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第4章:議場で踊る、ゆえに進まず⑤

「陛下、あの演説は、どういうおつもりですか⁉」


 男とも女とも、若者とも老人とも判然としない声で、演説文の作者アドリアンはヴィルヘルムに詰め寄った。


 あの演説は完璧だった。人心を完全に掌握し、民衆を導くための、絶対君主のための脚本であったはずだ。しかしヴィルヘルムは、その最も重要な部分を、意図的に書き換えた。それは、アドリアンにとって到底看過できない改変だった。


 だが、その怒声とも嬌声ともつかぬ非難に対し、ヴィルヘルムは涼しげな表情で応じた。


「アドリアン、感謝する。やはり、お前に任せて正解だった」


「……陛下。吾輩が申し上げているのは、そういうことでは……」


 理外の感謝と賞賛に、アドリアンの怒気は一瞬で鎮火した。納得したわけではない。だが、ヴィルヘルムの態度に、欺きや悪意は感じられなかった。


「……なぜ、君主選挙などと。あれは悪手です」


「なぜだ?民主共和制を志していた貴候の言葉とは思えぬが」


 ヴィルヘルムの手には、アドリアンの著書――『統治の精神と国家の唯一性について』があった。


「それは、昔の話でございます……。民衆は、とても愚かでした」


 アドリアンの脳裏に、故郷サンテルランでの政治活動の記憶がよみがえり、顔が苦痛に歪んだ。


 王制・絶対君主制からの脱却。民衆が主体となる政治体制の確立。彼は“自由民主化”の熱狂に身を投じた政治学者の一人だった。血統や伝統によらず、民衆自身が国家元首を選ぶ――その理想を信じて疑わなかった。


 しかし現実は、その理想を無残に打ち砕いた。


 権利を得ながら、政治に無関心で無責任な民衆


 それに付け込み、耳触りの良い言葉だけを並べる扇動者たち


 感情と怠惰によって結びついた結果として生まれた、“衆愚政治”という悪夢


 内戦によって崩壊したカルノヴァ=ストリェッツ共和国も、同じ道を辿った末の滅亡だった。


 アドリアンは絶望した。人類に民主制はまだ早すぎる。愚かで、無知で、無関心な民衆に政治を委ねることなど不可能だ、と。


 だからこそ彼は、反転するように“絶対的君主”を渇望した。


 始祖ルガルドの再来を。シャルル騎士王の再来を。


 そして、その理想に選ばれたのが、白金色の髪を持つローゼンベルクの王族、ヴィルヘルムだった。


 彼は、その若さにもかかわらず、他の同年代では到底成し得ぬ偉業を次々と実現してきた。23歳にも満たぬ年齢で、である。


 だからこそ、許しがたかった。


 その彼が、民衆の意思によって政治が左右される体制を提示することが。


 だが、ヴィルヘルムはアドリアンの心情を理解した上で、なお己の信ずる道を選んだ。それは彼を否定する行為ではなく、むしろ、その思想の最終的な証明への挑戦だった。


「アドリアン、私は――歴史を終わらせる」


 アドリアンは、思わず目を見開いた。


「……なぜ、それを……」


「何を驚く。お前自身が書いたではないか。“歴史”とは何かを」


 ヴィルヘルムは、使い込まれ、傷みの目立つ書を開き、その一節を読み上げた。


「歴史とは――伝統に基づく“正統主義”と、常態化を打ち砕く“実力主義”の反復によって紡がれる人間の営みである。


 それらは、同じ両親から生まれた、正反対の性質を持つ双生児のようなものだ。言うなれば、歴史とは――“彼らの壮大な兄弟喧嘩”である」


 その定義を、アドリアンが忘れているはずがなかった。


「私は、こう解釈した。歴史とは、その均衡が取れぬまま、人々が時代ごとに求める人物の出現に左右され続けてきた、愚かな営みだと」


 ヴィルヘルムは、そこで一拍置き、続けた。


「ならば解決策は一つだ。民衆が選ぶという“伝統”を確立し、同時に、選ばれるに足る“実力”を持つ人物を頂点に据える。血統に縛られず、誰もが公正に評価される。その両立は、不可能ではないのではないか?」


 すなわち――


 正統主義と実力主義が安定して共存する状態。それこそが、ヴィルヘルムの言う『歴史の終焉』だった。


 民主的正当性を備えた、理性による君主制――選任的哲人君主制


「……陛下は、それが可能だと?」


「貴候から学んだからこそ、可能だと思った。発案者である貴候自身が、それを信じないのか?」


「……民衆は愚かです。政治を考える頭など、持っておりません」


「だからこそ、無知蒙昧であってはならぬ。啓蒙という言葉は大仰だが、知恵を与え、国家や社会に奉仕し、その過程で、自らが生きたい国の行く末を選ばせる。教育も、民の貢献も、そのためにある」


「それでも……貴方様以上の君主など、現れますまい!」


「そうかもしれぬ。だが、私の血を引くという理由だけで、有能な者が生まれる保証はない。逆に、卑しき出自であろうと、清廉で優れた人物が育たぬ理由もない」


 ヴィルヘルムは見てきた。


 血を流す戦場で。民が生きる街で。政治の場で。


 人間の輝きと残酷さ、そして、時代が不可逆に移ろう様を。


「民衆は、もはや無能で傲慢な君主に盲従するだけの存在ではなくなりつつある。自ら境遇を変える力を手にし始めている。あとは、痛みを伴いながら、自分で決断することを学ぶだけだ」


 だからこそ、ヴィルヘルムは問いを投げかけた。


「もし私が“皇帝”に選ばれるなら、それは民がそれを望んだということだ。私以上に相応しい者がいるなら、無理に私が就く必要も、子にその地位を押し付ける理由もない」


 その瞳には、人類への無条件の希望と、血統を妄信しない冷徹さ、そして父である者の優しさが宿っていた。


「私は、皇帝位を子に譲るつもりはない。


 血ではなく、資質によって選ばれるべきなのだ」

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