皇太子殿下の凶行
「……」
皇太子殿下は体ごとこちらに向き、わたしをただだまって見つめている。
「違う。違うんだ、ミオ。そうじゃない。そういう好き、ではない。言い直そう。愛している。エドもおれも、きみを愛しているんだ」
「やだ……。そうだったのですか?気がつきませんで申し訳ありません。好き、なんて表現力が乏しすぎますよね。やはり、『愛している』。この表現につきます。もちろん、わたしもお二人を愛しています。こんなに、こーんなに愛しています。これでいかがでしょうか?」
体の前で両腕を思いっきり広げ、二人に対する愛の大きさを示した。
皇太子殿下は、わたしと視線が合うと大きく息を吐きだした。
いまのはなに?溜息かしら?
それから、わたしから視線をそらせて廊下側の扉をチラリと見た。
「ミオ、きみは……。もういい。どうやら、言葉では通じないみたいだな。行動で示すよりほか、いたしかたないようだ」
彼はまた立ち上がってキャビネットに行くと、グラスにお酒を注いでそれをいっきにあおった。グラスをキャビネット上に置くと、こちらに戻って来た。
「ミオ、すまない。こうでもしないと、きみはわたしの気持ちを理解してくれないだろう?許してくれ」
皇太子殿下が急に謝罪してきた。と思う間もなく、彼がわたしにすごい勢いでおおいかぶさってきた。
気がついたら、長椅子に置かれているクッションに埋もれていた。皇太子殿下におさえこまれていた。
「乱暴なことはしたくなかったのに……。ミオ。きみがあまりにも鈍感だから、こんなクソみたいな手段にでるしかない」
あまりのことに、頭が真っ白になってしまった。声を出そうとしたとき、唇を彼のそれでふさがれてしまった。
混乱と恐怖でどうにかなってしまいそう。それに、息が出来ない。苦しい……。
「すまない」
そのとき唇が解放され、ようやく息が出来るようになった。
「すまない、ミオ」
すぐ目の前にある皇太子殿下の瞳は、冷え冷えとしているのにどこか激しさも感じられる。
怖い……。
これほどの恐怖を感じたことがない。
声を、何か言おうとするけど、震えるばかりで唇は開こうとしない。
彼の手が、乗馬服の上着の襟をつかんだ。乱暴にひっぱられ、その拍子にボタンがいくつかはじけ飛んだ。
恐怖のあまり、彼の瞳を見ていられない。だから、瞼をぎゅっと閉じた。凶行とも言える乱暴に、涙があふれてきて目尻から流れ落ちて行く。
「エ、エド、エドモンド……」
震える唇からその名がもれた。なぜか、エドモンドの顔が瞼の裏に浮かんだ。
そのとき、彼の暴力が止まった。恐る恐る瞼を開けると、打ちのめされたような彼の表情が見えた。
その瞬間、鈍い音がしたかと思うと急に体が軽くなった。
「やめろっ!彼女を傷つける奴は、たとえ兄さんであっても許さないっ」
その怒鳴り声とともに、エドモンドの顔がすぐ目の前に現れた。そう認識したと同時に、彼がやさしく肩を抱いてくれ、上半身を起こしてくれた。
「ミオ、大丈夫か?すまない。ぼくはいつもそうだ。きみを守りたいのに、かんじんなときに守れない」
何度も体験している、彼のあたたかみ。
わたしはいま、たしかにエドモンドの胸の中にいる。彼の胸に顔を埋め、すがりついてしまった。
「ミオ、怖がらせてしまった。すまない」
わたしの頬をなでながら、彼は何度も謝っている。
そのとき、彼の拳が赤くなっていることに気がついた。
血、だわ。
「エド、これで二度目だ」
皇太子殿下の静かな声が流れて来た。それを、エドモンドの胸の中できいた。
「厩舎の事件のときに言ったよな?彼女を危険にさらし、不安や恐怖を抱かせたことがおまえの罪だ、と。彼女のことを想うなら、おまえは彼女とおれを二人きりにするべきではなかった」
「ああ、そうすべきじゃなかった。兄さん、あなたよりもよくわかっている」
エドモンドの胸の中で、彼が泣きながらそう言っているのをきいている。
「だったら、二度と彼女をほかの男と二人きりにするな。二度と、彼女を危険にさらすな。不安や恐怖を抱かせるな」
皇太子殿下の忠告に、エドモンドは何も答えなかった。
「くそっ、エド。おまえ、思いっきり殴ったな?口の中と唇が切れたぞ。半面が腫れるだろう。なんとごまかすか、かんがえておかねば……。ミオ、乱暴をしてすまなかった。ああでもしないと、出来の悪い弟は兄に対して本気で立ち向かえないからな。エド、彼女はおまえを選んだ。おれは、フラれたよ。だが、おまえが彼女を守りぬけず、しあわせに出来ないのなら、そのときには遠慮なく奪い取ってやる。おれだけではない。トラパーニ国のランベールもいるぞ。彼と同盟を組んででも、おまえから彼女を奪ってやるから、覚悟をしておけ」
「兄さん……」
エドモンドのその言葉を最後に、意識が飛んでしまった。




