普通男子の高校生活
ゴール直前、後ろから投げられた甲羅が直撃して、カートがひっくり返ると、恵太は、ハンドルを握りしめて、がくりとうなだれた。
「佐田、ありがとうね」
「まや先輩のためなら」
佐田とまや先輩、いや、亜矢ちゃんが、にこやかにハイタッチを交わした。
「無敗記録もここまでだね、川上」
そういうと、佐田は、恵太の背をバシンと叩いて、店を出ていく。
残されたのは、恵太と亜矢の二人だけ。
はぁーとため息をつく恵太に、亜矢がいたずらが成功した子供みたいな顔で微笑む。
「三年越しの勝利だよ。恵太くん、約束、守ってね?」
もう一度ため息をつくと、亜矢は恵太の腕にぐいっと腕を絡ませて、公園の方へと歩いていく。腕に、この世のものとは思えない、柔らかい反動が来て、思わず腰をかがめたくなる。
上機嫌で、恵太の腕にしがみついている亜矢をちらりと見て、恵太は言った。
「亜矢ちゃん、佐田に甲羅投げたり、クラッシュして邪魔させるなんて、ずるくない?」
亜矢は、どうだと言わんばかりに、恵太に笑う。
「それも作戦のうちでしょ? チームプレーしちゃいけないなんて、恵太くん、言わなかったし」
確かにそうだけど。それは小学生の時に、深く考えずにした約束じゃないか。
「私と二人で出かけるの、いや?」
嫌じゃない。
絶対に嫌じゃないけど、心臓がばくばくして出かけるのがきつい。
正直にそう言おうとしたけれど、言ったら負けな気がして、恵太は言葉を飲み込んだ。
「そうだ。お祭りもいいけど、プールも行きたいな。夏休みは長いし、両方いこうね」
プール?
浴衣もやばいけど、水着はありえないだろ?
さては、亜矢ちゃんは、まだ俺を、幼稚園か小学生の、弟的な存在だと思っているな。俺も、もう立派な高校生男子だというのに…。
ニコニコと、不純さのかけらもない笑顔を向ける亜矢の腕を外して、恵太は亜矢と向きあった。
「亜矢ちゃん、俺、もう、幼稚園児じゃなくて、高校生だよ? その…、二人だけで、お祭りとかプールとかいくっていうのは…」
亜矢は一瞬きょとんとしてから、盛大に吹き出した。
「わかってる。そんなの、私が一番わかってるよ。弓道場で、恵太くんを見た時から…」
「えっと、それって、つまり…」
「そう。そういうこと」
いや、どういうことだよ? と思ったけれど、亜矢はくるりと向きを変えて、公園の奥へと、さっさと歩いていく。追いかけて、覗き込むと、亜矢の顔が、真っ赤に染まっていた。
「いや…、見ないで」
顔を隠すその手を取ると、亜矢が緊張した面持ちで下を向く。
その顔を自分の方に向けたくて、恵太は、亜矢の頬を両手で包んで自分に向けた。
目があうと、吸い寄せられるように自然に、お互いの顔が近づく。
離れてから目を開けると、亜矢が、ね、恵太くんも普通の高校生男子でしょ、と、ありえないぐらい可愛い顔で笑った。
恵太は、この勝負に勝ったことなんて、一度もなかったんだと、やっとわかった。
(おわり)