3◆孤児院での生活?
◆オクト小国アリー孤児院での生活
── オクト小国の森で迷子のフリをしたデュリサ。魔物退治に来た大人たちに保護され、孤児院につれてこられた ──
辺境のオクト小国は、世界の地図の端にひっそりと存在する、穏やかで小さな国だ。山々に囲まれ、豊かな森と清らかな川に恵まれ、人々は質素ながらも満ち足りた暮らしを送っていた。
その国の首都から少し離れた場所に、アリー孤児院はあった。
夜がオクト小国の孤児院を包み込んでも、デュリサ・デュークの赤と金の瞳は冴えていた。
窓辺に腰かけ、月明かりを浴びながら、彼女は静かに呼吸を整える。眠らない体 ―― 前世の銀野司として成人を越えた魂と、身体を消滅させてまで彼女を救った銀色の天龍デュークロードの力が融合した結果だった。睡眠が不要なだけでなく、疲労という概念そのものが薄れていた。
「デュリサ、また起きてるの?」
優しい声が背後から聞こえた。
振り向くと、先輩のメイがぼろぼろの毛布を肩に巻き、こっそり近づいてくる。
9歳になるメイは孤児院で最も年上で、赤ん坊の時に籠に入れられて捨てられた過去を持ちながら、誰よりも愛情と優しさに満ちている。今では孤児院の子供達みんなの、お姉さんみたいな存在だ。
「うん。メイ姉も眠れないの?」
「デュリサのことが心配で」
メイは隣に座り、小さな肩を寄せた。
「今日もあの子たち、変なこと言ってたでしょ?」
デュリサはそっとうなずいた。
左右で色が違う瞳 ―― 右は血のように燃えて見える深い赤、左は野生動物のような金色 ―― と、色素の薄い銀髪と整いすぎた顔立ちは、孤児院の他の子どもたちからすれば異質だったようだ。
何しろ、アリー孤児院内の子供含め、周囲にいる農家や民家、出入りする商人たちでさえ、黒や焦げ茶色や茶色、薄くても黄土色程度の髪色や瞳の色など、濃い色の人たちしか見かけたことがないから。
「変な瞳の子」
「貴族から見放されて捨てられた落とし子とか?」
と陰口を叩かれ、食事の際にはわざと腐りかけのパンが渡されることもあった。
「気にしないで」
メイはデュリサの手を握った。
「デュリサは特別なんだよ、きっと。ねえ、見て?」
メイが懐から取り出したのは、少し干からびたリンゴ。
昼間、デュリサに渡された食事が明らかに劣悪だった時、メイはこっそり自分の分を半分残しておいてくれたのだ。
「メイ姉……」
「食べなよ。明日はきっと良いことあるから」
デュリサの胸が熱くなった。
前世の記憶でも、これほど無償の優しさに触れることは稀だったのだから。銀野司として生きていた世界は効率と打算に満ち、ここでの小さな慈愛は、彼女の融合した魂に静かな衝撃を与え続けていた。
孤児院から見える広場では、時折、町のギルドに属する剣士や騎士たちが訓練している。
ある朝、デュリサは窓越しに、1人の騎士が複雑な剣技を披露するのを見た。
―― 瞬時に、その動きが脳裏に焼き付いた。
前世の記憶か、神龍の加護か、あるいは
『1度見た技を忘れない』
という異能のせいか。彼女の身体は、見た動きをそのまま再現できるようになっていた。格闘技や合気道などの道理や順序が異世界の剣技と融合し、孤児院の裏庭で1人、無人の空間を斬る練習を始めた。
「すごい……デュリサ、それどこで覚えたの?」
ある日、練習を見つけたメイが目を丸くした。
「見て覚えたの。騎士さんたちの」
「でも、あんな難しい動き……」
メイは感心しながらも、どこか寂しげな目をした。
「デュリサはどんどん強くなるね。私も、もっと強くならなきゃ」
「メイ姉はもう十分強いよ」
デュリサは真剣に言った。
「心が強いから」
メイは照れくさそうに笑った。
デュリサが5歳になってから数日後、孤児院で事件が起きた。
孤児院の裏山に、真っ赤な美しい実をつける低木が生えていた。
子どもたちの間では『幸せの実』などと囁かれ、好奇心旺盛な五歳の少年ラリイが1つ摘んで口に入れた。
―― 瞬間、少年は苦悶の表情を浮かべ、その場に崩れ落ちた。
「ラリイ!?」
騒ぎを聞きつけたメイが駆け寄った時、少年は泡を吹き、皮膚が紫色に変わり始めていた。周囲の子どもたちはパニックに陥り、孤児院の院長もおろおろするばかり。
「院長先生、とにかく落ち着いてください! お医者様を呼んでください! 私達はラリイを看病してますから。大人の人が医者を手配してくれないと!」
「あ……ああ。そうだった。すぐに呼んでくる! それまで子供たちを頼むぞ!」
院長先生が医者を急いで呼びに出ると、メイが子供達を指図して、毛布や、とりあえずラリイが口にした物を吐き出させようと、水を持ってこさせた。
それから、医者が来るまでラリイの応急処置をするために、小さい子達には危ないからと、大きい子供たちに頼んで孤児院の中に連れて行ってもらった。
ラリイを看護するメイを見て、デュリサが静かに二人に近づいた。
彼女の目には、少年の体内を駆け巡る毒の流れが『見え』ていた。心を読む能力は生物の状態までも感知し、さらに ――
(毒か……私には効かないが)
彼女は少年の額に手を当てた。
森羅万象・万物・精霊王、全ての自然界が無条件で力を貸す。この世界そのものが、デュリサの願いを聞き届ける。掌から微かな光が漏れ、少年の体内から毒が霧のように抜けていく。
「げほっ……!」
ラリイが激しく咳き込み、顔色が戻った。
周囲から安堵の息遣いが上がる。
「デュリサ、あなた……?」
メイが驚いた目で見つめる。メイだけには見えたから。
短時間だが、デュリサの左の顔にうっすらと竜鱗みたいなものが透けて見えたのを。気付かないデュリサはただ、そっと少年の髪を撫でた。
「もう大丈夫。でも、知らない実は食べちゃダメだよ」
その夜。
裏山の毒低木は、何者かによって根こそぎ引き抜かれていた。誰がやったかはわからない。ただ、デュークロードが穏やかに話しかけてくれた。
《因果は巡る。善き行いには、自然が答えを出す》
月日は流れ、メイが12歳、デュリサは6歳になっていた。孤児院の決まりで、12歳になれば奉公に出され、自立を求められる。
「デュリサ、私……王宮の下女として働くことになったよ」
ある夕暮れ、メイが嬉しそうに、でもどこか切なそうに告げた。
孤児院に寄付に来る貴族とも繋がりがある商人の伝手で、王宮の下働きの職を得たのだ。
「王宮……すごいね、メイ姉」
「うん。でも……デュリサと離れるのが寂しい」
メイの目には涙が光っていた。デュリサはメイの手を握り返した。
「迷惑でなければ、会いに行けるように頑張るよ。それまでは……私も強くなるから」
「デュリサはもう十分強いし、それにやっぱり特別な子なんだよ。デュリサは竜の神様が使わせてくれた、み使い様に違いないのだから」
「メイ姉……大袈裟だなあ」
メイは笑いながら涙を拭った。
「ふふ。でも、約束。孤児院のみんなのこと、頼んだよ? 私がいなくても、デュリサがみんなを守ってね」
「うん。約束する」
メイが出発した日、孤児院の子どもたち全員が門まで見送った。
どうやら、メイだけが知るデュリサの身体的な変化は、良い様に解釈されていたらしい。
デュリサは、メイの背中が小さく見えなくなるまで、じっと手を振り続けた。
メイがいなくなった孤児院は、1時的に空気が沈んだ。
それからも徐々に年長者たちがいなくなっていったが、代わりに新しい年下の孤児達も入ってくるので、デュリサと同時期に居続ける子どもたちはどこか落ち着きがなくなった。
ある日、いつものようにデュリサをからかっていた年上の少年三人組が、新入りの幼い少女のおやつを奪おうとした。
瞬間、デュリサが彼らの前に立ちはだかった。
「返しなさい」
静かな、しかし揺るぎない声。左右異色の瞳が、微かに輝いている。
「な、なんだよ、変色瞳が!」
少年の1人が威嚇するように手を上げた ――
次の瞬間、少年は自分の手首をデュリサに掴まれ、いつの間にか地面に仰向けに倒されていた。合気道と騎士の剣技が融合した、無駄のない投げ技。
「2度と、弱い者いじめはしないで」
デュリサの言葉に、少年たちは蒼白になってうなずき、奪ったおやつを返して逃げていった。
「デュリサ……お姉ちゃん、ありがとう」
小さな少女が涙目で抱きついてきた。その言葉をきっかけに、孤児院の子どもたちは少しずつデュリサに集まるようになった。
「デュリサ姉、これどうやるの?」
「デュリサ姉、あの子が泣いてる」
「デュリサ姉、お腹すいた……」
面倒見のいいメイの役割は、自然とデュリサに受け継がれていった。
彼女は前世の記憶と神龍の加護、そしてメイから学んだ優しさを融合させ、孤児院の新たな『姉貴』や『お姉さん』として成長していく。
夜、1人きりで窓辺に座ると、デュークロードと会話した。
(デュークロード、私は……このままでいいのかな)
《お主は既に、立派な道を歩んでいる。人間として、半龍人として、そして前世の記憶を持つ者として ―― 全てを統べる道を》
(メイ姉みたいに、強く優しい人になれるかな)
《既になっている。ただ、それに気付いていないだけだ》
デュリサはそっと胸に手を当てた。
時折、興奮したり感情が高ぶると、首元や手の甲に銀色の龍の鱗模様が浮かび上がることがあった。聖域で最初に見たときはもちろん驚いたが、今ではその模様も自分の1部として受け入れている。
そういえば、1度だけ夢中で気付かなかったが、メイ姉に見られたみたいだけど、良い様に解釈してくれたみたいだ。彼女は元気でやっているかな。
それから数年間。
デュリサは孤児院で比較的平和な日々を過ごした。12歳になるまであと2年 ―― 彼女はその時間を、子どもたちの面倒を見ながら、こっそりと自分の能力を磨くために使った。
広場の騎士たちの剣技はほぼ全て記憶し、時折見かける旅の踊り子の舞も1度で習得した。毒には全く影響されない体質を活かし、裏山の危険な動植物をこっそり除去し、子どもたちが安全に遊べる環境を作った。
しかし、そんな平穏の裏で、デュリサは時折『未来の断片』を見ることがあった。
心を読む能力と未来予知が融合したものか、あるいは神龍の加護によるものか ―― 閃光のように訪れる未来の映像。
燃える王宮。
泣き叫ぶ人々。
黒い鎧に身を包んだ影。
そして、その中心で、泣いているメイの姿。
「メイ姉……」
デュリサは窓の外を見つめ、拳を握りしめた。
まだ見えない敵。まだ来ぬ危機。だが、彼女には守るべきものがある。孤児院の子どもたち。遠く王宮で働くメイ。そして、このオクト小国で出会った全ての優しさ。
12歳になったら、孤児院を出なければならない。それまでに、もっと強くならなくては。
彼女の左の金色の瞳が、微かに輝いた。首元に、銀の鱗模様が1瞬浮かび上がり、消える。
夜風が窓から入り込み、デュリサの長い銀髪を揺らした。眠らない彼女は、これからも長い夜を見守りながら、来るべき時のために力を蓄えていく。
孤児院の子どもたちは、そんな彼女を『デュリサ姉』と呼び、いつしか誰もが彼女を心の支えにしていた。かつてメイがそうだったように。
そしてデュリサ自身も、気付かないうちに、この小さなコミュニティでかけがえのない存在となっていったのだった ―― デューク天龍国王の末姫だった少女は、人の温もりの中に、新たな居場所を見出しつつあった。
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