06 フェル
「少し、出かけてくる」
日差しも高い昼下がり、自身の姉が珍しい事を言い放った。
「出かける……って、……えっ!? 姉さんが!? 嘘だろ!?」
「むぅ……」
姉さんは眉を寄せて何か言いたげだが、俺の反応も無理はないと思う。
なにせ俺が小さい頃から姉さんが外に出たのを見た事なんてほとんどないからだ。
どうしても外に出なければならない用事の場合は、アルが便利屋みたいに色々やってくれていた。
そういえば俺がゴーレムにやられた時や、森に助けに来てくれた時はちゃんと表を歩いて来たのだろうか。
……全然想像出来ない。
「……人を引きこもりみたいに」
「引きこもりじゃんか」
「むむぅ」
頬をぷくりと膨らませて、睨まれる。
だいぶご立腹のようだ。
それにしても、そんな引きこもりの姉さんが行く場所なんてどこだろうか?
レアさんやエトの事を考えると、姉さんを一人にするのは危険な事だと思うが。
「それ、俺も着いて行っちゃ駄目?」
「駄目」
即答だ。
予想はしていたけど。
「そもそもどこに何をしに行くんだ? アルの所?」
「……」
沈黙。
俺が着いていくのは駄目で、場所も目的も言えない、と言う事は……嫌な考えが浮かぶ。
不安に思って姉さんの腕を掴み、喋るまで譲る気は無い、と伝えるつもりで真っ直ぐ睨み付けると溜息をひとつこぼした。
「魔術師が何かを企んでいるみたいなの」
「魔術師が?」
首を傾げると、姉さんは手のひらからどこか見覚えのある、小さく光る何かを取り出した。
それは淡く光る羽虫のようなもので、姉さんの手の上でひらひらと舞う。
「これは魔術師が連絡を取るためのもの」
「へ、へぇー」
姉さんがそれを握ると、周囲に光の粒が広がった。
そして、彼女の手の上にどこかの景色と座標が浮かび上がり、更に「魔術師、集まられたし」の文字が浮かんだ。
「うわ、すごいなこれ」
先程までは半信半疑だったけど、実際に使ってみるとこんなに小さいのにすごい。
姉さんが握った手を開くと浮かび上がっていたものがすっと消えて、元の淡く光る羽虫に戻っていた。
そうだ、これ、あの森でレアさんと戦った時にちらっと見た覚えがある。
こういうものだったのか。
「文章から察するに私宛と言うよりは魔術師全員に宛ててるように見える。だから私は魔術師を集めて何をするつもりなのか見てくる」
なにやら不穏な空気になってきたようだ。
まさか突然みんなで集まって仲良くお茶会なんて事は無いだろう。
最悪、姉さんを誘き出す罠というのも考えられる。
「やばいんじゃないか? なにもこんな怪しい場所に行かなくても……」
「駄目。私は責任があるから」
目を伏せて首を振る。
なにやらどうしても行かなきゃならない理由があるらしい。
……この頑固姉は一度決めたらどうしても譲らないのだろう。
「じゃあ、俺も着いてく」
「駄目よ。人間に良くない感情を持っている魔術師は多い。貴方が来たら逆に危ない」
だから言わなかったのに、と溜息を吐かれた。
姉さんの言い分も分かるし、きっと俺は足手まといなんだろうけど、それでも彼女を放っておいて一人だけ安全な場所で待っているのも嫌だった。
「だから貴方はここに残りなさい」
「やだ」
「フェル、お願いだから」
「俺の知らない所で、姉さんまで居なくなるなんて考えたら嫌だよ!」
「……」
思い出すのはスーシャとソル。
あの二人が居なくなった時の事を思い出すと、たとえ俺の言っている事がわがままだとしても言わずにはいられなかった。
俺がじっと睨むと姉さんは困ったように視線を四方八方へ彷徨わせた後に大きな溜息を吐いた。
どうもじっと睨まれるのが苦手らしい。
「……分かった。一緒に来て」
でも、と続ける。
「私も貴方が居なくなるのは嫌なの。だから今から言う事をよく聞いて」
「お、おう」
話をしながら姉さんは、自身の服から何かを探すようにごそごそと漁りだした。
「まず、私と話を合わせる事。それ以外の余計な会話はしないで、動揺もしない事」
「話を合わせる……」
「それから、万が一の話」
「わっ!?」
姉さんは小さな紙切れを取り出すと、俺の足元に這いつくばって俺の靴に何かをしていた。
「姉さん?」
「もし万が一貴方が危なくなったら、貴方の靴に魔法道具を仕込んだからこれで逃げなさい」
「お、おう」
自身の靴に目を向けると、踵の部分に目立たないように何かが描かれた紙が貼り付けてあった。
「空を飛べる浮遊の魔術よ。片足でどちらかを軽く蹴れば発動するようになっている。速度も結構早めになっているから取り扱いには気をつけて」
「わ、分かった」
空を飛ぶらしい。
どんな感じなのかいまいち想像出来ないけど、エトみたいに飛べるのだろうか?
まぁ、これを使わなければならない、なんて事にならないよう祈ろう。
「貴方は自分の身の安全を優先しなさい。良いわね?」
「う、うん」
本当はあまり納得していないけどいつもよりも真剣な雰囲気に飲まれて頷いた。
「まぁ、魔術師は野蛮な事を好んでいるというわけでも無いから、こちらから何もしなければ恐らく大丈夫よ。恐らく」
「なんで二回言うんだよ」
姉さんは涼しい顔で扉を開ける。
こっちは気が気じゃないというのに。
とにかく、姉さんに話を合わせて無駄話はしない事、危なくなったら魔法道具を使う、と頭の中で繰り返し呟いていた。
が、不意にとある事が気にかかった。
「そういえばさっき見た場所、結構遠いみたいだけどどうやって行くんだ?」
「徒歩」
「徒歩ぉ!?」
「……徒歩」
思わず声が変に上ずった。
徒歩で行くのはかなり辛い距離だったと思うが……。
そこまで考えていると眉を寄せた姉さんがじっとこちらを睨みつけてきた。
「だって貴方、魔術跳ね除けるじゃない」
「そ、そんな事言われても」
俺の為とは言え、そういう風にしたのは姉さんじゃないか。
姉さんは俺を半目で睨みながら、だから来なくていいって言ったのに、とぶつぶつ文句を言っていた。
わがままを言った手前何も言い返せない。
いつも静かな姉さんなのに今日はやたら俺への当たりが強く感じるのは気のせいだろうか。
「ちょ……待っ……」
不意に姉さんは立ち止まると俺の服の裾を掴んで、その場に崩れるように跪く。
どうしたのかと慌てて俺も膝を付いて姉さんの様子を伺うと、真っ赤な顔で呼吸が荒くなっていた。
「姉さん!? どうかしたのか!?」
「……れ……た」
「具合悪いのか!? それとも何か……」
「……つかれた」
「は?」
今なんと言ったんだ、この人は。
俺の気のせいじゃなければ、疲れた、と聞こえたが……。
そりゃそうか、姉さん引きこもりだもんな。
何かあればアルになんでもやらせてたもんな。
そりゃあ歩かなければならない原因の俺に当たりたくもなるよな。
呼吸を整え終わったらしい姉さんは立ち上がると先程の事は無かったかのような涼しい顔をしていた。
「よし。行きましょう」
「よし、じゃないだろ」
まだ全然歩いて無いのにこの調子じゃ何日かかるか分からない。
どの辺が「よし」なのか教えてほしいくらいだ。
俺の呆れた気持ちが表情に出ていたらしく、姉さんはバツの悪そうな顔をしていた。
「だって、運動……無理」
「どこが運動だ。ちょっと歩いただけだぞ」
返す言葉を見つからないのか、眉を寄せて視線を四方八方へ彷徨わせている。
頼り甲斐のある姉さんの意外な弱点を知ってしまった。
この人こんな身体で万が一は逃げろとか言ってたのかよ。
一番危険なの、姉さんじゃないのか?
いや、それ以前に行く事が出来るのかが疑問だが。
「あ、そうだ。これ使えないのか?」
そういえば忘れていたけど靴につけた浮遊の魔術がどうとか言っていたが、今は使えないのだろうか。
俺の言葉を聞いた姉さんは、一瞬ぽかんとした顔をしたかと思えばすぐさま真剣な顔に変わった。
「なるほど、そんな手が」
「……姉さん本当に大丈夫かよ」
本来はこんな人なのだろうか。
これから危ないかもしれないのに……。
なんと言うか、このポンコツっぷりは不安でしかない。
「その魔法道具は貴方に作用する、と言うよりは靴に作用するものなの。浮遊する靴と言った方が正しい」
が、魔術に関しては今まで通りの姉のようだ。
全く知識の無い俺に説明してくれる姿はなんだか頼もしく見えた。
「跳ね除けてしまう貴方にも使えるようになっているけど、その分制御が難しいからそれだけは気をつけて」
「お、おう」
スーシャの魔法道具は勝手に発動するものだったし、これが俺の人生初の魔法道具になるわけだ。
なんだか緊張して、手が汗ばんできた。
「よし」
深く深呼吸してから、こつりと踵を蹴る。
踵の紙が強い光を放ち、周囲の風が俺を中心に呻くような気配がした。
次の瞬間、大風の中にいるような凄まじい音と共に、足が前方へ強く引っ張られた。
「う、ぉわぁっ!」
身体が後ろに仰け反りそうになるが、腹部に力を入れて無理矢理姿勢を元に戻す。
前進する速度はそのままに、足の角度を変えると少しだけ身体が浮き上がった。
なんとなく操縦の仕方が分かってきたのでそこから思いっきり上空へ浮上すると、いつの間にか身体に魔法陣を纏った姉さんと並んで空を飛んだ。
「す、げー!! 俺、空飛んでるよ!!」
太陽の光を浴びて、風を切る感覚がとても気持ち良い。
姉さんは当たり前のような顔で飛んでいるけど、人が空を飛ぶなんて本当にすごい事だ。
視界のほとんどを淡い青色が占める。
下を見れば、普段大きく感じていた木が、建物が、地面がとても小さいものに見えた。
これが、魔術師の見ている世界なのか。
姉さんが、エトが、スーシャが見ていた世界なのか。
これから何が起こるかも分からないし、危ないのかもしれないけど、初めての身体中で風を切る感覚に俺の心は昂った。




