14 エト
「あ、あるばー……と、さん?」
「アルで良いぞ」
「あ、あるさん」
「うむ。決しておじさんではないぞ」
「……」
外はすっかり暗くなって、フェルもお姉さんの所に戻ってしまった頃。
話す相手も居ないのに堂々としてるのも居心地が悪くて、結局狭い部屋に引っ込んで座っていた僕に、おじさんが話しかけに来た。
僕が「おじさん」と呼んでいた事がどうも不満だったらしい。
訂正されている所だけど僕からしたらとにかく気まずい。
「エトくん、よろしく頼む」
「え、よ、よろ……しく……?」
思いがけない展開。
あるさんは笑いながら僕の手を握る。
こないだまで敵同士だったってのに、何をよろしくする事があるんだろう?
固まっていると握ったままの手を強く引っ張られて、座っていた僕は無理矢理立たされた。
「あ、わ、っな、なに?」
「少しばかり暇をしていてな、付き合ってくれ」
「え? ぼ、僕、が?」
「そうだ」
そう言うとあるさんは僕の手を掴んだまま歩き出した。
なんで僕が!?
ってゆーか僕の意見は!?
振り払おうにも結構がっしりと掴まれているらしく、びくともしない。
そのまま半ば引き摺られる形で一階の酒場まで来てしまった。
昼に見た時と違い、人が全然いなくて確かに暇なのかもしれない。
「ここに座っているだけで良い」
「……え、う、わ、分かった」
カウンター前の席に連れてかれ、言われるがままそこに腰掛けた。
あるさんは僕が座ったのを確認すると、そのままカウンター奥の方に行ってしまった。
この人、結構強引なんだな。
まぁ座ってるだけなら……と考えていると、あるさんが戻って来て僕の前に何かの入ったカップを置いた。
良い香りの湯気が立ち上る白い液体。
カップに入ってると言う事は、多分飲み物なんだろう。
「飲むと良い、温まるぞ」
「あ、ありがと」
言われた通りに口に含むと、程よい甘さが口に広がる。
飲み込むと身体の中からぽかぽかと温まる感覚がして、安心するような気がした。
「お、美味しい……!」
「ホットミルクだ。気に入ってくれたか?」
美味しい、以外になんて言えばちゃんと伝わるのか分からなくて、何度も何度も頷いて見せるとあるさんは嬉しそうに笑った。
それにしてもこんなすごい飲み物を作れてしまうなんて、どんな魔術を使ったんだろう?
更に一口、二口と飲んでいくとあっという間に無くなってしまった。
「あ、あるさん! どうやってこれ作ったの? 僕にもその式を教えて!」
「……しき……? ま、まぁ教えるのは構わん。こっちに来てくれ」
あるさんはカウンターの奥のキッチンへと入っていった。
僕も慌ててそのままカウンターを乗り越えてあるさんの元へと駆け寄る。
すると、あるさんの表情が怒ったようなものへと変貌した。
「こら! 横に通る場所がちゃんとあるんだぞ!」
「えっ? えっ!?」
「これはみんなが使うものなんだから、汚すような事をしては駄目だ!」
「え、あ、ご、ごめんなさい!」
僕の謝る姿を見てあるさんはため息をひとつ吐くと、ゆっくりと僕の頭に手を乗せる。
久しぶりに来るであろう衝撃に、身体を強ばらせて身構えた。
……けれどいつまで経ってもそれが来る事はなく、その変わりのようにぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。
恐る恐るあるさんの顔を伺うと、何故だか嬉しそうに笑っていた。
「謝れるのは良い事だ。次からは気を付けるんだぞ」
「……へ? あ、う、うん」
そしてあるさんは僕から手を離して踵を返し、台所の棚を開けて何かを取り出している。
その後ろ姿を呆然と眺めた。
気まずいと言うのも確かにあるけど、この人の行動が全て予想外で、ものすごくやり辛いと言うかなんと言うか……。
「こっちに来て、まずは手を石鹸でよく洗うんだ。ほら、これをこうして……」
「う、うん」
言われる通りに流しに向かうと、白い物を渡される。
それを手の中で転がすと、まるで魔術のようにそこからふわふわが湧き上がってきた。
あるさんが横で洗い方を見せてくれて、見様見真似で手をごしごしと擦って、洗い流す。
話には聞いた事があるけど、初めての経験だ。
だってこんな事しなくたって魔術を使えば問題ないし、そっちの方が楽だから。
そう思っていたけど、ぴかぴかで良い香りのする手を見たら、こっちの方がなんとなく気分が良かった。
「よし、じゃあ早速ミルクを温めるんだ」
あるさんが白い液体の入った瓶を僕に手渡した。
さっき飲んだ物と違ってひんやりとした冷たさが手に伝わる。
「この鍋にミルクを入れて」
「うん」
がりがりと引っ掻き過ぎて蓋がぼろぼろになってしまったけど、なんとか上手く開けられた。
言われた通りに、なべ、と呼ばれる器のようなものに注ぎ、あるさんが指差した場所へそれを置く。
「次に……、火を扱うから気をつけるんだ。ここを押すと火が出て、こっちで火力を調節するんだ」
「うん」
あるさんの言う出っ張りのような物を押すと、ぼ、と言う音と共に器の下部に小さな火が発生して、少しだけびっくりした。
「……魔法道具? こんなの初めて見た!」
「便利だろう」
器の下部が炙られて中のミルクが温まっているのか、少しだけ湯気が立ってきた。
飲み物をこうして温めるなんて、発想がすごい。
この人、天才なのかも。
「あまり熱くなり過ぎないうちに火を止めて、砂糖で味付けをするんだ」
「さとー?」
「ほら」
あるさんから大きめの瓶を手渡された。
瓶の中には純白と言っても良いくらいの真っ白な粉が入っていて、すごく綺麗だ。
瓶を開けてみると微かに甘い香りが漂う。
「その匙一杯くらいで良いだろう、ミルクに入れて混ぜてみろ」
「うん」
言われた通りに入れて、かき混ぜるとさっき飲んだ物と同じような良い香りが辺りを包んだ。
「カップに注いで、完成だ」
「うん」
あるさんが持ってきたカップに器の中身を、そーっと零さないように気をつけながら注いだ。
さっきのすごい物、今度は僕が作ったんだ!
嬉しくて早く飲んでみたくてカウンターの方へカップを持っていった。
「エトくん」
「……なに?」
不意に、あるさんに呼び止められた。
振り返ると腕を組んで仁王立ちしているあるさん。
「片付けもちゃんとやるんだ」
「……あ、う、わ、分かった」
そういえば忘れていた。
本当は今すぐにでも飲みたいけど、ぐっと我慢してキッチンの方へ戻った。
何が面白いのか、僕を見るあるさんの表情は嬉しそうだ。
「ほら、これで鍋を擦って……」
「う、うん」
あるさんから手渡されたふわふわした物、それで腕をめいっぱい動かして器を擦る。
これだけめいっぱいやってるにも関わらず、くっついた白い物がなかなか取れなくて息が上がった。
「うぅ……はー……っ、はー……っ」
「よし、それくらいで良いぞ」
なんとか綺麗に磨いた器をあるさんに手渡すと、棚の中へとしまわれた。
砂糖の瓶も手渡すと、受け取ったあるさんがまた別の棚へとしまっていく。
そうしてこの場所が、僕らが入って来た時と同じ状態に戻ったのだった。
「よし、よく出来たな! 偉いぞ!」
「ぅぁわっ!?」
不意に、あるさんが楽しそうに笑いながら僕の頭を再びぐりぐりぐしゃぐしゃ撫で回す。
ばかにされてるような気がするし、加減がめちゃくちゃで鬱陶しいと思った。
おまけに細かい事にうるさいし。
……なんだか、るー兄みたいだ、と思った。
「さぁ、カウンターに戻るか」
「うん」
カウンターの方へ軽く背中を押される。
またうるさく言われたらめんどくさいから、ちゃんと横から回り込んで椅子まで戻ると、その間にあるさんもカウンターへ戻ってきていた。
「ゆっくり飲むと良いぞ」
「……ん」
まだ湯気が立っているそれをじっと見つめた。
特に理由は無い。
ただなんとなく、本当になんとなく、それに手を付けずにあるさんの方へ押しやった。
「どうした?」
「……あげる」
あるさんはぽかんとした顔でコップと僕の顔を交互に見比べていた。
その様子を見ていたらなんだか僕が変な事をしたような気がして、段々恥ずかしくなってきて目を逸らした。
すると、今度はあるさんの豪快に笑う声が聞こえた。
「ははは、そうかそうか」
「……なに」
「遠慮なくいただく。ありがとな」
「……別に」
再び僕の頭に手を置いて、ぐりぐりぐしゃぐしゃ撫で回す。
鬱陶しいと思ってそのまま睨みつけると、また嬉しそうに笑っていた。
フェルと同じかそれ以上に変な人だと思った。
「うん、美味いぞ!」
「……ん」
一口飲んでは、僕に笑顔を向けてくる。
うざったいけども悪い気はしない、……そう、不思議な気分だった。
るー兄にもフェルにも感じた事だけど、ここら辺に住んでる人はみんなこんな感じなのだろうか。
だとするなら、殺すのに失敗して良かったと思った。
そう考えながらあるさんがミルクを飲んでいる姿を眺めていると、瞼が重くなってきた。
さっきので疲れたのかも。
「眠いのか」
「……ねむ、くない。へーき」
「……気になってはいたが、その酷い隈……ちゃんと寝ているのか?」
「……ねなくていい」
「そんな事は無いだろう。しっかり寝ないと身体を壊してしまうぞ!」
うとうとしながら重力に耐えていると、あるさんが心配そうな顔で覗き込んでくる。
そんな事、気にする必要なんて無いのに本当に口うるさい人だ。
僕の身体が壊れて、この人になんの関係があるのか。
眠りたくない。
眠りたくないよ。
「……こわい……やだ」
「……怖い?」
「……ふぇ……るも……あるさ……も、るー兄に……似て…………」
「……」
「……また……いつか…………く……ころさ…………かな……こわい……な……」
「……」
「……ごめん……な……さい」
平衡感覚が無くなって、頭がぐるぐるする。
思考がはっきりしなくて自分が今何を言っているのかよく分からないまま喋っていた。
変な事、言ってなきゃ良いけど。
次の瞬間には身体が言う事を聞かなくて、真っ暗な世界に滑り落ちていくみたいに意識が途切れた。