堕天使
13 堕天使
二日後、タミヤの元へ、使いに出していた鳥達が帰ってくる。
一羽はサンソワン侯のグリヨン宮へ向かっていたハトで、任務内容を変更する指令を携えて戻ってきた。
エーグレファン伯に対するカンブルース公の攻撃は、暫くは小康状態が続くと見られるため監視対象を切り替える。
アルファンが魔術師を発見し次第彼女と合流し、その監視の方を優先すべし。
更に、その行動如何によって緊急性を要すると判断した場合は、討伐しても構わないという許可も与えられた。
もう一羽は、カンブルース公を監視していたフィンクからの情報を伝えるカラスで、エーグレファン伯の暗殺計画に
参加したエイドロンの実行部隊は全滅したという報告が、主の元へもたらされたという。
「だそうですよ」
「そりゃそうだろうな、誰一人戻らなかったんだから当然だ」
その報告を、ベルエールの言葉を、同席していたアリーゼはどんな気持ちで聞いていたのだろうか。
彼女は、下を向いたままその表情を隠していた。
討伐許可を最も喜んだのはルーエイだった。
これで気兼ねなく暴れられる。
「どうするよ、ベルエール。
許可が出たぜ、やっちゃっていいんだよな」
「相手がどこにいるかも分からんのに何やれってんだ。
アルファンの連絡待ちだ、それまでは動けねぇ」
「アリーゼも連れてっていいよな」
「タミヤ、それについては何も指示はねぇのか」
「ハトさんは何も言ってないですよ。
すぎたるはおよばざるがごとしって言葉だけですよ」
「アンサンの野郎、回り諄い言い方しやがって」
「なあ、それどういう意味だよ」
「煮るなり焼くなり勝手にしろって事なんだろうよ。
変に警戒し過ぎたって意味がねぇって言いてぇんだろ」
「なら決定だ。
良かったなアリーゼ、これで敵が討てるぜ」
「すまん、感謝する」
「なんだよ、もっと嬉しそうな顔しろよ。
あんたも笑ってた方が可愛いぞ、タミヤみたいに」
「そうですよアリちゃん、女の子は笑ってなんぼですよ」
「・・・・」
アリーゼは、物心ついた時から、つまり孤児だった頃から、性的な理由を除いては一度たりとも女性として扱われた
経験がないため、愛想笑いをしなければならないのは男に抱かれる時だけだと認識していた。
自分が笑う事で得られるものは、死なずに済むというただそれだけだった。
故に、ルーエイにからかわれてもいつもニコニコ笑って笑顔を絶やさずにいるタミヤの心情が理解出来ない。
☆
翌日、遂に待ち望んだアルファンからの連絡カラスが飛んできた。
彼女が合流に指定したのは、北方の山脈に連なる山地の麓にあるマオニアという名の町だった。
マオニアは典型的な鉱山の町で、ほぼ全ての住民が、鉱山で働く出稼ぎの坑夫とそれに関係する職業に就いている。
目抜き通りに役場の出張所と警察の派出所、郵便局があり、他に酒場、遊女屋、賭場、金貸し屋などが数軒ずつある
程度の小さな町で、その周囲に坑夫達のバラック小屋が長屋のように連なっている。
このような鉱山の町は、この伯爵領では山脈に沿って大小幾つもあるのだそうで、大きめの町には必ずと言っていい
くらい小さな教会と葬儀屋がある。
鉱山の仕事がいかに危険と隣り合わせなのかが分かる。
アルファンは、そのバラック小屋の一つの中で待っていた。
と、一言で片付けるのは簡単なのだが、それが分かるまでには1時間以上もかかってしまった。
容易に気配を感じさせない彼女を探すのは、ルーエイを以てしても難しい事だった。
タミヤのペット、オコジョのヤタローに頼んでようやく見つけられた。
小屋の中で一人椅子に座って待っていたアルファンは、入ってきた人の多さにたじろいだ。
顔見知りなのはルーエイとタミヤだけで、ベルエールとルルートは初対面、もちろんアリーゼは知らない。
「いや、大勢いる」
「アルちゃんお久ですよ」
「なんだアルファン、久し振りなのにそんな嫌そうな顔すんなよ」
「大勢は嫌い」
バタバタと部屋の隅っこへ行って縮こまり、見知った二人の言葉にも拒否反応を示す。
横にしゃがんだタミヤに頭を撫でられる姿は、まるで初めての環境に連れてこられて怯える子犬だ。
ルーエイがベルエールの方を見て、面倒臭そうな顔をしながら説明してやる。
こういうタイプの人間が嫌いだろうと思ったからだ。
「気にすんな、こいつはこういうヤツなんだ、悪気はねえんだよ」
ベルエールは苦々しそうに憮然とし、無言のまま何もない簡素な部屋に一つだけある椅子に腰掛けた。
彼女が落ち着くまで、暫くは何も出来んと諦めた。
そこへ、助け船を出したのはルルートだった。
彼女は、手にしていた紙袋から一口大にカットされたミモレットを取り出して、アルファンに差し出した。
「チーズ、お食べ」
アルファンはそれを受け取って、ゆっくりと端っこを少し囓って口に入れた。
「・・・美味しい」
その美味さに驚いてルルートを見上げる。
したり顔で見返す彼女に、ちまちまとチーズをちょっとずつ囓りながら、この人はいい人だと直感した。
少し落ち着いた様子が見えた頃を見計らって、ベルエールが仏頂面で質問する。
「魔術師はこの町にいるのか」
アルファンは、彼に対してはまだ怯えたような表情を隠さなかったが、彼がリーダー的人物なのは知っている。
「ここにはいない。
隣りの集落の裏山」
その裏山の更に奧には、岩山の間に深く切れ込んだ谷がある。
地元民達が大蛇の谷と呼ぶギーブル渓谷がそれだった。
そこは、鋭い岩が幾重にも切り立つ、とにかく落石が多発する事で有名な場所で、危険過ぎるため地元の人は絶対に
立ち入らないのだという。
「よし、なら行ってみるか」
早速気合いを入れるルーエイに、アルファンが注意を促す。
「むやみに近づくのは危険。
悪魔に気付かれる」
「ヤツが悪魔を使うのは間違いねぇのか」
「そう。
常に悪魔が警戒してる」
「じゃあどうする、寝るのを待つのか」
「少し様子見。
相手はおじいさんだけど侮れない」
☆
昼頃から、小さなこの町にも少しずつ活気が出てきた。
食事や休憩に鉱山から戻ってくる者や、それに合わせて開店する店舗が多い事による。
バラックの中にいても、外で動く音でその状況が少なからず分かる。
「腹減ったな、俺等も飯にしようぜ」
ルーエイの一言で、町の小さな食堂に入った6人は、横のテーブルで食事をしていた坑夫達の会話の中から、一つの
気になる情報を得る。
今年に入ってから、この近隣の町や村から子供や若い娘が消え去るという事件が相次いでいるというのだ。
正確な数までは分からなかったが、一人や二人でないのは確かなようだ。
一行は、魔術師、もしくは悪魔のせいだと確信した。
その者達は、悪魔の犠牲になったのだと。
食事を終え、いよいよアルファンの先導で魔術師の隠れ処へ向かう。
悪魔は夜に活動を活発化させる。
退治するなら、陽の明るい今のうちが最適だ。
隣りの集落までは、歩いて15分程度だった。
そこを通過し、山脈の方へ向かって森へ入って行く。
森を抜けると急に空が開け、その先に、見上げる程に高く聳える断崖絶壁の岩山が現れる。
その岩山を、縦に真っ二つに分割するように裂け目が走る場所があった。
「あれがギーブル渓谷か」
「そう」
そこは、両側を高く切り立った岩に挟まれた細い谷で、地面は土が剥き出しになって、雑草が所々に生えている。
先頭を代わったルーエイが、一人離れて遠くから正面へ回り込んでみる。
その一番奥には黒い岩の裂け目が見え、洞穴になって更に奧へ伸びているようにも見受けられる。
そして、夥しい邪気が漂ってきている。
「やべえな、邪気が凄え」
戻ってきたルーエイが顰め面で言う。
ベルエールが聞き返した。
「もう悪魔が動いてんのか」
「それは分からん。
ただし、一匹じゃねえのはなんとなく分かる」
「悪魔が複数いるってのか」
「どうもそんな気配がする。
こりゃちゃっちゃと行って片づけるって訳には行かなそうだな」
☆
とりあえず、ルーエイが先陣を切り、ルルートとアルファンが後続、残りは森の陰で控える事にした。
ルーエイが徐々に渓谷の入り口に近づいて行くと、その気配に気付いたのか、濃茶のマントに身を包んだ見るからに
怪しい人影がゆっくりと谷から出てきた。
悪魔だ。
さっそく出やがった。
赤ら顔の禿げ頭に小さな角様のものが2本生えている。
「貴様は何者だ。
ここは人の来る所ではない、立ち去れ」
「そこの奧にじじいがいるはずなんだが、会わせてくれ」
「ならぬ、立ち去れ」
「なら強行突破するしかねえな」
「殺すぞ、貴様」
「やってみ」
悪魔が、鋭い眼力でルーエイを睨みつけて魔力を発動させた。
マントを翻して鋭く尖った長い爪を剥き出し、彼に突進してくる。
ルーエイは、両肩を上下させ首の頸椎をコキコキ鳴らして解すと、手にした刀を出し抜けにぶん回す。
掴みかかろうと突き出した悪魔の右腕がスパッと斬り落とされた。
悲鳴を上げ膝をつく悪魔。
魔力の効果が得られない事に動揺を隠せない。
「な、何者だ貴様・・、なぜ魔力が効かん」
「お前、前にやっつけた・・・なんだっけ、アルミルス?、あれより弱いな。
ちっとも怖くねえ」
「ア、アルミルスを倒しただと!?、そんな馬鹿な・・・」
「なら、地獄へ行って本人に聞いてみな」
平然と笑うルーエイは、事もなげに悪魔の額を刀で突き刺し貫いた。
事切れた悪魔をうっちゃって、ギーブル渓谷へと入っていくルーエイ。
奧の岩の亀裂から、気配を察した長い白髭の老人が現れる。
これがヴィスラール・トルスガランか。
悪魔の攻撃に退かず、五体満足で渓谷までやってくる人間がいると想像もしていなかった老人は、驚き目を見張った。
「貴様、マスカルヴィンをどうした」
「マスカル?、悪魔か?、やっつけたよ」
「なんじゃと!?
貴様は何者だ、エクソシストには見えんが」
「あんたがなんとかっていう魔術師か、一応人間なんだな。
どんな術を使えるんだ?」
ヴィスラールは、悪魔にも動じないルーエイに得体の知れぬ不気味さを感じつつ、対抗心を燃やし呪文を唱え始めた。
たとえ相手が何者でも恐るるに足りぬ、自分の敵ではないと主張するように。
周囲が新たな邪気に包まれていく。
どんどん広がる陰湿な邪気は、幾つかの臭いが複雑に入り混じっているとルーエイには感じられた。
新たに悪魔が召喚され、彼の目の前に姿を現わす。
それは、大きな尖った耳を持つ、コウモリのような顔をした悪魔だった。
こうも簡単に悪魔を召喚するとは、ヴィスラールという老人は一体何者だろうか。
ちょうど、後続のルルートとアルファンがルーエイの近くへ歩み寄ってきた時だった。
一匹の悪魔がルーエイを牽制している間に、もう一匹がルルートに取り憑こうと彼女に襲いかかった。
悪魔は二匹召喚されていたのだ。
ヘビかトカゲのような顔をした不気味な悪魔は、後ろから彼女を羽交い締めにして、耳元で陰湿に囁く。
「暴れるな、そんなに嫌そうな顔をせずとも良かろう。
すぐに気持ちよくしてやるからな、慌てるでない。
お前のXXXXにXXをXXXXして、XXでXXXXをXXXXXXにしてやるわ。
物凄く気持ちいいぞ、一度味わったら忘れられぬ甘美さだ。
すぐにXXXXが溢れて病み付きになるぞ。
ほうらみろ、もう体が疼いて辛抱たまらんだろう。
XXXが火照って汁が止め処なかろう」
二股の舌で首筋を舐められ、悪魔の淫語攻撃に絆されるルルート。
この手の卑猥な言葉にはめっぽう弱い。
脳が妄想モードに入り、体が火照り疼く。
魔力のせいか、段々体から力が抜け、全く抵抗も出来なくなる。
悪魔の手が無造作に胸を揉み、スカートのスリットから下腹部をまさぐられ、指が肝心な所に触れる。
「ほうら、もう滴っている。
神の子とやらも、一皮剥けばただの蜜壺よのう」
鎌首を擡げた悪魔が、その大口を開いてかぶりつこうとした時、その後ろに立っていたのはアルファンだった。
彼女が手を伸ばして悪魔の背中に触れる。
と、その手が体の中にスーッと溶け込んでいく。
そのまま、彼女は全身を悪魔の体内に入れ、憑依してしまった。
憑依された悪魔は、自分の意思では体を動かせなくなった。
「ルルート、このまま悪魔を封印して」
拘束を解かれ自由を取り戻したルルートは、アルファンの言葉に戸惑う。
「でも、そうしたらあなたは・・・」
「大丈夫、私は神の束縛を受けない。
教典や聖水では死なない」
「分かりました」
ルルートは、言われた通りに教典を唱え始める。
言葉攻めで辱められた腹癒せか、呪文の詠唱にはより一層の強い言霊が込められ、滅殺の作業は円滑に捗った。
最後に、ルルートが聖水を投げかけると、悪魔の体が溶け始め、アルファンがフッと憑依を解いて姿を現す。
悪魔が消滅した後、彼女達は笑顔で握手を交わし、お互いの無事と能力を認め合った。
「凄いですね、あなたの能力は」
「あ、ありがとう。
あまり褒められた事がないので・・・」
照れ笑いするアルファンの顔を見るのは貴重だ。
☆
ルルートとアルファンが悪魔と揉めている時、ルーエイもまた、もう一匹の悪魔と対峙していた。
恐ろしげな見た目はしているものの、ルーエイには先程の悪魔と同様に、たいした敵には見えなかった。
簡単に片が付くと思った。
「私を見ても怖じ気付かんとは、貴様は何者だ」
「どいつもこいつも同じ質問ばっかりだな、もっと気の利いた事聞けよ」
それまで、誰一人として気にも留めずにいた天気に変化が現れ始める。
晴れて薄曇り程度だった空に、黒ずんだ積乱雲がもくもくと湧き上がって接近してきていた。
地表付近を涼しい風が吹き抜ける。
夕立の前触れだ。
これで雷が鳴り出したら、一気にどしゃ降りになりそうな空気だ。
その時だった。
「下がれ、ハハビ」
声と共に、その黒雲の中から、大きな黒い翼を羽ばたかせた見慣れぬ新たな人物が、ゆっくりと舞い降りてきた。
それを見て、ハハビと名指しされた悪魔が驚きの声を上げる。
「ア、アザゼル!」
アザゼル。
遂に出た上級悪魔。
本物の堕天使がそこにいた。
黒い長髪と切れ長の目、黒いボンデージ風の衣装を纏った細身の姿からは、夥しい邪気が放出されている。
それだけで、このイケメン悪魔がこれまでとは比較にならないほどレベルが違うと分かる。
周辺が、急速に独特で異様な雰囲気に包まれた。
黒雲で覆われた空には強風が吹き荒び、地面の砂埃を巻き上げる。
その強力な邪気に圧倒され、さすがのルーエイも身構えた。
まさか、この上級悪魔もヴィスラールに召喚されたのか?
ハハビが、地に足を着けた堕天使に言う。
「待ってくれアザゼル。
これは俺の獲物だ、邪魔はしないで貰おうか」
「下がれと言っている。
俺はこの者に用がある、貴様こそ邪魔立ては許さん」
「それでは俺が召喚された意味がねぇ」
意に沿わぬハハビを腹に据えかねたアザゼルは、やにわにその大きな手でハハビの頭を鷲掴んで尖った爪を突き立て、
驚くかなそのまま強靱な握力で握り潰してしまった。
「黙れと言った」
なんという冷酷さ。
従わぬ者は同族であっても一切の容赦を与えない。
どうやら、アザゼルの登場は召喚とは一切関係なさそうだ。
こんな残忍な悪魔が人間と契約を交わし、唯々諾々と従う訳がない。
極悪上級悪魔は、頭を潰され地面に崩れ落ちるハハビには目もくれずに、ルーエイを睨みつけた。
怒りに満ちたその目は血走り、威嚇する猛獣よりも激しい殺意が籠もっている。
そんな憤怒の眼力で凄まれると、普通の人ならそれだけで竦んで動けなくなってしまうどころか、恐ろしさのあまり
卒倒してしまうだろう。
「貴様だな、俺の仲間を殺したのは」
「殺したのはお前だろ、今」
「これは仲間などではない、ただの下種だ」
「じゃあ誰の事言ってんのかな、思い出す時間をくれ」
「アルミルスの敵は取らせて貰うぞ」
「ああ、あれか、お前の仲間だったの?
そりゃ悪い事したな、風に乗ってサラッと消えちまったんで墓にも入れてやれなかった」
「いけしゃあしゃあと減らず口を。
貴様は何者だ、なぜアルミルスを殺せた。
その手の魔剣の力だけではあるまい」
「そりゃあんた、内緒だよ」
返事も聞かずに、目の前からアザゼルの姿がフッと消えた。
反応が少しでも遅れていたら、今頃はルーエイの頭も豆腐のように握り潰されていただろう。
間一髪のところで、アザゼルの大きな右手の攻撃を躱していた。
そのあり得ない素速さは、ルーエイの目でも追えないほどに卓越していた。
ルーエイは邪眼で睨み反撃を試みる。
異常さを感じ取ったアザゼルは、瞬時に目を逸らせて回避し、飛び退いて距離を取る。
「貴様・・・、今何を企んだ」
恐るべき勘の鋭さと反応速度を見せるアザゼルに、ルーエイは眉を顰めた。
堕天使の名は伊達ではない。
これは、一筋縄ではいかないかな・・・。
その後、翼を羽ばたかせながら上から迫るアザゼルの攻撃を、ルーエイが剣戟で受け流す攻防が暫く続いた。
アザゼルの方が優勢にも見えるのだが、ルーエイには一発逆転の秘技がある。
それを予期しているアザゼルは、相手の反応を見ながら手探りしているので、全力での攻撃が出来ずにいた。
にも関わらず、目にも留まらぬ速さで攻撃を繰り返すのは見事だし、それを回避し続ける側の反応も尋常ではない。
どちらも一呼吸の差で攻守を入れ替え、数ミリの差で命を繋ぎ止めている。
その意味では両者互角。
どっちがどっちを倒すかは、一瞬の隙を見逃さない者の方に軍配が上がる。
業を煮やしたアザゼルは、一際強い魔力を発動させる。
「地べたにひれ伏せ、人間よ」
ルーエイは、その強力な衝撃波をまともに食らいつつも、一歩も退かずに耐えた。
「そいつはご免だな、まだ死にたくないんでね」
「精神支配を受けないだと?、なぜだ」
僅かにアザゼルの感情に乱れが生じた。
その隙を見逃さなかったルーエイが、満を持して邪眼を発動させる。
目と目が合った瞬間、アザゼルは全身から力が抜け、羽ばたけなくなって墜落し、地面に叩き付けられる。
とうとう邪眼で捕らえ、ルーエイはホッと緊張が緩む。
「はぁー、やっと落ちたな」
麻痺して痺れる手足をブルブルと震わせながら、アザゼルはルーエイを睨みつけた。
「き、貴様・・・何をした」
「邪眼は相手の目を見ないと効果が出ねえんだよ。
まあ、あんたの攻撃を避けるのには役立ったけどな」
「じ、邪眼だと!?
それは、サリエルの力ではないか・・・」
サリエル・・・、ミカエルやガブリエルと並び称される大天使の一人とも言われる至高の御身にして、人によっては
悪魔と同列に扱われる堕天使の一人と認識する者もいるという摩訶不思議な存在。
その理由は、彼が持つ邪眼の能力に由来し、その目で一瞥するだけで人を操り、死に至らしめる事すらも可能にする
という人智の及ばぬ強力な力が故に、人々に恐怖を抱かせるからである。
そんな特殊過ぎる能力を受け継ぐ人間がいるなど、一体誰が信じられようか。
「なぜ、貴様がその力を・・・」
「おっと、それは聞かないでくれ、俺にも分かんねえんだから。
恐らく、理由を知ってる奴はこの世のどこにもいねえよ」
「あり得ぬ、あり得ぬぞ・・・。
ヤツは他の天使共と違い、地上で活動する特別な存在だ。
しかし・・・」
「サリエルか、そんな名前だったかな、いつだったか誰かに聞いたっけ。
もしかして、あんたはそいつが人間の女に産ませたとかって考えてんのか。
だったらヤツも立派な悪魔の仲間だな、あんたと同類だ。
実際はどうなんだろな、俺がいるんだからそれもなくはないか」
そうこうしているうち、アザゼルが気力を振り絞って強引に邪眼の拘束を解いた。
ルーエイが余裕を見せて無駄話をしている間に、効力が薄れてしまったのだろうか。
再び舞い上がると、捨て台詞を残してみるみるうちに上空へ姿を消した。
「憶えておくぞ、人間よ」
まさか、自力で邪眼の束縛を逃れる者がいようとは。
これは、ルーエイにとっても初めての出来事であり、驚きでもあった。
無敵と思っていた力を打ち破られて、彼は認識を改めざるを得なかった。
上空の黒雲を見上げて、一言呟いた。
「やっぱ手強いな、堕天使は」
続




