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 厨房という名の戦場において私は一人の将軍のようだった。

 ヴォルガスト皇宮。その一角に鎮座する大厨房には、今や一分の隙もない緊張感が張り詰めている。

「火加減、あと三度上げて! 『星屑鳥ほしくずどり』の皮目は、宝石の表面を磨き上げるように均一に熱を通すのよ!」

「了解、フェリシア・シェフ!」

 私の指示に五十名の料理人たちが一斉に動く。総料理長ガラムが的確に、私の指示の粗を補佐してくれる。


彼らの瞳に宿っているのは、かつて聖王国で浴びせられた蔑みではなく、未知の美食へと到達しようとする職人としての情熱だ。


 今夜、私はこの国の保守的な貴族たちの前で、全七皿からなる至高のフルコースを披露する。

 ゼノアス様が私を「専用料理長」に据えたことへの保守的な反発、そして「聖王国の追放者」というレッテル。それらすべてを、私は味と、独創性と、圧倒的な『飯テロ』の暴力で黙らせるつもりだ。貴族達の高慢な舌。今日で私色に塗り替えてあげる。


「準備はいいわね」


「……一皿目、出します!」

給仕達が一斉に運んでいく。


────


第一皿(冷前菜)

霧氷むひょうの海を泳ぐ、銀鱗魚のカルパッチョ』


 晩餐会の幕開け。

会場を支配していた懐疑的な静寂を、最初の一皿が打ち破る。

 ヴォルガスト北方の極寒の湖で獲れる『氷晶銀鱗魚ひょうしょうぎんりんぎょ』。その身は水晶のように透き通り、噛めば冷涼な魔力が弾ける。私はこれを紙よりも薄く削ぎ切り、皿の上に「凍りついた湖面」を描き出した。

 

 味の決め手は、この国では雑草として捨てられていた『月光芹げっこうぜり』を極低温で抽出したオイルだ。そこに料理の技法である「ジュレ」の応用として、柑橘の酸味を閉じ込めた『太陽の雫』の欠片を散らす。


「……な、なんだ、この香りは! 冷たいはずなのに、鼻を抜ける瞬間に熱を感じるぞ。一体何事だ!」

 食にうるさい貴族たちが次々と興奮したように、会場のあちこちであたふたと目を丸くしていく。

 

 彼らが慣れ親しんだ「低温で焼いてブルー塩を振ったもの」とは対極にある、繊細な計算を施した奇妙な一品。

 一口食べれば、氷のような身が舌の上で体温に溶け、隠された香草の苦味が口、舌、胃を優しく刺激する。それは、冬の終わりと春の訪れを同時に体験させるような、味覚のタイムトラベルだった。


第三皿(魚料理)

『深淵の龍蝦ロブスターと、焦がし魔力のビスク』


 続いて供されたのは、海の深淵に住むという巨大な『深海龍蝦しんかいりゅうしゃ

 その身を「ポワレ」の技法で仕上げている。

 

 調理工程は、まさに職人技の極致だ。

 熱した銅鍋に、魔力を帯びた『琥珀牛のバター』を投入。シュワシュワと泡立ち、ヘーゼルナッツのような香ばしさが最高潮に達した瞬間、肉厚な海老の身を滑り込ませる。アロゼ……スプーンで熱いバターを何度も回しかけ、芯までしっとりと火を通す。

 

 ソースは海老の殻を粉砕し、ブランデーでフランベしてコクを引き出した真っ赤なビスク。

 そこに独創的な盛り付けを施していた。

 皿の中央に海老を鎮座させ、周囲には「余白」を活かして、深海に立ち上る泡を模した『白ワインのエスプーマ(泡)』を添えていえる。

 

「……ば、馬鹿な。この国の海老は、こんなに甘かったのか!?」

 一際頑固な老侯爵が、震える手でフォークを動かしていた。

「このソース、一滴も残すのが惜しい。……給仕、お代わりを持ってこい! 今すぐに! この皿を舐めるようにして食べ尽くさねば、私は一生後悔する!」

「は、はい! ただいま!」


 会場は、もはやざわめきを超えて、陶酔に包まれていた。


────


第六皿メイン

『覇王の赤身肉、黄昏のベリーソースと漆黒のトリュフ』


 そしてクライマックス。

 ヴォルガスト皇国が誇る最高級食材『双頭金剛牛そうとうこんごうぎゅう』のフィレ肉だ。わずかな季節の節目にしか人里に姿を現さないと言われる、まさに神々の御用達と呼ばれる肉だ。

 

 私はこれを、あえて単純な炭火焼きで「豪勢」演出にはしなかった。

 肉を「龍血樹」の葉で包み、低温のオーブンで三時間かけて蒸し焼きにする。そうすることで、肉汁を一切逃さず、赤身の中に究極の旨味を閉じ込めるのだ。

 

 仕上げに、客席の目の前で、私が直々に漆黒の『エルフのトリュフ』を削り出す。

 ハラハラと舞い落ちる黒いダイヤモンドが、肉の熱気に触れて、官能的な香りを爆発させる。

 盛り付けは、漆黒の皿に、赤と黄色のソースで描かれた「燃える夕陽」


────

 

 ゼノアス様が、その至高の肉を口にした。

 その瞬間。

 彼の表情が、劇的に強張るのを私は見逃さなかった。


(……ゼノアス様?)


 会場全体が歓喜に沸く中、主賓席に座るゼノアス様だけが、微かに震え、額に冷や汗を浮かべていた。

 彼はフォークを置き、胸を強く押さえる。


「……っ、ハァ……ハァ……」

「殿下!?」

 隣に座るガラムが叫ぶ。晩餐会が混乱に陥りかけたその時、ゼノアス様は私の視線を真っ直ぐに射抜いた。

 その瞳は、蒼い炎を宿しているが、焦点が定まっていない。

 

 ――これが、ゼノアス様の抱える「秘密」!?

 

 恐らくこれは彼の『魔力枯渇症』。でも単なる魔力不足ではない。

 体内の魔力が暴走し、外部からの刺激に対して過敏になりすぎる「魔力拒絶反応」を併発していたのだ。強すぎる美味、強すぎるエネルギーを摂取すると、彼の身体はそれを「異物」と認識し、自らを破壊しようとする。そう私の母のように。

 

 だからこそ、彼は今まで、味のない、魔力の薄い食事しか摂れなかった。

 私の料理を完食できたのは、私が無意識に食材の「魔力」を調和させ、中和する調理法を採っていたからに過ぎない。それでも負担はあったはず。私は新たな環境への不慣れさや高揚感などで、気付けなかった。


(まだだ……まだ、メインの後の『口直し』がある! あれをさらに調整して……)


 私は瞬時に判断し、予定していたデザートを変更するように厨房へ叫んだ。

 ゼノアス様の暴走する魔力を鎮めるための、究極の浄化メニューへ。


────


 しかし、混乱はそれだけでは終わらなかった。

 

 晩餐会の喧騒を切り裂くように、一人の男が広間へと乱入してきたのだ。

 それは、エルグラン聖王国の紋章を纏った、使節団の一員を装った男――バルトムの差し向けた刺客、かつて『黄金の月桂冠』で下働きをしていた料理人見習いのカイルだった。


「待ってください! その女……フェリシアの料理を食べてはいけません!」


 カイルの声が大広間に響き渡る。

 招待客たちが一斉に彼を振り返る。


「その女は、我が国の至高の料理長バルトム様からレシピを盗み出し、あまつさえ、禁忌の『魔薬香辛料』を料理に混ぜて客を惑わせる詐欺師です! 聖王国を追放されたのも、料理に毒を盛ったことが発覚したからですよ!」


 一瞬の静寂。

 続いて、貴族たちの間に、波紋のように動揺が広がっていく。

「……盗作?」「毒……だと?」「確かに、この異常なまでの美味さは不自然だ……」


 カイルは、バルトムから預かっていた「偽の証拠書類」と、不気味な紫色の粉末――バルトム自身が使っている禁忌のスパイスの小瓶を掲げた。

「これを見てください! これが彼女の鞄から見つかった『魔薬』です! ヴォルガストの皆様、貴方方は今、この卑しい女に毒を盛られているのですよ!」


 私は震えるカイルの手元を冷ややかに見つめていた。

 ……バルトム、貴方はどこまで愚かなの。

 自分の不甲斐なさを、まだ私のせいにするために、こんな稚拙な芝居を。


 周囲の衛兵たちが私を取り囲もうとする。

 ガラムが「待て! 彼女がそんなことをするはずがない!」と給仕達に止められながらも、前へ出てこようとしていた。ゼノアス様が苦しげに机に伏している今、その言葉に説得力はなかった。


「フェリシア……。何か言い分はあるか?」

 一人の商人が、軽蔑の眼差しを向けてくる。


「……言い分ですか?」


 私は一歩前に出た。

 恐怖はなかった。あるのは、自分の聖域である「料理」を汚されたことへの、深い静かな怒りだけだ。


「この料理が毒かどうかは、私が証明するまでもありません。……ゼノアス様、一口、これを」


 私は、急遽作り上げた『浄化のソルベ』を、震えるゼノアス様の口元へ寄せる。


「離れろ!」

衛兵が叫ぶが。


「よせ、下がれ!」

ゼノアス様の静止に衛兵が下がっていく。


 これは皇国の雪解け水と、毒消しの効果を持つ『月華草げっかそう』の蜜だけで作った、飾り気のない一品だ。


「……っ」

 ゼノアス様が、それを飲み込む。

 数秒後。

 彼の身体を包んでいた不気味な魔力の揺らぎが、霧散するように消えていった。

 呼吸は整い、青白かった顔に生気が戻る。


「……はぁ。……助かった、フェリシア」


 ゼノアス様はゆっくりと立ち上がり、鋭い眼光でカイルを、そして会場全体を射抜いた。


「この女が毒を盛っただと? ……笑わせるな。私の身体が、彼女の料理だけを『真実』として受け入れている。今、私の魔力を鎮めたのは、彼女の曇りなき技術だ」


 彼はカイルの手にある紫色の小瓶を指差した。


「ガラム。その瓶の中身を、宮廷魔導師に鑑定させろ。……そして、この男を捕らえろ。聖王国の使節団を装い、我が国の晩餐会を侮辱した罪は重いぞ」


「なっ!? ……そ、そんな! バルトム様からは、これをぶちまければフェリシアを破滅させられると……! はっ!?」


 カイルは崩れ落ち、自白同然の間抜けな言葉を漏らした。

 その場にいた貴族たちは、今のゼノアス様の劇的な回復を目の当たりにし、自白同然のカイルの言葉を信じる者はいなかった。


さっきの装飾満載の青い服を着た商人が、居心地悪そうにそわそわとしている。


ゼノアス様は私の手を取り、皆の前でその甲に唇を寄せた。

「フェリシア。……すまなかった。君をこんな汚らわしい噂に巻き込んで。君の料理は、もはやこの国の至宝だ。……そして、君を傷つけようとする者は、たとえ他国の重鎮であろうとも、私が容赦はしない」


 会場に、これまでで最大の拍手が沸き起こった。

 それは、私の「実力」が、疑惑と謀略を完膚なきまでに叩き潰した瞬間だった。


────


 一方その頃、エルグラン聖王国。

 

「……まだか。まだ、皇国からの報せは届かないのか!」

 バルトムは、誰もいなくなった厨房で、狂ったようにテーブルを指で叩いていた。


しかし、静粛を破ったのは、聖王国の衛兵達だった。衛兵達が店へとなだれ込む。

 

 彼の期待していた「フェリシアが毒殺犯として処刑される報せ」が、なかなか届かない。

 代わりに届いたのは、ギルドからの『永久追放勧告』だった。

 そして、追い打ちの皇国からの正式な書状だった。


『貴殿が送り込んだ刺客と、禁忌の香辛料の使用について。ヴォルガスト皇国は、エルグラン聖王国に対し、正式な抗議と賠償を請求する。また、首謀者であるバルトムの身柄引き渡しを求める』


衛兵によって読み上げられた布告の書状。


「……あ、ああ……。そ、そんな!?……。わ、私は、私は料理長だぞ……! 貴様ら! この国の食を支えたこの私が! あんなドブネズミの小娘一人に、何故、私の人生が……!!」


「ドブネズミは貴様だ。牢屋がお待ちだぞ。このペテン師め」

衛兵達によって強引に連行されていくバルトム。


 バルトムの目の前で、彼が愛した「黄金の月桂冠」の看板が、音を立てて崩れ落ちていく……。


────

 

 私はアイゼンガードの夜風を浴びながら、遠い空を見つめていた。

 ゼノアス様の秘密を、私は知ってしまった。

 そして私の料理が、彼の命を繋ぐ唯一の糧であることも。


「フェリシア。……これからは、君にしか頼めない仕事が増えそうだ」

 背後からゼノアス様が優しく声をかける。


「望むところです、ゼノアス様。……私の料理で、あなたのすべてを、そしてこの国を、もっと幸せにしてみせますわ」


ゼノアス様の叔父である皇帝陛下が軍の遠征から戻られるまで、私がゼノアス様を一番に支え続ける。

 私の新しい「人生」は、まだ始まったばかりだ。

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