第3章:国家総力戦⑦
エルデンライヒ陸軍における女性軍人の象徴的ロールモデルは、シャルロッテの他にも存在する。
ソフィア・フォン・ホーエンフェルト兵站中佐である。
かつて帝国陸軍兵站総監部の兵站参謀として勤務していた彼女は、エルデンライヒ=サンテルラン戦争前半において、「帝国軍指定休養都市クラウゼンハイン後方支援部門補給部部長」という重責を担っていた。クラウゼンハインに供給され、そこで消費される補給物資全般を統括する最高責任者である。
休養都市クラウゼンハインは、対サンテルラン戦線における重要な後方拠点であった。前線から約100km後方に位置する中規模都市を軍が再編し、戦争遂行に不可欠な拠点へと転換したものである。ここは主に前線兵士の士気回復や療養、さらには戦時下における雇用創出の場として、極めて重要な役割を担っていた。
クラウゼンハインで働く者の大半は女性であった。男手の多くが兵士として前線に投入されていたため、後方業務を女性が担う必要があったことに加え、より切実な理由として、彼女たちにとってそれが重要な収入源であったからである。
戦争は規模の大小を問わず国家的な大事業であり、多くの男性労働者が兵士へと転換され動員される。その結果として生じる労働力不足を女性が補う構造は、総力戦体制において一般化していた。しかし、女性の社会進出が進んだ理由はそれだけではない。
出征した男性が無事であればよいが、負傷あるいは戦死した場合、家庭の収入が大きく減少することは避けられない。それは戦中のみならず戦後においても同様である。特に、エルデンライヒ=サンテルラン戦争開始から1年の時点で、エルデンライヒ陸軍の戦死者は70万人弱に達していた。これは単に戦力の損失を意味するにとどまらない。家計を支える男性を失うことであり、街には未亡人や生活に困窮する女性たちが溢れることとなった。戦死者の一部に過ぎないとしても、この1年で数十万規模の生活困窮者が生まれたのである。さらに労働が困難な負傷兵を含めれば、その数は一層膨れ上がる。
このような情勢の下、家庭を守る存在とされてきた女性たちにも、外で働く必要性が生じたのは想像に難くない。軍人遺族年金や戦傷補助金といった制度も存在したが、数十万、数百万に及ぶ対象を十分に支えるほど国庫は潤沢ではなかった。こうして、夫や父を戦争で失った女性たちが自らと家族を養うため働き口を求め、同時に軍もそれを必要とした結果、『軍属女性』という戦時特有の雇用形態が生まれたのである。
軍属女性は、主に休養都市における後方勤務を担った。前線へ送られる物資の管理、軍服の洗濯や修繕、施設運営、炊事、看護補助、さらには兵士向けの娯楽提供に至るまで、その職務は多岐にわたる。そしてその中には、兵士の士気回復と欲求の発散を目的とした性サービスも含まれており、その担い手もまた彼女たちであった。
表向きにはそれは「衛生管理福祉支援施設」と呼ばれ、従事する女性は「接待婦」と称された。しかし、その名称が実態を覆い隠すことはできない。彼女たちは戦争によって、自らの心身を国家事業に提供せざるを得なかった女性たちである。
女性の働き口は軍属に限られなかった。ヴィルヘルムやアーデルハイトが整備してきた国営工場や国営農場、さらには拡大を続ける軍需産業においても労働力は求められていた。都市部では家政婦や縫製業、一定の教育を受けた者であれば教師や看護師として働く道もあった。
しかし、それらの職には限りがあり、必ずしも家計を支えるに足る収入が得られるとは限らなかった。雷鳴王の施策により教育改革が進められていたとはいえ、新たに帝国領となった地域では整備が遅れ、識字率も高いとは言えなかった。そのような状況で家族を養うことは、極めて困難であった。
軍属女性となったとしても、待遇や収入が特別に優れていたわけではない。それでも、軍という組織の信頼性、そして清廉と名高い皇帝ヴィルヘルムと、その側近であり陸軍大臣を務めるヨハンの存在は、女性たちに一定の安心感を与えていた。生活は決して楽ではなかったが、当時としては珍しく権利が一定程度保障され、幼い子どもを連れて赴任できるという条件もまた大きな魅力であった。これらはヴィルヘルム、アーデルハイト、そしてヨハンの尽力の成果である。
さらに、休養都市における職種選択には、一定の自由が認められていた。無制限ではないものの、多くの場合は強制ではなく、自らの意思による選択であると“表向き”はされていた。
しかし、それは制度上の話に過ぎない。現実には状況や構造から完全に自由であることは難しい。望むと望まざるとにかかわらず、それしか選べない者が存在するのもまた事実であった。
接待婦が業務の過酷さゆえに比較的高収入・厚待遇であったことは否定できず、それを理由に志願した者も少なくない。しかし、それをもって彼女たちが完全な自由意思で選択したとみなすのは誤りである。そこには、そうせざるを得ない事情があり、むしろ制度として強制されていないという構造こそが、より深い影を落としていたのである。「職業に貴賎なし」といった理念が、そのまま現実に適用されるとは限らない。
同じ女性であり、なおかつ子を持つ未亡人であるソフィアにとって、それは決して他人事ではなかった。夫ハンスを失い、女手一つで娘を育てることは容易ではない。家族を頼ろうにも、彼女の生家は名ばかりの旧弱小貴族であり、父亡き後は家名と家計を守るだけで手一杯であった。ソフィア自身もまた、それを支えるために大学を中退し軍人の道を選んだ身である以上、その構造上、頼ることは難しかった。中佐という高級将校の地位にあったからこそ、辛うじて生計を維持できていたに過ぎない。
そして戦時下において、夫や父を戦争で失った未亡人や生活に困窮する女性たちにとって、世の中はあまりにも厳しかった。収入は限られ、職を得られず困窮する者は数多い。国家や社会もまた、それらすべてを救い上げられるほど万能ではなかった。ゆえに再婚、あるいは他の男性に生活を委ねる道を選ぶ者も少なくない。しかし、それをもって彼女たちを軽々しく「ふしだら」と断じるべきではない。
かくいうソフィア自身も、兵站総監部に勤務していた頃、多くの男性から言い寄られ、再婚を全く考えなかったわけではなかった。貞操観念の厳しい時代において子持ちの未亡人という立場でありながら、彼女は気立ての良い女性であり、まだ二十代半ばという若さもあって、十分に魅力的であった。幼い娘に父親代わりとなる存在が必要ではないかという思いもあったし、自身の収入で何とか生活を支えているとはいえ、余裕があるわけでも、娘に寂しい思いをさせていないわけでもなかったからである。
しかし、多くの男性が求めているのが“ソフィアと娘”ではなく、“ソフィア一人”であると悟った瞬間、彼女はそのすべてを拒絶し、軽蔑した。再婚に際して前夫との子どもが障害とみなされ、子を捨てて自身のみが再婚するという事例が存在し、それが帝都において社会問題化しつつあることを、彼女は知っていたのである。そのような選択は、ソフィアにとって到底受け入れられるものではなかった。
ゆえに彼女は再婚の道を自ら断ち、娘を女手一つで育て抜く決意を固めた。
その過程で生じた軋轢により職場での居心地の悪化を察した上官、兵站総監セバスティアン・フォン・ハルトマン中将は、彼女に配慮し、比較的女性が働きやすいとされる休養都市クラウゼンハインへの転属を命じた。また、保守的な気風が色濃く残る参謀本部において、女性の高級将校である彼女が反感や嫉妬といった悪感情に晒されていたことも、その判断の一因であった。
それは、ソフィアを守るための人事であった。
部下となって以来、何かと気遣いを見せてくれる老紳士ハルトマンに対し、ソフィアは感謝してもしきれなかった。
しかし、それを貫ける女性は、むしろ少数派である。亡き夫への操を守ることも、子どもを守ることも、自らの意志を貫くことも、すべてを両立できるとは限らない。現実は、彼女たちに決して優しくはなかった。
そしてソフィアは、日々提出される報告資料と補給物資の申請書に目を通すたび、複雑な感情を抱かざるを得なかった。
そこに記されているのは、衛生管理福祉支援施設で消費されるゴム製保護具の使用量と、今後の必要数である。数値を見れば、どれほどの接待婦が従事しているかを割り出すことは、数学に明るい彼女にとって難しいことではなかった。
ゴム製保護具――すなわち性病予防と避妊のための道具である。それが何に使われているのかを理解できないほど、ソフィアは無垢ではない。かといって、その現実から目を逸らせるほど器用でもなかった。
改良を重ね、実用段階に達したそれは、この業務において不可欠な物資である。原料であるゴムはエルデンライヒ本国では生産できず、セプテンデルを経由してアルバレオンから高価で輸入し続けなければならない。それでもなお確保され続けるそれは、紛れもなく“戦略物資”であった。
方針としては「積極的なものではない」とされている。しかし、その消費量はあまりにも膨大であり、とても消極的とは言い難い。兵士と軍属女性の双方を守るために必要であることは理解している。それでもなお、納得できるかどうかは別問題であった。
だが、この仕組みを単純に人道や女性の権利の問題として糾弾することもまたできない。それが彼女たちにとって現実的な収入源であり、同時に軍にとって不可欠な要素である以上、一部の事情や個人的感情のみで否定するのは筋違いである。
それは最善ではない。だが、最悪を避けるための、現状における最適解――そう割り切るほかなかった。
そして同時に、ソフィア自身もまた、この構造の一端を担っている。
彼女は報告書の中で、彼女たちを「FA-12、消費数8」といった記号と数値で処理している。その女性がどのような経緯でここに至り、どのような思いでその身を戦争に差し出しているのか、ソフィアには知る術がない。
書類から読み取れるのは、彼女が業務に支障のある病を患っていないこと、そして素人とは言えない程度にはこの職に従事しており、不慣れではないという事実だけである。
だが、それが彼女にとって「良いこと」なのかどうか――ソフィアには分からなかった。
そうした思いを抱えたまま、彼女は今日も業務を続けている。
「……狂っています、こんな戦争」
ソフィアは、あるいはこの状況下においてなお正気を保っている、数少ない人間の一人だったのかもしれない。この厳しい情勢下に、軍人となった者、あるいは否応なく巻き込まれた者たちに対して、彼女は常に同情と罪悪感を抱いていた――それが自らの罪ではないと分かっていながら。
そして彼女は、陸軍省から届いた封筒へと、今日何度目になるか分からない視線を落とした。差出人は陸軍大臣ヨハン。だが、それはあくまで表向きの名義に過ぎない。
「この戦争を終わらせる、と仰いますが……皇帝陛下……」
封筒の中には、皇帝直筆の書状が偽装されて収められていた。ヴィルヘルムにとって、ソフィアは数少ない信頼に足る人物であり、参謀本部からの干渉や妨害を避けるため、軍政機関である陸軍省を経由して、その意思が密かに届けられていたのである。
夫ハンスの戦死以降、折に触れて支援や配慮は受けてきた。だが、今回のそれは明らかに性質を異にしていた。
「……」
ソフィアは文面に目を落としたまま、しばし沈黙した。そこに記された意志に、どう応えるべきか――彼女は迷っていた。
ヴィルヘルムを信じられないわけではない。問題は、それがこの情勢下で本当に実現し得るのかという点にあった。社会そのものへの不信。戦争という現実は、あまりにも多くのものを不確かにしていた。
人の人生を否応なく踏みにじるこの戦争において、確かなものなど何一つ存在しない。ゆえに決断を下す自分自身の判断にも、確信も自信も持てなかった。
――だが、それでも。
「……ジークハルトさん……」
亡き夫の旧友にして、皇帝ヴィルヘルムが最も信頼を寄せる臣下にして友。その名を文中に見出したとき、ソフィアの胸中に、理屈では説明できない感覚が生まれた。
根拠などない。それでもなお、“勝てる”と思わせる何かがあった。
不思議なことだった。
「お受けいたします。ただし、条件が――」
そしてソフィアは、冷徹なリスク計算の末に決断する。
静かにペンを取り、返書を書き始めた。




