いつかまた会えたのなら
エラフィールはそう言い残すと、船内の自室に戻った。
自室と言ってもロザンナも同じ狭い客室のことだ。二段ベッドと、ちょっとした洗面台が置いてある程度の本当に狭い部屋だ。
ロザンナはそんな窮屈で狭い部屋に戻る前に確認しなければならないことがある。運営から支給された麻袋の中身についてだ。乗船したときに一人一つずつ同じ物が配られた。中身については一切聞かされていない。「争奪戦に役立つ物」と言われたが、具体的には知らない。
ずっしりとした中身の袋をロザンナは、徐にその袋を開けた。
袋の中は一冊の本と金属製のコンパス、サバイバル用のナイフ、淡い光を灯している謎の石が入っていた。
中身を全部取り出したロザンナは袋の端から端まで、もう一度隅々まで確認した。そして、ため息をこぼし、あからさまにがっかりとした表情になる。
麻袋の開け口を大きく広げ、その中に頭を突っ込み、思いっきり叫ぶ、
「争奪戦の役に立つ物とか言ってたのに!! 食べ物が入ってないじゃない!! こんなのじゃ到底役に立つと思えない!!」
叫び声は麻袋の中でこもったおかげで周りには響かなかった。
ぷはっ、と麻袋を頭から脱ぐ。
船での移動はとても退屈そうだ。楽しみが食事か睡眠くらいしかない。それにもかかわらず、船内のご飯はあまり美味しくない、ベッドも寝心地が悪そうだ。
ここのご飯は、湿気っている物や味が薄い物がほとんどで、あまり食べる気にならない。幸いにも島までは二日でたどり着ける。二日間くらい何も食べなくたって平気だろう。二日なら寝なくても大丈夫だろうと、ロザンナは考えた。
サバイバル用のナイフを手に取り、カバーを外す。刀身に汚れや刃こぼれはなく、使えなくはない。おそらく島内での食料の確保は個々でどうにかするために支給されたのだろう。
「でも、こんなナイフあったところで、お腹の足しにならないから必要ない!!」
「ーーあら、そうって訳でもないのよ」
誰かがロザンナの独り言に答える。
ロザンナは自分の独り言が聞かれてたと知り、ほんのりと恥ずかしくなった。
一体いつから独り言を聞かれていたんだと焦る。もしかしたら他の人の会話が偶々聞こえてしまっただけかもしれないと考えたが、船のデッキにいるのはロザンナだけだ。他の人の会話が聞こえるなんておかしい。それに、声は一つだけしか聞こえなかった。
その声は、ロザンナが知っている声とよく似ていた。
少し大人っぽい女性の声。けれど、エラフィールじゃない他の誰か。
もしかしたら、敵が既に接近しているのかもしれない。
ロザンナは左側に置いている剣にそっと手を伸ばした。「ロザンナ」の正体が「エミ・ローレン」と知っている人物なら、間違いなくそいつは敵だ。
ロザンナは恐る恐る、後ろを振り返る。
「後ろにいるのは、誰?」
右膝を体に寄せ、剣を持ち上げながら立ち上がる。
船の真上を分厚い雲と太陽が重なり、船全体が大きな影に呑まれる。
ロザンナは目の前の女性の足元から視点を上げ、相手の動きに警戒しながら顔を見る。
「え、嘘!? エリーゼ先輩!?」
目の前の女性の顔を見たとき、ロザンナは小さく驚いた。
真上にあった分厚い雲を切り抜け、船のデッキに太陽の光が差し込む。
思わず名前を呼んでしまった「エリーゼ」と言う女性は、ロザンナと同じ貴族学院に通っていた一つ上の先輩。
明るい笑顔が特徴的で、エミとは同じ部活だった。 放課後によく訪れる喫茶店では、八つに切り分けたフルーツタルトの一切れをいつも一口で食べてしまう、そんな人。
ロザンナが学院にいた頃、よくエリーゼに悩み事の相談をしたり、彼女と食事に行くことも多かった。休日には、二人でお出掛けをするくらい仲が良い。
エリーゼはフランカの次に尊敬できる憧れの先輩。
「ん?」
見知らぬ人から名前を呼ばれたエリーゼは首を傾げる。
不思議そうにロザンナのことを見る。エリーゼは目を細めたりして、彼女のことを必死に思い出そうとしている。
「私、君とどこかで会ったっけ? 確かに、君は私の友達と似ているような気がするけど……」
思わずエリーゼの名前を呼んでしまったことを焦る。ロザンナの頬を冷や汗が伝う。
誤解を解かないと怪しまれたままだ。エリーゼからすれば、ロザンナは見知らぬ人だから。
いくら仲の良い先輩とは言え、自分を「エミ・ローレン」と、この場所で打ち明けるのはかなり危険な気がしていた。もしものことがあったら、ロザンナだけではなく、エリーゼも狙われてしまう。
安易にフランカから貰ったマスカレードマスクを外す訳にはいかない。
「えっと実は私、先輩と一緒の貴族学院に通っているんです」
「あら、そうだったのね! てことは、君は後輩ちゃんね! 何年生なの?」
「二年のロザンナです。でもエリーゼ先輩と会うのは、今日が最初だと思います」
ロザンナが二年生と言った瞬間、エリーゼは寂しげな表情に変わった。いつものような明るい雰囲気から哀しくて暗い、心にポッカリと穴が空いたような喪失感を先輩から感じる。
「先輩? どうかなさいました?」
「えっと……そのね私の友達も、あなたと同じ二年生なの。でもね、その子ちょっと色々あって今大変なことになってるの……だから私に何かできることがないかなって……ごめんなさいね、こんな暗い話しちゃって」
先輩はいつものようににっこりと笑った表情を見せた。けれどその表情が、ロザンナには作り笑いでごまかしているように見えた。
このときロザンナは、仮面の奥の心では安堵していた。自分のことを味方してくれる人がまだいてくれる。エミの周りは、敵だけじゃないと少し安心できた。
「そう……だったんですね」
本当は聞いてみたかった「その二年生はエミ・ローレンですか?」と聞きたかった。
もしかしたら、エリーゼ先輩の言っている二年生は別の子かもしれない。でも先輩が話しているのは、エミ・ローレンのことだという確信を持ちたかった。そんな気持ちと同時に、聞いてはいけないような気がした。聞いてしまったら、このちょっとした安心感が、エリーゼ先輩の信頼が変わってしまうかもしれない。そう思っただけで、踏み止まることができた。
「ところでねロザンナちゃん! 話を戻すんだけど、本当にそのナイフ要らない?」
エリーゼはロザンナの後ろにあるナイフを指差した。
さっきまでロザンナが、文句を言いつけていたナイフだ。
ロザンナは「ああ、いつものことか」と平凡で穏やかな心地よい気持ちになる。
エリーゼ先輩と会話していると、いつの間にか話題がコロコロと変わって、気づいたときには時間がかなり経っている。だからずっと会話が終わらない、いつも会話に夢中になってしまう。ロザンナは、そんな風に先輩となんの当たり障りのない会話をする日常が好きだった。
「このナイフですか? そうですね、私には必要ないですね」
「それだったらさ、良かったらそのナイフくれない?」
「いいですよ先輩! どうぞ! でも、どうしてナイフなんですか?」
ロザンナはナイフにカバーを被せ、エリーゼにそれを手渡した。
しかし、ロザンナの頭の上には一つのクエスチョンマークが浮かび上がる。
(あれ? エリーゼ先輩って、ナイフとかそう言う近接戦闘よりも、弓を使った遠距離戦闘の方が得意だったはず。争奪戦に向けて、自分の戦闘スタイルを変えたのかな? なんだか、そんなところも先輩らしいと言えば、先輩らしい)
エリーゼはナイフを受け取り、ロザンナにありがとうと一言告げた。
「ふふ、ありがとうロザンナちゃん。友達の憧れの人がメイドさんらしくてね。その人もナイフを使った戦いをするらしいの! とっても強いらしくてね! それで実はね、私もそのメイドさんみたく、強くなりたいって思ったんだ……友達の憧れの人みたく戦いたいってね」
エリーゼは風になびく髪を太陽に向けて揺らし、太陽の光に照らされる彼女は、森の妖精になったかのように輝いている。海の上にいるはずなのに、森の妖精ってなんだか変な感じだ。けれど、新緑のような緑色の髪と壮大な大海原の青色は、絶景のようにピッタリとマッチしていた。
エリーゼは大きく息を吸って、海に向かい大声で叫んだ。
「だから、私もこの争奪戦を頑張って、大切な友達の憧れになりたい!!」
大きく壮大な海は先輩の声を飲み込んだ。先輩の叫び声は、遥か地平線を越えて、遠くに届くのだろう。
海は先輩の声に呼応するように、大きなさざ波を立てた。まるでエリーゼの目標を鼓舞するようにも感じた。
「ロザンナちゃん! たとえ君が後輩だとしても、争奪戦は私が勝つからね!」
「望むところですよ! 先輩!」
そう言い去るとエリーゼは太陽の影に隠れるように立ち去る。
最後にエリーゼは、作り笑いじゃない、いつも通りのにっこりとした、見ている人も幸せになれる笑顔になっていた。
ロザンナも麻袋から取り出していた道具を片付けて、エラフィールがいる自室に戻って行った。
「でも先輩、あなたは勘違いをしています」
出来れば先輩に直接伝えてあげたいが、それはなんだか、小っ恥ずかしい。
それにこれを直接伝えるときは「エミ・ローレン」のときだけだと決まっている。
ロザンナは、さっきまでエリーゼが立っていた場所を見上げながら、こう呟く。
「先輩は既に、私の憧れです」
そうして、ロザンナは自室に戻って行った。
またどこかでエリーゼと会えることを願って。
自室に戻るとエラフィールが、剣の手入れをしていた。
持ち手から刀身までバラバラに分解して、部品を一つ一つ丁寧に磨いたり拭いたりしている。
「おかえり、ロザンナ。お腹空いてるでしょ? 今用意するから少し待っててね」
エラフィールが用意してくれた夕食は、ホカホカの出来立てで、とても湿気っているようには見えない。いい匂いが漂ってくるほど、味付けもしっかりされてそうだ。とても船内の食事とは思えない。
「このご飯、もしかしてエラフィールが用意してくれたの?」
「そうだけど、もしかしてもうなんか食べてきちゃった?」
「そうじゃなくて、船内のご飯はどれも美味しくなさそうだったから、少し驚いただけ」
「それじゃあ、美味しいご飯に感謝しながら食べよ!」
「うん、頂きます」
味付けもしっかりされていて、思わず感動してしまった。
やがて二人が食事は終え、少しの間、談笑して楽しく過ごした後、眠りについた。
船の寝心地はロザンナにとって最悪なものだった。
睡眠を永遠と妨げる終わらない揺れ、ガタガタと鳴り続ける物音、目がまわるほどの気持ち悪さ。こんな所で気持ちよく眠れるはずない。なのに上のベッドでは、エラフィールが気持ちよさそうにムニャムニャと眠っている。
ロザンナも頑張って目を閉じ、どうにかして眠れるよう努力した。
◇◆◇◆
「……ロザンナ起きて、着いたよ」
黎明の光が窓辺に微かに差し込み、部屋を包む中、ロザンナが眠りから覚める。まだ夢の中にいるようなぼんやりとした意識のなかで、目を擦りながら起き上がる。
「おはようエラフィール……着いたの? 早いね」
「いいや、違うよ。ロザンナが眠り過ぎなだけよ、もう十二時だもの」
「ふぇ?」
ぼやけきった目で壁の時計を見る。だんだん視界が晴れ、時計の針がしっかりと認識できる。
時計の針は、エラフィールが言った通り十二時ぴったりを指していた。
昨夜、なかなか寝付けず一日が過ぎた辺りでようやく眠ることができた。
目の下にはくっきりとクマが残っている。
「昨日はよく眠れた? そろそろ船から降りるから準備してね」
「うん、ちょっと待ってて」
すでに支度が済んでいるエラフィールは椅子に座って読書を始めた。
ロザンナは急いで身支度を済ませ、朝食のパンを齧りながらエラフィールと共に船を降りた。
朝のパンは人が食べれるのか怪しいと思ってしまうほど腐りかけていたが、そんなこと気にしてる余裕がなかった。
船から降りたそのう島には、争奪戦参加者たちが各々集まっていた。
ロザンナは島に上陸してからとある謎が頭に浮かぶ。
「本当にここがラバル島? なんか小さくない? それに木が一本も生えていない、ただの砂浜みたいな島だわ」
その島は十隻の船だけで周りを囲めてしまうほど面積が小さい。
こんな場所で争奪戦をしようものなら、一日もかからずに終わってしまいそうだ。
何より、ミスリルのような魔石があるようには全く思えない。
ロザンナはエラフィールに尋ねた。
「本当にこんな所で争奪戦を開催するの?」
「ロザンナ、島の向こうをよくご覧なさい」
目を凝らして、周りの景色の中から別の島を探した。
一つだけ気になる光景が目に映る。
「もしかしてあれがラバル島?」
外からでは、それが本当に島なのか分からない。時より見える隙間から島の一部が、認識できる程度だ。
その島の周囲は暴風雨に覆われ、船が嵐に入った瞬間、木っ端微塵になってしまいそうなほど荒れ狂っている。
「あんな島、どうやって上陸するの? 船じゃ絶対に無理よね?」
「そうね、船じゃ上陸は不可能」
「じゃあ尚更どうやって?」
エラフィールは支給された麻袋の中から淡く光る石を取り出した。
「この石を割るとその場から、最も近い島にワープできるらしいわ」
「じゃあ今この場所で、その石を割ったら」
「そう、無事ラバル島に上陸できるってこと」
右手を掲げ、エラフィールは大きく腕を振り下ろし、地面に石を叩きつけた。
砂浜から少しだけ露出した岩に、エラフィールが叩きつけた石がぶつかる。
大きな音を立て、石は粉々に砕けた。
「ロザンナも早く!!」
勢いに任せ、ロザンナもエラフィールと同じように石を叩きつけた。
その時、ロザンナの身体が光の柱に包まれる。
ロザンナはギュッと目を瞑り、持っていたフレイ・ギヴンを抱き抱え、まるで無重力のような、浮かび上がる浮遊感に身を預けた。




