第036話 帝都ちゃんこ道場爆誕
ケビンとの全面対決が決まった翌日。
わたしは学園の敷地外れにある、使われていなかった巨大な資材倉庫を(理事長である第二皇子の権限で)接収し、新たな拠点を築いていた。
入り口には、ミリアが徹夜で書き上げた看板が掲げられている。
『帝都ちゃんこ道場 ~筋肉と醤油は裏切らない~』。
……達筆すぎて、逆に狂気を感じる。
倉庫の中に入ると、そこはもう帝都ではなかった。
もうもうと立ち込める湯気。
充満する出汁と醤油の香り。
そして、男たちの暑苦しい掛け声。
「腰が高いですよ! 四股というのは、大地のエネルギーを吸い上げる神聖な儀式なのです!」
「は、はいッ! おかみさんッ!」
「誰がおかみさんですか! 私はレヴィーネ様の忠実な『下僕長』兼『親衛隊長』兼『ちゃんこ長』です! ……まあ、おかみさんという響きも悪くはありませんが」
ミリアが割烹着に三角巾という、どこで手に入れたのか分からない完璧なスタイルで、巨大なお玉を振り回して指揮を執っていた。
彼女の前では、かつて「Fランク」と蔑まれていた親衛隊の男子生徒たちが、涙と汗を流しながらスクワットや四股に励んでいる。
「いいですか! 今日のちゃんこは『鶏団子の生姜ミソ鍋』です! 食べた分だけ動く! 動いた分だけ強くなる! それが当道場の鉄則です!」
「うおおおおおッ!! 筋肉! 筋肉!」
……完全に宗教ね。
まあ、ラノリアで実証済みのメソッドだから止める理由はないけれど。
わたしは道場の隅に設置された特等席(玉座ではない普通のソファ)で、優雅に紅茶を啜った。
その隣には、アリスが座っている。
彼女もまた、ジャージ姿でくつろいでいた。
「すごいねぇ、ミリアちゃん。完全に『部屋』を掌握してるじゃん」
「ええ。あの子、妙なカリスマがあるのよね。……ところでアリス、そのお菓子なに?」
わたしが視線を向けると、アリスは懐かしそうに焼き菓子をかじっていた。
「ん? これ? ミリアちゃんが作った『試作型・聖都まんじゅう(チョコ味)』。……レヴィちゃん、チョコってこっちの世界にもあるんだね」
「カカオ豆はあるものね。でも、その味付け……前世のコンビニスイーツを思い出すわ」
「でしょ? 私たち『あっち』の舌にはたまらないよね~」
わたしとアリスは、「前世あるある」話に花を咲かせた。
意外とリッチな味がするコンビニスイーツ、深夜アニメのリアタイ視聴、新作ゲームの発売日の高揚感。
この世界にはない、けれどわたしの魂に刻まれた記憶。
それを共有できる相手がいるというのは、意外と心地よいものだ。
と、その時。
ズン、ズン、ズン……と、重い足音が近づいてきた。
「……レヴィーネ様」
振り返ると、お玉を持ったミリアが、般若のような形相で仁王立ちしていた。
背後には、得体の知れない黒いオーラが渦巻いている。
「楽しそうですね。……私には分からない、『ふたりだけの言葉』で盛り上がって」
「ひぃッ!? ミ、ミリアちゃん? 目が笑ってないよ?」
アリスが怯えてわたしの後ろに隠れる。
「アリスさん。……貴女、レヴィーネ様と同郷だからって、調子に乗っていませんか? 私はね、レヴィーネ様のためなら海だって渡ったし、巨大リュックだって背負ったし、ちゃんこ鍋だって千回は作ったんですよ?」
「あ、うん、すごいね……(この子、重い……! 物理的にも感情的にも!)」
「ミリア、嫉妬は見苦しいわよ。ちゃんこの火加減は大丈夫なの?」
わたしがたしなめると、ミリアはハッとして表情を崩した。
「ああんっ! レヴィーネ様に冷たくされた! でもその冷徹な視線もゾクゾクします! ……はい、すぐに戻ります! 野郎ども! 休憩終わり! 腕立て伏せ五百回追加です!!」
ミリアは嵐のように去っていった。
残されたアリスが、深いため息をつく。
「……レヴィちゃん。あの子、将来とんでもない大物になるか、ラスボスになるかのどっちかだよ」
「否定はしないわ。……でも、頼もしいでしょう?」
わたしは湯気の向こうで躍動するミリアを見つめ、小さく笑った。
この日常があるからこそ、戦える。
守るべき場所は、ここにあるのだ。
そして、守るべき人はもう一人いる。
◆◆◆
道場での喧騒から一転。
わたしとアリスは、人目を忍んで王宮の離宮――第一皇子の病室を訪れていた。
ベッドの上には、依然として虚ろな目のままの第一皇子が横たわっている。
スキル「王の威光」を奪われ、廃人同然となった帝国の至宝。
「……アリス。やれる?」
わたしの問いに、アリスは真剣な表情で頷いた。
いつもの軽薄な態度は消え、そこにはかつて「聖女」として祭り上げられた少女の、本来の気高さがあった。
「うん。……『魅了』は、私の望みが生んだ歪んだ力だったけど……本来の『光魔法』の適性は本物だから」
アリスは静かに両手をかざした。
彼女の手のひらから、温かく、澄んだ光が溢れ出す。
それは、ラノリアで見たような強制力を伴う毒々しい光ではない。
傷ついた魂を包み込み、癒やすような、純粋な祈りの光だ。
「……戻ってきて。あなたの魂は、まだここにあるはずだから」
光が皇子の体を包み込む。
奪われたスキルそのものは戻らない。
欠損したデータは、ケビンを倒して解放するしかない。
だが、アリスが行っているのは、欠損した部分から漏れ出す生命力を繋ぎ止め、傷ついた精神の回路をバイパスする処置だ。
「う……、あ……」
数分後。
皇子の瞳に、微かな光が戻った。
焦点が合い、わたしたちの姿を認識する。
「……レヴィーネ……嬢、か……?」
掠れた、弱々しい声。
だが、確かに意識がある。
「兄上! 気がつかれましたか!」
控えていた第二皇子が駆け寄る。
「……ああ。体が、軽い。……彼女が、やってくれたのか?」
皇子はアリスを見て、感謝の眼差しを向けた。
アリスは額の汗を拭い、照れくさそうに笑った。
「応急処置ですけどね。……完全に治すには、泥棒から盗品を取り返すしかありません」
「……そうか。私は、奪われたのか。あのような男に、誇りを……」
皇子は悔しげに拳を握りしめようとしたが、力が入らない。
だが、その瞳の奥には、決して消えない炎が灯っていた。
「レヴィーネ嬢。……頼みがある」
「何でしょう?」
「来週の御前試合……。私も、連れて行ってくれ」
周囲がざわめく。
「無理です」「お体に障ります」と侍従たちが止める。
だが、皇子は首を横に振った。
「見届けなければならないんだ。……私の『威光』が、悪意を持って振るわれる様を。そして……君がそれを、へし折ってくれる瞬間を」
皇子は、わたしの目を真っ直ぐに見つめた。
スキルはなくとも、その精神性はまさしく王者だった。
「……自分の不甲斐なさを噛み締め、君の勝利を目に焼き付ける。それが、今の私にできる唯一の戦いだ」
わたしは、その覚悟に震えた。
これこそが、人の強さだ。
数値やスキルでは測れない、魂の輝き。
「……承知いたしました」
わたしは深く一礼した。
「特等席をご用意させますわ。……ご安心ください。貴方様の『威光』、必ず取り戻してご覧に入れます」
アリスも、ガッツポーズを作ってみせる。
これで、舞台は整った。
あとは、主役が暴れるだけだ。




