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冤罪で斬首された聖女が、三日後の朝、微笑んで帰ってきた。中身は激怒した悪魔――嘘つきどもから利子ごと取り立てます  作者: 灯野ましろ


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第1話 聖女は斬首された。悪魔は激怒した

処刑台の上で、聖女リーゼが首枷を嵌められている。


罪状は、悪魔との契約。


――私が言うのもなんだが、まったくもってその通りだ。


なにしろ契約の相手は、この私なのだから。


悪魔ザガン。それが私だ。


広場の人垣の後ろで、私は行商人の顔を借りて、はやる指を懐で押さえていた。待ちに待った、取り立ての日だ。十年寝かせた極上の一本を、いよいよ開ける朝の心地。舌なめずりを堪えるのに、少々骨が折れた。


十年前。


流行り病が国を舐め尽くそうとしていた、冬の夜だった。


あの娘は、来る夜も来る夜も、祭壇に額をつけて神に祈っていた。声が嗄れ、膝が擦り切れるまで。だが、天は一度も応えなかった。祈っているあいだにも、朝ごとに、子供の数は減っていく。


祈り疲れた果てに、娘は初めて、神ではないものへ呼びかけた。


――応えてくれるなら、相手は誰でもよかったのだろうな。


応えたのが、私だった。


《この国を蝕む病を祓ってください。対価は、死んだときの私の魂でかまいません》


素晴らしい取引だった。


聖女の魂。市場に出れば地獄の公爵が城ごと差し出す極上品だ。それが、たったひと冬の労働で手に入る。以来私は、この娘が魂を磨き上げていくのを、蔵の酒を眺める気分で待っていた。


祈り、治し、与え続けた十年。いい熟成だった。


今日、それが手に入る。処刑という形は予定より少々早いが、まあいい。


「皆さま、お聞きください」


台の上で、鈴を転がすような声がした。


偽聖女――いや、今日から「聖女」か。クラリッサが、目元を白い指で押さえながら群衆へ向き直る。


「わたくしは見てしまったのです。リーゼさまが夜ごと祭壇で、悪魔に祈りを捧げるお姿を……。信じたくはありませんでした。ですが、この告白書が動かぬ証にございます」


侍女が恭しく羊皮紙を掲げた。


リーゼの筆跡そっくりに書かれた、リーゼが書いていない告白書を。


曰く――我が身の栄華と引き換えに、この国の寿命を悪魔に売り渡した、と。


……ほう。


まるで逆さまだな。この娘は自分の魂ひとつで、お前たちの寿命を買い戻したのだが。


「嘘だ! 聖女さまは、おっ母を治してくれた!」


人垣の前で、痩せた少女がひとり叫んだ。


すかさず、クラリッサ付きの侍女が声を張った。


「お黙りなさい。あなたの母君を癒やされたのは、クラリッサさまです」


「……およしなさい」


クラリッサは悲しげに目を伏せ、群衆へ向けて緩く首を振ってみせる。


「わたくしのことなど、いいのです。……その子を、責めないであげて」


庇う顔で、手柄だけは侍女に言わせる。よくできた芝居だ。


違うな。あの母親を癒やしたのはリーゼだ。私は帳簿のように、一件残らず覚えている。


ついでに言えば、この人垣にも、リーゼに癒やされた者が幾人か交じっている。どれも帳簿にある顔だ。……誰ひとり、あの少女の隣には立たなかったがな。


「引っ込め嬢ちゃん、石が飛ぶぞ」


「泣いたって見世物は変わらねえさ。……おい、揚げ菓子まだ残ってるか」


群衆というのは、いつの時代も上等な地獄だ。泣く者一人、嗤う者十人、菓子を齧る者二十人。


告発から処刑までは、わずか数日だった。審問は非公開、審問長は枢機卿、弁護の席は最後まで空のまま。……教会の奥の誰かが、よほど急いだと見える。


王家の名代が処刑状を広げ、退屈そうな声で罪状を読み上げていく。列の端では、リーゼの護衛だった聖騎士が、主人の最期から目を逸らし、ずっと足元だけを見ていた。


三年仕えた聖女を守らず、告発に口裏まで合わせた男の顔だ。良心というのは、隠せば隠すほど、利子がつく。


――ああいう男は、後で、いい取り立て先になる。


壇上の枢機卿オズヴァルトが、重々しく首を振った。


聖爐(せいろ)の判定を、という声もあった。だが悪魔は聖爐すら欺く。審問は、この告白書をもって足る」


聖爐。芯も油もないのに、聖なる魂が触れれば、ひとりでに白く灯る銀の火皿だ。嘘の利かない、教会の秤。


教会の法は、こう定めている。異端の罪とは、魂が魔に堕ちること。ゆえに魂の白さを量る聖爐こそが、最後の裁定である――と。


あれにこの娘を触れさせれば、潔白だと一目で知れる。だからこそ、あの枢機卿は使わせなかった。


無論、冷めた頭で聞けば、怪しさしかない理屈だ。使えば分かる秤を前に、使わない理由を並べているのだから。だが今日この広場に、冷めた頭はひとつもない。群衆というのは、欲しい判決が先に決まっているとき、秤の検分をしないものだ。


つまりあの手口は、この熱の中でしか通らない。熱が冷めた日には、同じ記録が、あの老人の首を絞める。……覚えておいてやろう。


リーゼは、何も叫ばなかった。


ただ、さっきの少女が兵に小突かれるのを見て、はじめて口を開いた。


「その子に、乱暴をしないであげてください」


それから空を仰いで、静かに言った。


「この国に、良い雨が降りますように」


群衆を見渡したその目が、一瞬だけ、人垣の後ろの行商人に止まる。


……ああ、分かっていたのか。


取り立て人が来ていると分かっていて、それでも最後の言葉が、国の心配か。


つくづく、業腹なほどの上物だ。


壇の脇では、クラリッサが祈りの形に指を組んでいた。


――その指の陰で、口の端が吊り上がっているのを、私は見た。


競りで、他人の破産を眺める顔だ。ああいう顔は、よく知っている。


処刑人が、断頭の刃を吊る縄に、手を掛けた。


万の民が、一斉に息を呑む。当のリーゼだけが、暴れもせず、目を閉じもせず、雨の来そうな空を見上げていた。唇だけが、声にならない祈りを、まだ刻んでいた。


誰のための祈りかは、聞くまでもない。この期に及んで、己のためでないことだけは、確かだ。


太鼓が三つ、鳴った。


刃が、落ちた。


広場の音が、一拍、そっくり消える。


十年、万の民を癒やしてきた聖女の首が地に落ちた音だけが、やけに小さく、澄んで響いた。


それから、堰を切ったように、どよめきがあふれ出す。


――さて。


私は指を鳴らし、転がり出た魂を袖の内へ招き入れた。十年待った、私の商品を。


契約で魂に手を触れられるのは、契約者が死んだ、その瞬間だけ。それまでは、蔵の扉ごしに酒の熟成を眺めるようなものだ。祝福が注がれていくのは見えていたから、極上の一本に仕上がっていると、疑いもしなかった。


――だが、扉ごしでは、味は分からん。栓を抜くまではな。


「…………」


なんだ、これは。


磨き上げたはずの魂が、どす黒い泥に浸かっている。それも――ここ数日で塗られた、真新しい泥だ。


万の憎悪。万の侮蔑。「裏切り者」「悪魔の花嫁」「――背教聖女」。今日この広場で、万の民が浴びせた罵りのひとつひとつが、垢のようにこびりついている。


衆口、金を鑠かす、と人間は言うそうだが――なるほど。金どころか、魂まで鑠かすらしい。


魂とは、向けられた心を吸って色を変える。祝福を浴びれば輝き、冤罪を浴びれば腐る。


――知っていた。無論、知っていた。この数日の茶番で泥が飛ぶことくらい、査定には入れていた。だが、十年分の祝福で磨き上げたこの輝きなら、そんなものは弾く。そう踏んでいたのだ。


読み違えた。真実の憎しみなら、上物の魂は弾いただろう。だが嘘で焚きつけられた万の憎しみは――向けられた側に、身に覚えがない。覚えのない毒は、避けようがなく、深く染みる。


六千年の目利きが、冤罪の毒を安く見積もった。この落札は、私の失点だ。


つまり、これは傷物だ。


私が十年かけて熟成させた極上の一品に、あの女は平気で泥を塗り込んだのだ。


「……クラリッサ、と言ったか」


壇上では新しい聖女が涙を拭いながら、口元だけで笑っていた。やり遂げた者の笑みだった。


いいだろう。


悪魔との契約を違えた人間の末路は語り草になっている。だが、悪魔の商品を汚した人間の末路は、まだ誰も知らない。なにしろ前例がない。


私が、最初の語り草にしてやる。


   *


その夜、共同墓地の隅。


借りていた行商人の姿は、広場の雑踏に脱ぎ捨ててきた。


罪人用の粗末な棺の中で、私は聖女リーゼの骸に身を沈めた。


指先から順に、冷えた肉へ私を通していく。落とされた首を繋ぎ直し、心臓をひとつ、外から叩いてやる。


動かない。まだ死体だ。当然だな。


だが、このまま骸で終わらせるつもりはない。


穢れというのは、塗った本人へ返してやれば剥がれる。


嘘が一枚剥がれるたび、泥は吐いた口へ還る――それだけの、単純な理屈だ。


だから――名誉とやらを、取り戻せばいい。


この娘が積んだ善行を、利子ごと世間に思い出させればいい。やつらの嘘が一枚剥がれるたび、私の商品は元の輝きへ近づき、ついでに塗った連中は身ぐるみ剥がされて堕ちていく。


輝きが戻れば、この器にも熱が戻る。魂と器は、そういう作りになっている。


一石二鳥とは、このことだ。


「安心しろ」


私は誰にともなく囁いた。袖の内で、かすかに魂が震える。


「お前を汚した泥は一滴残らず、塗った本人どもに塗り直してやる。――倍の濃さでな」


棺の蓋を、内側から押し開ける。


月明かりの下、処刑されたはずの聖女がゆっくりと立ち上がり――その清らかな顔で、悪魔のようにニタァと嗤った。


実際、悪魔なのだから仕方がない。


さて、どこから返しに行こうか。


……そういえば、主人の処刑からずっと目を逸らしていた護衛がいたな。


   *


同じ頃、大聖堂の私室。


新しい聖女クラリッサは、上等の葡萄酒で祝杯を上げていた。


「これでわたくしは、本物……」


窓の外で、ふいに雨音が立ちはじめる。


――良い雨が降りますように。


死んだ女の最後の声を思い出して、クラリッサは杯を置いた。なぜだか、酒の味がしない。


彼女はまだ知らない。


偽物の証拠を握る唯一の女を消したその日に、本物の悪魔を、この世でいちばん怒らせたことを。

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