第19話 郷土の誇り、児玉源太郎
「妹から聞いたんだけど、食事って、我慢大会にしない方がいいんですって」
陽子ちゃんから、電話があった。
食事の写真を送り始めて、一週間が過ぎたころ、管理栄養士の妹さんから、具体的にアドバイスを受けてくれたらしい。
「確かに。我慢大会になると、結局のところ続かないんだよ」
恭一郎は、身をもって体験していた。
茹でたブロッコリーだけで過ごすのには限界があった。飽きてしまって、もう、しばらくブロッコリーは見たくもない。
「だから、どうやったら食べる楽しみを残せるか。それを考えるんだって」
「食べる楽しみなんか、もうないよ」
「工夫を重ねることが大事なの。一度、私が作って見せてあげます」
そう言って、陽子ちゃんが恭一郎のアパートに来て、実戦クッキングをしてくれることになった。
* * *
「今日は、焼きそば。です。菅原さん、好きでしょ」
「うん。焼きそば。好き」
恭一郎は、コクリと頷いた。
「ごはんも一緒に、食べたいですか?」
「食べたいよ。でも、それは抑えているんだ。炭水化物に炭水化物だからね」
恭一郎の自分ルールだ。焼きそばの時は、ごはん抜きにしている。
「そこで、じゃーん。もち麦です。もち麦ご飯にして、ごはんも一緒に食べましょう。もち麦は食物繊維が豊富なので、白米に混ぜることで、食物繊維を増やせます」
「なるほど。麦飯か」
「その代わり、焼そばの麺を半分にします」
「え! 半分。それはきついな」
「大丈夫。その分、野菜を多く入れます。キャベツ、もやし、ニンジン、きのこ。
これだけの分量が入ります」
陽子ちゃんは、買い物袋を広げて見せてくれた。
確かに、こりゃ大量だ。量的には過不足無いと思われるが、心配ごとがもうひとつあった。
「やっぱり。お肉は無しですか?」
「大丈夫。お肉はバラ肉をやめて、赤身肉にします。お肉がないと味気ないでしょ」
陽子が買い物袋の底から、お肉のパックを取り出した。
「わかってらっしゃる」
恭一郎は、お肉に向かって、パンパンと、柏手を打って拝んだ。
「食が人をつくるのです。バイ、カーネルサンダース」
陽子ちゃんが、威厳を込めてそう言った。
「ケンタッキーのおじさん? いいこと言うね。ケンタッキー、食べたいな」
「ケンタッキーはダメです」
「はい・・・」
「じゃあ、早速はじめましょう」
陽子ちゃんは、バッグから自前のエプロンを取り出し、料理をはじめた。
野菜とお肉を切り、フライパンに火を入れて、油を注ぐ。
「要注意ポイント。油は少なめに、これだけ」
「少なっ!」
「フライパンを熱してから入れるの。これなら少量でも全体に回るから」
「そんなもんで炒められるのか?」
「やってみれば分かるわ」
「お任せします」
恭一郎は、手を差し出して、一歩引いた。
陽子ちゃんが、手早くフライパンで野菜を炒め始めた。
実は、陽子ちゃんには五年間、主婦をしていた時期があった。もう、何年も前に離婚して、今は一人身である。子供が出来なかったので、離婚話はそう、拗れずに済んだらしい。さすが、主婦歴を持つ女性は、慣れた手つきでフライパンを回す。
恭一郎は、陽子の姿を見ながら、改めて思った。
こんなに親切にしてくれて、俺は幸せ者だな。案外、糖尿病になったことも、悪くないかもしれないな。
「さあ、出来ました。二人分作りましたから、一緒に食べましょう」
陽子ちゃんは、そう言って、食器棚からお皿を取り出そうとした。
恭一郎はビクッと反応した。
――あっ。
「陽子ちゃん、俺がやるよ。お皿ぐらいは手伝わなきゃ」
そう言って、急いでお皿に手を伸ばした。
実は、お皿の奥に『よもぎ大福』が隠してあった。昨日、コンビニで買い物をしたとき、レジ横にあるよもぎ大福に、ついつい手を伸ばしてしまい、買ったものだ。
昨日は、買ったはいいが、食べるかどうか迷いに迷った挙句、食器棚の奥にねじ込むようにして、仕舞って我慢した。そいつがあることを思い出した。
恭一郎は、お皿を用意し、バレないようによもぎ大福を隠す場所を探した。しばらく使ってないヤカンがあった。サッと蓋を開けて、隠した。
* * *
二人で、焼きそばを食べた。
野菜たっぷりのヘルシー焼きそばだが、味に文句はない。おまけに、ごはんも一緒に食べられるなんて、なんと幸せなんだ。
「うまい。うまいよ。陽子ちゃん。やっぱり焼きそばとごはんは、合う」
恭一郎は、顔を上げて味わった。
「でしょ。工夫すれば問題なし。何事も、ネガティブになってはダメです」
「そうですよね」
「顔を太陽の方に向けていなさい。そうすれば影が見えないから。バイ、ヘレンケラー」
「うん? さっきからどうしたの。バイ、なになにって」
恭一郎が聞いた。
「ええ、今書いているシナリオなんですよ」
「ほお」
「主人公の女子高生が、偉人の名言・格言が好きで、よく口にする、という設定なんです。それで、いろいろ調べているんですよ」
「青年よ、大志を抱け。とか」
「クラーク博士ですね。それもそうです。他に菅原さんの、好きな名言って何があります?」
恭一郎はしばらく考えた。
「クラーク博士の弟子筋に、新渡戸稲造がいるでしょ」
「ああ、でも、新渡戸稲造も内村鑑三も、直接クラーク博士から、教わったわけじゃないんですよね」
陽子が返した。
さすが陽子ちゃんだ、よく調べている。
札幌農学校(現・北海道大学)の初代教頭を務めたクラーク博士は、キリスト教精神に基づく倫理教育で、多くの学生に感銘を与えた。新渡戸も内村も入学した時には、すでに、クラーク博士はアメリカに帰国していた。しかし、クラーク博士が残した精神は1期生を通じて新渡戸ら2期生に色濃く受け継がれた。その後、新渡戸稲造は、例の『武士道』をアメリカで出版し、世界的ベストセラーになっていく。
「新渡戸稲造の、いい名言があります?」
陽子が聞いた。
「あるけど。待てよ、ちょっと固いかな。主人公は女子高生だったね」
「ええ」
「新渡戸稲造の『武士道』を読むような、キャラかな?」
「武士道か。ちょっと読みそうにない。かな・・・」
陽子は、首を傾げた。
「じゃあね・・・」
恭一郎は、もう一度考えて、閃いた。
「後藤新平は。新渡戸稲造の盟友だった、後藤新平の、格言」
「後藤新平って、関東大震災後の帝都復興を手掛けた人物ですよね」
「そう。その後藤新平の格言が、俺は好きでね」
恭一郎は、顎に手を当てて、噛み締めるように言った。
「え、なんですか?」
「後藤は倒れる間際に、こう言ったらしいんだ。―――いいかよく聞け。金を残して死ぬヤツは、下だ。仕事を残して死ぬヤツは、中だ。人を残して死ぬヤツが、上だ。よく覚えておけ。って」
「まあ、かっこいい」
陽子は、軽く手を叩いて、笑った。
「後藤新平と新渡戸稲造って、盟友だったんですか?」
陽子がそう聞くと、
「うん。二人は同じ岩手県出身で若い頃から親交があってね」
「そうなんですか」
「なんと言っても、後藤が台湾総督府で民政長官を務めていた時、農学者だった新渡戸を呼び寄せてね。台湾のサトウキビ産業を何とかしようとしたんだ。新渡戸も、新渡戸でいろいろ調べて、『こうしたらいい』っていう案をまとめた。それをもとに製糖業を大きくしていってね。台湾のサトウキビ産業が、ぐっと伸びていったんだ。これが、なかなか痛快なエピソードでね」
「へえ、それは知らなかったわ」
陽子が感心すると、恭一郎は、咳払いを一つした。
「う、うん。そして、この二人の名前が上がったら、もう一人、重要な人物を出さなければならない」
「誰ですか?」
「児玉源太郎だ――。」
陽子は、一瞬、考えた。
「児玉源太郎・・・誰でしたっけ・・・日露戦争、関係あります?」
「あるある。大いにあります。陽子ちゃん、ありがとう」
恭一郎は、陽子の手を握って、強く振った。
「児玉源太郎は、我が郷土、山口の大偉人なんだ。なんかの小説やドラマのセリフで、伊藤博文が『次の総理には児玉しかいない』と言ったのがあったけど、それほどの大人物なんだ。今じゃすっかり忘れられているのが、寂しいし、悔しいよ。日露戦争だって、児玉源太郎のお陰で日本は勝利したと、俺は思っているほどなんだ」
恭一郎は、鼻を膨らませ、興奮気味に語りだした。
「児玉源太郎か。それほどとは・・・」
陽子が関心を示すと、恭一郎がのって来た。
「あの、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』にいいエピソードがあってね」
「なんですか?」
「ある時、児玉源太郎がタバコをくわえた。それを見た、付き人の田中少佐がマッチを点けるのが遅れてしまったらしいんだ。その時の、やり取りが、いいのよ」
「すいません」と田中が謝る。すると、児玉が、
「くだらんことを謝るな」と叱咤した。
「田中、軍人はなぜ、階級が上がるたびにモウロクするか。知っとるか?」
「存じません」
「タバコの火でさえ、自分で点けんようになるからじゃ」
「失礼しました」
「その代わりワシは、貫禄は付かんがな。ハハ」
恭一郎は、小芝居をつけながら、小説の一節を語った。
「いや、これは例のごとく、司馬遼太郎のフィクションかもしれないよ。でも、司馬遼太郎をもってして、このエピソードが語られる児玉源太郎を、俺は大好きでね。郷土の誇りだと自負しているんだ」
「なるほどね。で、その児玉源太郎と、後藤新平、新渡戸稲造との関係は?」
陽子が、先の話題を思い出した。
「児玉源太郎が第4代台湾総督に就任した際、自らの右腕として後藤新平を大抜擢した。そして後藤が、自らの盟友である新渡戸稲造をスカウトして台湾へ招いた。この三人の組み合わせが、実に面白いんだよ」
「どんな風に?」
「児玉が大きな方向を決めて、後藤が実際に動かして、新渡戸が専門家として知恵を出す。これが、見事に噛み合っているんだよ」
「そういうことですか」
「新渡戸が、二人に関して、いいことを言っている」
「なんですか?」
「自分が2時間かかって理解することを、後藤は20分で、児玉は10分で理解した。と。あの、新渡戸をもってして、二人の頭脳がどれほど天才的だったかを物語る逸話なんだ」
「なんかすごい」
「俺はこう思うんだよ。児玉の器の大きさ、後藤の実行力、新渡戸の専門知識。この三人が、それぞれの持ち場で力を発揮した。それが、台湾の産業や社会を大きく変えていった時代なんじゃないかって。今でも国立台湾博物館には、彼らの足跡が遺されており、歴史を動かした3人の絆の象徴となっているんだ」
「台湾の発展に、この三人がそんなに関わっていたんですね」
陽子がニコッと笑った。
喰いつきがいい陽子の反応を見て、恭一郎はさらに、のって来た。
「よし。こうなったら、とことん行こう。児玉源太郎とくれば盟友、乃木希典の話をしなければ、いかんでしょう」
「乃木大将。ですか?」
「そうそう。赤坂の乃木神社の、乃木大将ですよ」
「あら、面白そう。シナリオの参考になるかも」
陽子が、そう言って、腰を浮かせた。
「その前に、熱いお茶を飲みたくなったわ。お茶っ葉あります?」
「冷蔵庫にあるよ」
「じゃあ、ちょっと、お茶入れます。それから、聞かせてくださいね」
と言って、陽子は立ち上がってキッチンに向かった。
「はいはい・・・」
――あっ。 ヤカンが。
恭一郎の顔から血の気がサッと引いた。
ドスドスドス、と足音を鳴らして、陽子ちゃんが詰め寄ってきた。
「これなんですか?」
しまった。よもぎ大福が見つかった。
恭一郎は、一世一代の大芝居にうって出た。
「え? なにそれ?」
「ヤカンの中に、これが隠してありました」
「あああ、そっか。そっか。忘れてた。確か、一週間前、いや、二週間前だったかな。つい、誘惑に負けて、コンビニで買ったんだけどね。いや、やはり食べてはいかんと思い直して、我慢したんだよ。その時に、ヤカンの中に放り込んだんじゃなかったかな。すっかり忘れてたよ。そうだ。そうだ。そういうこともあったよ。忘れてた」
恭一郎は、ハハハ、と余裕を見せて笑った。
「嘘はやめてください」
「え?」
「一週間、ましてや、二週間前のものではありません。これは、昨日か、今日に買いましたね」
「ど。どうして?」
「賞味期限が明後日になってます。生菓子ですからね。二、三日しか持たないんですよ。店頭に並べられるのは」
「・・・・・・」
恭一郎は、絶句した。
クソ。名探偵コナンか! と内心突っ込んだ。
「セコイわ。嘘がセコイ。情けないわ。恥ずかしくないですか!」
陽子ちゃんの舌鋒が鋭い。
「はい・・・すいません」
そう言うしかなかった。
恭一郎のスマホが鳴った。画面に、和也と出た。
和也君から電話ですよと、陽子ちゃんが言うので、出て「おお、わかった。じゃあな」と言って切った。陽子ちゃんが聞く。
「なんですって?」
「明日で、体験入社の最終日だから、終わったら、ここに来るって」
「そうですか。和也君はしっかり前を向いて歩いているのに、叔父さんときたら、このざまですか」
「面目ありません」
恭一郎が、ガクッと肩を落とすと、陽子が一変した。
「なんてね。最初に言ったじゃないですか。我慢大会にしない方がいいって」
「え?」
「たまには、いいんじゃないですか。少しなら」
「いいの?」
恭一郎はキョトンとした。
「その代わり、私が傍にいるときだけです。このよもぎ大福を半分こして、二人で食べましょう。私も甘いものには目がないですからね」
と言って、大福を二つに割って渡してくれた。
「本当。陽子ちゃん、なんと、君は天使だったのか。おお、神様」
恭一郎は、よもぎ大福を口に放り込んだ。モグモグ。
「そうだ。陽子ちゃん、原宿のふわふわスフレパンケーキって、知ってる? あれ、最近、話題なのよ。一緒に行って、半分こしようよ。モグモグ」
半分こ。という必殺技があったのか。と恭一郎はテンションが上がった。
「調子にのらない!」
陽子ちゃんが、モグモグしながら、一喝した。
第19話 終




