21 目の前の敵(かたき)
松明の赤々とした光が照らし出す岩肌の奥。 俺とコタースが茂みを掻き分けて飛び込んだその場所には、あまりにも凄惨で、しかし俺たちにとっては何よりも安堵する光景が広がっていた。
目の前には、薄汚い地面にへたり込み、服が酷く破れて肩や胸元が露わになっているヒナルと、彼女を庇うようにして仁王立ちしているジェイの姿があった。 そして、その二人の向こう側。地面に横たわるようにして、一人の少年のような男が、自身の首から流れる大量の血の海の中でうつ伏せに倒れている。 よく見れば、既に事切れているその男の髪は、黒と銀を散りばめたような奇抜な髪色……。 間違いない。俺が森でヒナルを助けた時に、ヒナルを襲って返り討ちに遭い、逃げ出していった『迷人』の少年の一人だ。
「ヒナル!! ヒナルっ!!」
「ヒナルちゃん! 無事なの~っ!?」
俺とコタースは、敵の伏兵を用心して周囲を警戒しながらも、たまらずヒナルへと駆け寄った。 ヒナルはこちらの姿を見つけると、恐怖で青ざめていた顔を一瞬で安堵の涙で濡らし、ふらつく足で立ち上がった。
「お兄、さん……っ!」
俺が手を差し伸べるよりも早く、ヒナルは俺の胸に飛び込み、その細い腕で力強く、すがりつくように俺の身体を抱き締めた。
「あっ……、お兄さんも……コタースちゃんも、助けに来てくれたんですね……。よかった……。よかったです……。怖かったよ……っ! また、あいつらに……ひどいこと、されるかと思って……!」
泣きじゃくるヒナルの目は赤く腫れ上がり、冷たい洞窟の空気と恐怖のせいで、俺の腕の中にあるその小さな身体は、氷のように冷たく、ガタガタと激しく震えていた。 俺は「もう大丈夫だ」と何度も囁きながら、彼女の背中を優しく撫でる。 そして、破れて肌が見えている彼女の肩に、急いで脱いだ俺の上着を掛けてやった。ヒナルはその上着をギュッと握りしめ、俺の体温を感じて少しだけ震えを収めた。
「ジェイさん……。一体これは、どういう事でしょうか……? あんたが、俺たちを裏切ったわけじゃ……ないんですよね?」
俺はヒナルを抱き寄せたまま、血塗られた短剣を持つジェイを鋭く見据えた。 だが、ジェイがヒナルに危害を加えたわけではないことは、ヒナルの様子と、ジェイ自身の表情を見ればすぐに分かった。 ジェイは、俺たちの姿を見て、全身から力が抜けたように、深く、安堵の息を吐き出していたからだ。
「ルイス君、コタース殿……。よくぞ拙者の道標に気づき、来てくれたでござる……。感謝の言葉もない」
「ジェイさん! なんで黙って一人で来ちゃったの~っ! ウチたち、ジェイさんが犯人かと思って、一瞬疑っちゃったじゃんか~っ!」
コタースが涙目でジェイに抗議する。 ジェイは苦渋の表情を浮かべ、血塗られた短剣を鞘に納めた。
「隠しておいても仕方ないから、今、言える事だけ手短に伝えるでござる……」
ジェイさんは鋭い目つきになり、アジトのさらに奥深くへと続く暗闇の通路を振り返る。 向こう側も微かにランタンで照らされているが、その奥からはドロドロとした濃密な殺気と、複数の気配が漂ってきていた。
「まだヤツラの仲間は来ていないでござる……。先ほど逃げた少年少女たちが、親玉を呼びに行ったはず。……とりあえず、ここでは目立ちすぎる。少し離れた場所で隠れるでござる!」
俺たちはジェイの先導に従い、ランタンの光が届かない、暗く狭い鍾乳洞の奥へと移動し、岩陰に身を潜めていったん休息をとることにした。 ポタリ、ポタリと、冷たい水の滴る音だけが、不気味に響いている……。 ジェイさんの話だと、まだ盗賊達の追手はこっちに来ていないみたいだ。だが、逃げた連中が仲間を連れて戻ってくるのも、時間の問題らしい。
暗闇の中、ジェイさんは低い声で、これまでの経緯を手短に、しかし詳しく話してくれた。
ジェイさんは、ヘルポリア村で馬の世話をしていた時、村人の怯えた様子から話を聞き出し、緑骨団の活動が日に日に活発化している事、そして彼らが転移者や若い女性を狙っている事を知った。 盗賊達がいつ宿を襲ってくるかわからないため、俺達の安全を確保するために、ジェイさんは自ら進んで夜番(見張り)を買って出て警戒をしていたのだという。 だが、たまたま村の周辺の森を偵察して帰ってきた、ほんの僅かな隙に……既に隠密行動に長けた盗賊(転移者の男)の『転移魔法』によって、窓から音もなくヒナルを連れ去られてしまったとの事。
自分の不覚を呪ったジェイさんは、すぐさま男の魔力の残滓を追いかけた。 宿に戻って俺達を呼びにいけば、その間にアジトに逃げ込まれ、ヒナルが何をされるか分からず、二度と見つけられない可能性があったため……単独での追跡を決意した。 だが、俺達がヒナルの異変に気付いた時のために、自身の魔力を込めた『発光石』を落として道標を作り、俺たちを信じて待っていてくれたらしい。
………。
……。
…。
「ジェイさん……。命がけでヒナルを助けていただき、本当に、本当にありがとうございます……。俺、一瞬でもジェイさんを疑ってしまって……本当にすいませんでした!」
俺は深く頭を下げ、声の震えを抑えきれずに謝罪した。 もしジェイさんの単独行動がなければ、ヒナルは今頃、あの仲村とかいうクズ男に陵辱されていたのだ。
「ははは! 頭を上げてくだされ、ルイス君。拙者の方こそ、危険だからと呼びもしないで、勝手な行動をして申し訳ないでござる……。しかし、あのような強敵に、若いお主たちを最初から巻き込みたくはなかったから、あえて言わなかった拙者も悪かったでござる……」
ジェイさんは紳士らしく、暗闇の中で深々と一礼をする。
「気にしないで~っ! 謝るのはウチらの方だよ~っ! ジェイさんが居なかったら~、ヒナルちゃんが危なかったんだから~っ! ジェイさんは、ウチらの恩人だよ~っ!」
「はい……! ジェイさん、本当に、ありがとうございました……っ! 私、死ぬほど怖くて……でも、ジェイさんの背中を見たら、お父さんみたいで……安心しました」
ヒナルも涙を拭いながら、ジェイに感謝の言葉を紡ぐ。 本当にそうだ。ジェイさんが居なかったら……。そう考えるだけで、内臓が裏返るほど恐ろしい……。
俺がジェイへの信頼を新たにした、その時だった。 ジェイさんは、今まで見せたことのない、重く真剣な眼差しでこちらを見つめてきた。
「ルイス君、コタース殿、ヒナル殿……。今のうちにお主達に、どうしても話しておかねばならぬ秘密がある。……拙者の仕事はポーターでござるが……。本当のところをいうなら、拙者の天性のジョブは……『忍者』でござる……」
「……忍者……?」
俺とコタースは顔を見合わせた。初めて聞く奇妙な響きのジョブだ。
「えっ……!? 私、知っています! 私のいた元の世界(日本)では、昔、歴史に『忍者』っていう影の存在がいました! おとぎ話やアニメでは、『忍術』っていう、魔法みたいなすごい術や技を使って、悪いやつらを倒すんです……。身軽だし、誰よりも速くて、手裏剣とかクナイっていう暗器の扱いも得意って……」
「ええ~っ!? なにそれ、すっごくかっこいいじゃん! じゃあ、もしかして……今のウチよりも、ずっと足が速くて強いの……?」
コタースは、自分のアイデンティティである『俊足』が脅かされた気がしたのか、長い耳をペタンと伏せて少ししょんぼりして答える……。 ジェイは、少し自嘲気味に口角を上げた。
「そうですな。ヒナル殿の話の通りでござる! 我が一族は、はるか昔、異世界から迷い込んだ『忍』を祖とする一族。中でも、口から火を吹く"火遁の術"や、分身の術は一般的であった。他にも、敵の影を踏んで動きを麻痺させる"影縫い"なんていう秘術もあるでござる。昔は、戦闘技術において、拙者の術に勝る者はこの国に誰も居なかったでござるからな!」
ジェイさんは「ははは!」と、かつての栄光を懐かしむように小声で笑い出す。 だが、その笑い声はすぐに止み、彼の顔に深い悲しみの影が落ちた。
「……しかしながら。お察しの通り、今の拙者は……その『術』が、一切使えないでござる……」
「「「えっ……!?」」」
俺達は、あまりの衝撃的な告白に、思わずびっくりして声をあげてしまった。 アレックスと同じ? いや、それよりも深刻な理由のようだ。
「拙者は、今の最愛の奥さんと結婚した時に、同じ里の忍者で、奥さんに横恋慕していた仲間たちにより、寝込みを奇襲されてしまってな……。そやつ達をなんとか撃退した後、彼らは里の掟により重い罰をくらい、忍者の里から『抜け忍』として追放された」
ジェイは拳を強く握りしめ、言葉を絞り出すように続ける。
「それから時が経ち……半年前に、拙者が里の長(頭領)となる就任の儀の時に、力を増したあの抜け忍たちが、悪党を大勢引き連れてまた里に攻めてきた……。不意打ちを受けた里は、悲惨な状態であった……。拙者は油断したところを、奴らが雇った『呪術士』の呪いの術を受け、魔力回路を封じられ、忍術が一切使えなくなってしまってな……」
ジェイの声が震える。
「呪われた拙者を守るために、助けに入った父と母も……目の前で殺され……。拙者は、両親が稼いでくれたその血の隙に、なんとか奥さんと娘二人だけを連れて抜け出し……王国近くのスガラットの村に隠れ住んだのでござる……。すべては、拙者の力不足が招いた悲劇……」
ジェイさんはそう言うと、怒りと後悔で目を血走らせ、洞窟の奥の暗闇を睨みつけた。
「……そして、今日わかった。あの時の抜け忍の一人……いや、二人が。どうやらこの『緑骨団』の幹部として、人身売買に深く絡んでいるようでござった……。先ほど現れた男……ルシルこそが、我が里を滅ぼした張本人でござる」
彼の拳から、ギリギリと骨の鳴る音がした。 温厚なジェイさんが見せた、初めての激しい憎悪。
「ジェイさん……。そんな辛い過去が……」
「それじゃあ、ジェイさんの両親の仇の敵は、あの中に……?」
俺の問いに、ジェイさんはハッと我に返り、顔を上げて鍾乳洞の天井を見つめた。 そして、すぐにいつもの、頼れる兄貴分の顔に戻った。
「……確かに、敵があそこにいるのは事実だが。今は、ルイス君達の安全と、荷物を王国まで無事に送り届けねばならぬ使命がある……。一先ずは、復讐は忘れ、ここから全員で脱出した方が得策でござる……」
その時だった……。 カツン、カツンと。 先ほどジェイが見つめていた通路の奥から、二人組の男の声と、金属質の靴の足音が響いてきた……。
「クックック……。血の匂いは、こっちだな。ここからは絶対に逃がさねぇぞ……。せっかく転移魔法で捕まえた、極上の上玉だ!!」
「大人しく観念しなさ~い。抵抗するなら、その可愛いお顔の皮を剥いじゃうわよ~? ヒナルちゃ~ん」
先ほど逃げた、片腕の男と、茶髪の少女の声だ。 そしてその背後には、大勢の盗賊たちの気配がある。囲まれた。
ジェイさんの表情が一変する……。 先ほどまでの後悔の念は消え失せ、戦士としての、そして父としての、怒りに満ちた鋭い目付きだ……。
「……万事休すか。ルイス君、コタース殿、ヒナル殿!! お主達だけでも、すぐ後ろの隠し通路から先に行け!! ここは、術の使えぬ拙者ではあるが……命を賭して、拙者が一人で食い止める!!」
ジェイさんは、片手に短剣を持ち、立ち上がって暗闇の前方へと進もうとする。己を犠牲にする覚悟を決めた背中だ。 それを見た俺達は、ヒナルとコタースの顔をみる。 言葉はいらなかった。 二人の少女の目には、一歩も引かないという強い決意の炎が灯っていた。俺も同じだ。
俺は、無言で頷く。 そして、ミスリルの剣を抜き、前に進み出ようとするジェイの肩を、力強く掴んだのだった。




