第225話 『吸血の儀』
子供の喧嘩のような真似をして派手に怪我したナイトとサシャだったが、ゆっくりと立ち上がって、カーム団長や他の団員たちに続いて歩いていく。
『吸血の儀』のために、目指すは『人間の村』だ。
「……なァ」
「はい?」
「こっちの村にはほとんど来たことが無かったんだが……ゴミ溜めの街から、そう遠くねェじゃねェか。荒くれ者どもに食い荒らされねェのか?」
ナイトが思いついた当然の疑問に、サシャは眼鏡を整えながら答える。
「こちらはこの国の最下層です。ひどい霧でしょう。ですからあの街の者たちは、人間の村の位置を把握できていないのです」
「じゃあ騎士団とか……他にも今一緒に来てる、上層の奴らしか場所をわかってねェってことか」
そういえば騎士団と共に、どちらかというと綺麗な服を着た国民たちや、貴族のような者たちもついてきていた。
スラム街と人間村の間の濃霧が、そんな風に役に立っているとは。
「そういうことです。ちなみに『路地裏の猛獣』についても同じで、あなたごときの情報など村人たちに伝わっていません。余計なことを口走らないように」
「何だその癪に障る言い草ァ……今さらだが俺ァ村人よりも、騎士どもに後ろから刺されそうな気がしてるが?」
「ご冗談を。私たちは団長を信頼しているので、団長が連れてきたあなたを無意味に攻撃するなどあり得ません」
「保護する『理由』ってやつァ団長しか知らねェのに、本当に保護すんのか?」
「そんなに殺されたいのですか。ならどうぞ今すぐ暴れ回ってくだされば、いつでも」
「……そうかよ」
チキンレースを始める前にサシャが刀を抜いていたような気がしたが、忘れることにした。
とにかく騎士たちは盲目的なほどにカーム団長を信頼しているのはよくわかった。
霧の合間から、カームが手を振ってくるのが見える。
とりあえずナイトもこの『トラウマの塊』のような行事に付き合うしかないようだ……
◇ ◇ ◇
「いつも話してることだけど――やっぱりこれは、毎回確認しなければいけないことだと思うんだ」
「……?」
ナイトは首を傾げる。
霧の中、人間の村の中で、カームが騎士たちや国民たちを集めて。
突然の演説を始めたのだから、わけがわからない。
「これから始まるのは月に一度の『吸血の儀』……僕ら吸血鬼にとっては、最大の力を維持するための大事な課程だ」
「――――」
「ただ、絶対に、勘違いしてはいけない。力の強い僕ら吸血鬼が村を守る。その代わりに人間たちが血をくれる」
「――――」
「忘れてはいけない。『吸血鬼』と『人間』の関係が……『対等』であることを」
ナイトは俯く。吸血に関する話であれば、どんな話だろうと聞きたくはない。
だが流石はあの優男だ。対象が人間であっても、普段の態度を微塵も変えないらしい。考え方に筋が通っている。
「人間を『食糧』と思ってはいけない。人間を『吸血の道具』と思ってはいけない――人間だって血が無ければ生きていけないのだから。僕らは『命』を分けてもらうのだから」
「……!」
ちょっとした台の上から話すカームの言葉が、吸血鬼たちに染み渡る。
ヴィクターやサシャも、目を輝かせて頷いている。
毎月これを再確認しないと、感謝の気持ちを忘れてしまう吸血鬼がいるのだろうか。
――別に良いとも思うが。
だって、どんな気持ちで吸血しようが、それが人間に伝わることはない。
肉や野菜を食べる時も、いちいち感謝して食べるかどうかは、食べる人次第ではないか。肉や野菜が気持ちを感じ取って怒り出すわけがないのだから。
そもそも血を吸うこともしないナイトからしたら、これは『どうでもいい話』ではある。
しかし、カームは一体どうやってこんな思考回路を身につけたのだろうか。
人間を餌だと思い、尊重などしない。それが吸血鬼の基本なのかと勝手にイメージしていたのだが。
一通りの演説、確認が終わると吸血鬼たちは散り散りに、人間たちの住居を訪れていった――
◇ ◇ ◇
「ク、クソ……ッ」
ナイトはカームを探した。だが姿を見失ってから、どこにも見当たらない。
どうなっている。もう家の中に入って吸血を開始したのだろうか。
「…………」
「…………」
あちこちの家で……扉の隙間や窓から、吸血鬼が人間の首筋に噛みついているのが見える。
時々、屋外で行っている者もいた。
「…………」
「…………」
吸血している吸血鬼も、カームの言いつけを守り、お行儀が良い。
吸血されている人間も、いつも守ってくれている吸血鬼たちを尊重し、顔を顰めることもなく静かに終わるのを待っている。
そうか――これが本来あるべき姿。
「……クソッ……何だよ……」
ナイトの体に力が入らなくなってくる。
視界がボヤける。目眩がしてくる。
「ハァ……ハァ……」
声が震える。
呼吸が乱れる。
「ハァ……ハァッ……」
フラつくナイトは――気づくと民家の中に入っていた。
「やめろ……!」
手を伸ばす。
吸血している自分に――
「っ!? な、何すんだよ……」
「……!?」
「今から血を吸うんだ、危ないことするな。キミは向こうだって言われただろ?」
違った。
ヴィクターだった。彼は焦った表情で肩からナイトの手を払う。
「カ……カームは……」
「団長? 知らないよ。『吸血の儀』の時はいつも開始早々いなくなるんだ。きっと素早く終わらせて他の場所に行ってるんじゃないかな」
「なっ……話が、違ェぞ……」
ナイトの質問に早口で答えたヴィクターは、静かに待つ人間の男の首筋に噛みついた。
優しく噛み、丁寧に、量を調節しながら血を吸うヴィクター。
「あァ……ッ!!」
この空間で苦しんでいるのは、傍観者のナイト一人だった。
『ナイト!!! 何をやってる!! 傷を塞げ!! 早く傷を塞げ!! 早く!!!』
自身の視界を塞ぐ。
後ろから声が聞こえる。父親の声。
「死んだんだろ……来んじゃねェッ!!」
ヴィクターを見ていられなくなったナイトは、頭を抱えながら民家から飛び出す。
地面を転がり回る。
背中を地面につけていれば、後ろから声など聞こえるわけが
『うああああぁぁぁん!!』
しっかりと頭の中に響くのは、幼い少女の絶叫。
あの時、目の前で聞いた泣き声だ。
「ゥぐ……おォォ……」
転がる力も失い、もうナイトは体を丸めることしかできなかった。
弱った芋虫のように縮こまり、蹲る。
そこへ、
「ええと……大丈夫、ですか?」
「ォォ……」
「あなたも騎士の方……です、よね? 服装は違いますけど……」
「ァ……ァ……」
「私の血を吸いますか?」
通りかかった女性の村人が、様子のおかしいナイトを気づかいながらも血液を提供しようと身構えている。
しばらくナイトは反応できなかったが、
「い、いや……」
「え?」
「もう……終わってる……俺はもう……終わっちまったんだ……」
拒否の言葉だけ何とか絞り出して、ナイトは立ち上がる。
何でもいい。早く離れないと。今はそれしか考えられない。
『あああああああああ!!!!』
『吸血鬼とは! 人間の血を吸ってこその、誇り高い種族だ!! 吸血しなければ真価を発揮できない!! わかっているよな!?』
絶叫が、説教が、四方八方から迫ってくる感覚に苛まれる。
頭が痛い。逃げないと。早く、ここから。
しばらく歩いて、顔を上げると……『あの家』が見えた。
「あ」
ナイトが失敗した家。
少女が泣き叫び、一生ものの傷を与えられた家。
一人の父親が絶望し、息子に見切りをつけ、親子が決別するきっかけとなった家。
あの家が、今、すぐそこにある。
(来るんじゃなかった……こんな村)
当然だった。
この村に来てしまえば、トラウマの原因の家だってあるに決まってる。
来ておいて、避けることなどできるわけがない。
(なぜ俺は……来たんだ……!? バカが!! バカ!! クソォ!!!)
ましてや同行する騎士たちだって、ナイトのことを『猛獣』と呼ぶばかりで、助けてくれる者など誰も――
「ナイト。こっちだ」
聞き覚えのある声に手を引かれ、ナイトは建物の影に入った。
◇ ◇ ◇
ちょうど村の端の方まで来ていたらしいナイトは引っ張られると、ある民家の裏まで連れてこられた。
そこから先にはもう村が広がっていない。本当に端まで来たのだ。
そしてナイトを引っ張った男とは、
「カァァァムゥゥゥゥ!!!」
「…………」
獣のように叫びながら、必死の形相で胸ぐらを掴み、カームの体を民家に打ちつける。
ナイトは怒髪天を衝くほどの勢いで、
「てめェェッ!! てめェの方から『離れるな』と言ってきたよなァ!? 本人が消えるなんざ聞いてねェんだよォォォ!!!」
「…………」
「俺がっ……俺がァァ!! 何をっ!! もっ、あれが、俺がァァ!! てめェがァッ!!」
「…………」
ナイトは、単に爆発しただけに過ぎない。獣と呼ばれるのが相応しい。頭がまるで理論的に働いていない。
カームに怒ったってしょうがない。このやり場の無い怒り。説明することもできず、頭の悪いナイトは、ただ言葉に詰まって、気迫でカームを脅かすことしかできないのだ。
事情の欠片もわからないだろうカームだが、ナイトの様子にはさほど驚いていないようで――
「……試すつもりは無かったんだ」
「ッ!!?」
彼の口から出るのは、ナイトの終わってる語彙力よりも意味不明な言葉だった。
「ブライトから聞いていたよ、息子は吸血をしないんだって。それがキッカケで離れてしまったんだよね」
「は……?」
「悪い意味じゃないんだけど、僕はそれが信じられなくてね。君をこの村に連れてきたら、どんな反応をするのか見てみたくなったんだ」
「おい待て……ちょっと……」
知っていた?
あまりにも想定外の反応すぎて、ナイトの頭は処理が追いつかない。反論も質問も何も思いつかない。
「て、てめェ……」
まさか――サディスト、ということか?
ナイトをこの村に連れてきて、自分はいなくなったフリをして、トラウマを持っているナイトがどんな風にぶっ壊れるのか、それを観察するこの時のためだけに……
疑うようなナイトの目線に、カームは目ざとく気づく。
「すまなかった。……って、君と出会ってから僕は謝ってばかりだね。いや今までもずっとそうだったかな、僕が能無しだから」
「……るぞ」
「え?」
「てめェがその気なら、俺ァ今すぐに消えるぞ」
もう怒りさえも鎮火してしまったナイトが、か細い声で言いながら、カームから手を離す。
「馬鹿にしやがって。優しい演技で俺を騙すなんてな……血を吸わねェ吸血鬼が、そんなに面白ェかよ」
「…………」
「あァ、違うな……間違えたなァ……」
父親の姿と、カームの姿が重なる。
信じたくなってきた男だったのに。そんなの見たくない。背を向けてナイトは、
「俺ァ、吸血鬼じゃねェ」
じゃあ自分は一体何なのか。
自分でもわからない。わかるものか。誰にも、わかるわけがない。
ただ一つだけハッキリしたのは、
「俺ァ、クズだ……生きる価値の無ェ、クズ野郎だ……」
わかっていたはずなのに、忘れようとしていたこと。それを再確認できたのだ。
カームには感謝しなければなるまい。まぁ、金輪際会うこともないだろうが。
ナイトは歩き出す。やはり、こんな国は自分の居場所ではないのだから――
「君が吸血鬼じゃない? じゃあ、僕は吸血鬼なのか?」
ナイトの背中に向かって、普段通りの落ち着いた声が投げかけられる。
ふざけてる。まだ馬鹿にしている。ナイトはもう呆れていた。
「てめェまで馬鹿になってんじゃねェよ。デュラレギア鬼神国騎士団の」
「肩書きは、今は置いといてもらえるかな」
「……はァ?」
ナイトの言葉を遮った、そんなカームの言葉は、やたらと力強い。
いつになく彼は真剣で、そして少しだけ、
「『吸血鬼はこうだ!』と決めつけて、最も型にはまった考え方をしているのは、君の方じゃないか」
「……!?」
怒っている?? 表情は真剣そうなだけだが、明らかに言動が鋭い。
だがもし怒っているとして、それはおかしい。ナイトは差別的な考え方を『強制された』側にいるのだから。
怒られる筋合いなどない。
「ってか何だよ、その時間稼ぎはよォ。俺が気に入らねェなら止めんなよ。消えるって言ってんだろォが」
「いいや許さない。僕と話すんだ」
「てめェ何考えてんだァ!!?」
鎮まっていたはずの怒りが再燃してくるほどに、今のカームの振る舞い方は妙だ。
普段からこんな情緒不安定みたいな男ではないはずなのに。
これは何か……何かを……伝えようとしているのではないか。
内に秘めた強い思いを、察してほしいのではないか。
「っ……てめェ……まさか、誰にも言ってない秘密が……あんのか?」
ナイトは珍しく他者の気持ちを考え、振り向いた。
カームは、
「うん」
どこか安心したように深く頷いた。
続く言葉は、
「僕も君と同じ」
「えっ」
「生まれてこの方――人間の血を吸ったことが無い。不味いから嫌いでね。最初は吸ったフリだけしてすぐ返してたんだ」
「ええェッ!!?」
「ついでに言うと『神』とかもどうだっていい。心から崇めたことは一度も無い」
「いや、えェ!? てめ、さっき、伝説みたいな話をさんざん……」
「聞いたことある話を君に伝えただけ。別に本気で信じてるわけじゃない」
「ちょっ……ええ?」
こんなの何でもないよ。みたいに言ってくるカーム。
信じられないし、驚きすぎて、ナイトは腰が抜けてしまった。
「君を『保護する理由』の時に……嘘をついてしまったね。ブライトの息子ってことや、刀のことだけで探していたわけじゃない」
「え……」
「僕もね、孤独だったんだ。『血を吸わない吸血鬼』なんて他にいないから」
「…………」
「偶然にも『飛ぶ斬撃』ができたから強くなれたけど、それが無かったらどうなっていたか……今現在でも、なかなか普通の吸血鬼を演じるのは辛いよ」
「…………」
「ブライトの話を聞いて、驚いた。僕以外にもそんな吸血鬼が存在するなんて……会いたい、と思った。仲良くなりたいと、強く願ったよ」
「ッ!!」
彼がナイトに向ける微笑みが、今までとは違った意味に見えてくる。
孤独だったカームにとって、ナイトは唯一の味方だと言ってもいい。まさか知らない間にそんな関係が構築されていたなんて。
「今日のことは、本当に、謝りたくても謝りきれない……ごめん!!」
「ちょ、オイ……」
カームは土下座をしてくる。逆にナイトの方が困惑する異常事態だった。
「ブライトを疑っていたわけじゃないけど……あまり期待しすぎて、その期待を裏切られた時、僕は耐えられる気がしなかった」
「それで……」
「うん。君が本当に吸血をしないのか、見ていた……これは至らない僕の愚かな好奇心が招いた、最悪の結果だ……」
「い、いや、そんな……」
「あんなにも苦しんでしまうなんて考えていなかった。僕は配慮が足りなさすぎたし……ブライトとの件も、その後も、どれだけ君が傷付いてきたか、大変な思いを、苦労をしたか……想像力も足りなかったんだ」
「…………」
何だかこんな話の流れになって来ると、不思議とさっきまでの苦しみが吹き飛んでしまった気がする。
だからか、ナイトは優しい気持ちになれた。
「俺の方こそ悪かった……俺だって、他の吸血鬼にそんな奴がいるなんて……想像もしなかった」
「…………」
一応謝っておいたナイトだが、先程も本当は怒っていなかったのか、カームは気にしていない様子で立ち上がる。
再びナイトへ向き直り、
「こんなクズでも――僕は吸血鬼なんだ。この運命から逃げられずにいる」
「……っ!」
「じゃあ君は?」
「…………」
自信満々にカームは言い切る。
だがナイトは俯いてしまう。やっぱり自分を認めることなどできなかった。
だから、
「ナイト。僕も、君も、どうしたって吸血鬼さ。種族は選べないんだよ」
「っ……」
「でも、生き方なら選べる」
カームが代わりに言ってくれた。
生き方を選べる。その真意をナイトはまだわかっていなかったが、
「もう一度行こう。『あの家』に。君が終わってしまったと感じている場所で、新たな人生を始めよう」
彼は優しく手を差し伸べてきた。




