不思奇談
暑くも無く、寒くも無く。個人的には、最高の散歩日和だと思う。隣を歩く彼がどうなのかは知らないけど。
コツリコツリと靴の音だけが響く中、彼はポツリとこぼすように話し始めた。
「僕はこれまで、目に見えるものは真実だと、疑うことなく生きてきた」
雑談でも無く、告白でも無く、吐露吐露と出してきた。そんな感じだった。
「それは今までもそうだし、これからも変わることはない」
笑いながら話す彼の言葉に、なんとなしにうんうんと相槌を入れる。これだけは言っておく。いい加減な態度に見えるかもしれないが、別に彼が嫌いってわけでは無い。
「だけど」
そこで一度、言葉を区切った彼は表情を曇らせた。
「自分の目は信じている、だからこそ疑いを持つ。目がおかしくなったのか、見えているものがおかしいのか」
一度こちらに視線を向けると、またすぐに話し始めた。俺は何も言わず続きを聞く。ここで口を挟んでもしょうがない。
「こんなとき、疑心暗鬼を生ずって言うらしい」
意味が分からなかったので目を合わせていると、見かねた彼はすぐに説明してくれた。
「疑う心が暗闇に鬼を生む、って意味らしいけどとても怖い。僕は怖い話を聞いた時、人に話す事でちょっとでも紛らわせている」
つまり、怖い話を俺たちに聞いてほしいと。顔をしかめたのが自分でも分かった。彼も慌てて、
「あ、いや、もし嫌いなら無理にとは言わない。君はあくまで、ちょっと怖い、不思議な話を聞くだけだ。実際にその場所に行って体験してほしいわけじゃない」
口早になって慌てる彼は少し面白かったが、怖い話は平気ではある、そして聞くことも大丈夫だと、そう告げると彼はほっと息をついた。もう少し粘ってもよかったかな、と思ったのは黙っておく。
「……ありがとう」
彼につられてこちらも笑った。
怖い話を聞くというのに、暗い雰囲気だと余計に怖い。それよりも少しでも明るく、怖さを紛らわそう。
「確かにそうだね」
ふう、と一息つき、彼は最後にもう一度、笑顔のまま俺を見た。
「これは僕が見た、信じられないような本当の話。話を聞いた後、君は信じたのか信じないのか、教えてくれないか?」
もちろん、了解の意味を込めて頷いた。
◇
ある本屋に立ち寄ったときの話だ。
見た目はこれといって特筆することができない、小説に出すには不向きな小さい本屋。
店によくある雨よけがかかってて、店内が覗けるガラス張り。お洒落な置物や照明道具もなく、今にも切れそうな蛍光灯が店内を照らしている。
品揃えも普通。読める人がいないような怪しげな本……なんかもなく、ベストセラー小説、国内外でも有名なマンガ、学生がお世話に……なりたくない参考書。たまに思うけど、どのくらいの人が自己啓発本を買うのだろうね? 僕は読まないからちょっと気になるんだ。
変わった点、といえば店主は少し変わっているかな? タバコを吸いながら、カウンターでずっとパソコンを睨んでカタカタしている。
客が来ても挨拶せず、本を買うときに全部で◯○円、お釣り、といった最小限の会話のみ。それもブスッとした表情で。面倒臭いといった雰囲気を醸し出しながら。
それが終わればまたすぐにパソコンでカタカタし始める。
一応、客商売なんだしもう少し、君達くらいに愛想良くすればいいのに、って何度も思ったよ……何やら言いたそうだけど、後で聞くからもう少しだけ待っててくれ。
三十代くらいのおっさんだけど、別に見てくれが悪いわけじゃない。むしろ、身だしなみを整えたら客は増えるんじゃないかなぁ。人は見た目で大部分を判断されるって本を売っていたのは何だったんだろ。
あぁ、これだけだと、ただ店主が無愛想なだけの小さな本屋だ。小説どころか、誰かの雑談にすら出て来ない、際立つことの無い影の薄い本屋。
この本屋のおかしなところに気づいたのは多分僕だけだと思う。それが偶然だったのか、必然だったのかは神様にでも聞かないと分からないんだろうね。
あー、その、子供が拗ねたような顔をしないでくれ、おもしろいけど。今は少しだけ聞いてくれ。
君達も知っている通り、本屋っていうのは、本を売る店だ。本を売って、買われて、減って、足していく。
それが本屋だ。だけど、この店で本を補充しているところを見たことがない。僕もてっきり、夜とか休日とかにするものだと思っていたよ。
そんなある日、店に立ち寄った。そのときの客は一人だけ。なにせ小さな店だからね、店内の様子なんか中に入るとすぐに分かる。先にいたお客さんはしばらく本棚を眺めていたけど最終的にマンガを十冊くらい買っていった。一巻から十巻まで、いわゆる大人買いってやつ。君達はしたことは……無いようだね。できるのが大人だから大人買い、なんて名前がつくんだろうし。いや、大人だけしかしないからだろうか。
とはいえ、十冊も漫画を買うとどうなるか? 簡単だ。そこにはごっそりスペースが空く。一冊分だけでもあれば目を引く本棚の空き、それも十冊分なんて見たことが無くてもわかるだろう。とても目立つ。
実際に僕もしばらくそこのスペースを見ていた。それでもすぐに目を離し、同じ棚の端から、面白そうな本はないかと探した。僕も本は好きなのさ。
しばらく本を眺めた最後、たまたま目に止まった『地元の都市伝説特集! 街を探索する幽霊』をパラパラと見て棚にしまい、帰ろうとふと顔を上げた。
さっきの人が買っていったマンガが置いてあった空間。大きな空きスペース、そこにはちゃんと本が収まっていた。それもさっき買われていったものと同じマンガが。
店の中に僕以外の客はいない。店主もずっとカウンターにいる。仮に人がいたとしても気づかないはずが無いほどの近くに僕はいたんだ。
だけど。
本は元から、あるべきように、本棚に収まっていた。最初からそこにあったかのように。しばらく呆然としていたけど、気が付いたら僕はそのまま店を出ていた。その時の僕は、意識があったけど体は無意識に動いていた。それこそ夢の世界のように。
しばらく歩いても、さっきの光景は頭から離れない。見間違いだったのかもしれない。見逃しただけなのかもしれない。言い聞かせようと、納得できる言い訳をいくつも考えた。考えたのは僕の頭なのに、ぐちゃぐちゃと絡みあった思考の中で、僕の頭はそれを否定した。
見間違いでは無いと。
外見は変わらないまま歩いてるけど僕の頭は相変わらず混乱している。それ以外は何の代わりも無い。
振り返って見ても、本屋はいつものとおり左隣のアパートに押しつぶされそうに道の端にあって、小さな町の風景の一部に収まっている。たとえ町に意思があって、何を不思議な顔をしている、と聞かれても僕は何でもないと否定するだろう。
まるで町の中で僕だけが切り取られた、異物となってしまった感覚に陥った。
その原因となった本棚の空いた隙間。そこを埋めたのは誰だったのか、何だったのか。未だに僕は分からない。
◇
ある公園を通りかかったときの話だ。
そこにはいつも同じおばあさんがいる。ベンチに座ってニコニコしながら子供達を眺めたり、猫を撫でたり。
たまに子供達に飴をあげているのを見て微笑ましいなー、なんて思ってる。そういえば今時の子供達は貰ってくれないって聞くけど本当なのかな? あぁ、学校での教えに対する捉え方の問題なのか。間違ってはいない、けどなんだか悲しいものだね。たまに子供の親が不審者について話しているのを聞くとしょうがないとも思うけど。いろんな犯罪も世の中にはあるし、これからも増えるのかな。人っていうのは難しいね……。
まぁ、これまたさっきの本屋のように特別変わったところのない優しいおばあさんだ。
フサフサな白髪、飴が出てくる手提げ鞄、ピンクのカーディガンを羽織り、見ている方もつられる優しい笑顔。実はどこぞのスパイでしたー、なんて話があってもいいかもしれない。探せばそんな映画でもありそうだね。
おばあさんがいる公園。これも別におかしいところなんてない。子供達が遊ぶための、ところどころペンキが剥げ落ちた年季の入った遊具がいくつか。象やキリンの大きなイラスト付きの古びた公衆トイレ。元は青だったのか緑だったのか、今では分からないほど色あせた座り心地の悪そうなベンチ。それが小さな子供達が遊びまわるには十分な敷地に収まっている。ザ、公園、と言ってもいいくらい普通の公園だ。特徴らしい特徴といえばボールが飛び出ないように、公園の敷地周りはフェンスで囲まれているくらいかな。
入り口も九十度にしか回らない取手のついた扉が一つ。
と、そうなると、公園に出入りするにはその、たった一つの扉しかないわけだ。あぁ、これだけ聞くとなんだか監獄みたいだね。別にそんなことはないよ、さっきと同じ変わった点はない。公園だと思っていてくれ。
そんな公園に一つしかない扉。子供達も、大人も、ペットも、その、たった一つの出入り口から公園に出入りする。
だけど、おばあさんが公園に入ったところも、出て行くところも、僕は見たことがない。
歩くのは好きだからね、それなりに公園を通ることは多い。多いときは週に五回は通りかかる。おばあさんも毎回、公園にいるのを見ている。頻度だけならそれなりに
それなのに。それなのに、だ。
そんな僕が、一度も見たことがないっていうのは不思議に思わないかい?
うん、この話も、さっきの本屋と似ている。
僕はたまたま見ることができた。というより見逃した、というべきだろうか。
ある日の夕方、公園の前を通った時、おばあさんはいた。いつも通りにベンチに座って遊んでいる子供達を眺めていた。西日が差し始めていたけど子供達はまだまだ元気に走り回っていた。時折聞こえる幽霊やお化けって声は気になった。それほど近くにいたわけじゃないからあまり内容は聞こえなかったけど。怖い話でもしていたのかな。子供達はコイバナとカイダンが好きだから、これさえしてればおとなしくしているって聞いたことがあるようなないような。誰に聞いたんだっけかな。
まぁ、公園で走り回っている子供達がそんなおとなしいわけがなく。新しくジャングルジムに興味を向けると、我先にと天頂をめざしていった。
遠ざかったので子供達の声も聞こえなくなったし、帰ろうとして、目を逸らした。
このときにおばあさんがいたのは覚えている。僕と同じように走る子供達を目で追いかけていたと思うし。
ただただ、一瞬。
逸らした目を、すぐにベンチに向ける。そこに、おばあさんはいなかった。
僕が立っていた公園の外。フェンスで区切られた公園の中、にあるお婆さんの座っていたベンチ。
その間を埋めるのには何がいるのだろうか。とりあえず地球の裏とでも電波でつながる電話はいらない。せいぜい糸でつながる電話で構わない。いやそれより少し大声を出すだけでいいのかな。手を伸ばしても間に二人、入ってくれればつながる距離だ。
にもかかわらず。
おばあさんを見失った。目を逸らした一瞬だけで。
公園では子供たちが変わらず遊び続けている。何事も起こらなかったかのように、気づかないまま。痛みの無い衝撃で頭がぼーっとしていた。
どれくらいなのかは分からない。ガシャンという音で意識が戻ったとき日は沈みかけていた。
子供達は帰ろうと我先に出口に駆けていた。はしゃぐ子供達の声、どこからか聞こえるカラスの声、風の声。身近なのにどこか遠く聞こえる感覚。さっきと同じ、切り離される感覚。いつの間にか掴んでいたフェンスを握りしめながらろくに働かない頭を働かしていた。
ベンチに座っていたおばあさん。いったい、どうやってどうして目の前からいなくなったのだろう、と。
◇
ある商店街を探索していたときの話だ。
雨よけ用の屋根はなく、特別大きいわけでもない、けど寂れてもいない、そんな町の商店街。君達も行ったことはあるだろう。
揚げ物や和菓子にデザートといった立ち食いの出来る店、独特の匂いを放つドラッグストア、どこで作られているのか不思議なお土産を売るお土産屋、八百屋、肉屋、魚屋、多種多様に様々な店が一箇所に集まりそれに合わせたような人の多さ。見ていてとても楽しい。子供達がおもちゃで遊べなくても見ているだけで楽しめるようなものだね。
もともと、この町には観光客が多い。なんでも昔から外から来る人の溜まり場となっていて、それを元に発展していったと誰かに聞いた。
別に僕も詳しいわけではないけどね。昔からこの町では不思議なことが多々あったらしい。あくまでらしい、だ。最近ではそれを研究する人、不思議な体験を求めて来る人もいるとか。どちらも未知を求めて訪れるんだろう。知らないものを知りたい、体験したい、学びたい。全部、人間にしかないものだ。大切だとは思っている、けど。
それも今の僕にはなんと言えばいいのか分からない。脳のスペックをはるかに超える情報を手に入れたとき、堪える度胸がなかったら、それは恐怖となって人の心を蝕む。
それでも人は求めて来るからね。商店街も賑わってさびれることなく存続している。今日もにぎやかに、騒がしく活発にまわっている。
現代の人が生きるには、結構たくさんのものが必要になっている。生体としての水、食料。文明として電気やガス。扱うものが増えてもそこに需要を見出し、新たな需要と供給を生み出すサイクルとなる。
君達は街中にある、なぜあるのか誰も知らない扉を見たことはあるかい? 箱についていたり、壁についてあったりと見逃すことは多いけど探してみると案外見つかるものだ。大抵は電気だったり水道管やガス管を管理、調査するために取り付けてある。現代では必要不可欠な生活管。小まめに調べないとね。事故があったら大変だ。そんな大事なものでも子供にとっては未知の扉、一度は開けて中を覗いてみたいと思うだろう。無邪気な知的欲求、いや、探索欲求とでもいうのかな? まあ、言うまでもないが中身は危険だ、下手をすると災害並みの被害が出る。
そんなことが無いように大抵の扉には鍵がかかっている。その扉が開くのは鍵を持っている人が来たときだけ。選ばれた人間のみが開くことのできる扉って、表現するとかっこよくないかい?
分かってくれて嬉しいよ。
僕は、何度か商店街を歩いていたときに点検作業をしているところを見たことがある。作業服を着た人達が扉を開けて中身をいじっていたけど、そうだね。開くまではすごく興味が湧くけど開いたところを見ると興味は無くなった。はずなんだけど、ああいうのって理由は無いけどつい見てしまうよね。扉の中身は何があるのかって興味が消えたら今度は何をしているのかって興味がわいた。これじゃ野次馬だ、この町の観光客を笑えなかった。どころか同類のようだな僕は。
そこで慰めないのは優しさかい? あ、その顔は違うね。単純に慰める気がない顔だね。
あー、君は本当に、いやいいか。なんだか気が抜けたよ。
ありがとう、少し落ち着いた。
商店街でも人々は笑顔ですごしている。理由はなんであれ、お客さんが来てくれるのは嬉しいだろうし、観光も楽しんでいる。それだけで良かったね。怖い話は笑って明るく、と言ってくれた君の言葉を忘れそうだった。
そうだ続きを話そう、けど続きはそれほど長くない。
ある日商店街を歩いていた僕は、店と店の間にある、人二人分の隙間しかない路地に目が止まった。作業服を着ている人が数人で作業をしていた。
ちょうど終わったのか錆び付いた赤銅色の扉を閉めて鍵をかけて撤収していった彼らを見送る。
ちょうど彼らが路地から出た直後、僕がいて彼らが出てきた向こう側から人が入ってきた。通り抜けるつもりだったんだろうし珍しくもない。けど僕はその人を見ていた。その人はさっき点検された扉の前に立っていたから。一度点検したものをまたすぐに点検するはずがない。そんなことを思っていたら。
扉を開けると、そのまま中に入っていった。
見ながら同じ感覚が襲ってきた。世界から切り離されて、一人孤独になる不安で押しつぶされそうに、そして恐怖で肺が詰まり息ができない。でも、今回怖かったのはそれだけじゃなかったんだ。
僕が世界から切り離されていた間、路地にいた人は僕と同じ世界にいた。同じように切り離されて、僕と同じ世界にいるようだった。
僕と扉をくぐったあの人は、世界から同じ異物扱いを受けていた。
扉の先に行ったあの人。世界から僕と同じ扱いをされたあの人。あの人はいったいどこへ行ったんだろう。
◇
ある雨宿りをしていたときの話だ。
その日は予報外れの雨がずいぶんと降っていてね、文字通り、バケツをひっくり返したかのようなすごい雨だった。
朝はすごく綺麗に晴れていてね。とても雨が降るとは思えなかった。あ、今考えると少し綺麗に晴れ過ぎていたような気もするな。天気予報の一つに山が近くに見えると雨というのがあるね、多分理由はあるんだろうけど知ってる? 科学的根拠もあったから結構バカにできないんだよね。
僕は天気予報もできないし、見ていないのを後悔したよ。流石にあの豪雨では傘もなしにはどこにも行けないし危ない。だから近くにあった店の軒下で雨宿りをしていたんだ。文字通りの立ち往生だね。
雨が好きならいいのかもしれないけど、僕は別に好きではなかったからね。かなり参ったよ。
店の前を通る車はライトをつけているし、目立つ色の傘をさしても近寄らないと分からない。傘をさしても靴はビシャビシャ、髪が濡れないようにするのが精一杯といった感じで店の前を通る人たちを何人も見送っていた。
そして雨のせいで視界が悪いのに、そこに重ねて時間も経ち、辺りは薄暗くなっていく。店の前にあったコンクリートブロックの塀も見えにくくなっているし、遠くの街灯も雨の中でぼんやりと光り始めた。依然として止む気配がなく降り続けている雨や、時折目の前の道を通る人や車を見ながらこのままだとここで一晩立ちっぱなしになってしまうかな、とか考えていたよ。
それはさすがに辛い。最悪ずぶ濡れ覚悟で雨の下に出るしかない。濡れて困るものは持っていないし、風邪はひくかもしれない。でも、このまま店の軒下にいてもそれは同じ結果になるだろうから我慢するかと考えていた時。
ふと、ばしゃばしゃと雨の中から音が聞こえてきた。
音がしたほうを見ると、雨合羽を着た人が自転車をこいでいるのがかろうじて見えた。自転車の明かりが見えなければ分からなかったと思うよ。
雨合羽があってもさすがに辛かったんだろうね。だいぶはぁはぁと息が上がっていた。普通に自転車をこいでいたら大丈夫なのかもしれないけど、水に足を取られて視界も悪くて辛そうだったよ。
大変そうだなー、なんて自分のことは棚に上げて、見ていたら、視えてしまった。
向かい風に煽られた雨合羽のフードが少しめくれて、顔が見えた。
火のように真っ赤な口、雪のように白い目。そして、それ以外は影に覆われたかのような真っ黒だった。人の顔の形をした影。そこに白い光が二つと真っ赤に燃え上がる小さな火の玉が埋め込まれた装飾品。なんかにはとても見えなかった。ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、と途切れ途切れの息が生き物であると頭に刷り込まれる。
今思えば失礼だけど、しばらく顔を見つめ続けてしまったんだ。あれだけうるさかった雨音も僕には聞こえず。それほど集中していたのか、無音となった世界で僕は、見えなくなるまで目で追いかけた。
幸い、と言えばいいのかもしれないけど僕には気づかなかったらしく、そのまま通り過ぎていった。その後ろ姿を見ながら僕はしばらくぼうっと、立ちずさんでいた。よそから見たらかなり滑稽な顔だっただろうね。
気がつくとあたりは真っ暗になり、いつの間にかあれだけ降り続いていた雨は止んでいた。それくらい長い時間立ち尽くしていた。言い換えればそれくらいの衝撃があったということ。
今思い出しても、何ともいえない感覚に襲われる。けど他と違う点がある。
今までは怖い、という恐怖が強かった。
そりゃ自分の頭で理解できない現象に出会ったから怖いに決まってる。
理解できないから怖い。人として普通のありきたりな感情だ。理解できないから拒絶して、突き放して、近寄らせない。だから一度でも理解できたのなら、そこに恐怖はなくなる。理解できないという恐怖はなくなる。もっとも理解できたから怖くなるものもあるけど。
今までに話した僕が見たもの、体験したこと、これらは全て僕にとっては怖かった。
なのに。
この雨の日に体験したこの話だけは、他とは全然違う感想を持ったんだよ。
それは驚きだった。
あの日見た雨の中で自転車をこいでいた彼を見ても僕は恐怖を感じない。そのことに僕はすごく驚いたんだ。知らない恐怖、未知の怖さ、これらがあったのは間違いない。それでも、そんな恐怖が霞んで見えるほど怖いと思えなかったことに驚いたのさ。
あえて、さらに他の感想を言うとしたら、知りたい、って気持ちかな。
怖いと思えなかった彼、それか彼女なのかはまだ分からないけど。僕は知りたいと思ったんだよ。
彼、彼女はいったい、誰だったんだろうと。
◇
ある川のほとりを歩いていたときの話だ。
その日は天気もいいし、のんびりと散歩していた。どうせなら通ったことの無い道に行こうと、町外れを流れる川に沿って歩いたよ。
僕が歩いているのは歩道のない道路の端っこ、とはいえ車はそんなに通らないし見通しもいいから特に危険ではない。そして道路の向こう側、川を挟んだ反対側は山になっている。車は滅多にこないし、川のせせらぎや山の匂いは散歩をするのにとても良い雰囲気を作ってくれるので好きな散歩道の一つにしている。
川に山と聞くと、とても自然の中にいるように感じそうだけど実際はそうでもなかった。
川は整備され、落ちないよう所々ガードレールがあるし、山の麓も土砂崩れの対策なのかコンクリートで固めてある。何より道路を挟んだ山の反対側は住宅街となっている。
もう少し田舎に行けばありそうな河原の部分が一切なく、どちらかというと水路の方があっている気がする。
そんな風に人の手が加わった不自然なものでも自然といっていいのかな? たまに広告で使われている謳い文句、自然に囲まれた生活が、ってあるけど多分人の手が入っているよね。何かしらの詐欺系統の罪に当てはまったりしないのかな? といった、どうでもいいことを考えながら歩いていたけどふと山を見て、どうせならこの山でも登ろうかなと思ってね。歩きながら渡る橋を探した。探し物って探すと見つからないことが多いのは何故なんだろうね。君たちもそんな経験はないかい? ひどいときはかなり時間を取られるから困りものだ。
今回は運良く、早々に見つけたからよかったよ。
とはいっても。
見つけることはできた、できたけど。
なんというか、橋の仕事はしているが、橋といっていいものか怪しいものだった。
細い木の板がかかっているだけ。つり橋なら飛び跳ねてゆれることはあっても平気だけど、この橋はちょうど真ん中で跳ねたら耐え切れず、折れてしまいそうなほどだ。正直どうしてこんなものがあるのか不思議に思える。
大人がかけたとは思えないから、たぶんどこかの子供が遊びでかけたのかな?
周りを見渡しても他に橋は見つからない。探し物を見つけることができたっていうのは少し早かったかもしれない。しょうがないのであれで渡ろうかと橋に近づいていくと僕より先に近づくものがいた。
どこからか出てきた猫。白、黒、茶の綺麗な毛並みの三毛猫が目の前を走り抜ける。てててっと、駆け足で簡単に渡って山の中に消えていった。
もちろん猫一匹の重さで壊れるような橋ではない、そのことだけでも分かったのは良かったよ。
猫なら簡単に渡れるだろうなー、と見ていたら今度は猿が出てきた。茶色い毛並みに顔は赤顔に少し青色がまざっていたような気がするけどニホンザルじゃないかな、君達は動物に詳しく……ないか。動物に詳しいのは特技に数えていいよね。僕らからすると。
その猿もさっきの猫と同じようにかたかたっと、身軽に橋を渡り、山に行くのを見送った。やっぱり橋は壊れなかった。橋が壊れそうでちょっと怖かった。
うん、ここまでは良かったんだ。何の不思議も無く、疑問も生まれることはない。だけど、次に橋を渡ったやつはおかしかった。
現れたのは猪。
それもとんでもなくデカイやつ。先に渡った猫や猿とは比べ物にならない。生物としての差を様々と見た。
さっきも言ったけど僕は特別動物に詳しいわけじゃない。
だとしても。
人が一人で勝てる相手じゃないことも、そこいらの子供より体重が重いことも知っている。
どどどどっと、駆け足? 身軽? そんなわけがない。のんびりと歩いても渡れるか怪しいのに、猪は勢い良く、敵に向かっていくかのごとくの速度で橋に向かって突っ込んでいって、
橋は折れなかった。
渡られた橋は折れること無く、猪を運んで、猪も折れないのが当然とばかりに、一切減速すること無く、平然と渡って山に消えていった。
見送った僕に残されたのは毒気を抜かれた、そう、狐につままれたかのような感覚。
僕はその橋に近寄った。少しどころか、いやかなり警戒しながら橋に近づいて見ると、やっぱり普通の木の板だったよ。ぼろぼろでも元はきれいな長方形だったのが分かる。人の手が加わったものだと。誰かが運んだのか運ばれてきたのだろうか。それを僕が知る方法は無い。
ただ狭い。猫や猿、僕もがんばればなんとか渡れそうな幅しかなかった。どうがんばっても猪は渡れないと思う。
山に向かうのはあきらめて帰った。後を追って山に入る気持ちは微塵もない。かわりにあるものが残った。
猪はどうして渡れたのか、という疑問が。
◇
ある学校を見に行ったときの話だ。
大した理由は無い。いっときの気まぐれだよ。散歩のコースからも近いからちょっと寄りたくなっただけさ。
学校での不思議な話って聞くと、少しわくわくする人もいるらしいけど君達は……その、なんだか反応に困る顔だね。好き嫌いではなく触れたくないという感じなのかい? その辺はまた後で詳しく聞かせてくれ。
そんな君達なら分かるだろう。学校の怪談、七不思議、というように学校では不思議な話が生まれやすい。なんせ多感でエネルギーに満ち溢れた思春期の学生が一ヶ所で固まって過ごすんだ。そんなところに何も無いわけが無い。
たびたびで悪いけどね。僕は学校の近くを歩いていた。
君達も知っている通り、僕は散歩が好きでね、当ても無く歩くのは日課になってるんだ。決まった道を通っても日々変わる景色は一度たりとも、同じものを見せない変わり屋。それを見るのがとても楽しい。
あの時はちょうど学校が終わったらしくてね、夕景の空の下、たくさんの学生が帰っていたよ。学校が終わったっていうのに学生は元気だね。そこかしこから声が聞こえる。校門で見える学生達の楽しげな声がたくさん。
楽しかった、つらかった、これからどこかに行こうか等、あの声は聞くだけで元気になっていくようだった。
そんな中、ある会話に耳がひかれた。
坊主頭の男の子達が四、五人で帰っていた。バットがカバンから見えていたし、同じ野球部の集団だったのかな。彼らはこんなことを話していた。
「ほら、先週の死体が見つかったって事件」
「聞いた聞いた、またあの神社で見つかったんだよな」
「先月も事件なかったっけ? よくあるよな、あそこ」
「うちのばあちゃんがあそこにある神社は呪われているから近づくなって言ってたな」
「でも、今度先輩達が肝試しに行くって言ってたぜ」
「大丈夫なのかそれ? 見つかった死体は足が無かったって聞いたぞ」
「動物に食われたとか?」
怖ぇ、と話しながら彼らは通り過ぎた。
僕は知らなかったけど、どうやらそんな事件があったらしい。彼らはその後も犯人はどうだ、一度俺達も行くか、なんて話していたよ。ニュースに興味があるのはいいことだね……なんだか渋い顔だね。この手の話は苦手かい? 悪いとは思うけどもう少しで終わるから、あとちょっとだけがまんしてくれ。
次に来た学生は二人組みの女子。聞いていると同じ話をしているようだった。
のだけど。
少し違うようだった。
「ねー、聞いた? 足が無い遺体が見つかったって噂」
「聞いたよー、見つかった神社って、昔はよく事件があったんだってねー」
「一ヶ月に一回の頻度で事件が起こるとか都会に行ったら驚かれそう」
「けど最近は無かったんだよね、今回がだいぶ久しぶりなだけで」
「昔は肝試しに行った学生が神隠しに遭ったって先輩が言ってたけど本当かなー」
彼女達はそのまま話しながら歩いていったよ。
君達は彼らの話を聞いておかしなところに気付いた? 同じ神社で事件が起きた話を彼らも彼女達もしていた。
にもかかわらず。一貫していたのは神社で事件が起きたこと、そこで足の無い死体が見つかったこと、神社では事件がよく起きたこと。
最後が、引っかかるんだ。
最近もよくある、ように言っていた坊主頭の彼ら。昔はあったという彼女達。
二組とも同じ学校から同じ時間帯に出てきた。それなのに違った話をしている。
違う学年、というには話の内容が飛びすぎている。
ここまでくるとなんとなく終わりも分かるよね。そこまで考えた時、世界から途切れた、切り離された感覚が襲ってきた。
さすがに慣れた、とは言えないがこれまでよりも耐えることができたと思う。
だけどそれで終わってくれなかった。
切り離されたのは僕だけじゃなく、周りを巻き込んでこれまでにないくらい広がり、学校の校舎、グラウンド、下校中の学生全てが僕と同じように切り離されたのさ。
今までにない人数と範囲、未知の恐怖に慣れた僕を追加で襲ったのは大きさという原始的な恐怖。
体の奥底から冷え込み、締め付けられる恐怖に心から震えた。
今思い出しても体が震える。シンプルな大きさに対する恐怖。あれには勝てないね。
僕がそれまで考えていた、疑問を忘れてしまうくらいに怖かった。
校門から出てきた彼らの違う感想を。
◇
「これで終わりさ」
話し終えた彼は、ひどく疲れた顔をしていた。これまでの恐怖体験を思い出していたのだから無理はないけど。高いところにあった陽も、今ではだいぶ傾いている。
「いろいろと聞きたいこともあるだろう」
今日出会った時よりもやつれているけど、気にしていないのか、気づいていないのか暗い声で話し続ける。
「君たちが信じるのか信じないのか、それだけは教えて欲しい」
彼の目はそう語っていた。いろいろと聞きたいことはある。話したいこともある。教えないといけないこともある。
でも、最初に質問には答えないといけない。
「信じる。お前の話した不思議な体験談を、全て信じる」
やっぱり彼の驚いた顔を見るのはおもしろいな。
「そっか、そっか」
安心したのか彼は、小さくつぶやきながら徐々に笑顔になった。
そんな彼と反対に、俺の気持ちは少し暗い。
自分の不安を聞いてもらい、さらに答えてもらったことで彼はだいぶホッとしているんだろう。そんな彼を、再び暗く落ち込ませるかもしれない。
それでも多分、知らなければいけないことだと思う。
「いくつか聞きたいことがあるがいいか」
「ん、ああ、もちろん」
まず一つ目。
「ーーーーー、って名前に聞き覚えは?」
「ーー、ーーー? えーっとあるような、ないような」
記憶の欠如。続いて二つ目。
「お前はこれまで俺以外の人と何人話した?」
「君達以外と? えーっと、あれ? 話したことはある、あるよ? え、でも最後に話したのはいつだろう? 」
認識されない体。三つ目。
「俺の隣にいるこいつは、お前にとってどう見える」
「そっちの人? 黒くて、もやもやしてて大きくて、なんだか見覚えがあるような」
見えないはずのものが見える目。最後。
「お前」
彼の顔から視線を下げて下げて、胸、腰、太ももの下。あるはずのものがそこにはない。
視線に気付いた彼が、先に口を開く。
「? どうしたんだい足元を見て。そこには何も無いよ」
◇
どこにでもいない、少し変わった少年の話だ。
その少年が物心つく頃には見えていたから、多分生まれつきなんだと思っているし、それが正解だと思ってる。
一番古い記憶には、近所のお姉さんが、古い映写機のようにぼやけて写っている。
手をこちらに伸ばし、引っ込めた後、走って飛んだ。白い塊がぶつかり、真っ赤になったお姉さんは、黒い靄に包まれて、煙のように空にのぼって、雲のようにふらっと消えた。そこで記憶は終わってる。
全ての人に憑いていく、黒い靄。
それが“死”というものだと知ったのはいつだっけ。
人が空腹だと死ぬように、雲は空に浮かぶように。誰もが教わらないで、身につける常識のように。
知らぬ間に身についた常識の一つになっていた。
自分以外には見えないことも、それを言っても流されるか、拒絶されることも身についてた。
自分にも憑いているこいつらが、普段は何もしないのも、死んだときだけ人に関わることも。全部全部、身についた。
だから、こいつらが張りついていない人を見た時は驚いた。だけどすぐに理由が分かった。
そいつの膝から下が無かった。まるで水彩絵の具のように、ぼやけて向こう側が見えている。
「あそこにいるのって死んでる?」
声は発しないが言ってることは分かるらしく、人型なのも相まって、意思疎通は割とできるのは良かったと思う。
「声をかけるのは」
首を横にも縦にも振らないのはご自由にしろというサインなのか。訂正する。イエス、ノー以外の疎通は難しい。
「まぁいいか。なるようになるし」
声をかけると普通に話せた。
「あいつ気付いてないのか、自分が死んでることに」
見る人が見たら独り言を話す怪しいやつだと思われるだろうが、そんなことに慣れてる少年は、気にせず、生まれながらの相方と話す。
「このままだと悪霊なんかになりそうだな」
こくりと頷く相方は、自分の知らないことも知っている。だけども気にしない。そういうものだと、くらいにしか思ってない少年は、こいつの知識が助けになるなら普通に助けを求める。
「あいつどうにかしないとな」
頷く相方が心強いのは、今に始まった事ではない。
◇
「そうか、僕は死んでいたのか」
予想に反して、あっさりと彼は受け入れてくれた。元々の予想は悪いものしかなかったので、良かったと言えば良かったが。
「それなら僕の体験談は」
「お前しか認識してないし、お前だから体験したんだろ」
浮遊霊の恐怖体験。誰にも知られない、誰もが知らない不思議な体験談。聞くことができたのは、俺と相方の二人のみ。
「お前の世界から切り離された感覚、っていうのはあってるようで違う」
「違う? だとすると成仏みたいな?」
彼は首をかしげる。
「それも似ているが少し違う。切り離される、ってのは少し違う。踏み入れたんだ、こっちの世界に」
首をかしげたままの彼に、どう説明しようか迷う。なんせ、俺達も詳しくは、知らないのだから。
「お前が気づかれなかったのは、生きている人間などがいる、あっちの世界の住人ではないから」
だからこれまで誰にも触れられず、会わなかった。
「誘われたんだ、こっちの世界に」
こっちの世界にいないと知らない、生きた常識が通じない裏の世界。
「お前には自覚がなかった。だからそっちにいることができた。だが、元々こっちの世界にいるはずの住人。きっかけ一つでいつでも来ることはできる」
二回目になるが、俺達も詳しくは知らない。知っている事実だけを使って、推測して話すしかできないのが、今の現状だ。
「怖かったのは、それを知らなかったから。お前の言ったとおりな」
俺の話が終わると、彼は俯いて顔を手で覆った。自分なりに今の言葉を反芻して繰り返して、考えてるいるのだろうか。
「……君の言うこっちの世界はどんなところだい」
顔を上げないままの彼に、
「よく分からん」
即答した。
「……一応真面目に聞いてるんだけど」
「真面目に考えてもふざけても分からないとしか答えられない。そんな世界だ」
人としての常識なんか、持っていたところで役に立たない。素質あるものだけ行ける、言い換えれば素質があれば強制的に関わる隣り合わせの世界。
「お前は今日、人の世界の異物だと認識した」
まだ顔を上げない彼に、気にせず続ける。
「そして俺たちのいる世界も知った」
気分は判決を言い渡す裁判長。
「あとはお前がどうするか」
顔を上げた彼と眼が合う。
「……僕が出会った不思議な体験さ。本当に怖かったんだよね」
ゆっくりと彼は口を開いた。
「君たちが聞いてくれて嬉しかった。そしていろいろと教えてくれた。とても感謝している」
俺たちは黙って、彼の話を聞く。
「そんな君たちに誘われたからね、行くよ」
先ほどまでの不安そうな様子はすっかりなくなり、彼はさっぱりとした、いい顔になっていた。
「そうかい」
彼なりに考えて決めたんだろう。ならこれ以上、俺たちからは何も言うことはない。
山に隠れた太陽が沈み、明るい陽の光が消えて、夜が訪れる。
新参者を歓迎してくれるかのように、俺たちの体を暗闇が覆う。
彼に手を差し出して一言。
「ようこそ、こちらに」
「どうぞよろしく」
彼は俺の手を握った。
周りから視線を感じる。近くにいた奴らが新参者を見に来たのか、歓迎しに来たのか。
どちらにせよ仲間が増えるのは、俺たちにとっても嬉しいものだ。
「これからどうする?」
「そうだね」
彼は少し悩んでから言った。
「散歩してみるよ、何があるのか見てみたい」
ちょっと怖いけど、と付け足した彼にたくましいなと思った。
「そうか、ならまたいつか聞かせてくれ」
はみ出しものの浮遊霊、七つ目の体験談。
またいつか、彼に聞くのが楽しみだ。
相方が隣で微笑んだ気がした。
◇
浮遊霊の不思議な体験談だ。
ある街に、自分が死んだことに気付かない浮遊霊がいてね。そのことを知らないままフラフラとして、たくさんの不思議な体験をしたんだ。
自分が死んだとは思っていないから、とても怖がってね。軽いパニックをおこして、精神的に少し危なかったんだ。一歩間違えたら、悪霊にでもなってたかもしれない。
運良く、幽霊が見える友人に出会えてね。友人は彼の話を聞いて、死んでいること。死んでいるからそんな体験をしたことを教えてくれた。
その上で彼を誘ってくれたんだ。
浮遊霊でもおかしくない、不思議な世界に。
つまるところ、その浮遊霊は寂しかったんだろうね。他人に気付かれることもなく、たった独りで怖い体験をして。自分は正気だったのか、狂ってしまったのか、分からなくて。
だけど浮遊霊は運良く友人に出会えた。
そして友人の誘いに乗り、ここ『裏街』に来た。
あ、君は『裏街』に入ったばかりなのか。だったらここがどんな場所なのか分からないね。
簡単でいいなら説明するよ。
ここ、『裏街』は場所であって、異世界になる。
始まりはそうだね、浮遊霊のように君のいた世界で異物となる、はみ出したものたちが集まってできたんだ。子供たちが空き地に集まって、秘密基地を作るようにね。
作ったんじゃない、できたんだ。ここが大切だよ。
しかもできたのはすぐ隣、君たちのいた世界を表として裏にあたる、隣り合わせの場所にできたんだ。
そこにだんだん集まる数が増えて今では立派な街になった。
それがここ、『裏街』だよ。
ただ変わったことに、どんな場所の裏にもつながってね。なんというかその、いわゆる魔法がある世界だったりにもつながって、ただでさえ常識がおかしかったのに、今では何でもあり得るが常識になっちゃってるけど。
どこにでもつながる異世界にしてはみ出しものの集まる場所。そんな街なのさ。
君も探索するといい。面白いものがたくさんあるよ。怪我には気をつけてね。
ふふっ、話ががだいぶ逸れたね。
まぁ、その浮遊霊が最初にできた友人に誘われて、ここに来たってだけの面白くもない話だからこれで終わりだ。
◇
「言うまでもないけど僕が話の浮遊霊さ。たった独りで寂しがりな浮遊霊」
目の前で少しおどおどしている君を見ながら、テーブルの飲み物をすする。
僕でも味が分かるってどんな材料なんだろう、って疑問はおいておくけど。
「君も経緯はどうあれ、ここに来たんだ。だから僕たちは歓迎するよ」
僕なりに分かりやすく話ができたと思うんだけどな。かれよりは詳しく説明できたとは思っている。
「ようこそ、裏街へ。あなたにとって良い街であることを願います」
来てから知ったんだけど、ここへ来るものへ歓迎の言葉を向けるのが通例らしい。彼は知らずにしてくれたけど。
「あっ、その、よろしく、お願いします」
ちょっと戸惑いながらも君は手を握った。
あの時は日がくれたけどここにはない。
だけど歓迎をしてくれるように、大時計の鐘の音が鳴った。驚くきみが少し面白かったのは秘密だ。
「さて、これから友人に会いに行くんだけどね。良かったら君も来るかい?」
「え?いいんですか?その、大切な友人って言ってましたよね」
「大丈夫大丈夫、連れが増えたくらいで彼は怒らないよ」
あっちも常に連れ添う相方がいる。こちらも相方、ではないけどいいだろう。
テーブルから立ち上がり、二人で並んで歩く。
「そうだ、良かったら君の話をしておくれ」
「え、自分の、ですか」
「うん、僕は話をするのも聞くのも好きでね。それで良かったらさ」
君は少し悩んでいたが、承諾してくれた。
「あまり、面白い話はできませんよ」
「いいよいいよ、のんびり話してくれたら」
ゆっくり君の話を聞きながら歩く。
そうだ、どうせなら君にも話を聞いてもらおう。
僕が彼と出会って体験した、これまでの不思議な話を。
タイトルはそうだな。
不思議で奇怪な体験談。
不思奇談なんてどうだろう。彼はなんて言ってくれるかな?