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第4章:議場で踊る、ゆえに進まず③

 『議場で踊る、ゆえに進まず』


 後世において、グラウエンシュタインの外交――とりわけ対ローゼンベルク政策における帝国諸侯との交渉を一言で言い表した言葉である。


 エリザーベトの指示のもと、エルンストの父テオドールが大臣を務める外務省は、帝国諸侯に対しローゼンベルクの危険性と、それに対処するための帝国軍結集の必要性を説き、各地から軍勢を募る外交交渉を開始した。


 しかし、その感触は芳しくなかった。多くの諸侯が、帝国軍の出兵に難色を示したのである。それはローゼンベルクに好意的であったからではない。相手が誰であろうと、戦争という手段に訴えること自体を避けたかったのだ。


 無論、彼らは平和主義者ではない。


 ただの事なかれ主義者の集団であった。


 明確な危機が迫っているにもかかわらず、彼らには当事者意識が欠如していた。


 貿易都市キルベックの事実上の併合は確かに衝撃的ではあったが、それが自分たちに直接降りかかる問題だとは考えていなかった。ローゼンベルクがかつてボレニアを戦争によって併合した例に比べれば、まだ“穏便”だとすら捉えられていたのである。


 ローゼンベルク勢力に包囲されて以降、キルベックの経済的価値が低下し、それが諸侯にも少なからぬ損失を与えていたのは事実であった。だが、それでもなお、軍事行動に踏み切るほどの事態ではない――彼らはそう判断していた。


 この風潮を快く思わない諸侯も存在した。しかし彼らの不満は、帝国軍結成に消極的な者への批判ではなく、むしろ「もはや帝国に属していても得るものは少なく、厄介事に巻き込まれるだけではないか」という拒否感の表明であった。


 それは、1世紀半にわたって存続してきた正統ルガルディア帝国の結束に、明確な陰りが差した瞬間でもあった。


 この事態を重く見たエリザーベト自らが交渉の前面に立ったことで、諸侯が即座に瓦解することは免れた。しかし、それでも出兵への賛同は得られず、「近日に迫る正統帝国議会の場で、ヴィルヘルム2世本人から直接弁明を聞くまでは軽挙を控える」という結論に落ち着いた。


 だが、帝国会議当日、ヴィルヘルムはノイ・ヴィーンの議場に姿を見せなかった。


 貿易都市キルベックの席も空白のままであり、ローゼンベルク勢力からは誰一人として参加していなかった。


 これを帝国摂統オットー3世は反意の明確な証左だと声高に叫んだが、諸侯の反応は鈍かった。


 ここで明らかになったのは、彼らに帝国の安寧を守ろうとする強い意志などなく、グラウエンシュタインが主導して問題を解決してくれることだけを期待し、その恩恵を享受するために場に留まっているという、極めて受動的で無責任な姿勢であった。


 無論、彼らがそれを口に出すことはない。表面上はグラウエンシュタインに賛同する態度を取り続けていた。


 ただし、実際の行動がまるで伴っていなかった。


 グラウエンシュタインはこの状況を重く受け止め、諸侯の心を繋ぎとめるため、帝国会議の期間中、連日にわたって舞踏会を催した。通常であれば、会議前日と最終日の二度のみであるが、この時ばかりは休養日の二日を除き、ほぼ毎日開催された。


 目的は、ダンスそのものではない。


 舞踏会の裏では密約や裏取引、さらにはグラウエンシュタイン大公家が得意とする婚姻政策の示唆や顔合わせが並行して行われた。


 それらは諸侯を“つなぎ止める”役割は果たしたものの、帝国軍結成という本題においては、何の進展ももたらさなかった。しかし、彼らは目的を忘れ、手段にのみ心酔し、その過程を成果と錯覚していた。


 その停滞した状況を例えて、後にこの言葉が生まれたのである。


 エルンストは歯を噛みしめた。


「…なぜ、誰も動こうとしない…」


 エルンストの帰国からすでに二か月が経過していたが、エリザーベトが掲げた帝国軍結成には、いまだ明確な目途が立っていなかった。


 エルンストは焦燥感を募らせていたが、彼が「明日にでも始まりかねない」と警告していたローゼンベルク軍の侵攻は、結局起こらなかった。そのため次第に、彼の見解は大袈裟だったのではないかという声が増えていった。


 彼自身も各諸侯のもとを訪れ、対ローゼンベルク政策の必要性を訴え続けたが、反応は鈍いままだった。


 一方で、ローゼンベルク勢力は終始沈黙を守り、グラウエンシュタインや帝国諸侯に対し、一切の接触を行わなかった。国境閉鎖という不穏な兆候こそあったものの、軍の大規模集結が確認されたわけでもなく、差し迫った侵攻の気配もなかった。


 やがて、多くの者はローゼンベルクについて語ることすら減らしていった。


 エルンスト自身ですら、自らの見解を疑い始めていた。


 ヴィルヘルムの語った構想は、牽制や時間稼ぎのための誇張、あるいは虚勢だったのではないか。そう考えることもできた。


 実際、この一年、ローゼンベルクは比較的おとなしく、内政に注力する必要があったとも考えられる。本来であれば、その体制が盤石になる前にグラウエンシュタインの影響力を強めておきたかったのは事実だが、それは望み過ぎだったのかもしれない。


 後に振り返れば、グラウエンシュタインおよびその派閥は、この時こそ万全の準備を整えるべきであったと言わざるを得ない。


 何も起きていないように見えるからといって、それが存在しないことを意味するわけではない。想定できる事態があるということは、それが実行可能であるという証左でもある。


 それにもかかわらず、備えを怠ったまま日々を浪費する――それは愚かであると同時に、人間の本質的な“効率的怠惰性”とも言えた。


 大災害が予見されていても、実際に備える者が少ないのと同じように、人は「起こるかどうか分からないこと」に真剣に向き合えるほど勤勉でも誠実でもない。


 あるいは、備えること自体が災厄を招くと考え、見て見ぬふりをし、可能性を切り捨てる。


 特に話し合いの場では、周囲が焦っていない様子を見ることで、致命的な安心感が生まれる。


 彼らは、尻に火がつくその瞬間まで、その仮初の安堵を手放さない。


 後から悔やむことになると分かっていても、この時に忠告しても聞き入れられなかっただろう。


 当時の正統ルガルディア帝国とは、まさにそのような所帯の集まりであり、当のグラウエンシュタインですら、兵員増強こそすれ、軍備の近代化はほとんど進めていなかった。


 彼らは、ローゼンベルク軍が採用するドライゼン小銃すら、満足に調達していなかったのである。


 そして、大陸暦1273年の年の瀬を迎えた。


 全く音沙汰のないヴィルヘルムの動向に、人々はすっかりローゼンベルクの危険性を忘れてしまっていた。


 ――しかし、忘れてはならなかった。


 ヴィルヘルムが“雷鳴王”と呼ばれていたことを。


 雷鳴とは、前触れもなく、突然鳴り響くものであることを。


 そして、その前兆を唯一告知されていたのが、エルンストただ一人であったことを。


 大陸暦1274年1月1日


 それは、安穏と踊り続けていた彼らの議場に、雷が落ちる日であった。

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