あの場所へ
セリアと近衛兵の一人イレームは、湖の畔にある大きな木に木登りしている。
イレームが先に枝にのぼり、セリアに手を差し伸べている。そして、セリアはその彼の手をしっかりと握っている。
おそらく、セリアは木登りがはじめてなのね。おっかなびっくりの表情の中にも、ワクワクしている感じがあらわれている。それから、イレームの美形には、そんなセリアをよろこばせようとしているやさしさがいっぱいにひろがっている。
クロエの笑顔も最高である。すぐ横に湖があって、彼女のうしろには木々が生い茂っている。どうやら、デッサンをしているサンドロの絵をのぞきこんでいるらしい。称讃と感動が、彼女の顔に浮かんでいる。
サンドロ自身は、そこには描かれていない。自分自身は、描けないのだろうか。
ぜひとも、クロエとサンドロの逢瀬のシーンを描いて欲しかったのだけれど。
そしてついに、最後の絵となった。
皇太子殿下が頁をめくった。
皇太子殿下とエドモンドが、湖のすぐ畔で並んで立っている。どちらも釣竿を片手に持っている。何より、二人とも小さくなっている。しょげかえっていると言った方がいいかしら。それこそ、二人の少年がイタズラをしてそれが見つかって叱られている、そういうシーンのようにうかがえる。
そして、その二人の前で仁王立ちになっている背中が、かくいうわたしである。
ちょっと待って……。
めちゃくちゃ二人を叱りつけている感満載じゃないかしら?
そういえば、三人で釣りをした際、皇太子殿下がくっついてきたのをエドモンドが文句を言ってケンカになり、それをやめさせたかしら?
サンドロは、それを見ていたのね。
まったくもう!
サンドロったら、油断も隙もないわね。
「この最後の絵が一番最高だわ。わたし自身の絵も素敵で買い取りたいって思っているけど、こちらの絵の方がいろいろな意味で素晴らしすぎる」
「いや。待てよ、ロゼッタ。だったら、わたしが買おう。サンドロ、これでも充分最高なんだが、もうちょっと手を加えたらどうだろうか?だれかさんの顔の左半面を腫れあがらせるんだ」
「そいつはいいアドバイスだ、リベリオ」
リベリオのアイデアに、オレステが同調した。その瞬間、そのだれかさんがうめき声を上げた。
「やめてください。それでなくても、ぼくの態度が大きすぎる絵なんです。ベルトランド様の顔が腫れていたり痣があったら、まさしくぼくが殴ったみたいじゃないですか」
そもそも皇太子殿下を殴ったのはエドモンドなのに、みんなわたしが殴ったと勘違いしているっぽい。
まさか本当のことは言えないから、それでも仕方がないんだけど。でも、これって損な役回りじゃないかしら。
「でも、この絵は三人を充分すぎるほどあらわしている。すごくいい絵だ」
モレノが言ってくれたけど、それもかなりビミョーだわ。
「この絵が宰相の目にとまったら、宰相はミオを引き抜くだろうな」
「それは間違いないな、パオロ」
パオロとリベリオがうなずいているけど、「ちょっと待って」って言いたくなる。
「皇都に戻ったら、仕上げをしてそれぞれのモデルの方にお渡しします」
サンドロは、そう言うと皇太子殿下からスケッチブックを返してもらった。
どれもいい絵だったわ。
わたしの態度が大きいという以外は、どれの絵も最高だった。
その後すぐ、わたしたちは、カルデローネ家の別荘をあとにした。
皇太子殿下とエドモンドと三人で例の高台に来ている。
みんなにはそのまま皇都に向かってもらい、三人だけで寄り道をしたのである。
バルドとリコとガイアの脚なら、多少寄り道をしたってすぐにみんなに追いつける。
高台からさらに進んで巨樹へ。
こんなに早くまたここに来ることが出来るなんて、思いもしなかった。
二人に助けてもらいながら、最初に来たときよりかはスムーズにのぼることが出来た。
最初のときと同じように、大きな枝に三人で並んで腰をかけた。
あいかわらず、二人はわたしを真ん中にはさんでいる。
眺望は、最初のとき同様素晴らしい。多少、色彩や雰囲気は変化している。だけど、いま見ている景色もまた、偽りなくきれいである。
それを、三人で無言のまま見つめている。
変化したのは、景色だけではない。三人それぞれの心の内も変化してしまっている。
だけど、絆というのかしら。つながりというのかしら。そういうものは、変化していないと思う。
すくなくとも、わたしはそう信じている。
あらためて皇太子殿下に謝罪された。
暴力をふるったことに対してはもちろんのこと、「元には戻れない」ことをしてしまったことに対して、である。
「怒っています」
はっきりそう伝えた。
あのときのことを思い出すと、頭の中と胸の内に恐怖がジワジワとひろがってゆく。だけど、それに負けていては、今後、ことあるごとにあのときの光景を思い出し、恐怖しなければならない。それを完全に消し去ることや忘れ去ることは、おそらく出来ないかもしれない。
それでも、いざそのときになって負けてしまわないだけの強さは持たなければならない。だから、いまの内にまっすぐ向きあうべきである。
「きみを傷つけたことに、いっさい言い訳はしない。ミオ。きみはまったく自覚がないだろうが、きみは最初からエドに惹かれている。おれはそれを知りつつ、きみへの想いを募らせていた。エドに嫉妬し、嫉妬から事あるごとにエドにつっかかっていた。バカみたいだよな」
皇太子殿下は、壮大すぎる景色に目を向けたまま続ける。
それを、エドモンドもわたしもただだまってきいている。
眼下にひろがる湖と小麦畑の景色を見つめつつ。




