05 フェル
風が木々を揺らす音。
それを聞きながら森に入るのはいつもの日課ではあるが、今日はいつもと違う。
腰にあるずっしりとした重さに目を向けると、銀色の銃が見えた。
強くなる為の可能性。
それを試す為に来たのだ。
いつもの広場に出てみると、久しぶりの姿を見つけた。
「あ、エト。来てたのか」
「……ん」
切り株の側に白い髪の少年、エトが膝を抱えて座っていた。
声を掛けてみたけれど、どうも様子がおかしい。
「どうかしたのか?」
「別に」
じっとどこか遠くを見つめたまま、反応はくれるもののいつもよりも淡白だった。
そしてもう一つ気になるものが。
「首に着けてるそれ、なんだ?」
「首輪」
「いや、そりゃ、見ればわかるけど……」
エトの首には金属で出来た重々しい首輪が、がっちりとはめられていた。
なんだか重そうだし、苦しそうだし、痛そうだ。
無意味な物は着けないだろうし、そもそも何に使う物なのだろうか?
これは、こいつ自身で着けた物なのか?
こないだの赤黒い汚れといい、今日の様子と変な首輪といい、さすがに妙じゃないか?
なんだかもう不穏なものしか想像出来なくて、心配になってきた。
杞憂だと良いんだけど。
「エト、お前何かあったのか?」
「別に」
教えてくれそうにない。
そもそも普段から素直じゃない奴がそう簡単に教えてくれるとも思えないが。
「……」
「……」
沈黙。
その場に風の通る音だけが響く、非常に気まずい空気だ。
とりあえず何か雰囲気を変えられそうな話題を必死に探してみるけれど、今のエトが果たしてそれに乗ってくるのか疑問である。
「……フェルってお姉さん居たんだっけ」
「えっ!? お、おう」
悶々と考えていると、意外にも機嫌の悪そうなエトの方から沈黙を破って話しかけてきた。
唐突だけど、姉さんの事が気になるらしい。
「どんな人なの?」
「どんな人、ねぇ」
いざ聞かれて、一言で説明出来ずに考える。
見た目が幼い。
無表情。
不器用。
意地っ張り。
心配性でうるさくて、俺の事ばっか考えてる。
ざっと考えてこれくらい浮かんだ。
「暖かい?」
「……暖か……い? ……かどうかは分からないけど、優しいかな。少し口うるさいけど」
なんというか抽象的と言うか、感覚的な言い回しでいまいちよく分からないが、捉え方はこれで合っているのだろうか?
一応ちゃんと会話になってるのか、俺の返答を聞いたエトは頷きながら何か考え込んでいた。
そして再び口を開く。
「……ねぇ、生きる資格って何?」
「ぅえっ!? 生きる資格っ!?」
前言撤回。
俺はこいつとちゃんと会話出来ているのだろうか。
唐突に話題が明後日の方向へ切り替わった挙句、内容が結構難しい。
本当に何があったんだろう?
「フェルにも分かんない?」
「う、うーん……難しいな……」
もしも、と哀愁漂う伏し目でエトは続けた。
「もしも、フェルのお姉さんに生きる資格が無いってなったらどうする?」
「なんだそりゃ」
よく分からない例え話に呆れたけれど本人は至って真面目らしい、真っ直ぐ俺の目を見て返答を待っていた。
……こんな真剣な顔で待たれてしまっては、無視したり笑ったりなんて出来ないな。
「……俺は、嫌だな」
「嫌?」
「生きる資格とかよく分かんないけどさ、俺からしたら死んでほしくないもん。どーすりゃ良いか分からんけど何とかする!」
「……死んでほしくない……?」
謎の例え話はよく分からないけど、俺ならこうするであろう答えを返す。
その答えはエトが満足するようなものなのかは分からないが、ぽかんとしたような顔で聞いていた。
「死んでほしくない……」
「うん。死んでほしくない」
「死んで……ほしくない……」
「……」
「死んで……ほしく……ない……」
「……」
「しんで……ほし……く……」
エトは壊れた機械のように、どこか遠くを見つめながらその言葉を繰り返す。
元々おかしい奴だとは思ってたけど、なんだか今日はいつにも増して変に思えた。
「そっか。僕……ただ、……イ……さんに、しんで……くなか……たんだ……」
「……エト?」
小さく小さく掠れた声で呟かれたそれは、俺が理解する前に風に攫われて消えた。
俺の呼びかけにエトは反応する事なく、突然けたけたと笑い出した。
そのままの姿勢で耐えきれなくなったのか、彼は地面に転がって腹部を抑えて更に笑っていた。
ひたすら、笑い続けていた。
あれ、エトってこんな奴だったっけ?
確かに元々おかしい奴だと思ってたけど、なんだこれ。
まるで、狂ってしまったような……。
目の前に広がる光景がなんだか別の世界に来てしまったようで、少しだけ背筋がさむくなる。
「おい、エト!! どうしたんだよお前!!」
そんな恐怖を吹き飛ばすつもりで大声を張り上げる。
無理矢理起こして肩を揺すって呼びかけても、エトはこちらに反応する事なく気だるげに首を傾けて笑い続けていた。
こいつの目に俺は写っているのか、分からない。
「お前……」
そこで気付いた。
いや、勘違いかもしれない。
ただ単に笑い過ぎてしまっただけなのかもしれないけど、一度そう考えてしまうと、そうとしか思えなかった。
「泣いてるのか?」
本当に偶然。
近づいてよく見ないと分からないくらいのほんの少し、エトの瞳が濡れていた気がした。
「なにがだよっ!」
やっとしっかり反応をくれたエトは、肩を掴んだままの俺を力任せに突き飛ばし立ち上がると、尻餅を着いた俺を見下ろし怒鳴りつける。
「弱虫フェルと、一緒にすんな!」
真っ赤な顔で、きっと本気で怒っているんだろう。
けど、先程のぼんやりとしていて、俺を見ているようで見ていないエトよりは今の方が安心した。
それにしてもこの反応は、俺の予想が当たっていたのではないかと思ってしまう。
だとしたら、辛い事があったのかもしれない。
「やっぱり、何かあったんだろ」
「うっさい! ほっといてよ!」
叫ぶように怒鳴るとエトはふいと俺に背中を向ける。
こいつに何かしてやれる事があれば良いんだけど、そもそもこいつは泣いてた事や辛いって事すら認めなさそうだ。
どうしてこう、魔術師ってのは意地っ張りが多いんだろうな。
「……生きる資格……だったっけ」
「……」
「これ、関係ある?」
「…………さぁ」
背中を向けたまま、随分と間のある答えが帰ってくる。
なんとも分かりやすい奴だ。
しかし、この発言が関係ある出来事なら、単純な話でも無さそうだ。
俺なんかが深入りしても良いものか……、それでも放っておく事が良いとも思えない。
「死んでほしくない……」
何があったのかは分からないが、エトが気にしていた単語だ。
そんな人がこいつにも居るんだろう。
こんな天の邪鬼にそんな風に想われるなんて、きっと素敵な人なんだろうな。
「死んでほしくない……のか」
「…………うん」
俺の言葉を聞いて、ゆっくりと俯くと小さく頷いた。
そのままがくりと膝から崩れ落ちて、地面にへたり込んだ。
「でも、僕が殺した。だって、二人ともそうしろって言ったから」
頭を抱えて、俯いている表情は分からない。
けれどもその手が、声が震えているのは明らかだ。
「でも僕は……っ、死んでほしくなかったんだ……っ」
小さく呟かれたそれは、けれども悲鳴のようにも聞こえた。
確かに俺はさっきまでエトを元気づけてやりたいと思っていた。
だが、それよりもこいつは今なんて言った?
「……ころ……し……た……?」
「……そうだよ。…… っだって、ちゃんと出来たよ……っ! レアさんの言う通りに……っ! 二人の言う通りに……ちゃんと……っ!」
「……ぇ……」
平静でいられないのか、エトの口から出る言葉は支離滅裂だ。
けれど、俺も平静ではいられない程に混乱していた。
こいつは今、レアさん、と言った。
俺の知っているレアさんと言えばあの人しかいない。
その人で合っているのかどうなのか分からないけど、「殺した」という言葉とその名前が俺にとってはどうしてもあの人にしか結びつかなかった。
「おい、エト!! 殺したってなんなんだよっ!! お前、レアさんの事知ってるのかっ!?」
あの日の許せない感情が沸き上がって、頭がかっとなる。
それに急かされるように、俯いて縮こまるエトの胸倉を引っ掴んで、無理矢理俺と目線を合わせた。
「っひ、ぃ!」
「……あ」
俺の怒鳴り声と表情を前に、エトは困惑と恐怖の表情を浮かべて、らしくもない短い悲鳴を上げた。
いや、らしくもないのは俺の方か。
こんな弱ってる奴に掴みかかって怒鳴ったら、そりゃ怯えさせるに決まってるじゃないか。
元気づけてやりたいと思ってた筈なのに、こんな事したかった訳じゃ無いのに。
……俺、何やってんだろ。
手を離すとエトはそのままへたり込み、未だに恐怖の残る顔で俺を凝視していた。
「ご、ごめん……」
「……」
「そ、その、俺、おかしくなってた。ほんと、ごめん……」
「…………う、ん……」
頭を下げる俺を見て頷いてはくれたものの、怯えた様子で身体を震わせて俺の一挙動一挙動をじっと凝視していた。
こいつにこんな顔をさせたかったわけじゃないのに、俺はほんと何をしているんだか。
「……あ、の、……フェルは……その、レアさんと、知り合いなの?」
「そういうエトこそ」
身体を縮めておずおずとしているエトに苦笑する。
仲良くなれてた筈なのに、まるで得体の知れない人と話しているような距離を感じた。
「……レアさんは、その、僕のこと、拾ってくれた人で、おかあさん、みたいな人」
「そう……か」
そういえばこいつはスーシャの兄だと言っていたか。
だとしたら、育ての親がスーシャやソルと同じレアさんなのは当たり前だった。
どうして今まで忘れていたんだろう。
自分の鈍さが憎らしく思えた。
「俺はクエストで知り合ったんだよ。それだけ」
「……そう」
本当はそれだけじゃ無い。
俺達を襲ってきました。
姉さんの敵です。
スーシャを殺した人です。
……なんて言えなくて誤魔化した。
きっとこいつにとってレアさんは大事な人なんだと思う。
だって嫌いな人間を「おかあさん」だなんて呼べないだろう。
だとしたらこいつの立ち位置ってどうなっているんだ?
魔術師を嫌っていて、同じ人間だと思わないレアさんが、スーシャやソルを実験に使うようなレアさんが、魔術師であるエトと一緒に居るって事なのか?
『でも、僕が殺した。だって、二人ともそうしろって言ったから』
『……そうだよ。…… っだって、ちゃんと出来たよ……っ! レアさんの言う通りに……っ!』
誰かを殺した?
誰を?
いつかの痣は?
いつかの赤黒い汚れは?
嫌な想像ばかりが頭に浮かんでいく。
もしかしてエトって、こうして仲良くしてちゃいけない相手だったんじゃないのか?
俺が思っているより、ずっとやばい奴だったんじゃないのか?
身体の中心から体温が消えていくような、そんな錯覚を覚えた。
「……ねぇ、それ、本当?」
「なに、が」
エトが、いつの間にか立ち上がっていた。
先程までの怯えた様子は微塵も感じさせない、冷めた目で俺をじっと見ていた。
「本当に、知り合っただけなの? それだけなのにそんな怖い顔、するの?」
「……エ、ト」
今度は、俺がエトに怯える番だった。
氷のように冷たい瞳が真っ直ぐ俺を捉えて、目を逸らせない。
「フェルは、レアさんの敵にならないよね?」
「……敵って……」
「レアさんの、敵に、ならない、よね?」
「……っ!?」
金属の擦れる様な音がしたと思った次の瞬間、俺の首に冷たい何かが触れるような感覚がした。
エトの袖口から鋭い鉄製の刃が三本並んだ……例えるならツメのような物がいつの間にか伸びていて、それが俺の首に向かっているのが見える。
刃に新しく出来たように見える赤黒い汚れがついていて、それがより一層俺の背筋を凍らせた。
次の瞬間、再び金属の擦れる様な音が響く。
「なんちゃって」
「……」
笑いながら、両手を俺の目の前でひらひらと振ってみせる。
その手には先程のツメのようなものはどこにもなかった。
緊張の糸が切れてへたり込んだ俺を見て、エトはけたけたと笑いながら俺の肩を強く蹴る。
「う……っ!」
呻き声をあげて倒れる俺に躊躇う事は一切なく、そのまま身体の上に伸し掛かってきた。
胸倉を掴まれて、顔を無理矢理エトの方へ向けられる。
「ぐっぅ!」
「余計な事、しないでね? 魔術師じゃないんだから、きっとレアさんも許してくれるよ」
次の瞬間、エトの身体に魔法陣が展開される。
腹部にかかる重さが少しずつ無くなると同時に、エトの身体がふわりと浮き上がっていった。
「また、ね?」
魔法陣を身体に纏って浮いているエトは、振り返り妖しい笑みを浮かべて俺に手を振ると、宙を舞って空へ消えていった。
いつか見たような、素直じゃない不器用な少年はもうどこにも見つからない。
それは、俺が壊してしまったのか、元から壊れていたものだったのか分からなかった。
分かるのはただ一つ、エトは俺達の敵だということだけだった。