最終話 青年よ、大志を抱け
一週間の体験入社を終えた和也は、中野にある恭一郎のアパートに来ていた。
「そっか。森下君と会ったか」
「叔父さんと森下本部長が知り合いだったなんて、驚いたよ」
「ああ、俺も知らなかった。森下君がゲットの取締役だったとはな。彼は細かい気配りが出来る非常に優秀な人だった。出世するのも当然だ。縁だな、縁」
恭一郎は、森下とのいきさつを和也に話して聞かせた。
若い頃、映画を一緒に創った時の苦労話に花が咲いた。
「森下君は、ものすごい勉強家で、探求心の強い若者だった。あの常にアンテナを張っている姿勢は、見習うところが大きいと思うぞ」
「うん。早速いろいろと教えて貰って、刺激を受けたよ」
「で、体験入社はどうだった?」
恭一郎がそう聞くと、和也は目を輝かせた。
「そりゃ、もう。プロの現場は見事だった。大きな機材。豪華なセット。張り詰めた緊張感。なんと言っても、現場オフライン編集といって、撮ったその場で編集しながら進めていくなんて、思ってもみなかったよ」
和也は興奮気味に、次々と体験して来た模様を語った。
恭一郎は、うんうん、と頷きながら聞いた。
「そうか。お前も、とうとう、そのプロの現場で活躍できるわけだ。スタートラインに立った。というわけだな」
恭一郎が、パンっと、和也の肩を叩いた。
だが、何故か、和也の反応がイマイチだ。
「うん・・・そうだね・・・」
と言って、暗い顔をして下を向いた。
「おい。どうした。変にビビったのか?」
「いや、そうじゃないんだ」
「東京で一旗揚げて、ビッグになるチャンスだぞ」
「そうだね・・・」
和也は、下を向いたままだ。
「青年よ、大志を抱け! バイ、クラーク博士だ」
恭一郎が、そう言って檄を飛ばすと、和也が重い口を開いた。
「叔父さん。実は、迷っていることがある」
「どうした?」
和也は恭一郎に、彼女である加恋の事を、話し始めた。
そもそも、絵コンテを創るときに取材と称して、話を聞いたこと。
お陰で、思った以上に絵コンテがいい出来に仕上がった。
次に、撮影で加恋のお宅のキッチンを借りたこと。
料理に対する知識が皆無の和也にとって、加恋のサポートがなくては成立しなかったこと。そのお陰で、いい動画に仕上がった。
そしていつの間にか、香織と沙織がお菓子作りを習ってお世話になっていること。
加恋のご両親も二人の仲を温かく見守ってくれていること。
「就活に世話になるだけなって、いざ受かったら、さっさと彼女を捨てるようにして、東京に出て行くなんて、人としてやっていいのかなって、正直悩んでいる」
和也は真剣な面持ちで、吐露した。
恭一郎は、和也から恋愛話の相談を受けたことは、今までない。この手の話題が和也から上がって来るとは驚きだったが、そういう裏事情があったのか。と内心では動揺した。
なんと言っても、恋愛関係には縁のない人生を送ってきた。和也に適切なアドバイスをしてやれる自信は、あまりない。
こういう時、寅さんなら、何て言うだろう。
甥っ子のみつおに対して恋の手ほどきをする寅さんは、やはり憧れの存在だ。
「おじさん、恋ってなんだろう?」寅さんに相談するみつお。
すると、寅さんが「いいか、みつお。恋ってのはな・・・」と切り出す。
みつおはしみじみと薫陶を受けることになる。
「おじさん、俺、目が覚めたよ」とか言って、青春が動き出す。
恭一郎は、とりあえず話を整理してみた。
「和也、ところでお前の彼女は、主役の女子高生をやってくれた、あの娘か?」
「いや、あれは、仲村美穂さんといって、クラとお付き合いしている彼女」
「倉本君か。子供の頃一緒によく遊んだ。で、お前の彼女は?」
「西沢加恋さんといって、ラストシーンで、主役の女子高生の背中を押した、友達役の・・・」
「あああ、最後に映ってた、お友達役の。ヘアピンしていた娘な」
「え? 叔父さん。ヘアピンに気づいたの?」
和也は一瞬、躊躇した。
「そりゃ気付くだろ。可愛かったぞ」
「そうなんだよ。ヘアピンには気付かないと、いかんよね」
和也が肩を落とした。
「うん。なかなか清潔感のあるいい娘だった。お前も見る目がある」
恭一郎は、改めて感心した。
「自分が東京に就職するとなると、彼女に寂しい思いをさせることになる。それが居たたまれないよ」
「彼女がそう言ったのか?」
「彼女がそんなこと言うはずないじゃん。全力で就活を支えてくれたんだよ」
「じゃあ、喜んでくれているんじゃないのか?」
「だから。喜んでくれているのとは裏腹に、寂しい思いをさせているんだって」
「じゃあ、東京、諦めるか?」
「そんなことしたら、かえって、彼女の気が引けるだろ。自分のために、夢を諦める事になったんだって」
和也のイライラが募ってきた。地団駄を踏むような素振りになった。
「とにかく、彼女を置いて、さっさと東京に出て、やりたいことやって、あとは知らんぷり。なんて、男としてどうなんだって、思わない? 叔父さん」
「知らんぷりって、彼女と別れるつもりはないんだろ?」
「あるわけないじゃん。変なこと言わないでよ」
「じゃあ、それは、遠距離恋愛ってことじゃないのか?」
「はあ?」
和也がフリーズした。
「よくある話だろ。遠距離恋愛。遠く離れていても、お互いの愛を育む。ってヤツだな。離れているからこそ、なおさら、愛おしくなる」
恭一郎は、うんうん、と頷いた。
「ちょっと待って、叔父さん。あのね、冷静に考えてよ。東京から山口まで、高速バスでも片道12,000円かかるんだよ。往復で24,000円。週末ごとに、24,000円って、月4回で、10万近く掛かるんだよ。信じられないよ。ははは」
和也は力なく笑った。
「和也。それは週末ごとに帰らなきゃ、いけないのか?」
「え?」
和也は、またしてもフリーズした。
「いやいや。帰りたきゃ、帰ってもいいと思うぞ。でも、10万はきついだろ」
恭一郎がそう言うと、和也は咳払いをひとつした。
「う、ううん。ま、そりゃ、隔週にしてもいいけど。――それでも、5万は掛かる。交通費に毎月5万掛かるなんて、コスパ悪すぎるでしょ」
和也は、ふんっと、鼻の穴を膨らませた。
「そう言えば、前に、クラとそんな話をした事あったっけ」
和也が顔をしかめた。
「なんて?」
「恋愛はコスパが悪い。って」
「ほお」
「ほんの数カ月前だったと思うけど、俺もクラも、そう言って、お互い納得しあった時期があったんだけど。それが、なんでこうなっちゃったんだ」
和也は吐き捨てるように言った。
「確かに、金は掛かるわな。何事も」
恭一郎は、腕組みをして、しみじみと言った。
和也がキッと恭一郎に視線を送った。
「叔父さん。それでも俺はゲットに就職したい。プロの現場を見て、ますますそう思ったのは間違いない」
「うんうん」
「同期に嫌なヤツがいたけど、そんなのは問題じゃない」
「おお、そっか」
「映像制作の勉強をしながら、叔父さんの言う、シナリオセンターに通って、そっちの勉強もしたい」
「いいね。いいね」
「映画監督になるって夢を、本気で追いかけてみたい」
「いいと思うぞ」
「でも、レンちゃんに寂しい思いをさせるのも、ダメだ。そんなの男じゃない」
「その通り」
「この際、月5万の交通費ぐらいは目を瞑ろう」
「そうするか」
「いや待て! 奨学金の返済が始まると、そうも言ってられないか」
「ふむふむ」
「なんと言っても、うちは、家計が大変だから、少しはかあさんに、仕送りもしてあげたいし」
「立派な心掛けだ」
「それだけじゃない。妹達も、来年は五年生だ。すぐ中学生になる。そうなると、いろいろ出費が重なるだろうから、貯金もしなくちゃいけないし・・・」
「それも、あるか・・・」
「はああ、どうしたらいいんだよ」
和也は、天を仰いだ。
「和也。俺はお前を見てて、つくづく思うよ」
恭一郎がボソッと語った。
「なに?」
「恋愛はコスパが悪い。だから、いいんだよ」
――え?
和也は、キョトンとした顔になって、恭一郎に向き直った。
寂しい思いをしているのは、和也、お前の方だろ。
たった一週間離れていただけで、この取り乱しようだ。こりゃ本当に月4回は帰ることになるかもしれないな。と恭一郎は思ったが、あえて口には出さなかった。
それよりも、目の前の和也が、なんだか眩しく見えた。
* * *
翌日、和也は高速バスのチケットを見つめながら、考えた。
東京発の高速バスに乗って、防府に着くのは約13時間後だ。
長い旅路だ。
和也はふと、新幹線が頭をよぎった。
新幹線なら、約5時間で着く。料金は約20,000円だったと思う。痛い出費だ。
でも、一刻も早く加恋に会いたい。
待てよ。飛行機なら約90分で着く。
とりあえず、飛行機の空席を調べてみた。空きがある。
加恋に山口宇部空港まで、迎えに来られるか聞いた。
「今日は、お休みだからお迎えに行けるわ。飛行機で帰ってくるの?」
と、LINEに返信があった。
「うん。今日は飛行機で帰るね」
と、答えた。
羽田空港に着いて、搭乗手続きをして、飛行機に飛び乗った。
座席について、クレジット決済した飛行機の値段を確認した。
55,000円。
「やっちまった・・・。」
おまけに、購入済みの高速バスのチケットは無駄になってしまった。
そのチケットをグシャグシャっと、握りつぶして、手の中に丸めた。
「どんだけ、金使ってるんだ。俺は・・・」
と、丸めた手を額に当てて、嘆いた。
* * *
恭一郎は、陽子が送ってきたシナリオに目を通していた。
今回は、橋本加寿子脚本賞を必ずとる。と息巻いていた力作だ。なかなか面白い青春モノに仕上がっていた。
主人公の女子高生は、偉人の名言・格言をそこかしこで披露する。
ある台詞のところで、恭一郎は目を見張った。
女子高生が友達に向かって、こう言った。
「青年よ、大志を抱け『Boys, be ambitious』には、あまり知られてないけど、続きがあるらしいの」
「どんな風に?」
「『Boys, be ambitious like this old man』この老いぼれのように。って」
「この老いぼれのように?」
「うん。私も君たちには、まだまだ負けないぞ。お互い切磋琢磨しよう。ってことなんだって。カッコいいよね。クラーク博士って」
そのセリフを目にして、恭一郎は、しばらく固まった。
「やられた。陽子ちゃん、このために、この設定にしたのか。参ったな!」
恭一郎は鼻息を荒くして、呟いた。
* * *
山口宇部空港に着いた和也は、到着口を出て、加恋を探した。
今日はやけに人が多い。どうしたんだろう。
「カズ君」と声がした。
加恋が、人混みの向こうに立っていた。
「レンちゃん」と叫んで駆け寄って、力一杯抱きしめた。
「カズ君。苦しいよ」
「ごめん。ごめん。つい。ところで、どうしたの。こんなに人がいっぱいで?」
和也があたりを見回して聞くと、
「うん。二階のロビーに、エヴァンゲリオンの初号機があるの。先週から設置されたみたい。だからだと思う。ほら」
そう言って、加恋は手に持ったチラシを見せてくれた。
宇部まちじゅうエヴァンゲリオン。
『宇部のまち、覚醒!』
と、うたい文句が踊っている。
宇部市は庵野監督の出身地なだけに、エヴァンゲリオン関連のイベントをよく開催する。今年も来月から春にかけて、大々的に展開するらしい。
そのプレイベントとして、山口宇部空港に、エヴァ初号機の3メートルにもなる立像を設置していた。二階に上がってみると、初号機がデーンと構えている。
紫色のボディーに、お馴染みの吊り目フェイス。両手を広げたポーズが決まっている。
「カッコいい。これは、凄い・・・宇部市は、これがあるから、いいなぁ」
和也は目を見張った。
「ホント、カッコいいわね」
加恋もそう言って、しばらく二人は立像の前で佇んだ。
「それにしてもカズ君。飛行機で帰って来るなんて、高くついたでしょ」
加恋が思い出したように聞いた。
「え? ああ、それなりにね・・・」
と、誤魔化して、手に持ったチラシに目を落とした。
すると、エヴァの人気キャラ、和也も大好きなアスカがこっちを睨んでいた。
和也の頭の中に、アスカの、あのセリフが響いた。
「あんた、バカ?」
和也は、思わず笑い出した。
「ハハハハ。アスカに言われた。アスカに言われたよ。小室じゃなくて、アスカに言われた。嬉しいな」
「どうしたの?」
「うん。俺は、大バカもんなんだってさ。ハハハ」
「もう、わけわかんない」
「帰ろ。帰りながら、ゆっくり話すよ」
そう言って、和也は加恋の手を握って、その場をあとにした。
* * *
恭一郎は、陽子にシナリオの感想を送った。
第一稿としては、よく出来ていると思う。ただ、伏線の張り方に一工夫加えたらどうだろうか。と、一案を提示した。いい案だと思ったら、検討してみてください。
それと、俺ももう一度、シナリオ書いてみようと思う。
見事に陽子ちゃんに触発されたよ。ありがとう。
そうLINEで送ったら、すぐさま、スタンプが帰ってきた。
やったね!
とパンダが、ピースをしていた。
恭一郎は、とりあえずパソコンに向かった。
なにを書こうか。
今、書きたいと思えること。
やっぱり、ありのままの自分かな。
そう決めて、タイトルをキーボードで打ち込んだ。
『人生はコスパが悪い』
完




