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好きなものを好きと言える僕と君―4

≪望月玲≫


 放課後には生徒会室に足を運んだ。

 今日の生徒会は会議だけで終了した。体育祭や文化祭等のイベント前であれば生徒会にも仕事が回ってくるのだが、そのような予定が当分ない六月の時期であると、生徒会の仕事はあまり中身のない会議だけで終わってしまう。

 トイレを済ませたような気分で生徒会室を出ると、同じ生徒会に所属している麗らかな女子が私の横を優雅に通り過ぎた。


 南雲書記――彼女は間違いなく次期生徒会長に最も近い生徒であろう。聡明かつ端麗で、私に向けられている好奇な視線ではなく、男女問わず全校生徒の注目を集めるカリスマ性を持っている。悔しい限りではあるが、私には南雲さんに勝てる要素がまるでない。

 南雲さんとは同じ生徒会に所属してはいるが、あまり私語は交わさない間柄だった。言葉遣いも丁寧で、美しい所作や振る舞いには上品さが伺えるのだが、その、まるで鉄仮面でも被っていそうな相手との接し方が私はあまり気に入らなかった。

 しかし、毎日生徒会での仕事が終わると、南雲さんは僅かに気分を高揚させた足取りでどこかへと向かっていく。その足がいつもどこへ向かっているのか私は知らない。

 なんてことはないただの興味本位で、私は南雲さんに声をかけた。


「南雲さん。お疲れ様。これからどこか行くの?」

「望月さん。お疲れ様です。これから部室の方へ寄ってみようかと思いまして」


 南雲さんがしているように、愛想笑いの仮面を被りながら、なるべく自然と南雲さんの隣を私は歩いた。

 女の私でも美しいと感じるまるで人形のような微笑み。私は私で注目を集めているという自覚はある。しかしこの芸術じみた微笑みが生まれつきのものとは到底思えなかった。

 あれ? そういえば南雲さんって部活とかやってるんだっけ? 運動神経も抜群にいいのは体育の授業で嫌というほど目に焼き付けているけど、何部に所属しているのかは知らないわね。でもどうせ大会とかで優秀選手なんかに選ばれて注目されてるんでしょうけど。


「望月さんは、部活には入っていないんでしたっけ?」

「ええ。ちょっと他にやりたいこともあるし、私は勉強するのに精いっぱいだから」

「そうですか。私も真剣に取り組まないと望月さんに追い越されてしまいますね」


 南雲さんはにこやかにそう言ってのけた。私なんて眼中にないのかとも思っていたけれど、私がいつも万年二位だってのは知ってるみたいね。

 なんだかんだと、南雲さんとのテストの話は長々と続いた。上辺だけの会話であることは間違いないのだけれど、南雲さんは話していて気疲れする相手ではなかった。


「今回こそは――というよりいつも本気も本気でやってるんだけど、南雲さんに負けないように勉強してるんだから」

「ふふ。張り合える相手がいるのは楽しいものです」


 この余裕の笑みを焦りに変えられる人間が果たしてこの学校にいるのだろうか? 望月さんの本性を引き摺りだせるような人間が。


「それはそうと望月さん。あなたもこの先へ用があるのでしょうか?」

「へ? あっ」


 気が付けば実習室が立ち並ぶ南校舎四階へと足を運んでいた。南雲さんと会話するのに夢中でどこへ向かっているのかなど気にもしていなかった。


「きょ、今日はもうやることなくって、暇だなって思ってたのよ」

「あらあら。私を追い越すための勉強はしないのですか?」

「た、たまには気分転換も必要じゃない? それより、南雲さん部室に寄るって言ってたけど、何部に入ってるの?」


 虚を突かれ、強引に話題転換をした。でも実際聞いてみたかったことではある。


「私は手芸部に所属しております」

「手芸部……?」


 それは全くの予想外で、南雲さんが所属しているからには何かしらの魅力ある部活動であるのだと推察していた。でなければ双楠高校の至宝とも呼ばれる南雲さんがそんな地味な部に所属しているなど考えられない。


「編み物とか、そういうのが好きなの?」

「いえ、私はそこまで好きというわけではないのですが……」


 突っ込んで聞いてみると、南雲さんの白磁の肌にほんのりと朱がさした。南雲さんにしては珍しい反応で、私もその手芸部とやらに興味が湧いてくる。

 と、そうこう喋っている内に、とある教室の前へと辿り着いた。


「私の兄が、好きなんですよ」


 南雲さんは部室の扉を開けた。その向こう側に二人の男子生徒がいた。


「おっ?」

「あっ。兄さん! 今日はもう帰るの?」

「ああ、今日は――」


 南雲さんの見せた、まるで子供のような視線の先にいた兄さんとやらは、昨日私に告白してきた男子生徒――上乃弦二が驚愕の目で私を見ていた。


「あなた昨日の……」

「ど、どうして望月がっ!」


 私を見て怯え、後ずさる上乃君。そんな反応をするのも無理はない。自分が振られた相手が目の前にいるのだ。振った私でもどう反応すればいいのかわからない。


「うげっ! 望月……最悪だなおい」


 上乃君の肩を組んでいた小田原君が天井を仰ぎ頭を抱えた。彼は私に告白のアポイントを取ってきた人物で諸々の事情を把握していることだろう。


「え? どうしたの兄さん。望月さんと面識あった――まさか……」


 南雲さんがどこまで知っていたのかは知らないけど、反応を見るに私たちの挙動から今どんな状況にあるのかを悟ったみたい。さすが、洞察力も半端じゃないわね。

 南雲さんは私に振り向き、緩みきっていた顔を引き締めた。

 先ほどまでの安穏とした雰囲気の南雲さんは既にいなかった。私が見たこともないような冷徹な瞳を南雲さんは携えている。


「あなたが兄さんの告白した相手ですか。望月さん」

「え、ええ。まあそうね」

「望月さん。兄さんとは付き合わないのですか?」


 心なしかいつも聞いている声よりも凄みが増している気がした。


「悪いとは思ったけれど、丁重にお断りさせていただいたわ」

「兄さん、兄さんの好意を丁重に断った……? あなたが? どうして?」


 なんだか南雲さんの様子がおかしい。どうしたっていうの?


「上乃君とは面識がなかったし、ほとんど他人の相手に告白されても困るわ。それに……」

「それに? なんでしょう?」

「上乃君には悪い噂が流れてるから」

「悪い噂?」


 南雲さんは顔をしかめながら私の『悪い噂』の説明に耳を傾けていた。私が上乃弦二という男がどれだけ軽薄な男なのかと説明するにつれ、南雲さんの顔は次第に歪んでいった。


「女子更衣室を覗いた経験は数知れず……? 家に女子の体操服をコレクションしている……? 初体験は小学五年生……?」


 望月さんは怒りに震えていた。こんなにも怒りという感情を明確に表現する南雲さんを見たことがなかった。しかし、やはりというか、南雲さんは冷静さをすぐに取り戻す。自分が今何をすべきかをよく知っている表情になった。


「ふぅ……。望月さん、この上乃弦二は私の兄です。兄さんは手芸部に所属しており、裁縫を主に得意としていて、手先の細かい作業を行うのが達者な人です。そして交友関係に至ってはここにいる小田原宗谷君を除いて特別親しくしている者もおりません。もちろん女友達など一人もいないのです」

「すげぇ。やっぱ弦二のことよく知ってんだな。南雲は」

「いや……んーまあ、ほとんどあってるけど。要するに――」


 上乃君の言葉を遮るように、南雲さんは私に向かって強く言った。


「私の兄さんは地味な男です! あなたに告白するために兄さんがどれほどの勇気を出したと思っているんですか? それとも、いつも告白されてばかりのあなたにはその尊い気持ちすら抱くことさえ無駄であると、そうおっしゃるのですか?」


 南雲さんの言い分に私も黙ってはいられなかった。


「私はっ! 私のことを好きになってくれる人たちには感謝してるわよ。この人は本当に、心の底から私のことを想ってくれているんだ、って真摯さに心を打たれることもある。上乃君も『悪い噂』を聞いてなければ私もそう思えたかもしれない……」


 確かに昨日の私は不誠実であったかもしれない。それなら……。

 心配そうに、誰も傷つかないようにと、そんな目で私と南雲さんを見ていた上乃君に向かって頭を下げた。


「……私は誰かと付き合うなんて考えてない。私にはやりたいことがあって、それに向かって努力するのに今は必死なの。だから、ごめんなさい。あなたの気持ちがいくら誠実であっても、私はあなたと付き合えないわ」


 これが私の誠実さ。誰かと恋をする時間すら、私には惜しい。

 下げた頭の上から聞こえてきたのは呆れの混じる嘆息だった。


「そうですか……兄さん、行きましょう。兄さんにとってこの方にはもう価値がないのでしょう?」


 心臓を凍えさせるような冷たい声。閉じた瞼から涙が溢れそうになった。


「同じ生徒会役員として仲間だと思っていたのですが、残念です。兄さんの価値観と私のそれは至って同義。あなたとは仕事以外でお話しすることも今後一切ないのでしょうね」


 そう言い残し、南雲さんは手芸部の部室に鍵をかけると早々に立ち去ってしまった。


「おい詩由! ご、ごめん望月。僕からもなんか言っとくからさ」

「じ、じゃーなー望月」


 終始おたおたしていた男子二人組も手芸部からいなくなる。三人が遠ざかっていく足音を耳に残し、自分とはなにも関係のない手芸部部室の前で私はただ立っていた。

 あの凡庸な兄とやらにそれほどの価値があるっていうの? 兄妹だから? 兄を見捨てた私はもうどうだっていいの? ……ふざけないでよ。私はただ、自分の信じた選択をしただけなのに。

 上乃君を振った選択が間違いであったように非難され、自分が惨めな気分に陥っているこの時間が、まるで理不尽の塊に思えた。

 一人手芸部の扉に向かって項垂れていると、後ろから走ってくる足音が聞こえてきた。


「はぁっ。望月」

「上乃君?」


 上乃君一人だけが息を荒げながら戻ってきた。


「さっきは、もう一度ちゃんと振ってくれて嬉しかった。昨日は全然スッキリしなかったけど、望月には望月なりに付き合えない理由があるってちゃんとわかったからさ。だから、ありがとな!」

「…………」


 それだけを言うと上乃君は翻って走り出し、廊下の角へと消えていった。私はその姿を涙で滲んできた視界で追っていた。


「…………変な人」


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