↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミチシルベの魔法  作者: 咲桜炸朔
第三章 星を描く追憶
35/35

結末

 海の魔術師は氷に閉ざされた魚たちの前に静かに立った。まるで壊れ物を触れるかのように、その冷たい身体へそっと手を伸ばす。

 凍りついた鱗の表面をゆっくりと撫でる。氷の冷たさが指先に伝わるたび、彼女の表情にはどこか寂しげな色が浮かんでいた。


「ねぇ、氷の魔術師さん、あなた歳いくつ?」


 ロザンナは剣を下ろした。その質問の意図は彼女には理解できなかったが、海の魔術師の表情、声色、姿勢から、その瞬間だけ海の魔術師に敵意がないことを感じた。


「17だけど」


 その言葉を聞いて、海の魔術師はほんのわずかに息が止まる。先ほどまで気にも留めなかったロザンナの顔立ちが妙に目につく。鋭い眼差しの奥に残る、年相応の輝き。そのことに気づいてしまうと、肩の力が抜け落ちてしまった。


「そんなに若いのに、望縁魔法も使いこなせるなんて立派じゃない。私なんてあなたの倍以上生きてるのに、未だ使えないわよ」


 海の魔術師が言った「立派」という言葉に、ロザンナの目が揺れた。

 意外だった。剣を交えた相手に褒められるなんて考えてもいなかった。

 その表情は笑みと呼ぶにはあまりにも小さく、本人にさえ気づかない変化だった。


「私も一人だけだったらきっと使えていなかった。これを教えてくれた人がいてくれたから、私も強くなれた」


「そう、いい人と巡り会えたのね。ところであなた、もしかして貴族のご令嬢さん?」


 その一瞬、ロザンナの瞳が驚きに揺れた。自分でも分かるくらいには、令嬢とは思えない立ち振る舞いに、見窄らしい格好、それなのに、何故分かったのかロザンナには理解ができなかった。


「え? ええ、元だけど一応貴族の出身……どうして分かったの?」


「んーたまたま言ったら当たってしまった? みたいな感じかな」


 適当に投げかけられたはずの言葉が、妙に胸の奥を突いてくる。図星を刺された苛立ちに、望縁魔法が呼応するように、望縁魔法内の氷に針が立つ。


「そんなに怒らないでよ。でもそっか、貴族の出なら、人が死んでいく瞬間なんて滅多に見ないでしょ?」


 海の魔術師は氷から手を離し、一歩ずつ雪を踏みしめていくようにロザンナに近づく。ロザンナは警戒心を高め、剣をもう一度握り直す。


「普通の人はそれが当たり前みたいな物言いね」


 俯いたまま、胸に募る悲しみを吐き出すように語る。


「そうね、私たち冒険者の世界じゃ当たり前よ。毎日誰かが死んでいく、昨日仲良くなった人が次の日には無口なまま横たわってる。別に自分が殺した訳でもないのに、なぜか申し訳なくなってでも少ししたら何ともなかったようにいつもの日常に戻る」


 話す彼女の顔は、暗く沈んでいるというよりも、今にも涙が溢れそうなのに、それすらできずにいるような、痛々しい悲しみに満ちていた。

 海の魔術師は懐にしまっておいた最後の武器を取り出す。さっきまでの鎌とは違って、なんの改造も施されていない、ただの短刀。


「氷の魔術師さん、あなたも薄々勘づいているでしょう?」


 ロザンナが剣を持ち上げ、構えを取った。背後から、そっと裾を引かれる。

 振り向き様にアルシアと目が合う。彼女は周囲を一瞥してから、落ち着いた声で作戦を告げる。


「ロザンナさん、あの人はきっと何かを仕掛けてきます。もしあなたに何かあればその瞬間に、私の魔法であの人の時間を止めます。ですので、援護は私に任せて下さい」


 ロザンナは静かに頷き、アルシアの言葉を確かに受け止めた。

 望縁魔法内の吹雪がより一層強くなる。目を閉じて、息をゆっくりと吐き出す。白い息が雪にかき消され、一歩を踏み込んだ瞬間、彼女は駆け出した。


 吹き荒れる吹雪の中を、彼女は駆け抜ける。白い雪煙が視界を覆い、激しく舞い踊る雪の中にその姿を隠す。


 海の魔術師はただ待ち構えていた。足を踏み出すたび、雪が靴の下で軋む音を頼りにロザンナとの距離感をつかむ。


 ロザンナの剣が煌めいた、一歩踏み込めば届く、そんな絶妙な間合いに入った瞬間、海の魔術師は短刀を投げ捨てた。周りには魚もいない、自分を守る術は何もない。


 なぜ今その行動を取ったのか、理由なんて分からない。だが、その行動に迷いはなかった。


 ロザンナもまた、一切の躊躇はなかった。狙いを定めた刃は、吹雪を切り裂いた。


 そして、まるで吸い込まれるように、彼女の刃は海の魔術師を奥深くまで貫いた。刃は肉を裂き、骨の軋む感触をものともせず、敵の腹奥深くへと容赦なく突き込まれた。ロザンナの手にまだ生温かい血が伝ってくる。


 彼女が剣から手を離そうとすると、海の魔術師は決して離させないよう、手を重ねる。そして雪も揺らがないような静かな声で話す。


「あなたが、望縁魔法を発動したとき、こうなることはもう分かっていた……運命に従っただけよ」


「でもどうして!? なんで!?」


 海の魔術師は唇の端から血を滴らせながら、表情を崩すことなく、静かに痛みに耐えていた。ただ、僅かに伏せられた瞳と強く結ばれた唇だけが、その苦痛を隠しきれていなかった。


「こうするしかないのよ……あなたが知るためには……この世界で生きるということが、どういうことなのか……ねぇ、あなたの名前を教えてくれない?」


 思いがけない質問、刺した箇所から溢れ出る血に急ながらも、ロザンナは不思議そうな表情を浮かべ、尋ねられたことに素直に答えた。


「ロザンナ・フラン、です」


 名を名乗った。しかし、海の魔術師は喉の奥でくすりと笑い、ロザンナの「偽名」見透かしたように、首を振った。


「違うわ、あなたの本当の名前を……教えて」


 ロザンナは一瞬、戸惑うように言葉を詰まらせた。けれどすぐに顔を上げると、まっすぐに相手の瞳を見つめる。


「エミ・ローレン、私はエミ・ローレンです」


 エミが名を名乗った。それと同時に、海の魔術師は彼女のことをギュッと抱きしめた。目の端には少しの涙を浮かべ、エミのことを本当の娘のようにしっかりと抱きしめた。


「エミちゃん、いい名前ね。私も、もう一度会いたいな……エミちゃんはこんな世界でも頑張ってね」


 言葉を紡ぎ終えると、彼女はゆっくりと瞼を伏せた。そこに浮かんでいた感情を全て置いていくように、静かに目を閉じる。

 彼女はもう動かなかった。全身から力を失った身体がずしりとエミへ倒れかかり、その重みに引かれるように剣をすり抜け、ゆっくりと地面へ崩れ落ちていった。


 望縁魔法の空が割れる。世界が徐々に崩れていきながら、元の姿に戻っていく。吹雪も、氷のオブジェも最初からなかったように消えていく。

 ロザンナは自分の剣が人を貫いた感覚、手にベッタリとついた血の生温かさ、倒れて動かなくなった海の魔術師を見て感じた。

 人を殺してしまった、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。