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序章:ルガルディア帝国史概略③

 これより扱うのは正統ルガルディア帝国の内側の直近およそ1世紀半の歴史である。


 先に述べた通り、この帝国はシャルル騎士王に対抗して成立した諸邦連合であり、“皇帝空位の神聖”を守護することを絶対命題としていた。無論、その主たる“皇帝”は存在しない。


 帝国の舵取りを実質的に担ってきたのは、サンテルラン央王国ほどではないにせよ、長らく地域大国として確固たる地位を有してきたグラウエンシュタイン大公国である。大公国の称号こそ帝国成立の折に与えられたものだが、その規模と国力は帝国内で群を抜き、盟主として選ばれたのも自然な成り行きだった。


 帝国諸侯の代表が集う帝国議会では、“皇帝空位を守る者”を意味する『帝国摂統』が議長を務め、実質的に帝国の最高指導者となる。この地位を巡って諸邦の支持を集めたのは、当時の当主オットー1世であった。彼はそのまま騎士王戦争の最高指揮官を務めることになる。


 しかし、歴史を知る者にとっては周知の事実だが、正統ルガルディア帝国は騎士王に完敗している。その軍事的敗北の責任者もまた、他ならぬオットー1世であった。確かに大公国は国力こそ諸邦に勝っていたが、騎士王軍に対抗し得る軍事力を備えていたとは言い難く、各地で打ち負かされた。


 ではなぜ、そのような期待外れの結果しか出せぬ相手を、諸邦はなお盟主として頼り続けたのか。それは、グラウエンシュタイン大公国の真価が“指導力”と“外交力”にあったからである。どれほど敗北しようとも諸邦を巧みに統率し、粘り強い持久戦に持ち込み、ついにはシャルル騎士王をして「攻め落とすのは時間の無駄」と言わしめた。その防衛戦略こそが帝国を滅亡から救ったのである。


 つまり、大公国が支持を得た理由とは、“騎士王に勝った”からではなく、“騎士王に負けなかった”ところにあったのだ。


 騎士王の死後、帝国は再び体制を立て直した。その中心に据えられたのはやはり“帝国の盾”たる大公国であり、諸邦は「かの国がいる限り帝国は滅びない」と絶対の信頼を寄せ、帝国摂統の地位は大公家がほぼ独占するようになった。




 一方、帝国には“帝国の剣”と恐れられる国もある。北東の国境線に位置するローゼンベルク王国である。


 騎士王戦争のさなか、ほぼ無敵の強さを誇ったシャルル騎士王に軍事的勝利を収めた者は二人だけいる。一人は騎士王の大艦隊に壊滅的打撃を与えたアルバレオン王国海軍提督カスピアン・ウィルソン卿。そしてもう一人が、正統ルガルディア帝国のローゼンベルク辺境伯フリードリヒであった。陸戦において騎士王に唯一傷を与えた人物である。


 大陸暦1112年、帝国領の半ばが飲み込まれ、ついに東の国境に迫った時、この小領地の辺境伯フリードリヒに託された兵力はわずか3000。騎士王軍先鋒は籠城を続ける彼を脅威と見なさず素通りした。だが、先鋒が通過した瞬間、フリードリヒは後続の補給部隊を奇襲し、補給線を断つことに成功する。


 補給を断たれた騎士王軍は前進不能となり後退を開始。大陸公路を進む軍勢は城内からの砲火で分断され、出撃したフリードリヒ軍によって各個撃破された。こうして騎士王軍は帝国戦末期に初めての黒星を喫したのである。


 騎士王は馬上からローゼンベルク城を眺め、こう呟いたという。


「薔薇の山は、燃やせるだろうか」


 騎士王はそれまで用いなかった長期包囲戦を選び、3ヵ月の末、ついに城は陥落した。入城した騎士王が指揮官との面会を求めた時、現れたのは齢わずか12の少年であった。


「指揮官はいずこか」と問う騎士王に、少年は「私が指揮官です」と答えた。父フリードリヒは戦死したのだと。


 騎士王は目を伏せ、「惜しい男を失った」とこぼした。少年は涙を流し、「そう言っていただけるだけで父は幸せでしょう」と応じた。


 騎士王が得られたのは、自らに傷を負わせた男の名と、その息子だけであった。


 少年の名はヴィルヘルム・フォン・ローゼンベルク。落城後は騎士王軍に加えられ、その軍制を間近で学ぶ。戦後、父の功績を称えられ、わずか14歳でローゼンベルク公爵に任じられ、同公国の初代公爵ヴィルヘルム1世となった。彼は生涯を軍制改革に捧げ、ローゼンベルクという国家の礎を築いた。




 このような誕生の経緯から、ローゼンベルクの歩む道は必然として軍事国家となった。跡を継いだルートヴィヒ1世は軍制改革を継承しつつ行政機構を整え、近代的官僚国家を作り上げた。帝国内でも突出した軍事費は、「ローゼンベルクでは国家が軍隊を持つのではなく、軍隊が国家を持つ」という言葉を生むほどであった。


 事態が変転したのは、強烈な野心と大胆な行動力を備えたカール1世が、帝国議会の承認を得ぬまま国号を“王国”へ改めると宣言した時である。帝国議会は強く反発した。騎士王戦争が遠ざかり、帝国全体が保守化の潮流にあったため、軍備拡張はむしろ警戒の対象となっていたのだ。


 しかし、ローゼンベルクを敵に回すことは帝国にとって危険であった。グラウエンシュタイン大公国の公女ヨハンナとの政略結婚により彼を帝国摂統の影響下に置き、王国としての地位は辛うじて承認された。だが、ローゼンベルクはこの時すでに“頼もしい剣”から“慣例を破る異端”として見られ始めていた。


 カール1世とヨハンナの子ヨーゼフ1世は、父の強硬路線を改め、融和政策に転じた。これにより帝国との関係は安定し、改革も一時凍結され、治世は平穏であった。しかし、帝国が保守化を強める中、彼の柔和な外交は成果を生まず、国内でも売官制がはびこるなど、国家の規律は緩んでいった。この停滞こそが、後の反動的軍国化の土壌となる。


 その反動として即位したフリードリヒ2世は、徹底した軍国化と軍事的冒険に乗り出した。狙いは帝国摂統の地位であり、帝国屈指の常備軍を背景にその奪取を目指したのである。


 大陸暦1249年、帝国摂統エリザーベトが女性であることに反発し、ついに軍事侵攻を敢行した。戦場では確かにローゼンベルク軍は強く、各地で勝利を重ねた。しかし、エリザーベトは稀代の外交戦略家であった。彼女は諸邦と連携し、包囲網を築くことでローゼンベルクを孤立させ、戦局を大局的に掌握した。フリードリヒ2世は軍事では勝っても政治で敗れたのである。


 この『グラウエンシュタイン継承戦争』に敗れた彼は、名誉を挽回しようと隣国カルノヴァ=ストリェッツ共和国へ侵攻し、ノッセル回廊を巡る戦争を引き起こした。しかし政治的目的が曖昧なまま勝利だけを求めたため、軍はほどなく機能不全に陥った。


「野心と軍隊は持っていても、王にはそれを使いこなす才覚がない」


 彼を嘲った幕僚の言葉である。


 以後、東部戦線と呼ばれるこの戦争は十数年にわたり終結の兆しを見せなかった。


 フリードリヒ2世はようやく、自身に才覚がないことを思い知った。もし戦争に手を出さなければ、彼は無能を自覚することもなく幸福に治世を終えられたかもしれない。彼は次第に精神を弱らせ、床に伏すようになった。


 ローゼンベルクは建国以来、国家という道具を磨き上げてきた。しかし、その道具を使いこなす“持ち主”だけは生まれなかった。


 だが建国から137年、ついにその器が現れる。


 名をヴィルヘルム・フォン・ローゼンベルク。建国者にあやかって名付けられたこの男は、大陸暦1251年、フリードリヒ2世の次男として生を受けた。兄ルートヴィヒが父の失敗を反面教師としたのに対し、ヴィルヘルムは父から野心と行動力を、母からは思慮と美貌を受け継いだ。そして、おそらく始祖ルガルドとシャルル騎士王からは才覚と情熱を授かった――そう呼ぶべき神童であった。




 この物語は大陸暦1266年に始まる。


 後に“皇帝”と呼ばれる一人の青年が、狼たちと出会い、世界の果てへと歩み続けた


 ――歴史の終焉へ至るその旅路の記録である。

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