?」



リリアがそっとエレナの背中に手を当て、優しく支えた。


エレナは涙を拭いもせずに、ヨハクにすがるような目で尋ねてきた。



「……でも……『少し混乱している』って……どういうこと? 怪我は? 酷い怪我はしていないの? それに……『森の奥深くで3日』って…… 何があったの……?」



彼女の声は必死で、 夫の無事を喜ぶ気持ちと、 これから聞くかもしれない悪い知らせへの恐怖が、 激しく混ざり合っているのが伝わってくる。


エレナは一歩前に出て、ヨハクの袖をそっと掴んだ。



「……ヨハクさん…… お願い……もっと詳しく教えて。 私の夫は……本当に大丈夫なの……? 明日……ちゃんと会えるの……?」



夜風が少し冷たく、 家の灯りが、彼女の涙で濡れた頰を優しく照らしている。



「その辺りをお話しするなら…… 中に上がらせて頂いても?」



エレナは一瞬、目を大きく見開き、 すぐに何度も頷きました。



「……ええ……もちろん……どうぞ…… 入って……ください……」



彼女は慌てて扉を大きく開け、ヨハクとリリアを家の中に招き入れた。


バルド商会の一階は、応接間になっていて、 暖炉の火が弱く灯り、薬草と布の匂いが優しく漂っている。 エレナはヨハクたちを暖炉の近くの椅子に座らせ、 震える手で急いでお湯を沸かし始めた。



「……すみません……今、紅茶を…… すぐにお持ちします……」



エレナはカップをテーブルに置きながら、 座るのももどかしい様子で、ヨハクの正面に腰を下ろした。 目がまだ赤く、頰には涙の跡が残っている。


彼女は両手を膝の上で固く握りしめ、 掠れた声で言った。



「……ヨハクさん…… どうぞ……詳しく教えてください。 夫は……本当に生きていて…… 明日、会えるんですよね……? 狼に襲われて……森の奥で3日…… それで……どんな状態なんですか……?」



エレナの瞳には、 夫の無事を喜ぶ気持ちと、 これから聞くかもしれない「何か」を恐れる気持ちが、 激しく交錯しているようだった。


リリアはヨハクの隣で静かに座り、 必要ならフォローする準備をしている。


暖炉の火がパチパチと音を立て、 部屋の温度が少し上がった気がした。



「まず、あなたの旦那さんであるバルトは護衛を付けずに渡りの灯りの先にある黒い森のところで狼に襲われました。その時に逃げるのに夢中で森の奥深くに入り込んでしまったようです。


私と連れが救わなければ、ここには何か遺品をお持ちする事になってたでしょう。そして森の奥深くで黒い霧に3日晒されたため、呪いを受けてしまったようだ……白の癒し堂の方がそう言っておりました」



エレナはヨハクの言葉を最後まで聞き終えると、 両手で口を強く押さえ、肩を小さく震わせました。



「……狼に……襲われて…… 護衛もなしで……そんな……」



彼女の瞳から、再び大粒の涙が溢れ出した。 エレナは声を詰まらせながら、何度も息を吸い、 ようやく震える声で言葉を絞り出す。



「……黒い霧に……3日も……? それで……呪い……? 夫は……どんな……姿になってしまったの……? 白の癒し堂で……今も……苦しんでいるの……?」



エレナはテーブルに両手をつき、 上半身を少し前へ乗り出すようにして、ヨハクにすがるような目で尋ねてくる。



「……ねえ、ヨハクさん…… 正直に教えてください。 夫は……もう人間の姿じゃないの……? ……顔や体が……変わってしまったの……?」



彼女の声は次第に弱くなり、 最後の言葉はほとんど嗚咽に近い。



「……明日……会いに行っても…… 夫は……私のことを……ちゃんとわかってくれる……? 私を見て……『エレナ』って……呼んでくれる……?」



暖炉の火がパチパチと音を立てる中、 エレナの涙がテーブルにぽたり、ぽたりと落ちていく。


リリアはそっとエレナの背中に手を置き、 ヨハクに「どうぞ」と目で続きを促す。



「救助した後、セルリアンまでの間ずっとエレナさんの名前を呼んでいました。 明日の朝、元通りというわけにはいかないでしょうが、 ある程度は回復して落ち着いてると思いますよ。」



エレナはその言葉を聞いた瞬間、 胸の前で握りしめていた手を、ぎゅっと強く握り直した。



「……私の名前を……ずっと……?」



彼女の声は震え、しかしその震えの中に、ほのかな喜びと安堵が混ざり始める。 エレナは涙を拭うのも忘れたまま、何度も何度も小さく頷く。



「……そう……バルトは……私のことを…… 覚えているのね……」



エレナの肩から、ふっと力が抜ける。

彼女はテーブルに額を軽く押しつけるようにして、 嗚咽を堪えながら、掠れた声で続ける。



「……ありがとう……ヨハクさん…… 本当に……ありがとうございます…… 夫が……私の名前を呼んでいたなんて…… それだけで……もう……十分です……」



エレナは顔を上げ、赤く腫れた目でヨハクをまっすぐに見つめる。 その瞳には、深い感謝と、まだ消えない不安が同居していた。



「……明日の朝……本当に……会えるんですね……? 夫は……私を見て……ちゃんと……『エレナ』って…… 呼んでくれる……? たとえ……少し変わってしまっていても…… 私は……受け止めます…… だって……生きて帰ってきてくれたんだもの……」



彼女はそこで一度息を詰まらせ、 震える手でヨハクの手にそっと触れた。


「……一緒に……行っていただいて……いいですか……? 私一人で……怖くて…… 誰かが……そばにいてくれたら…… きっと……大丈夫……」


エレナの指は冷たく、少し汗ばみ、暖炉の火が、彼女の横顔を柔らかく照らしている。



「ええ、構いません。一緒に行きましょう。」



エレナはヨハクの言葉を聞いた瞬間、 目に新しい涙を浮かべながら、大きく息を吐きました。



「……ありがとう……本当に……ありがとうございます……」



彼女はヨハクの手に、自分の両手を重ねて、 少し力を込めて握りしめた。 その手はまだ震えているが、さっきよりは少し温かい。


エレナは涙声のまま、しかしはっきりと言った。



「……明日の朝……一緒に……白の癒し堂へ…… 私……一人では……きっと怖くて、足がすくんでしまうから…… ヨハクさんがいてくださるなら…… 夫に会う勇気が……持てそうです……」



彼女は一度目を閉じて深呼吸をし、 それから少し照れたように微笑む。



「……バルトが私の名前を呼んでくれていたなんて…… それだけで……胸がいっぱいです。 たとえ姿が変わっていても…… 私は……夫を受け止めます。 だって……生きて帰ってきてくれたんですもの……」



エレナはヨハクの手に、もう一度軽く力を込めてから、 ゆっくりと手を離す。



「……本当に……ありがとう、ヨハクさん。 明日の朝……何時頃にお迎えにいらしていただけますか? 私は……夜が開けたらすぐに準備をしておきます。」



暖炉の火が静かに揺れ、 部屋の中は少しだけ、ほっとした空気に包まれ始めています。


リリアはそっと微笑みながら、ヨハクとエレナを交互に見つめています。



「リリア、何時頃が良いかな?」



リリアは少し驚いたように目を瞬き、すぐに柔らかい笑みを浮かべました。 彼女はエレナとヨハクの両方を交互に見ながら、落ち着いた声で答えてくれた。



「そうですね…… 白の癒し堂のシスターたちは朝の祈りが終わった後、 比較的ゆっくり対応してくれますから…… 朝の8時半〜9時頃が、一番落ち着いている時間だと思います。」



リリアはエレナに向き直り、優しく付け加えました。



「エレナさん、明日の朝8時半に、 ここへヨハクさんと私がお迎えに上がりますね。 それで一緒に白の癒し堂へ行きましょう。 バルトさんの容態も、その頃にはもう少し安定しているはずです。」



エレナはリリアの言葉を聞きながら、何度も小さく頷きました。 まだ目に涙が残っていますが、表情は少しだけ柔らかくなったようだ。



「……8時半……わかりました。 私……ちゃんと準備しておきます…… 夫に……会うための……一番綺麗な服を……」



エレナはそこで言葉を切り、 ヨハクに向かって深く頭を下げました。



「……ヨハクさん、本当にありがとうございます。 夫を……連れ帰ってくださって…… そして、こうして丁寧に話してくださって…… 明日……どうぞ、よろしくお願いします。」



彼女の声はまだ少し震えているが、 そこには「夫に会える」という希望が、確かに灯り始めている。


リリアが静かに立ち上がり、ヨハクに視線を向けました。



「ヨハクさん…… 今日はもう遅くなりましたし、 エレナさんも少し休まれた方がいいと思います。 私たちはそろそろ失礼しましょうか?」



外はすっかり夜になり、 街の灯りが柔らかく窓を照らしています。


ヨハクは穏やかな声で、エレナに優しく声をかけた。



「エレナさん……今日はもう遅いので、これで失礼します。 明日の朝8時半に、リリアさんと一緒に迎えに来ますね。 どうか今夜は、少しでもゆっくり休んでください。 バルトさんは、あなたのことをちゃんと待っていますから。」



エレナは立ち上がろうとして、膝に少し力を入れながらも、 ヨハクに向かって深く頭を下げました。



「……はい…… 本当に……ありがとうございます、ヨハクさん…… 明日……夫に会える…… それだけで……胸がいっぱいです……」



彼女の声はまだ涙で掠れている、だがその瞳には、さっきより確かに「希望」の灯りがともっていた。


エレナは扉まで見送りに出てきて、 夜風に髪を揺らしながら、小さく微笑もうとしました。



「……お気をつけて…… そして……本当に……ありがとう……」



ヨハクとリリアはバルド商会を後にし、夜のセルリアンの石畳をゆっくりと歩き始めました。


リリアはヨハクの隣を歩きながら、ほっとしたように小さく息を吐きました。



「……エレナさん、少し落ち着いたみたいですね。 ヨハクさんが優しく話してくださったおかげです。 明日の朝……一緒に白の癒し堂へ行きましょう。 私も8時すぎにギルドの前で待っています。」



夜の街は静かで、遠くの教会の鐘が、ゆっくりと一回鳴り響く。 冷たい風がヨハクの頰を撫で、 明日の再会を予感させるような、静かな夜のセルリアン。


ヨハクはリリアと軽く別れを告げ、いつもの宿屋へと足を向けた。 部屋に入ると、蝋燭の柔らかな灯りがヨハクを優しく迎えてくれる。


革鎧を脱ぎ、長剣を壁に立てかけ、ベッドに腰を下ろすと、 今日一日の出来事が、波のようにゆっくりと胸に押し寄せてきた。


バルトの灰色がかった肌、 ヴェールの赤い目、 影の主ヴォイドヴェールの低い笑い声、 エレナの涙……


体は確かに疲れているけれど、心は不思議と満たされている。

ヨハクはベッドに横になりながら、静かに目を閉じた。


明日、バルトとエレナの再会が待っている

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