第018話 悪役の矜持
部屋に一人残されたわたしは、ソファに深く座り直し、しばらく物思いに沈んでいた。
「……先ほどから、心ここにあらず、といった様子ですね」
部屋の隅、影の中から、静かな声がかかった。
目を上げると、オルガ先生がそこに佇んでいた。
皇子たちを見送った後、わたしの様子を見に戻ってきてくれたらしい。
「オルガ先生。皇子殿下の口からラノリアという国名を聞いた時、少し胸がざわつきましたわ。我がヴィータヴェン領とは国境を挟んだ隣国。ガルディア帝国にとっては同盟国にして仮想敵国。そして歴史を振り返れば、我が家と浅からぬ因縁があります。まさかその名をこんな形で聞くことになるとは」
「……ええ」
先生は目を細め、少し考えるような間を置いた。
「『宮家の影』としても、殿下達が貴女を渦中にという提案をなされた際には、驚きがありました。まさしく因縁、ですわね。――レヴィーネ様は、かつてヴィータヴェン辺境伯領が『ヴィータヴェン王国』であったことをご存知ですか?」
先生は静かにそう切り出した。
「勿論ですわ。執事であるバルドから、家の成り立ちについてはみっちりと教育を受けましたもの」
「では、その王国がガルディア帝国へと臣従を申し出て併合された――そのことについては?」
「一通り、は」
「でしたら、あまり表立っては語られない歴史の裏を、お話ししましょう」
先生はソファに腰掛けると、静かに語り始めた。
「今から数百年前、東方の宗教国家ラノリアが仕掛けた『聖戦』――国境で睨み合う大軍と、国王暗殺の企てを前に、時の国王ファナック・ヴィータヴェンは、徹底抗戦ではなく、民を生かす道を選びました」
先生は、静かに続けた。
「帝国へ完全な臣従を誓い、独立国としての王冠を差し出す。その代わりに帝国に国境に強大な軍を展開させ、仮にラノリア軍の侵略を受けたとしてもヴィータヴェン王国の民を帝国民として受け容れてもらえるよう交渉したのです。その決断によって、民は皆殺しにも、洗脳の末に戦争の道具にされることもなく、帝国臣民として守られました」
「……立派な決断ですわね」
「ええ。……ですが、当時、全ての者がそう評したわけではありませんでした」
先生の声が、わずかに低くなった。
「戦わずして国を売った、と。誇りを捨てた暗愚な王だ、と。歴史の陰では、そうファナック陛下を誹る声も、少なからずあったそうです。……しかしその汚名を被ってでも、陛下は民を護ることを優先されたのですよ」
わたしは、言葉を失った。
民を守るために全てを差し出した王が、その決断ゆえに『売国奴』だの『暗愚』だのと呼ばれていた。
(――どうやら悪名を被りたがるのは、随分な先祖返りらしいわね)
規則を破り、暴力で校内の秩序を引っ掻き回す『暴力令嬢』。
誰も、わたしが陰で何をしているかなど知らない。
ただ悪評だけが、独り歩きしていく。
(もっとも、わたしが被る名は、誇り高き売国奴などではないけれど)
辺境からやってきた、パイプ椅子を振り回す撲殺魔。
天下御免の悪役令嬢。
それが今のわたしの二つ名だ。
ならば――そもそも『最強の悪役』を志しているわたしが、これを受けない理由がどこにあるだろうか。
悪評を被ることになる? 望むところだ。
誰にも褒められない? 元より、他人の拍手を当てにして戦ったことなど一度もない。
その上、ご先祖様が帝国に受けた恩を返すことにもなるというのなら――。
「依頼を受ける理由が、一つ増えました。……ふふ、楽しくなってきましたわ」
わたしは声に出して笑った。
オルガ先生が、扇子の下でわずかに口の端を上げるのが見えた。
◆◆◆
翌日の同じ時刻。
約束通り、影の中から皇子と皇女が姿を現した。
「返事を、聞かせてもらおうか」
「ええ、お受けいたしますわ」
わたしは即答した。
「ただし、条件がございます」
わたしは指を四本立てた。
「一つ。学院内でのわたくしの行動に、一切の口出しをしないこと。たとえ校舎を半壊させようが、備品を粉砕しようが、すべて不問にすること」
「……よかろう。後処理は我々が引き受ける」
「二つ。わたくしのティータイムを何人たりとも邪魔させないこと。たとえ陛下からの呼び出しであろうとも、です」
「……ふふ、大きく出たな。いいだろう、約束する」
「三つ。この『興行』の結末は、わたくしに決めさせていただきます。たとえそれが、帝国の威信に関わるようなふざけた結末であっても、文句は言わせませんわよ?」
第一皇女が目を丸くし、やがて小さく吹き出した。
「……面白いわね。いいわ、好きになさい」
「そして、四つ目」
わたしは身を乗り出し、二人の瞳をまっすぐに覗き込んだ。
「わたくしの家族には、この一件の累が一切及ばないこと。父にも、母にも、ヴィータヴェン家の名にも、そして領民にも。傷一つつけさせません。悪評を被るのはわたくし一人。それが絶対条件ですわ」
部屋に、一瞬の静寂が落ちた。
皇子が、少し驚いたようにわたしを見た。
「……構わない。それは、こちらとしても望むところだ」
「では、契約成立ですわね」
皇子が新しい羊皮紙を取り出し、条項をさらさらと書き加えていく。
『帝室公認の掃除屋』というだけではない。
『帝室と対等な協力関係にある、アンタッチャブルな悪役』としての契約書だ。
「繰り返しになるが……この件を解決したとしても、君が表立って名誉を得ることなどはない。それでも、良いのだな?」
念を押すような皇子の問いに、わたしは笑って答えた。
「望むところですわ。悪役とは、そういうものですから」
わたしは契約書にサインをしながら、静かに、けれど確かな決意を込めて続けた。
「それに、悪役とは案外、義理堅いものですのよ。恩も恨みも、倍返し程度では済みませんの。……尽力いたしますわ。悪役なりのやり方で」
皇女がくすりと笑い、皇子が満足げに頷いた。
こうして、わたしは帝国の影と、対等な共犯関係を結んだ。
最強の悪役による、誰にも縛られない大暴れが、ここから本格化する。
◆◆◆
密約から一夜明けた。
わたしは、いつにも増して清々しい気分で目覚めた。
(バックに国一番の権力者がついた。しかも、全権委任で。……つまり、もう遠慮はいらないってことね)
これまでは『正当防衛』という建前を守るため、わざとらしく介入し、相手に手を出させる手順を踏んでいた。
だが、これからは違う。
わたしは皇室公認の『掃除屋』としての権限を得たのだ。
ターゲットは、生徒たちを洗脳している実行犯――敵国の工作員。
彼らを誘き寄せるには、最高の餌が必要だった。
それはそう――例えば、彼らが仕込んだ悪意の種によって構築されたヒエラルキーや対立構造を、理不尽かつ傍若無人に、なにもかもぶち壊すような『悪役』という餌が。
昼休みの食堂。
そこは貴族院の縮図だ。
窓際の景色の良いテラス席は、暗黙の了解で中央の高位貴族の子弟専用となっており、下級貴族や平民出身者は近づくことすら許されない。
わたしは、そのテラス席のど真ん中、最も見晴らしの良いテーブルへと、カツカツとヒールの音を響かせて歩み寄った。
そこには、三年次の侯爵令息とその取り巻きたちが陣取っていた。
彼らの目には、例の濁った光が宿っている。
「あら、ごきげんよう。そこ、わたくしが座りますので、空けていただけます?」
わたしは鉄扇でテーブルをコン、と叩き、優雅に微笑んだ。
侯爵令息が、信じられないものを見る目でわたしを見上げた。
「は……? 貴様、誰に向かって口を……ヴィータヴェン!? 辺境の田舎娘が、この僕に席を譲れだと!?」
彼らの理性のタガ――洗脳を受けて元から緩んでいるが――が弾け飛んだ。
「き、貴様ァ! 殺してやる!!」
彼らが一斉に立ち上がり、魔法を、あるいは帯剣している者は剣を抜こうとする。
上等だ。
いつものわたしなら、ここで相手の力量を測り、手加減の算段をする。
だが、今回は違う。
(――汚染確認よし!)
(排除命令受諾済み!)
(結界……なしでも関係ないわね。全責任はスポンサー持ち!)
(『処刑』モードのパイプ椅子、出力最大!)
躊躇も手加減もない。
問答無用の暴力。
「遅いわよ、雑魚どもッ!」
ズドドドォォンッ!
まとめて三人の腹部に超高速の連続前蹴り腹砕きを叩き込む。
「ぐえぇっ!」とカエルが潰れたような声を上げてくの字になる男たち。
わたしは素早く右手を掲げた。
「――チェア、トリプル!」
わたしの呼び声に応え、魔力で構成された三脚の黒いパイプ椅子が空中に顕現し、わたしの念動力でそれぞれの男の背中めがけて射出される。
ドバババァン!!!
強烈な衝撃音と共に、三人は強制的にマットに膝をつかされる。
わたしは一番手前の侯爵令息の髪を掴み、その顔を上向かせた。
「治療の時間よ。……歯ぁ食いしばんなさいッ!」
バコォオオォン!!!
一撃。
座面が吹き飛び、ネックレスが完成する。
まだモヤが濃い。
バコォオオォン!!!
バコォオオォン!!!
二撃、三撃。
わたしは踊るように、リズムよく残り二人の脳天にもパイプ椅子を振り下ろしていく。
あっという間に、テラス席は悪趣味なネックレスをつけた男たちが死屍累々と転がった。
食堂は、水を打ったように静まり返っていた。
誰もが恐怖で身動きが取れない。
わたしは、気絶した侯爵令息の体を踏み台にして、テーブルの上に立った。
そして、鉄扇を広げ、食堂にいる全員――いや、この学院に潜む「何者か」に向けて、高らかに宣言した。
「皆様、よーくお聞きなさい!」
わたしの声は、身体強化によって講堂のスピーカーのように響き渡った。
「この貴族院の序列は、今日、この瞬間をもって書き換わりましたわ。家柄? 中央? 地方? 貴族? 平民? そんなくだらない物差しは捨てなさい。わたしが支配するこの場において物を言うのは、己の力と矜持のみ!」
わたしは鉄扇を閉じ、その先端で、見えない敵を指し示した。
「そして、コソコソと他人の精神を弄くり回している、薄汚いネズミさんたち。聞いていらっしゃるんでしょう? 随分と舐めた真似をしてくれているじゃありませんの」
ヒールとしての最高の見せ場、マイクパフォーマンスだ。
「わたくしの庭を荒らした罪は重いですわよ。操り人形遊びはもうおしまい。……悔しかったら、アンタたち自身が掛かってきなさい。この『北の撲殺令嬢』が、まとめて相手になってさしあげますわ!!」
宣言が終わっても、食堂は静まり返ったままだった。
恐怖が支配している。
……やはり、まだ早かったか。
そう思ってテーブルから降りようとした、その時。
パチ……パチ、パチ……。
食堂の隅から、小さく、頼りない拍手の音が聞こえた。
視線を向けると、そこには柱の影に隠れるようにして立っている、あのミリアがいた。
顔を真っ赤にし、涙目で、それでも必死に両手を叩いている。
「……」
その音につられるように、地方出身の生徒たち、平民の特待生たちの間から、パラパラと拍手が広がり始めた。
それはまだ『喝采』と呼ぶには程遠い、怯えを含んだ小さな音だった。
けれど、そこには確かに『熱』があった。
(……フフッ。悪くないわね)
わたしはミリアに向けて、ほんの一瞬だけウインクを飛ばした。
ミリアが「ひゃうっ」と変な声を上げて崩れ落ちる。
その時だった。
ゾクゥッ……。
背筋に、冷たいものが走った。
人垣の向こう。
食堂の出口付近に、一人の教師らしき男が立っていた。
地味なスーツに、特徴のない顔。
だが、その目は、獲物を見定めた爬虫類のように、冷たくわたしを捉えていた。
彼と視線が合った瞬間、男はニヤリと笑い、人混みの中へと姿を消した。
「……釣れたわね」
わたしは口角を吊り上げた。
観客は温まった。
対戦相手も決まった。
学院を舞台にした、悪役対工作員の全面戦争が、ここに幕を開ける。




