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第4章:議場で踊る、ゆえに進まず②

 エルンストの突然の帰国を受け、エリザーベトをはじめとするグラウエンシュタイン首脳陣は、即座に緊急会議を招集した。


 貿易都市キルベックが事実上併合されたという急報は、まだグラウエンシュタインには届いていなかった。エルンストが馬を酷使して持ち帰った報告こそが、まさに第一報だったのである。


「なんということだ……雷鳴王は、そこまでのことを……」


 頭を抱えて嘆いたのは、帝国摂統の地位にあるオットー3世だった。この場に集った者たちの胸中も、おおよそ同じである。あまりにも衝撃的な報せに、即座の解決策など見いだせるはずもなかった。


 隠さずに言えば、ここに集うグラウエンシュタインの首脳陣は、雷鳴王ヴィルヘルムを見くびっていた。


 確かに大胆不敵で、実力と野心を兼ね備えた若き国王ではある。だが彼らのどこかには、「それでも帝国に反旗を翻すはずがない。あのフリードリヒではないのだから……」という甘い見通しがあった。


 ヴィルヘルムは、行動に移さない程度には賢く、節度ある野心家――そう思い込んでいたのだ。


 ――いや、遅すぎる。私も含めて……


 エルンストは、頭を抱える面々を視線で一巡しながら、自他の思慮の浅さを噛みしめた。その中には、外務大臣である父テオドールの姿もある。


 そして彼らが、自分たちで考えることを放棄し、より思慮深く、より頼りになる存在に判断を委ねることを常としてきた点にこそ、この問題の根源があったのかもしれない。


 もっとも、そうした聞き分けの良さと従順さこそが、グラウエンシュタインにおいて高位に就く条件だった、とも言えるのだが。


 やがて、助けを求める視線が一点に集約される。


 それは現帝国摂統オットー3世ではなく、この場で最も年老いた一人の老婆――エリザーベトへと向けられていた。


「事ここに至っては、致し方ありません。これは我々グラウエンシュタインにとって、受け入れがたい決断ではありますが――」


 その言葉に、皆の表情がわずかに明るさを取り戻す。


 さすがは国母様。すでに考えを巡らせていたのだ――そんな無責任な期待と共に、彼らは判断を彼女に一任していた。


 それを冷ややかな視線で見つめるエルンスト自身も、同罪である。だが今回ばかりは、彼もまたエリザーベトの知恵と施策に頼らざるを得なかった。


「次期帝国摂統の座に、ヴィルヘルム2世を推挙いたします」


 その方針表明に、半数は苦渋を呑み込むような表情を浮かべ、残る半数は悲嘆と安堵の入り混じった顔を見せた。


 ただ一人を除いて。


「お待ちを!」


 重い沈黙を切り裂いたのは、エルンストの声だった。


「エルンスト、場を弁えよ。国母様の御前であるぞ」


 父テオドールが叱咤する。しかしエリザーベトは、そっと右手を上げてそれを制し、諭すように言葉を紡いだ。


「エルンスト、あなたの気持ちは分かるわ。あなたは誰よりもこのグラウエンシュタインのために尽くし、ローゼンベルクとの橋渡しをしてきましたもの。


 このような結果になったのは残念ですが、今は帝国の分裂だけは避けねばなりません。


 ヴィルヘルムが帝国摂統に就き、その地位を守り、彼の力量で帝国を発展させられたなら――いつか、我らグラウエンシュタイン再興の時も来るでしょう。それまで――」


「いいえ、違います、国母様。


 ヴィルヘルム陛下にとって、それは無意味なのです」


 エルンストは言葉を遮り、その見解が根本的に誤っていると断じた。


 一瞬の静寂が場を包む。しかし彼は、口をつぐむことができなかった。


「ヴィルヘルム陛下は、帝国摂統の地位など必要としていません。


 あの方は――“ご自身の帝国”を創ろうとしているのです」


 言い切った直後、誰かが鼻で笑った。


「自分の帝国?正気か。そんなことができるわけがない」


 国務大臣か、内務大臣か。あまりに愚かな反応に、エルンストは一瞬、その者の肩書を失念した。


 だが、同様の反応は一人に限らなかった。


「外交主任殿は、些かローゼンベルク贔屓が過ぎるのでは?」


「いくら雷鳴王でも、そこまでのことなど……」


 そして、父テオドールですら賛同者ではなかった。


「エルンスト、馬鹿なことを申すな」


 その瞬間、エルンストは悟った。


 ――ああ、雷鳴王に会う前の自分も、まったく同じ反応をしていたのだ、と。


 その愚かしさに、胸が締めつけられる。


 だが、一人だけ、その潮流に乗らなかった者がいた。


「エルンスト。どうして、そう思い至ったの?」


 老練な外交戦略家、女主人エリザーベトだった。


 彼女は肯定も賛同もしなかったが、ただ一蹴しなかった。


 それを好機とし、エルンストは、直前にヴィルヘルムが語った国家観と展望の一端、そして彼が行動に移すのが遠くないことを明かした。


「相手は雷鳴王です。今すぐにでも軍を動かし、対処しなければ手遅れになります」


「いくらなんでも、今すぐは不可能だ。ファルケンヴァルト外交主任」


 軍事大臣が即座に退ける。


 ここは常に戦を想定し、即応体制を整えているローゼンベルクではない。軍の性質も、意思決定の速度も、あまりに違いすぎた。


 それでもエルンストは食い下がる。


「悠長なことを言っている場合ではありません。雷鳴王なら、明日にでも軍を動かし、国境を越えることができます。


 彼らは周到に準備し、号令と共に衝撃的な速度で事態を動かす。まさに雷鳴のごとき軍隊と君主なのです。


 もしかすると、今この瞬間にも攻撃は始まっているかもしれない。だから――」


「それゆえに、よ。エルンスト」


 再びエリザーベトが遮った。


「こちらにも万全の準備が必要なの。事は、もはや帝国全体の問題よ。


 ローゼンベルクと戦うにしても、グラウエンシュタイン単独ではなく……“帝国軍の結集”が絶対条件になるわ」


「母上……それでは……」


「ええ、そうよ。外務大臣、テオドール・フォン・ファルケンヴァルト」


「はっ!」


「帝国諸侯と交渉に入りなさい。対ローゼンベルク軍結集のため、出兵を要請するの。


 それだけの軍勢であれば、いかに雷鳴王といえど、容易には動けないはず。そこから時機を見極め、事態の収束を図る。今は、それしかできないわ」


 結局、この会議ですら、エリザーベトの一言で全てが決した。


 それは彼女の影響力の強さゆえだが、ならば話し合いとは一体何なのか――エルンストには理解できなかった。少し前まで、議論という過程こそが重要だと信じていたというのに。


 しかし今は、嘆いて立ち止まっている暇はない。


 彼女の一言によってとはいえ、ローゼンベルクに対抗する軍――正統ルガルディア帝国諸侯による“正統帝国軍”が結成されようとしている。


 これなら、あるいはヴィルヘルムに対抗できるかもしれない。


 グラウエンシュタインの外交官であり続けると決めていたエルンストは、この時、かすかな光明を見いだしていた。


 ――この時までは。

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