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4 彼女に触れる時…

 


………。

……。

…。


 静寂が支配する夜の森。  先ほどの凄惨な血の匂いから逃れるように、俺とヒナルは足早に木々の間を縫って進んでいた。  頼りになるのは、ヒナルが震える手で握りしめている『スマートフォン』という異世界の板が放つ、青白い光だけ。  その「懐中電灯ライト」機能が放つ光の境界線が、足元の木の根や、苔生した岩の陰影を鮮明に描き出している。


「ルイスさん、まだ……着きませんか……?」


 背後から、消え入りそうな声が届く。


「もうすぐしたら、街道に出るはずだ。そこまで行けば街の監視塔の灯りもはっきりと見えるし、冒険者たちが通るから比較的安全だ。……もうちょっとだけ、頑張ってくれ」


「はい……っ」


 俺は剣の柄に手を添えたまま、周囲の暗闇に神経のすべてを注いでいた。  夜の森は、昼間とは比較にならないほど凶悪な顔を見せる。闇の奥底から向けられる、見えない無数の視線。  もうすぐ街道に差し掛かろうとした、まさにその時のことだった。


 カサリ、と。  枯れ葉を踏み砕く、微かな、だが確かな足音が前方から響いた。


「ヒナル! 光を前へ!」


「えっ? あっ、はいっ!!」


 俺の緊迫した声に反応し、ヒナルが咄嗟に光の先を前方へと向けた。  青白い人工の光が、木々の隙間を切り裂くように照らし出す。


「グルルゥ……ッ」


「ひっ……!!」


 ヒナルが悲鳴を上げて一歩後ずさった。  光の向こう。数本の巨木の陰から、幾つもの爛々と光る赤い眼球が浮かび上がっていた。  低く、地を這うような唸り声。風に乗って流れてくる、むせ返るような獣の臭い。  ――狼のモンスターだ。しかも、数は一頭や二頭ではない。半円を描くような陣形で、まさに今、俺たちを「餌」として追い詰めていた。


「ヒナル! 俺の背中から離れるな! 絶対にだ!」


「う、うん……っ!」


 俺は鞘から長剣を引き抜き、切っ先を暗闇の獣たちへ向けて構える。  スマホの光が照らし出しているとはいえ、相手は夜の狩人。そのスピードに、今の俺の力でついていけるか。剣の柄を握る手に、じっとりと汗が滲む。


「ガルルッ!」


 一頭が動いた。  木陰から飛び出し、光の中にその姿を現した瞬間、俺は舌打ちした。


「こいつは……『レッドウルフ』か! 最悪だ!!」


 光に照らされたその狼は、まるで全身の毛を血の海に浸したかのように赤黒く染まっていた。  冒険者ランクで言えば『Cランク』相当。一般的なゴブリンなどとは比較にならない強敵。全身が筋肉のバネで構成されているかのように敏捷性が高く、その爪と牙は鉄の鎧さえも容易く引き裂く。  一頭ならまだしも、群れで行動し、これまでにも幾人もの熟練冒険者たちを血祭りにあげてきたことで有名な、死神のようなモンスターだ。


「グルアァッ!!」


 咆哮と共に、先頭の一頭が矢のようなスピードで襲いかかってきた。  視界を一瞬で詰めてくるその速度。俺は反射的に剣を盾のように斜めに構えた。


『ガァンッ!!』


「ぐ、ぅおっ!?」


 激しい金属音と共に、両腕に骨が軋むほどの衝撃が走る。  奴の分厚い爪が俺の剣を弾き、火花が散った。体勢を崩されかけるが、必死に足を踏ん張り、反撃に転じる。


「そこか!?」


 追撃のために跳躍した狼の腹部めがけて、俺は剣を下から上へと一閃した。


「ギャンッ!!」


 俺の振るった剣が、辛うじて狼の右前脚を浅く切り裂いた。鮮血が夜の闇に舞う。  だが、安堵する暇は一秒もなかった。  俺が前衛の一頭に気を取られたその隙を突き、闇に潜んでいた残りの数頭が一斉に、背後のヒナル目掛けて飛びかかったのだ!


「グワルルルル!!」


「あぶなっ!!」


 俺は考えるより先に動いていた。  剣を捨て、瞬時にヒナルの目の前へと飛び込む。彼女の華奢な体を、覆い被さるようにしてきつく抱きしめた。


『ドスッ!!』


「――っ、がぁッ!!」


 俺の鎧で覆われていない脇腹に、熱く焼けるような激痛が走った。  狼の一頭の牙が、俺の肉を深く食いちぎったのだ。  視界が明滅し、口の中に鉄の味が広がる。傷は……対して深くはない。内臓までは達していない。だが、毒のように回る激痛が、俺の意識を刈り取ろうとする。


「ルイスさんっ!! だ、大丈夫ですか!? 血が……血がっ!!」


 腕の中で、ヒナルがパニックを起こして叫んでいる。  だが、痛みで声が出ない。次の攻撃が来れば、俺もろともヒナルの喉笛が噛み砕かれるだろう。  絶望が、再び俺の心を覆い尽くそうとした。


 その時だった……。


『――勇者、ルイスよ』


 唐突に。  周囲のノイズが遠のき、頭の中に、透き通った女性の声が直接響き渡った。


「え……?」


 俺は痛みの中で目を見開いた。


『聞こえますか……? ようやく……次元の壁を越え、そなたに直接言葉を送ることができました』


「だ、誰だ……? どういうことだ!?」


『二年間、辛かったでしょう。あなたの本来の力は、あのアレックスという偽りの迷人によって……封印されていました』


「アレックスが……俺の力を? 何を言ってる……!」


『勇者ルイスよ。今こそ、ことわりの封印を解きます。あなたの奪われたスキルを……ほんの数分だけ、解放します!』


「なんなんだよ! 俺は勇者なんかじゃ……っ!?」


 その言葉を言い終わる前に、俺の身体に異変が起きた。  噛み砕かれた傷口の痛みなど消し飛ぶほどの、圧倒的な熱量。  黄金と白銀が混ざり合った、目も眩むような光のオーラが、俺の身体の奥底から爆発するように溢れ出したのだ。


「ルイス、さん……? 光ってる……?」


 ヒナルの呆然とした声が聞こえる。


「……ッ、力が……溢れてくる」


 今まで心の中で堅く閉ざされていた扉が、粉々に砕け散った。  一瞬の出来事だった。  世界が、変わった。


 暗闇に包まれた森の全容が、まるで真上からの視点トップダウンで俯瞰しているかのように、鮮明に脳内に投影される。  木の葉の一枚一枚、毛皮の微細な質感、飛び散る唾液の飛沫までが、極限まで高められた解像度で視界に飛び込んでくる。


「全部で、5頭……」


 レッドウルフたちの位置、筋肉の収縮、次の行動パターンまでもが、手に取るように分かる。  そして、これまで一度たりとも使えなかった魔術の「術式」が、まるで最初から知っていたかのように頭の中に浮かび上がってきた。  俺は無意識のうちに、その言葉を紡いでいた。


「『ヒール(治癒)』」


 俺の右手から温かい光が溢れ、先ほど狼に食いちぎられた脇腹を包み込む。  千切れた肉が結合し、流れ出ていた血が嘘のように止まった。


「ルイスさ……ん!? 傷が、治ってます……!」


 ヒナルが俺の腹部を見て、信じられないという顔で息を呑む。  だが、感動に浸っている暇はない。俺は彼女の腕を離し、落ちていた剣を拾い上げて立ち上がった。  先ほどまでの重い身体が嘘のように軽い。まるで重力から解放されたかのように。


「『アースバインド(大地の拘束)』!!」


 俺が剣を大地に突き立てると同時に、術式が発動した。  地面が轟音を立てて波打ち、狼たちの足元から無数の土の鎖が蛇のように飛び出した。


「ぎゃわんっ!?」


 逃げる間も与えず、五頭の狼たちの四肢を土の鎖が雁字搦めに縛り上げる。  暗闇の中でも、俺の眼は完全に獲物を捉えていた。


 最も近く、六メートル先に拘束された一頭。  俺は大地を蹴った。一歩で六メートルの距離をゼロにする。  まるで水流の如く、静かに、そして神速で。狼が瞬きをするよりも早く、俺の剣が横薙ぎに閃いた。


「こいつで、まず一体ッ!!」


 ゴトッ、と音を立てて、レッドウルフの首が地面に転がる。


 止まらない。俺の身体が、戦闘マシーンのように次々と術式を組み上げていく。


「『セイントクロス(聖十文字斬)』!!」


 剣の刀身がまばゆい光を帯びる。  俺は拘束された二頭の狼の間に飛び込み、身体を捻りながら光の軌跡で十字を描くように剣を振り抜いた。  光の閃光が闇を切り裂き、二頭のレッドウルフを肉塊へと変える。


「後、二頭……これなら、いけるっ!!」


 俺は左手を前に突き出し、頭の中で強烈なイメージを描いた。  聖なる魔法。なぜか俺の魂に刻み込まれていた、魔を滅ぼすための攻撃魔法。


「『セイントボール(聖光球)』!!」


 掌から放たれた光の魔力球が、一条のレーザーのように飛び出し、最後列にいた一頭の狼を包み込む。  そして次の瞬間。


『ドォォォォンッ!!』


 内側からの強烈な爆発が起き、狼の身体は跡形もなく消滅した。光の粒子が夜空に舞い散る。


「よし……これで残り、後一頭……っ!?」


 俺は安堵の息を吐きながら、最後の一頭の方へ目を向けた。  ――そして、血の気が引いた。


「い、いやぁーっ! こっちこないでっ!!」


 拘束の魔法が甘かったのか、最後の一頭が土の鎖を引きちぎり、ヒナルに向かって牙を剥いていた。  距離が離れすぎている。俺の足でも間に合わない。


「ヒナルーっ!!」


 俺が絶叫し、剣を投げようとした、その刹那だった。


「「えっ……」」


 俺とヒナルは、同時に間の抜けた声を上げた。


 狼に襲われかけていたヒナルの身体が、今度は、俺と同じ黄金と白銀のオーラに包まれたのだ。


「なに、これ……。このイメージは……なに?」


 恐怖で顔を引きつらせていたヒナルの瞳に、すっと凪のような静けさが訪れた。  俺の視界の中で、彼女の姿がまるで下からの角度ボトムアップで煽るような、神々しいシルエットとして焼き付いた。  ヒナルは迫り来る巨大な狼の顎に向かって、両手を前に突き出した。指先が美しく伸び、魔力を収束させる完璧なポーズ。  その掌から、バチバチと激しい光のスパークと、空間が歪むような高周波の音が鳴り響く。


 そして、ヒナルの口から、聞いたこともないほど凛とした声が放たれた。


「『ホーリーランス(聖槍撃)』ッ!!」


 閃光。  ヒナルの掌から放たれたのは、極限まで凝縮された光の槍だった。  瞬きすら許されない、真の光速。  光の槍は、ヒナルを噛み砕こうと口を開けていたレッドウルフの頭部を、眉間から後頭部へと一直線に貫通した。


『シュパァンッ!!』


 音を置き去りにした一撃。  レッドウルフの巨体はピクリとも動かず、勢いのままヒナルの足元へと崩れ落ち、絶命した。



………。

……。

…。



 静寂が戻った。


「えっ!? ええーっ!!」


「な、なんじゃこりゃあ!?」


 俺とヒナルは、暗闇の中で向き合い、夜空に向かって同時に大声を上げていた。  あまりの事態の急展開に、脳の処理が追いつかない。


「ヒナル……。た、助かった……んだな……?」


 俺がへたり込みながらそう言うと、ヒナルは自分の両手を裏返しにして見つめながら、ガクガクと震えていた。


「いや、なんなんすか、今の!? 私、やばくないですか!? 手からビーム出ましたよ!?」


「それ、俺のセリフ……」


 無敵の力に酔いしれていた俺だったが、ヒナルの規格外の一撃を見て、完全に自信がへし折られた気分だった。  ……しかし。


「あ、あれ……?」


 ドッと、全身に鉛を背負ったような凄まじい疲労感が襲ってきた。  先ほどまで俺を包んでいた光のオーラが、霧散するように消えていく。超高解像度で見えていた視界も、全能感も、あの鮮明だった術式の記憶も、すべてが煙のように消え失せた。


「ルイスさん、光が消えましたよ!?」


「あぁ……どうやら、時間切れみたいだ」


 あの謎の声が言っていた「数分の解放」。それは本当だったらしい。  俺は再び「無能」の身体に戻ってしまったのだ。


「……ま、とりあえず生きてるんだから、良しとするか」


 俺は膝に手をついて立ち上がり、まだ興奮冷めやらぬヒナルに向かって苦笑いを浮かべた。  俺の失われた『勇者』としての力。そして、このか弱い異世界の少女が放った、神のごとき光の一撃。  俺たちがこれから進む物語は、ここからさらに激しく、誰も見たことのない高みへと続いていく予感がした。


ルイスが勇者ってどういうこと!って思った方は是非 いいね 宜しくお願い致します。


次の更新はまた間が空くかもしれません…。宜しくお願い致します。

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