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後編

「くそっ!! あっさりと裏切った薄情者どもがっ………!!」


 王太子が小さく舌打ちをする。

 王族に相応しくない見苦しいその仕草は、オリヴィアがそばにいた頃には決してしなかったものだ。


『王太子だって一人の人間です。無理に感情を隠し、自分を偽る必要なんて無いと思います』


 耳当たりのいい、だが無責任な言葉を、チェルシーが囁いていたのをオリヴィアは幾度も目撃していた。

 そのたびに、王族たるもの人目を意識して振る舞ってくださいと忠告していたが、王太子はチェルシーの言葉に流されていた。

 その方がきっと都合がよく、楽だったからに違いない。


「殿下、ご理解いただけましたか? 今この場の人の動きこそが、殿下とチェルシーに対する紛れも無い評価です」

「黙れ黙れ‼ それがどうしたんだ⁉ 俺は婚約者としてチェルシーを選んだ!! 未来の王妃である彼女を侮辱するなら、オリヴィアおまえも牢に入れてやろうか⁉」

「………あくまでも、私との婚約を破棄し、チェルシーと添い遂げるつもりですか?」


 計画通り、いえ、予想通りね、と。

 オリヴィアが無表情に呟いた。


「あぁそうだ!! おまえはさっさとこの国を去るがい――――――――――何をする⁉」


 オリヴィアの合図で駆け寄ってきた兵士が、王太子の両脇を固め拘束する。


「このっ!! 離せ何をする‼ 俺は王太子だぞ!?」

「いいえ、違います」

「はぁっ⁉ 何をふざけたことを言ってるんだ⁉」


 喚く王太子―――――だった相手へと、オリヴィアはドレスの隠し(ポケット)から出した紙片を掲げた。


「もしあなたが私との婚約を人前で一方的に破棄した場合、あなたを王太子の位から下ろし拘束せよと、国王陛下から指示を承っています」

「父上がっ⁉ 嘘だろう⁉」

「…………嘘だろうとおっしゃりたいのは、国王陛下の方だと思いますわよ」


 オリヴィアは国王のことを気の毒に思った。

 

 そもそも、オリヴィアを王太子の婚約者に据えたのは、国王陛下その人だ。

 血筋の点でも本人の資質からいっても、オリヴィアほど未来の王妃に相応しい令嬢はいない。

 国王夫妻はオリヴィアを気に入り、未来の義娘だと可愛がっていたのである。


 そんな国王夫妻は、不出来な王太子を叱り教育に力を入れていたが、王太子が15歳になった時点で小言を言うのを控えるようになっていた。


 この国では、15歳で成人扱いするのが慣例だ。

 王太子とて、いつまでも親の言い付けに従うだけの子供ではいられないのだ。

 国王夫妻が老い倒れた後、王太子が国を背負っていくことになる。

 不出来な息子の穴を、いつまでも両親が塞ぎ続けることは不可能だった。


 だからこそ国王夫妻は干渉や小言を減らし、王太子の資質を見極めようとしていた。

 そうして両親からの干渉が減ったのをいいことに王太子ははっちゃけ、チェルシーに引っかかったということだ。


 国王夫妻はさぞ無念だったろうなと、オリヴィアは同情していた。

 息子である王太子を国王夫妻は可愛いがっていたが、同時に彼らは国を背負う王族だ。

 王太子に自由を与え、王たる資格なしという結果が出たら、容赦なく王太子の位を奪うことを決意していたのである。

 

「次の王太子には、エドムント様の弟であるハルアー様がなる予定です。あなたは速やかに王太子の引継ぎをし、王都から去るよう求められていますわ」

「でたらめを言うな!! なぜ俺が王都を追い出されなければならないのだ⁉」

「嘘だと思うなら、陛下の印の入ったこの書状をお読みください」

「………………っ!!」


 そこに書かれているのは、王太子がオリヴィアとの婚約を一方的に破棄した場合、王太子の位から下ろし、王族からも除名するという通達だ。

 エドムントを王族のまま王都に留めては、将来に禍根を残す恐れがある以上、当然の措置だった。


「なぜだ⁉ なぜこんな仕打ちを受けるんだ⁉ 俺はただ、真実の愛に生きようとしただけだろう⁉」

「真実の愛、ですか………」


 本当にそうだろうか?

 エドムントの廃嫡を聞いた瞬間、チェルシーの顔が強張ったのをオリヴィアは見ていた。

 彼女の瞳には驚きと狼狽、そして保身と打算が見え隠れしているようだった。


 エドムントの方だって、どこまで本気でチェルシーを愛しているかは怪しいところだ。

 心の底から彼女を愛し、添い遂げ幸せにしたいと思っていたなら、きちんと手順を踏むべきだ。

 おおかたチェルシーの顔と甘い言葉に騙され、都合のいい方へと逃げていただけに違いない。


「真実チェルシーを愛していたなら、まずは私との婚約を円満に解消し、その後に国王陛下にチェルシーとの婚約を認めさせるのが筋でしょう? なのにあなたは面倒を厭い、自分勝手に動いたのです。今日私に婚約破棄を叩きつけたのだって、陛下の許可も無い独断専行でしかありません」

「だが、それだけで、こんな……………」

「それだけ? この国の長である陛下が整えた婚約を、陛下の同意なく破棄したのはあなたでしょう? あなたが王太子の位にあったのだって、元は陛下の決定なさったことでした。陛下は自身の選択を悔い、国の未来を思い正そうとしただけですわ」

 

 もっとも今回の事態は、陛下の想定なさったうちで最悪に近いものでしょうけど、と。

 オリヴィアは内心予想していた。


 王太子がチェルシーに心惹かれていたのは、既に周知の事実だった。

 だがだからと言って、大勢の目がある場でオリヴィアに婚約破棄を叩きつけるとまでは、国王も信じたくなかったはずだ。

 

 大勢の人間の前で婚約破棄が行われた以上、王太子の愚かさを隠すことは不可能だ。

 国王の意を無視し、公爵令嬢であるオリヴィアを侮辱し、王族の資格なしの烙印を押されてしまったのである。


 一瞬にして王太子の位と、輝かしい未来を失ったエドムント。

 潮が引くように取り巻きに去られた彼は、腕の中のチェルシーを守るように―――――――あるいは、決して逃がさないように、強く強く抱きしめる。


 どこかに味方はいないかと、エドムントが周囲を見回した。

 残っていたのはただ一人、この場でずっと沈黙を保っていた、乳兄弟で天才魔術師のアスレイだけだった。


「アスレイ‼ おまえは俺と共に来てくれるよな!? おまえは俺に忠誠を誓っているんだろう⁉」

「…………無理です。私が忠誠を誓っていたのは、王太子のあなたでしたから」

「なっ⁉」

「王太子はその身を捧げこの国の礎となる人物だからこそ、敬意を持って支えなければならない。…………昔、オリヴィアが私に教えてくれた言葉です。私だって、チェルシーとの関係について、いくどもあなたに忠告をいたしました」

「忠告っ⁉ 何を言っているんだ⁉ 確かにおまえは、俺がチェルシーに近づくのを嫌がっていたが、最初だけだっただろう⁉ 最近はもう何も、チェルシーについて意見しなかっただろう⁉」

「…………逆効果だったからですよ。私がチェルシーと親しくなりすぎないよう進言した時、あなたは『俺とチェルシーの仲に嫉妬しているのか?』と言い放ち聞き入れてくださいませんでした」

「…………っ!!」


 エドムントが黙り込む。


「本音を申し上げれば、あなたのことは主として、とうに見限っていました。それでもあなたのそばを離れなかったのは、国王陛下に頼まれていたからでしかありません。決定的な間違いを起こすまでは、どうか息子のそばに仕えて欲しいという陛下の願いも、今となっては意味の無いものになってしまいましたが」


 アスレイはかつての主へと一礼すると、背を向けオリヴィアの元へとやってきた。


「行こう、オリヴィア。陛下に、今日のことを報告しに行こう」

「えぇ、そうしましょう。―――――――――――――――さようなら」


 エドムントへ、王太子であり婚約者でもあった彼へと別れを告げ、オリヴィアは歩き出した。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 舞踏会の会場を出たオリヴィアは、アスレイと二人で歩いていた。

 

「あぁもう本当、予想通りというか計画通りというか、嫌になりますわね…………」


 ヒールを打ち鳴らしながら、オリヴィアが早口で呟いた。


「エドムント様の心が、私から離れていたのは知っていたわ。チェルシーが寵愛を受けていたのも、私を悪役に仕立てようとしていたのも知っていたわ」

「オリヴィア」

「だから、国王陛下に今回の件を持ち掛けられた時、すぐに受け入れたの。彼に未練なんて無かったから、迷うわけがないわよね? 婚約破棄も何もかも、全部計画通り―――――――」

「オリヴィア‼」


 言葉と共に、アスレイがオリヴィアの手を掴んだ。

 引っ張られ、強引に制止させられたオリヴィアは、黒髪の幼馴染の顔を見上げた。


「やめて。痛いじゃない」

「……………涙をふいてくれ」

「何を言ってるの?」


 泣いてなんていない、と口を開いたオリヴィアの瞳から、一粒。

 小さな涙の滴が滑り落ちる。

 誇り高く強気なオリヴィアが、初めて人前で見せた涙だった。


 一粒だけの、小さな小さな涙だったけれど。

 自分が涙をこぼすなんて信じられなくて、オリヴィアとしては笑うしかなかった。

 幼馴染であるアスレイの方が、よほどオリヴィアの心を理解しているのかもしれない。


「情けないわね。……………婚約破棄は覚悟していたし、全ては計画通りだったはずなのだけど…………」

「…………オリヴィアはずっと、エドムント様の婚約者として相応しくあろうと努力していたんだ。裏切られて悲しむのは、それだけ真摯に向き合っていた証だ」

「……………アスレイ、ありがとう」

「…………礼を言われる程のことは、していない」


 アスレイが、ぷいと顔を逸らした。

 その美しい顔立ちと魔術の才ゆえ、令嬢達の羨望の的となっているアスレイだが、素は内気でぶっきらぼうな、恥ずかしがりやの青年だ。

 今のオリヴィアはそんな彼の、飾らない言葉と態度がありがたく身に染みた。


 初めて出会った頃より、ずっと高い位置にあるアスレイの頭を見上げたオリヴィア。

 彼女はそれ以降涙の気配などみじんも見せず、婚約破棄の後始末に奔走することになるのだった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ――――――――――その後エドムント達は、いっそあっけないほどに転がり落ちていった。

 王族の籍から追われたエドムントは酒浸りになり、自暴自棄な毎日を送っているようだ。


 日がな一日、酒に焼けた声で恨み言を吐くばかりの彼には、誰も寄り付こうとしていない。

 真実の愛で結ばれたはずのチェルシーもまた、エドムントをあっさりと捨て去っていた。


 彼女は実家に戻り、今はまた別の高貴な男性に近づこうとしているらしい。

 全くこりていないようだが、エドムントとの一件が広く知れ渡ったため、さすがに彼女に騙される相手はいないようだった。


 ―――――――――――そして、婚約破棄のもう一方の当事者であった、オリヴィアの行く末はというと。


「私が、アスレイと婚約を…………?」


 婚約破棄から3年後、若くして王宮魔術師の筆頭になったアスレイに、オリヴィアは求婚されることになる。


 理不尽な理由であったとはいえ、オリヴィアは婚約破棄された傷物の令嬢だ。

 王宮魔術師筆頭となったアスレイとは釣り合わないと固辞しようとしたが、アスレイは決して諦めなかった。


「俺が欲しいのは、俺の幼馴染で、恋した相手の君なんだ」


 聞けばずっと前から、アスレイはオリヴィアのことを密かに恋い慕っていたらしい。

 なのに思いを隠していたのは、オリヴィアが王太子の婚約者であったから。

 そして、オリヴィアの心を思ってのことだった。

 婚約破棄の直後の、痛手を負ったオリヴィアの心につけこむ形で思いを告げるのは、アスレイには許せなかったのである。


「お願いだ。オリヴィア。君の思いを聞かせてくれ」

「私は――――」


 オリヴィアは一つ息をのみ、ゆっくりと瞬きをした。

 アスレイは幼馴染。

 それだけでしかない相手のはずで。


 ……否、そう自分に言い聞かせていただけだと、オリヴィアは今になって気づいていた。

 

 かつての自分は王太子の婚約者たらんと必死だった。

 そして婚約破棄後は、傷物の令嬢として過ごしている。

 アスレイと婚約するなんて、考えてはいけない立場だったのだ。 


(でも、それでも、今の私は……)


 胸の鼓動は正直だ。

 早鐘を打つ胸が苦しく、でも幸せを感じていて。

 アルレイへの思いが、オリヴィアの中にあふれていった。


「……好きよ。私も、アスレイのことを愛しているわ」

「オリヴィアっ……!!」


 かすれた声で思いを告げると、アスレイに強く抱きしめられる。


「っ……!!」


 オリヴィアは顔を赤くしながらも、アルレイを強く抱き返した。


 

 ――――オリヴィアの中で婚約破棄の件が完全に過去になるまで、ずっと待っていてくれたアスレイ。

 不器用で優しい、黒髪の幼馴染の手を取り、オリヴィアは今度こそ幸福な婚約を結んだのであった。



最後までお読みいただきありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
[気になる点] チェルシーにもっと厳しい罰を下して欲しかった。
[気になる点] 元王太子の取り巻き達はどうなったんだろう? それに冤罪事件を起こしたチェルシーが実家に戻るだけで罰が何も無いって、この国には貴族法が無いのだろうか?
[一言] 初めて出会った頃より、ずっと高い位置にあるアスレイのつむじを見上げたオリヴィア。 言わんとすることは当然理解できるけど、つむじが見えるほどにプイと顔をそらしたアスレイを想像して笑ってしまっ…
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