26 赤髪で黒い瞳の少女
ルシルは、かつての弟分であるジェイからの温かく、そして魂を揺さぶるような呼びかけに、言葉を失っていた。 張り詰めていた緊張の糸が切れ、喉の奥から絞り出すように、獣のような嗚咽を漏らす。 だが、やがて彼はゆっくりと顔を上げ、涙と血でぐしゃぐしゃになった顔を乱暴に腕で拭った。 そして、口ごもった声で…、それでも、腹の底から湧き上がる、煮えたぎるマグマのような力強い意思を込めて、はっきりと答えを出す…。
「……分かった…。逃げはしねぇ。……罪から目を背けて、一人で楽になろうなんざ、それこそ死んだ親父殿たちに顔向けができねぇ……! 罰を受けるのは、あの忌まわしい黒幕、スザクとあの女を討った、その後じゃあ…!」
「兄弟子……!」
「仁よ…、いや、神牙二十七代目の棟梁! 神牙仁よ! 共に戦うぞ!! この俺が、お前の失った両親の分まで、仁の片腕となって、地獄の底から道を切り拓こうぞ!!」
ルシルは、意識を取り戻し、自分を心配そうに見つめるファデューを優しく抱き抱えながら、血塗られた大刀を力強く地面に突き立てた。 その瞳には、もはや過去の迷いも狂気もない。あるのは、死を覚悟した深い贖罪と、忍としての誇りだけだった。かつての最強の忍の、力強い意思を感じた。 そして何よりも…。今後、この世界を救う旅において、彼ら二人の存在が、俺のためにも計り知れないほど頼もしい強大な力となってくれる事など、今の俺には、まだ知る由もなかった…。
「兄弟子!! 感謝するでござる! その言葉、父上たちも必ずや喜んでいるはずでござるよ!」
ジェイは感極まり、ルシルの肩を力強く抱き寄せた。 暫くして、ルシルとファデューは、村に戻って残りの盗賊を捕まえたと衛兵に報告し、自首をしに行くことになった。 奥には、村から拐われてきた村人と、ルシルが気にしていた『謎の少女』もいるから、俺達に解放してほしいとの事だった…。村での事情聴取と盗賊の引き渡しの付き添いのため、ジェイさんとコタースの二人も、一度村に戻る事となった。
………。
……。
…。
静まり返った、洞窟の最奥部。 ルシルさんから渡された鉄の鍵の束を使い、まずは手前の牢屋に捕まっていた、やつれきった村人たち数人を解放をする。 村の衛兵が安全の確保に到着するまでの間、彼らには比較的安全なここで待機してもらう事となった。皆、泥だらけの顔で涙を流して、俺たちの手を握り感謝してくれた。
俺とヒナルは、彼らを安心させた後に、松明の明かりを頼りに、さらに地下深くへと続く、最奥の通路へと進む…。 一歩進むごとに、空気は氷のように冷え切り、地下特有の淀んだ魔力の気配が、息苦しいほどに濃くなっていく。
「お兄さん……、なんか、空気が重いです……。息が詰まりそう……」
「大丈夫だ。俺の背中から離れるなよ」
一番奥にあったのは、壁一面に重厚で複雑な魔法陣がびっしりと刻まれた、異様な鉄格子の牢獄だった。 そこには、冷たい石の床に座り込み、両手足と、そして細い首を、自分の体重ほどもありそうな重い呪縛の鎖で繋がれた、一人の少女の姿が見えた…。
少女は、まだ十二歳くらいか、それくらいの幼い見た目をしているが…、その頭には、禍々しくも美しい、小さな漆黒の角が二本、確かに生えているのが見える。 腰まで伸びた長い髪は、まるで新鮮な血のような、あるいは地獄の業火のような、深紅に染まった赤い髪。 そして、鎖の音に気づいてこちらを振り向いた、その目は……光をすべて吸い込むような、底なしの漆黒に染まった夜空のような目。 一目で見て、人間じゃないのが解った。
「お兄さん…、あの子…、人間じゃない…よね? 角が……」
ヒナルが、俺の服の裾をギュッと掴み、少し怯えた声で囁く。
「ああ…、俺も初めてあんな人を見た…。魔力を感じる。それも、途方もなく膨大な魔力だ……」
まるでおとぎ話に出てくるような、『魔族』のようにも感じる…。 しかし、見た目は幼い少女だけども、どことなく人を惹きつける異様なオーラと雰囲気があり、触れてはいけない芸術品のように、神々しいほどに美しくも見える。どこか、深淵へと引き寄せられそうな…、そんな不思議な危険な魅力を持った少女だ。
俺達は警戒を解き、その少女の近くへと進み、渡された一番大きな鍵で、鉄格子の牢屋を開ける…。 ギギギ…と重い音を立てて扉が開くと、少女が不機嫌そうにこちらを睨み付け、可愛らしい唇を尖らせて喋り出した。
「なんじゃ?? また性懲りもなく、我を買いにきた悪趣味な変態がきたんじゃな? 全く、人間というのは、こんなか弱き美少女にも手を出そうとするロリコンの変態が多くて困ったものじゃ…」
緊張感が一瞬で吹き飛ぶような、とんでもない第一声だった。
「いや、違うから! 俺たちは変態じゃない! 君を助けにきたんだよ!」
「へ? 我を助けに来たじゃと? ふふん、嘘をつくのはやめるのじゃ! あんな岩の化物みたいな大きな男が、外の関所にはおるはずじゃ。こんなヒョロヒョロで、風が吹けば飛びそうな、ひ弱なモヤシみたいなお主が、あやつを倒せるわけないのじゃ!」
ううっ…、モヤシかよ。聞いていて地味に精神的ダメージが痛い…。これでもかなり、自分なりに血の滲むような修行をして鍛えてるんだけどな。もっと筋トレするか? 見掛け倒しになるくらい、ムキムキの脳筋に!!
「本当だよ! ルイスお兄さんが、その大男を魔法で木っ端微塵にして倒したんだよ! すっごくかっこよかったんだから! 村の人も解放したとこ! もう安全だから、大丈夫だからね!」
ナイスフォロー! ヒナル! ちょっと自慢げに胸を張って、俺の腕にしがみついてくれているのが嬉しい。天使か。
「はて、確かに外の盗賊どもの騒ぎが静かになったのじゃ! ……そうか、お主やるのじゃ!! 見直したのじゃ! でも、やっぱり見た目はモヤシで頼りなさそうで、弱そうなのじゃ!」
ぐぐっ…。二回も言わなくてもいいだろ。心が折れそうだ。
「……ふん。まぁよい、助けられた礼儀として名乗ってやろう。我はスルト!! 魔族を統べる由緒正しき……、……はて? なんじゃったっけ? 魔族の……えーと、忘れたのじゃ!!」
「スルト? 自分の事、思い出せないのか? どこから来たのかとか、誰に捕まったのかも?」
俺が問いかけると、スルトは急にパニックになり、半泣きになって両手を頭の角に持っていき、あたふたあたふたと、子供のように独り言を言い出した。
「わ、わすれたのじゃ! どうしよう、まずいのじゃ! 我が誰で、どこから来て、何の目的があったのか、全部真っ白なのじゃ!! うわぁぁん、怖いのじゃあ!」
「お、おい! 泣くなって!」
「あっ!! でも一つ、はっきりと思い出したのじゃ!! あの『黒ずくめの赤い髪の女』に、何か恐ろしい封印の魔法をかけられたのじゃ!! 記憶を奪われたのじゃ! あやつめ、絶対に許せないのじゃあ! 見つけ出して、八つ裂きにしてやるのじゃ!」
半泣きになったと思ったら、今度は小さな拳を握りしめて激しくキレだした。 なんて喜怒哀楽が激しい少女だ。見ているだけで疲れる。
「まっ、そういう事もあるのじゃ! 細かいことは後じゃ! して、命の恩人のお主達は、なんと言うのじゃ?」
「俺はルイス…。ルイス・ガーランドだ…。ただの冒険者だ」
「私はヒナル。スガ・ヒナルだよ!」
俺達は改めて挨拶をする。スルトは俺とヒナルの顔を交互に見比べ、漆黒の目をぱちくりさせて…。
「むうっ? むむむ? お主達、こんなに仲良しで兄妹なのに、名字が違うのか? 親の離婚か? 家出したのか? 変なのじゃ!」
「「えっ?!」」
俺とヒナルは、予想外の言葉に素っ頓狂な変な声をあげる。
「なんで驚くのじゃ? 逆に兄妹で名字が違うのは、人間では変なのじゃ! 常識じゃろ? それとも、訳ありか?」
「いや、俺達は似ても似つかないし、血の繋がった兄妹じゃないぞ。赤の他人だ」
「うん! つい数日前に知り合ったばかりだし… というか、そこは兄妹じゃなくて『恋人』に見える、って言ってほしかったな…」
ん? なんか今、ヒナルから凄くドキッとするような、とんでもなく大胆な発言が聞こえたんだが…。俺の聞き間違いか?
「む? ヒナル? 今何て言ったのじゃ? ボソボソ言って聞き取れなかったのじゃ!」
「えええっ!! な、なんでもない! なんでまた言わなきゃいけないの?! デリカシーないなぁ!」
ヒナルが顔を林檎のように真っ赤にしながら、大慌てで両方の手の平を顔の前でくるくるしだす。照れ隠しの仕草が可愛らしい。
「まぁ、いいのじゃ! でも本当に、お主達は並ぶと凄くお似合いで似ていて、兄妹かと思ったのじゃ!! 顔の系統が一緒なのじゃ!」
「ははは…、そう見えるか?」
「むぅ~…。それにしても、外に出られて良かったのじゃ! これでやっと解放されたのじゃ! さぁ、我をここから出すのじゃ!」
「でも困ったなぁ…。鍵は開けたけど、その首輪の呪いは俺には解けないぞ。君は記憶喪失だし、帰る場所もなければ、一人にもしておけない…」
「ふふん、その心配は無用じゃ! 我は今、奴隷に落ちた身じゃ! どうしてそうなったかはわすれてしまったけど! だから、一時的に我と『契約』を結ぶのじゃ! そうすれば、この不快な鎖は外れるのじゃ!」
この世界の法律では、奴隷が正式に決まった相手と契約する時、奴隷の首輪には特別な魔法がかけられていて、奴隷と主従関係を結ぶには、魔力を通す大事な儀式みたいなものが必要だ。 主従関係がない奴隷を勝手に連れ歩けば誘拐とみなされ違法ともなるし、逆に主従関係を結べば、どんな命令にも絶対に従わす事ができる強力な呪縛でもある。 魔族である彼女と契約するなど、とんでもないリスクだ。だが、このまま置いていくこともできない。
「……しかたない、じゃあ手を出して」
「むっ。よいか、主従関係を結んだからと、いきなりエッチな命令はいやなのじゃ! 我は高貴な身分ゆえ、まだ男とそういうことをしたことがないのじゃ! ……するなら、最初は優しく…なのじゃ!」
「すっ、するわけないよ! こんな子供相手に、そんな犯罪みたいな事は! ッゲホゲホっ!」
いきなり何を言い出すかと思えば…。俺は思わずむせてしまった。
「……お兄さん… やっぱり、怪しい…」
ついでに横にいるヒナルは、ジト目で、ものすごい冷たい、汚物を見るような偏見の眼差しでこちらを見てくる。視線が痛い…。
「ほ、本当だって! 俺をなんだと思ってるんだよ!」
「えぇ~? だって、さっき宿でお風呂上がりの、コタースちゃんと私の裸、あんなに穴が開くほどガン見してたじゃないですかぁ……。もう、ウサギみたいに目が赤くなってましたよ?」
「ブッ……!! あれは事故だろ!? 不可抗力だ!」
「あはは! やはり変態ロリコンじゃったか! まぁよい、それなら少しは我の美貌が役に立つやもしれぬ! 夜の相手なら考えてやらんこともないぞ!」
俺の威厳が音を立てて崩れ去っていく。 とにかく契約を結ぶため、俺は仕方なくスルトの小さな、氷のように冷たい手を握る。 カチッ、と。 スルトの首筋にある黒い首輪が、俺の魔力に反応して、赤黒く、そして黄金の光を放つ…。一瞬の出来事だ…。
「むっ!! むむむむっ!?!?」
魔法陣が展開される中、スルトの漆黒の目が、驚愕に見開かれた。
「こ、今度は何!? 失敗したのか!?」
「お主…、もしかして…?」
スルトはこちらを、先ほどまでのおちゃらけた態度は完全に消え失せ、底知れぬ真剣な表情で、まじまじと見つめてくる…。
「な、何だよ、急に……」
「お主…もしかして、本当の変態ロリコン?」
「あー、たしかにそうかも…ですね…。こないだ裸見られたし…。もう否定できませんね。完全にクロです」
「へっ?」 ヒナルの無慈悲な追い打ちに、俺は変な声をあげるとともに、一瞬、洞窟の時が止まった。 超真剣な表情だったから、とても重要な事(魔王の正体とか)を思い出したと思った俺がバカだったああああ!
「いや、今のは冗談じゃ! お主が緊張していたから、場の空気を和ませただけじゃ! 器の小さいやつめ!」
スルトが照れ隠しに咳払いをする。少し沈黙が続く…。そしてスルトは、探るような目で俺を見上げ、信じられない言葉を口にした…。
「……ルイス…、お主は『勇者』なのじゃ?」
「えっ? いやいや! 俺は勇者じゃないぞ! 何のスキルもない、適性検査でも無能の烙印を押された、ただの冒険者だ。第一、この国にはアレックスっていう、既に聖剣に選ばれた勇者がいるし!」
「む~っ、おかしいのう…。先ほど契約の時、我に流れ込んできたお主の魔力の中から、たしかに『勇者の力』そのものを感じたのじゃ! 我の記憶の大部分は失われているのじゃが……昔…、我が『先代の勇者』の手を取った時と、全く同じ、神々しく、絶対的な光の力を感じたのじゃ!」
「うん?! 先代の勇者!? って、ちょっと待て。スルトは何歳なの?! 見た目十二歳くらいだろ!?」
「えっ? 勇者って、アレックス様みたいに、時代ごとに頻繁に湧き出てくるんじゃないの!?」
ヒナルも混乱して声を上げる。
「うむ。お主ら、歴史を知らんのか? 真の『勇者』とは、この世にたった一人しか存在しないのじゃ! その勇者が天寿を全うし、魂が消えた時に、神の意志によって『新たな勇者』が力を授かると聞いたのじゃ! ……ちなみに、我がその先代の勇者と出会ったのは、今から『二百年前』なのじゃ! つまり、我は二百十二歳じゃ!」
「「ええ~~っ!!!」」
俺達は、全く同じトーン、同じ絶叫の叫び声を上げ…。 二百歳!? ロリババア!? いや、魔族の寿命か!? それに、俺が先代の勇者と同じ力!? なら、今「勇者」と崇められているアレックスの力は、一体何なんだ!?
その衝撃の事実に、俺たちの「えええええええええええっ!?」という大絶叫が、暗く冷たい地下洞窟内を、いつまでも無限にこだまするのだった……。




